Hide and Seek



『深く考えるな、荒療治だと思えばいい』

 そう切り捨てた、自分の言葉に。幼さを色濃く残した顔が、みるみる悲しげに歪んで、

そして。詰るような瞳が思いがけぬほど深く胸に突き刺さり、鈍く疼いた。


 さほど広いとはいえない薄暗い部屋。

ひとときの夢に微睡む為のその空間が、いましがた放たれた2匹分の熱を吸って重く澱む。

それはまるで、ライの心情をそのまま映したように。

 嵐のような発情期の欲求が過ぎ去った後ライに残ったのは、共寝の秘めやかな甘さでは

なくて。胸を掻き毟りたくなるほど狂おしく苦い、後悔の痛みだった。


 ――何故。なぜ、抑えられなかったのだ。

 怒りにも似た激しい感情がライの裡で渦巻く。

この時期が体にどんな影響を与えるかなど、充分知っている。けれど今まで多少の不調は

感じても、衝動に支配されることなど一度としてなかった。ライにとって肉欲は幼い頃から

抑えつけてきた感情と同じく、自分の意思で制御できるものだったはず。

 それでも万が一のことを考えて、今日は朝からコノエを遠ざけていたというのに。なのに

何故こんな日に限って、この馬鹿猫はみずから危険に飛び込んでいくのだ。いくら早くに

親を亡くしたせいで本来この年齢なら覚えて然るべき防御本能が育ちきってないとしても、

あまりにも無鉄砲すぎる。

 たまたま気づいて寸前に助け出したからよかったものの、このまま街に放り出せば、此奴は

絶対また同じことを繰り返す。それくらいなら側においておいたほうがいい。そう判断して――

多少の躊躇いには目を瞑って、娼館まで同行させた。小さな体から薫る蠱惑的な匂いに心は

さざめいたけれど、我慢できないほどではなかったから。それが大きな間違いだと気づいた

のは、目当ての娼婦の部屋でコノエが倒れた瞬間だった。


 ――まさか、これほど強く発情するとは思いもしなかった。

生まれて初めて経験する感覚は幼い猫の心と身体を翻弄し、歩くことすらままならないほど

弱らせた。同時にライ自身さえも。

『あの眼帯ヤロウが楽にしてくれるって』

 くすくすと響く雌の笑い声が鋭い針のようにライの耳を突き抜け、尻尾がぶわりと膨らむ。

辛うじて動揺が顔に出るような無様な真似は避けられたが、雌はこちらの胸の内を読んだ

ように意味深な言葉を残して部屋を出てしまった。いや、結果的に追い出したというべきか。

共鳴して発情し合う猫2匹と一緒にいるなど、余程の好きモノでないかぎり誰だって御免だ。

 毒々しい部屋にコノエとふたり残されて。それでもまだ、ライには迷いがあった。本能が

求めているとはいえ、自分を嫌っているこの子供に触れていいのか、と。

 だがそんな戸惑いも、抱き起こしたコノエから漂った匂いを嗅いだ途端、吹き飛んでし

まった。

 甘く、それでいて仄暗いなにかを掻き立てるような不思議な香り。

それが鼻腔を抜け脳天まで達した瞬間、なにもかもがどうでもよくなった。コノエの気持ちも、

自分の葛藤も。

 ただ、それでも僅かに残った理性がコノエの視線を隠し、手首を拘束させた。暴れられて

貴重な賛牙に傷をつけるのは避けたかったし――なにより、この真っ直ぐなまなざしが好き

でもない雄に抱かれて哀しみに濁るところは見たくなかった。コノエ自身には、好きな相手に

抱かれていると思え、と言い含めて。

 そうしてこれは治療みたいなものだ、と自分に言い聞かせながら触れたコノエの肌は、想像

以上になめらかで熱かった。瑞々しい肢体はどこもかしこも敏感で、かすかな愛撫にさえ

全身を震わせて快楽に喘ぐ。発情期で感覚が鋭くなっているのを差し引いても、とても

初めてとは思えぬほどコノエは乱れ、啼いた。それが余計にライの情欲を煽るとも知らずに。

 喜悦に震えるコノエの、その瞼に浮かぶ『誰か』にどうしようもなく嫉妬しながら。ライは

欲望のおもむくまま、蕩けきった体を自分の昂ぶりで貫いた。はやく、この甘くせつない

責め苦を終わらせてしまいたくて。それ以上に、コノエを解放してやりたかった。

 ……けれど。

『……ライ』

 はじめて、その口から溢れた自分の名前に。全身の血が沸騰したような、抑えがたい衝動が

こみ上げる。堪えていた感情が、堰を切って流れ出す――まるでコノエの謳う歌のように。

 はやく楽にしてやりたい。そんな殊勝な気持ちは粉々に砕けて、ただ己の下で悶えるコノエを

貪欲に喰らう。力の加減など綺麗に忘れ、ライは昂ぶる心のまま、細い腰を穿ち続ける。

自覚してしまった自分の気持ちに惑い、それでも求めずにはいられない焦燥をぶつけるように。
 

 熱が引いた後に残った痛みをライは押し殺した表情の下、ゆっくりと胸の奥に沈めて。

そして、自分に言い聞かせる。

 間違えるな。これは発情期が見せた、束の間の夢だ。

自分が――一瞬でもコノエに求められた気がしたのは、錯覚だ。その証拠に、正気を取り

戻した瞳は明らかに失望したような色に染まっていたではないか。

 そう何度も繰り返し、胸の内で呟いて。ふと、身支度を調えるコノエの背を見下ろし、目に

入った細い首筋にどくん、とライの鼓動が跳ねる。

 乱れた着衣のはしからのぞく項に、うっすらと残った紅い痕。
自分が無意識に刻んだそれは思いのほか鮮やかにコノエの肌を彩り、艶めかしくライを誘う。

力なく項垂れた小柄な背中に、治まったはずの熱が再びライの胸を焦がす。 

 抱き締めて、口づけたい。行為の最中、甘く切なげな声を零し続けたあの唇を、思う存分貪り

たい。溢れ出す感情のままに、この華奢な体に、無防備な心に自分を注いで刻みつけたい。

 けして忘れられぬよう――離れられないように。

 ふいに溢れ出した感情の欠片を、ライは目を瞑って振り払う。

とほうもない、戯けた夢だ。遠からず死すべき宿命を持つ自分が望んでよいものではない。

自分に、そんな資格はない。



 胸に宿った想いを断ち切るように、逃れるように。コノエに背を向けライは部屋を後にした。