プラチナ



 尊大で、性悪で、どうしようもないほど意地っ張りで。

いつも腹が立つほど強引で、俺の意見なんてちっとも聞こうとしないくせに。

 なのに、どうして。こんな時にかぎって、そんなにも躊躇う?



「ライ」

 ささやくように呼べば、白い耳がピクリと震える。

締め切った暗い部屋の中で蹲るライは、大型種と思えないほど小さく見えた。ひとつきりの

青い眼は既に理性の光を取り戻していたけれど、小刻みに揺れる巨躯には、悪夢に乗じて

溢れた狂気のなごりが色濃く凝っているのがわかる。ライの闇に、俺の中の闇が反応して

息づいているのを感じるから。

「ライ」

 再び声をかけると、疲労の滲んだ青白い顔がゆっくりと此方に向く。心配そうに窺う俺の

視線に気づいたのだろう。ライは眼を細め、静かに呟いた。

「大丈夫だ……お前は、もう寝ろ」

 掠れた声音が、そう優しく告げたけれど。俺はゆるく頭を振って、自分のベッドから起ち

上がった。

 ギシリと耳障りな音をたてて軋むのもかまわずライのベッドに乗り上げる。俯き、苦痛を

堪えるように唇を噛みしめるライの頬へ、そっと手を伸ばした。

 指先が血の気の失せた肌に触れようとした刹那、鍛え抜かれた体が大きく撥ね、後退る。

自分を拒むかのようなその仕草に、まず息を呑んで。けれど、わずかに緩んだ心の隙間

から流れ出したライの感情に触れたとたん、泣きたくなるほどのせつなさが俺の中に転がり

落ちてきた。普段は強固な意志の鎧に覆われ、けして語ることのない、剥き出しのライの

想いが。

 拒絶しているんじゃない。ライは畏れているのだ。身の内から噴き零れた闇が、俺を汚す

ことを。自分の持つ闇に俺を引き摺り込んでしまうことを、なによりも恐れている。理性の

軛を引き千切り、表に出ようとする狂気に心を食い荒らされている、いまこの時でさえ。

 己の精神を苛む苦しみよりも、俺のことを案じるライの強い思いが、心の深くまでしみ

通っていく。そのあたたかさに、つきんと鼻腔の奥が痛み、目頭が熱くなる。瞼が火傷した

ようにじくじくと疼いて、気がつけば涙がとめどなく溢れ出した。

 突然泣き出した俺に驚き、戸惑うようなライの吐息が耳を掠める。

こんなふうに泣くのは狡い。ライを心配させる。それはわかっていたけれど、一度堰を切った

感情は燎原の火のごとく俺の裡で広がり、競うように眦から外へとこぼれだしてしまう。

 不器用なライの優しさが切なくて、もどかしくて。なかば無理強いするようにライの膝の

間に体を割り込ませると、シーツに投げ出された右手を掴む。俺の突飛な行動に僅かに身を

竦ませ、けれど意図がわからず当惑するライの大きな手を強引に引き寄せた。

 ぐ、とライの掌に緊張が走り、かたく強張るのを感じる。でも態と気づかないふりをした

まま、俺は自分の頬をそれに擦りつけた。

「、よせっ」

 弱々しく窘める声を無視してライの手のひらに口づける。

剣を持つ猫特有の、節くれた感触。唇にあたる皮膚は長年の鍛錬で硬化し、まるで岩の

ように堅い。けれど醜い肉刺の痕すらライのものだと思うと愛おしくて、その一つ一つを舌先で

なぞり、口づけを落とす。くるくると喉を鳴らしながら。

 傲慢で、不遜で、怒りっぽくて。俺の話なんてちっとも聞いてくれないし、いつもこっちが

振りまわされてばかりで腹の立つこともあるけれど。でも、もう俺は知ってる。尽きることの

ない優しいぬくもりが、ここにちゃんとあることを。ただ、ライ自身が気づいていないたけで。

「大丈夫だから」

 不安げな表情をうかべるライをじっと見つめ返して、俺は精一杯の笑顔を作る。

「ライが触れても、俺は汚れたりしないよ。そんなこと、あるはずない」

 だって、ライは汚れてなんていないから。

本当は誰よりも真っ直ぐで高潔な、誇り高い闘牙。望まぬ不運や困難に見舞われても、

その都度ねじ伏せ、自分の力で切り開いてきた。だからこそライの抱える闇は強く、根深い。

いままで自分以外の誰も信じることができなかったから。幼いころ信じた存在は、一番手酷い

方法でライを裏切ったから、ライは誰も信じられない。

 もしかしたら、今こうして話す俺の言葉も全部は届いてないかもしれない。でも、それでも

いい。ライが納得するまで証明し続ければいいんだ。俺に残された時間をすべて使っても。

「俺は、消えたりしない。だから――」

 ちゃんと、さわって確かめて。俺がここにいること。

そんなふうに一匹で耐えないで。ずっとずっと側にいるから。いつかこの心臓が動かなくなる

その瞬間まで。



 あんたはもう、ひとりぼっちじゃないんだ――ライ。