Mescolare 4
冴え冴えとした美貌に怒りを漲らせて、紫紺の双眸が冷たく見下ろして
いる。蛇に睨まれた蛙のように動けない俺たち――正確には俺の後ろの
3人に向けて、ジュリオは傲然と言い放った。
「カポの命令は絶対。これはオメルタ以前の不文律だ」
紡がれる声はけして大きなものじゃない。けれど断罪の言葉は吃驚する
くらいよく響いて、容赦なく俺たちを打ち据える。
……怖ぇ。マジ迫力が違う。これが、この世界のジュリオなのか。
俺の知ってるアイツは、そりゃ「狂犬」て渾名で呼ばれるくらいだから
ヤベェとこもあるれど、普段はおとなしくて子供みたいに純な奴だ。周囲を
拒絶してるように見えるのは、ただ他人との関わり方を知らないだけで。
こんな、まったく心の感じられない目で人を睥睨するようなヤツじゃない。
あまりの違いに、くらくらと目眩がして俺は無意識に額を抑える。
10歳ちかく若返ったベルナルドも、老けたイヴァンにも驚いたけど、
ジュリオの変わり様がいちばん精神的にクるな。なんか、うまく感情が
ついていけない。先の3人を見て頭ではなんとなく覚悟してたのに、いざ
その差異を目の当たりすると思った以上にショックで、体の芯が急速に
凍てついて麻痺してゆく。
茫然とする俺の前で、冷たさと精悍さの増した顔を不快そうに歪ませた
ジュリオが低声で凄んだ。
「幹部昇格での宣誓式でも組織とボスへの忠誠を誓ったはず。それが
守れないのであれば、幹部の資格はない」
いつ取り出したのか、気がつけばその手には新しいナイフが握られていて。
いまにも誰かの肉を切り裂こうと不気味な光を放つそれに、俺は慌てて首を
振った。
「違うっ! ジュリオっ、違うんだ。ちょっとじゃれてただけ! 命令違反とか、
そんな大げさなモンじゃねぇって!」
「……」
必死に言い募る俺の嘆願に氷の視線が揺らぎ、きつく眇められていた瞳が
わずかに見張る。本当か? と問う無言の圧力の前に3人はこくこくと肯いた。
うん、それで正解よキミタチ。まだ死にたくないよな。俺も仲間が細切れに
なるとこは見たくねーし。
「――そうか」
多少は納得したのだろう、部屋中に膨れ上がったジュリオの殺気が瞬く間に
萎んで消える。重苦しい空気が一掃され、ジュリオを除く誰もがほっと息を
ついた。あー、マジびびった。こんなとこで幹部の公開処刑とか勘弁して
くれよ。一緒に脱獄してから少しは打ち解けたと思ったんだけどなぁ、こっちの
世界ではまた違うのか?
「そ、それじゃ全員揃ったところで、定例会議をはじめよう」
天国まであと何秒? な金縛りから解放されたベルナルドが上擦った声で
仕切り、幹部勢揃いの会議が始まる。
ぐったりとしてる俺をおいて話は滞りなく進んでゆく。イヴァンとルキーノが
それぞれ自分の業務と、GDとの小競り合いの戦果報告。それをベルナルドが
分析して幾つか対策を立て、最終的に筆頭のジュリオが決断する。元の世界とは
だいぶん様子が違うけれど、これはこれでうまく回ってるようだ。とりあえず俺が
決断を迫られるような難しい議題はない。平和って本当にステキね。シノギのこと
なんて何も知らないカポでもなんとかなんだからさ。
「報告は以上です」
ぼーっとしてる間に会議が終わり、蚊帳の外状態からも解き放たれた俺は
ふかふかのソファから体を起こす。いいかげん呆けてばっかりじゃダメだ。
なんでこうなったのか原因を探さないと。そう気持ちを奮い立たせ腰を浮かし
かけた俺は思いもかけず斜め前のジュリオと目が合い、ギクリと身を強張
らせた。 え、なに。俺なにかしました?
「ジャン」
僅かに掠れた、けれど充分に美しい声が名を呼ぶ。
いつだって見惚れるほど整った美貌の主が、じっと俺を見つめる。
さっきみたいに強烈な眼光じゃない。ても心の奥底まで見透かすような
深い色の瞳に射抜かれ、思わず息をのむ。もしかして、気づかれたのか?
俺が『彼等のジャンカルロ』ではないことに。
「……ジャン、顔色が悪い」
「はっ……あ、あ?」
「あっ、そうだ! ジャン、気分は?」
予想外のジュリオの指摘に、はっと思い出したような表情でベルナルドが
俺を振り返って様子を窺う。あー、そういやさっき医者がどうとか言われて
たっけ。応えようとしない俺に心配そうな彼の手が頬に触れようとした、その
寸前。ベルナルドを遮るようにするりと黒い陰が滑り込み、えっと思った
ときにはもう、俺の体は宙に浮いていた。
「ちょ、えっ、ええ?」
ぽかんと呆気にとられた3人の顔がえらく低い位置に見える。いや違う、
俺の目線がみんなより高いんだ。ナニコレどうなってんの? 密着する
自分以外のぬくもりに、漸く状況を理解する。
えーと、これはお姫様だっこというやつデスカ。うわーはじめてされたよ
俺。いままでつき合った女にすらしたことないのに。
「なっ……、アンタッ何を――」
「今日は他に予定はないのだろう? なら、もう休ませる」
文句を言おうとしたベルナルドを氷刃のような一瞥で黙らせ、ジュリオが
踵を返す。控えていた兵隊たちが慌てて扉を開くと、俺を抱き抱えたまま
幹部筆頭様は部屋をあとにした。ぶるぶると全身で憤る坊やと、なんだかもう
展開についていけない次席&3位を置き去りにして。
「じ、ジュリオ……?」
あの、なんか擦れ違う黒服さんたちの視線がむず痒いってか、えらく
注目されてんですけど。それ以前に、俺べつに歩けないほど具合悪い
わけじゃないですよ。そんな気持ちを込めて控えめに呼びかけてみた
けれど、当のジュリオは聞こえてないように回廊をどんどん進んでゆく。
あれよあれよという間に俺は寝室まで運ばれてしまった。
重厚な二枚の扉が同時に開き、高い天井から吊されたシャンデリアが
きらきらと光を弾く。華美な装飾の施されたそこは、間違いなく俺の部屋だ。
はじめはゴージャス過ぎてなかなかな馴染めなかったけど、最近は使い
慣れて愛着も感じはじめていた。本当になにひとつ変わってない。でも
ここは俺のCR:5じゃないんだよな。
中央に設えられたベッドに、まるで壊れものでも扱うように降ろされる。
ベルナルドたちを叱りつけた時とはあきらかに違う、慈愛に満ちたまなざしで
俺を見下ろしてジュリオはそっとささやいた。
「すぐにドグが来ます。ジャン、さん……どうか、無理はしないでください」
「は……?」
なにかを堪えるような切なげな表情で、先ほどまでとはがらりと口調すら
変えて恭しく接するジュリオに俺は混乱する。
これは、本当にアイツじゃないのか。この喋り方も、俺を見つめる眼も
記憶にあるものと変わらないのに、でもその姿は俺の知るジュリオじゃない。
「俺がついていますから、もう休んでください」
謡うような優しい声音が俺の意識を浚ってゆく。
だめだ、ここで眠っては。考えなきゃ。変わってしまった世界の、その原因を
見つけなくては。だってここは、俺の知ってる――俺の居場所じゃない。
帰らなきゃいけないんだ。
けれど頭を撫でる手は泣きたくなるくらい優しくて、俺の決意も不安も、
なにもかも搦め捕って溶かしてしまう。
心地よい温もりに促されるまま、俺はゆっくりと目を閉じた。
(2010/08/29)