■君がいるから


 正直なところ、賛牙という存在にそれほど執着があったわけじゃない。むしろ、

どちらかといえば軽蔑していたように思う。闘牙なくしては意味を成さない、その

有り様には。



 雄に生まれ、闘牙の道を選んだのであれば誰もが望むもの。

それは一流の戦士として祇沙に名を轟かせることだ。特に大型種はその傾向が

強い。小型種よりも体格に恵まれ、傭兵や賞金稼ぎを生業とする者が多いのも

要因のひとつだろう。皆ごく幼いうちから、親や周囲に刷り込まれて育つのだ。

 誰よりも強くあれ。

 闘牙となり高みを目指せ、と。

それはライも例外ではなかった。

 『刹羅の猫として生まれたからには、頂点に立て。弱音を吐くな』

ことあるごとに父はそう言ってライを叱責し、厳しい鍛錬を課した。

名声にはさほど興味はなかったけれど、強くなれば認めてもらえる。その一心で

ライは辛い訓練にも耐えた。だが両親が死んでひとりぼっちになると、別の欲求が

生まれた。

 自分の力を試してみたい。剣をどこまで極められるのか、確かめてみたい。だから

刹羅を飛び出した時も迷うことなく賞金稼ぎの道を選んでいた。闘牙として生きる

以外の方法など、なにひとつ知らなかったから。

 そうして飛び込んだ世界は、ひどく単純で明快だった。

強い者、知恵ある者が勝ち、のし上がっていく。そこに生まれや血筋など関係ない。

結果がすべて。力さえあれば、どこまででもいける。天涯孤独なライにとって、己の

腕一つで生き死にの決まる賞金稼ぎの世界は心地よく快適な居場所だった。ただ

ひとつ、賛牙という存在を除けば。

 剣を抜いて力量を確かめるまでもない格下の輩でも、ひとたび賛牙の支援を

受ければ互角以上の力を発揮する。一匹で祇沙を回るうち、何度もそんな場面に

遭遇した。苦労して仕留めた獲物を横から掠め取られたことも少なくない。

 剣の腕も闘牙としての実力も自分のほうが上なのにもかかわらず、退かねば

ならない悔しさ。賛牙のつがいを持っただけで強くなった気でいる雄猫の、勝ち

誇った顔。歌の支援さえなければ、こんなヤツに後れをとったりしないのに。敵の

闘牙への憤りと自身への苛立ちは、やがてその状況を生み出す賛牙に対する

嫌悪となってライの中で凝ってゆく。

 あんなもの、自分には必要ない。

 馴れ合わなければ魔物一匹倒すこともできない足手まといなんて、いらない。

酒場で、斡旋所で、稀に出逢う賛牙に――強い雄だと見込まれて――誘われる

ことはあっても、ライは素気なく拒絶した。自分の願いを叶える為には彼等と組む

ことも必要だと頭では解っていたが、他の闘牙のようにがむしゃらに求める気には

なれなかった。一匹で闘う限界に、うすうす気づいてはいても。

 そんなときだ。コノエと初めて出逢ったのは。

年端もいかぬ仔猫のくせに、対峙したライを真正面から睨みつけてきた気の強さ。

相手の技量が計れないほど暗愚でもなかろうに、必死に怯えを隠して立ち向かって

くる様は無謀とは思いつつも好ましかった。いま考えると、所謂一目惚れというやつ

だったのかもしれない。

 だから敵が現れ、うずくまるコノエから突如賛牙の歌が溢れ出して自分の中に流れ

込んできた時。驚きと共に、ライは密かに歓喜した。賛牙の覚醒の瞬間に立ち会えた

自分の強運を。

 いまでは雌と同様に貴重な存在。しかも誰の手垢もついていない、生まれたての

賛牙が目の前にいる。こんな偶然、そうそうあるものではない。

 はじめて歌の支援を受けたのも衝撃的だった。まさか、これほど劇的な効果がある

とは思ってなかったのだ。それまで散々つがいの闘牙と賛牙に煮え湯を飲まされ

続けたにもかかわらず、ライは歌の力を心の何処かで侮っていたのかもしれない。

ほんの一瞬浴びただけでこれなら、数多の闘牙たちが挙って群がるのも理解できる。

 賛牙の奏でる歌で、自らの限界を突き抜ける快感を一度でも知ってしまったら。もう

元には戻れない。麻薬のように心に身体に深く浸透して、もっと欲しくなる。手放す

ことなど、できるはずがない。

 ――こいつは、俺の賛牙だ。天が俺に与えた、唯一の。

沸きあがる衝動に突き動かされるま、手を伸ばして。自分が賛牙だと知り戸惑う

コノエの腕を強引に引き寄せ、告げた。自分がおまえの力を開花させてやる、

だから俺と共に来いと。

 当然ながらコノエは反発した。だがそれが目的地――藍閃に、そして己に

かけられた呪いを解く近道だと知ると、しぶしぶながらもライに従った。その後に

続いた様々な出来事でも、互いの態度の悪さに幾度となく衝突を繰り返しつつ、

それでも二匹は離れることはなかった。

 コノエとの距離が縮まるにつれ、それに比例するようにライの抱える闇は深く

強くなって。自分を保てなくなる時間が増え、正気と狂気の間隔も短くなっていった。

このまま底知れぬ虚無に呑まれて狂ってしまうのか。避けられぬ宿命に諦めかけた

ライを、抱きしめてくれたのはコノエだった。

 あれほどライに反抗していたのに。ライを嫌っていたはずなのに、何故こんなに

傷だらけになっても手を離さないのか。自分も闇に引きずり込まれて、消えてしまい

かねないのに。

 困惑と、その中に潜む微かな期待を自分らしくないと何度も否定して。幾度もコノエを

遠ざけようとした。行く手に待つ死の運命に巻き込みたくなかった。けれどライが手を

振り解いても、コノエはすぐに結び直してしまうのだ。前よりも強く握りしめて。

 どうして、見捨てない? 彼奴は、優しげな笑顔の下で裏切ったのに。なぜ、おまえの

歌声が途切れることなく胸で響くのか。知りたい、でもなんと聞けばいいのかわからない。

ぐるぐると袋小路に陥るほど悩んで、そして漸くライは気がついた。

 コノエの歌が心地よかったのは、賛牙だからじゃない。

歌に込められた想いが――もう記憶にないほどずっと昔から――ライが切望し続けた

ものだったから。誰もくれなかった言葉を、コノエは歌にのせてライに囁く。

 誰よりも大切だ、と。

 ライを守りたい、その為なら命も惜しくない。

 ライの力になりたい、と。

幼い、だがそれ故に真摯で純粋な想いだからこそ、こんなにも心の深くまで染みこんで

ライを昂ぶらせるのだ。それに気づいた瞬間、自覚した。いや、せざるを得なかった。

自分もまたコノエを想っていることを。貴重な賛牙だからではなく、コノエだから

愛しいのだと。側にいて守りたいのだ、と。

 それを知るために、随分と回り道をしてコノエを傷つけ、たくさん泣かせてしまった

けれど。





 巨大な鉤爪が、ライめがけて振り下ろされる。

ぐんぐんと視界に迫る、紫色の凶器。たいていの魔物の爪は毒があり、掠めただけでも

体が痺れてしまう。一撃でも喰らったら危険だ。

 襲いかかるそれを長剣で薙ぎ払い、ライは後ろへと後退り距離をとる。でかい図体の

わりに、目の前の獲物は動きが速い。不用意に近づけば、こちらがやられる。攻め倦ねる

ライの後方で、ふとなにかが動く気配がした。

「ライッ」

 自分を呼ぶ高い声が耳を掠め、そして。光の旋律がライに向けて放たれる。

 ――ああ、入ってくる

コノエの想いが。ライを助けたい、ライを守りたいという強い想いが、眩いほどの光の

螺旋を描いてキラキラと降りそそぐ。雨のように染みこむそれが、ひどく心地よい。

コノエのぬくもりが身の内で広がり、ライを包む。あらゆるものから守るように。

 体の奥底から力が溢れ、尾の先まで漲るのを感じる。

心だけでなく全身が高揚し、ライは剣を握り直す。胸内で沸きあがる、闘いへの悦び。

昔から馴染んだもの。けれど、以前とは決定的に違うことがある。

 焦がれても得られぬあたたかさ餓えて、その乾きを癒やすために他者の命を奪うのでは

なく。愛する猫の、温かなぬくもりに満たされて戦う。コノエの息づかいを側に感じて、

揺るぎない信頼を背に受けて敵に挑むのは、なんて気分がいいのだろう。薄い微笑みを

浮かべてライは剣の切っ先で魔物を捉える。

 大丈夫。負けない。負けるはずがない。

 こんなにも強く繋がっている自分たちが、負けるなどありえない。

 必ず、勝ってみせる。



 身の内から燃え上がる力に任せて、ライは跳躍する。

大きく剣を振り上げ、蜘蛛の巣のように殺気を巡らす魔物にむけ白刃を突き立てた。