ささやかな報復



 「いい加減にしろっこの馬鹿猿っ!!!」

 ぱこーんっ

 「いった───いっ!」

小気味よい快音と可愛らしい悲鳴が広い寺院中に鳴り響く。

 「ははは、仲が良いですねー…」

 「…………そうか?」

 目の前で繰り広げられる痴話喧嘩もどきに、呑気にお茶を啜る八戒が口の端だけを吊り

上げ微笑む。

 ただし、その翡翠の瞳は一ミリたりとも笑って無い。

…どころか、『うふふ、いつ殺っちゃおうかな〜』なんて寒いオーラを惜し気もなく晒している。

 何げに殺気を撒き散らす同居人に、悟浄は自分の命の心配を第一にしつつ、ぽつりと

呟いた。

 「しかし…三蔵さまも飽きないね」

 

 

 件の事件で知り合ってから、はや数カ月。

訪れる者など皆無だった筈の三蔵の住む奥院に、頻繁に人が出入りするようになった。

 一人は赤毛の青年『悟浄』

 もう一人は新しい名を『八戒』という。

お世辞にも友好的とは云えない出会いをしたはずだったが、何故か今は数日おきに顔を

合わせてはお茶を呑んでいる。

 と云っても別に三蔵が目当てでも目的でもない。

二人の目的は、三蔵の養い子兼ペット(?)の悟空だ。

 食う寝る遊ぶがすべてのこの子猿を、二人はえらく気に入ったらしい。

 八戒は目の中に入れても痛くないくらいの可愛がり様で、理由をつけてはほぼ毎日

日参して、果物だの手製の菓子だの大量に持ち込んで餌付けを実践した。

 悟浄の方も八戒ほどではないが、それでも充分入り浸りという言葉が当てはまる程度

に訪れては、博打で巻き上げた金品で買った玩具や自分が幼い頃兄に習った遊び

などを教えて、日々着実に手なずけていった。

 悟空にとっても、二人は自分を認めてくれる『特別』な存在になりつつあった。

 岩牢から連れ出されて以来、三蔵以外誰も顧みてくれなかった悟空の『世界』に、八戒と

悟浄は新しい光を齎してくれたのだ。自然二人に懐いたとしても、なんら不思議はない。

 が、それをどうにも納得出来ない人物がいた。

飼い主の三蔵である。

 五年前に拾ってから、ずぅ────────っと面倒をみてきたのは自分なのに。

 たかだか数カ月前に出会った輩に、何故にこうまで生活をかき乱されにゃならんのだ。

 この二人ときたら、なにかというとボウフラの様に涌いて出ては、やれピクニックだの

お祭りだのと云って三蔵の目の届かない所に悟空を連れ出そうとする。

 もちろん、その殆どに三蔵が仕事で出れないのを見計らって、だ。

 さらにむかつくのは、今まで三蔵が独占していた悟空のしつけその他のお株を、八戒と

悟浄に急速に奪われつつあることだ。

 特に八戒は以前学校の教師をしていたこともあってか、三蔵よりはるかに動物の扱いが

上手い。

 悟空の些細な問いにも丁寧に応えるものだから、子猿の信頼も厚い。いまや悟空専属の

調教師といっても過言じゃない。

 逆に三蔵の方はというと、八戒達が入り浸るせいでただでさえ少ない悟空と二人っきりの

時間は大幅に減少し、最近では朝晩くらいしかまともに顔もあわせない。

しかも悟空といえば人の気も知らないで、『八戒に本を読んでもらった』とか『悟浄に川に

連れていってもらった』とか、さも嬉しそうに話すものだから三蔵の不機嫌度は青天井に

上がるばかりだ。

 結果、悟空のちょっとした失敗を見咎めては半ば八つ当たりの様に厳しく怒る…という、

悪循環のドツボにどっぷりとはまっている。(←現在進行形)

 なにせ、こうやって怒っている時ぐらいしか悟空を独占出来ないのだ。

 幼稚な大人気ない行為だと判っていても──三蔵に怒られて落ち込んだ悟空が更に

八戒に泣きつくと知っていても、止められない。

 今や三蔵のポジションは『厳しいお父さん』から『素直になれない意地悪お兄ちゃん』と

いう、身近なんだか格下げなんだか判らない位置まで落ちていた。

 つくづく不器用な──というより歪んだ──愛情表現である。

 「っとにっ、てめーの頭は飾りモンかっこの馬鹿猿っ!」

 「う゛う゛ぅ〜っ!」

 ばしばしとハリセンで頭を連打され、悟空は眦いっぱいに大粒の涙を浮かべる。

 その金の目が救いを求めるように傍らの八戒へと向いた。勿論、それを見逃す三蔵

ではない。

 ────ぷちっ。ぷちぷちっ。

自他共に『足りない』と認める三蔵の理性の糸が立て続けに数本切れる。

 

 「そろそろかねぇ…」

 「そろそろですね〜…」

  

すぅっと息を吸い込み、三蔵はお馴染みの伝家の宝刀を抜き払った。

 「てめぇなんざ、拾ってくるんじゃなかったよっ!」

 びくんと、悟空の肩が大きく震える。

いつもなら、この後すぐ泣き出して『ごめんなさいっ嫌いにならないでっ…!』と抱き着いて

くる筈だ。

 それを八戒達に見せつける為に、わざとこうして心にもないことを怒鳴るのだから。

 ──んが、今日は『いつも』とは違っていた。

ぐっと涙を堪えて、悟空は三蔵を睨み返す。

 「いいもんっ、だったら八戒に拾ってもらうからっ!」

びしっ

 「───おやぁ?」

 いつもと違う光景に、ぱちくりと悟浄が瞬きする。

石化した三蔵にも驚いたが、あの悟空が口で飼い主に勝つなんて絶対おかしい。

 と、視界の端にしてやったりと微笑む同居人の顔が映った。

 ………入れ知恵はコイツか。

きっと前に泣きつかれた時にでも、こう反撃するように教えていたのだろう。

 案の定、ぱたぱたと近づいてきた悟空は可愛らしく首を傾げて尋ねた。

 「八戒、これでいいの?」

 「ええ、上出来ですよ悟空。」

 にっこりと極上の笑顔を振り撒いて、八戒は子猿の頭を優しく撫でる。

 三蔵を言い負かしたのと八戒に褒められたのが嬉しいのか悟空は眦の涙を拭って、

にぱぁと笑った。

 「…やるね、八戒さん」

 頬を僅かに引きつらせ、悟浄はしみじみと呟く。

 自分たちが云ってもこの鬼畜生臭坊主には屁でもないが、子猿に云われるとなると

───ショックは相当だろう。

 暫くは浮上できまい。

 「ま、自業自得か。」

 三蔵に同情する気は、まったく無い。ワンパターンな苛め方をするほうが悪いのだ。

これに懲りたら、こんな屈折した愛情表現は──少なくとも八戒の前では謹むだろう、

たぶん。

 何にせよ、この同居人だけは怒らしてはならないと悟浄は固く決心する。其の方が

身のためだ。

 「──さ、意地悪な三蔵もやっつけましたし、なにか美味しい物でも食べにいきましょうか。

おごりますよ、悟空」

 「ほんとぉっ!」

 素晴らしいお誘いに、悟空の目がきらりんと擬音つきできらめく。

 ぱたぱたと千切れんばかりに尻尾をふる子猿に、八戒はいいひと仮面全開で更においしい

提案を付け加えた。

 「ええ、好きなだけ食べていいですからね」

 「やったぁ!八戒だいすき──っ!」

 ぎゅっと抱き着く悟空を宥め、いそいそと八戒は部屋を出て行く。

 遅ればせながら二人の後に続く悟浄が、いま気づいたように後ろを振り返った。

 「…じゃ、またな三蔵」

 ぱたんと閉じられた部屋の中には、固まったままの三蔵がいつまでも放置されていた。

 


■あとがき■
リハビリ第一弾の最遊記です。うふふ、私ってやつはどうして
予定と違うモノばかり上げるのでしょう?(←ひねくれもんだから)
それにしても三蔵様ひどい目にあってますね〜。悟浄の被害が
まったくないかわりに、三蔵様ぼろぼろです。そして八戒さん、
相変わらず強いです。絶好調です。彼が幸せそうで私も幸せです。


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