今はもう夢のように遠い、忘れられない時間の中で。

見下ろすほど小さく、華奢だった少年は。いつの間にか

アキラよりも大きくなって、再び目の前に現れた。

 アキラとの約束を果たす為に。


いま、そこにある危機

「……リン」

「んー、なに?」

「いつまでくっついてる気だ」

 少し苛々とした口調で、アキラは背中に張りつく青年を睨む。

お世辞にも広いとはいえない部屋だが、もともと執着の薄い質なので必要最低限の物

しか置いてない。人一人くらい寛げるスペースは充分にある。それなのに何故ベッドで、

しかもリンに後ろから抱き抱えられるような形で座らなければならないのか。

 5年越しの感動の再会を果たしたはよいものの、その後アキラの住むボロアパートに

上がり込んでから数時間、リンは彼を抱きすくめたまま、いっこうに離そうとしない。

茶でも入れようか、とアキラが離れようとすると更に抱き締める腕に力を込めて、僅かな

身動きすらも封じてしまう。

「いいかげん、離れろ」

「イヤ」

 家主の控えめな抗議もサラリと受け流して、リンは薄いシャツから覗くアキラのほっそり

とした肩口へ顔を寄せた。

「リンっ」

「だぁって、5年ぶりだよ?もうちょっと触らせてくれたっていいじゃん」

 楽しげに笑う彼の声は記憶よりも幾分低く響いて、彼に戒められたアキラの胸を妙に

ざわめかせる。リンの柔らかな吐息に耳朶を擽られ、アキラはぞくりと背筋を震わせた。

「……っ、だからって、なんで羽交い締めにする必要があるんだっ!」

 ともすれば流されてしまいそうになる理性を必死にかき集め、アキラは抵抗を試みる。

うろたえるアキラの様子が気に入ったのか、リンはますます笑みを深めて、チュッ、と

アキラの首筋へ口接けた。

「こうしないと、アキラは俺の前から消えちゃいそうなんだもん」

「なっ──」

 駄々っ子のようなリンの台詞に、アキラは軽い頭痛を覚える。この狭い部屋の、いったい

何処にアキラが消えるというのか。何処にも行くところなんてない。呆れたようにそう言い

募っても、リンはアキラを抱く手を緩めない。

 アキラよりも筋肉が付き太くなった腕で、アキラよりも厚く逞しくなった胸元にしっかりと

抱き締めて。少女めいた幼さを削ぎ落とした、精巧な人形のように整った顔立ちの青年は

すこし悲しそうに眉を顰めた。

「アキラは、俺に触られるの……嫌?」

「ちがっ、そうじゃなくてっ!」

 真摯なリンの問いかけに、アキラは反射的に首を振る。とんでもない誤解だ。けっして、

リンに触れられるのが嫌なのではない。

 ただ、なんというか落ち着かないのだ。

ずっと待ち続けていたリンにこうして抱かれていると、抑えていた色々なものが堰を切って

溢れ出してしまいそうで。自分の中にあるものをすべて晒け出してしまうのが、まだ少し

怖い。もちろんリンのことは好きだし、信じている。いや、好きだからこそ。会えない間に

著しく成長し大人になった彼に、未だ精神面に脆さの残る自分を見せるのは躊躇われた。

どうしようもなく見えっ張りだと、アキラ自身も自覚してはいるけれど。

 上手く整理出来ない気持ちを、それでもなんとか伝えたくて。リンに理解して欲しくて、

アキラは一生懸命言葉を紡ぐ。

「ただ、その……は、恥ずかしいんだ」

 記憶の中より低くなった声で。

 一回り大きくなった体躯で。

優しく名前を呼ばれ、慈しむように抱き締められる。唯それだけで、目も眩むような幸福を

感じる自分がいる。そんな子供のように単純な己をリンに見られるのが、何故かたまらなく

恥ずかしく思えてしまう。

「リンにくっつかれると、落ち着かなくて……」

 言いよどむアキラの側から、すっと温もりが離れる。

きつい戒めから抜け出した解放感と、急に身を包む熱の消えた寂しさからアキラが表情を

曇らせた、その瞬間。くるりと視界が回転した。

「っ……!?」

 僅かな隙をついて、一瞬でいわゆる『お姫様抱っこ』のような形に抱き上げられアキラは

声を失う。硬直するアキラの胸に、ふわりと柔らかな金髪が零れ落ちた。

「すごくドキドキしてるね……アキラの心臓」

 丁度心臓の辺りに耳を寄せてリンがうっとりと呟く。

「俺が触れてるから?だから、こんなに──」

 震えてるの?

問う、というよりも寧ろ確認するような響きを含んだ声に。暫しの逡巡のあと、アキラは

真っ赤な顔でコクリと頷く。その途端リンは顔を上げ、アキラが見たこともないほど鮮やか

に笑った。

「アキラ……すっごく可愛い」

 おもわず見惚れたアキラの唇に温かなものが触れる。それがリンの唇だと気づいた

ときには、アキラは目を閉じて控え目に忍び込んでくる舌を受け入れていた。

「ンッ……」

 熱く湿ったリンのそれに、余すところなく口内を嬲られて、アキラの意識がゆるやかに

蕩けていく。幾度も角度を変え口接けられ漸く解放された時には、飲み込みきれなかった

唾液がアキラの口元を滴り落ちた。

「……あ」

 口接けの余韻に恍惚としたまま、とろんとした表情で視線をさ迷わせたアキラの目に、

僅かに頬を強ばらせたリンが映る。

「リン……?」

 どうしたのか、と不思議そうに首を傾げるアキラに。リンはなんともいえない表情で頬を

掻いた。

「ゴメン──勃っちゃった」

「……は?」

 何を言われたのか瞬時に理解出来なくて、アキラはきょとんと彼を見つめる。

そんなアキラに、リンはうっとりするほど艶やかな微笑みを浮かべ、互いの吐息が溶ける

ほど顔を近づけて囁いた。

「早速で悪いんだけどさ、ヤらせて」

 アキラが返事する間もなく、リンの手がいそいそとアキラの服を剥いでいく。ただ呆然と

なすがままになっていたアキラは、シャツをたくし上げられた時点で我に返り、猛然と暴れ

だした。

「ちょっと待てっ!なんですぐそうなるんだっ!」

 這いまわる大きな手を、アキラの両手が躍起になって止めようと奮闘する。だが、5年の

間に鍛えられたリンは容易くアキラを押さえ込み、ベッドの上であっさりとマウントポジション

を決めてしまった。

「いや〜アキラの色っぽい顔みたら、もう我慢出来なくなっちゃった」

 責任とってね、とハートマーク付きで宣言するリンにアキラは蒼白な顔でブンブンと首を

振る。悲壮なアキラの抗議にもまったく意に介さず、リンは非常に嬉しそうな様子で露に

なったアキラの肌に口接けを降らせはじめた。

「やめっ……リンッ、待てってッ!」

「いやでーす、もう待てませーん」

「俺の意志は──っ」

「さっきのキスで確認済みだも〜ん」

「バッ……!」

 涙目で怒鳴るアキラをシーツに縫い付け、リンは鼻歌でも口ずさむような調子で軽やかに

あしらう。
ほどなくして、罵声は甘やかな嬌声へと形を変え。まだ冬の名残のある部屋を、

瞬く間に汗ばむほどの熱気で満たしていった。