** メヌエット **



 仕事を終えて漸く帰宅したアキラを待っていたのは、幾つもの箱の山と満面の笑顔を

浮かべた恋人だった。
 

 
「アキラ、おっかえりぃ──っ」

 語尾にハートマークが乱舞しそうな勢いで出迎えるリンの態度に、ざわ、とアキラの

皮膚を電流に似た痺れが駆け上がった。

 ここ数ヶ月で急速に馴染んだ感覚は、アキラの本能が発する警戒信号だ。それが

いま耳の奥で、ミーンミーンとけたたましい警報を鳴らしている。

 リンがこういう笑顔をするときは、必ず──それがアキラのとって良いか悪いかは

別として──何かを企んでいる時だ。それもアキラを巻き込むことを前提にして。

 まずい時に帰ってきたかもしれない。そうは思うものの、一度入ってしまった以上

これから外に出る巧い言い訳をアキラは思いつかなかった。

「……ただいま」

 内心の動揺を押し隠しつつ、手に持っていた荷物をいつものようにリンに預ける。

その手をむんずと掴んで、リンはアキラを居間へと引っ張った。

「ちょっ……リンっ」

 靴を脱ぐのもそこそこに、ものすごい力で手を引くリンの後をアキラは蹌踉けながら

続く。玄関から数歩のダイニング兼居間まで引っ張られたアキラの目に映ったのは、

開けっ放しになった大小の平べったい箱と、その中で小綺麗に畳まれた藍色の着物

だった。

「じゃーん!」

 宝物を見せびらかす子供のような無邪気な笑顔でリンは箱から着物──馴染みの

ないアキラにはよく違いがわからないが、これは浴衣というらしい──を広げる。

「どうしたんだ、コレ」

 まじまじと見入るアキラの問いに、してやったりといった表情でリンはにやりと笑った。

「んー、オッサンの知り合いから格安で買ってきたんだ」

「源泉の?」

「そ!……ね、アキラ。これ着てさ、いまからお祭りに行かない?」

「祭り……?」

 きょとんと目を見開いてアキラは首を傾げる。  

そんなものがあるなんて知らなかった。もっとも生来の人見知りする性格も手伝って

殆ど近所付き合いもしてないから、この地域の行事ごとなどアキラが知らないのも

当然と言えば当然なのだけれど。

「うん、今日は近くの神社で縁日があるんだって」

 花火大会もあるんだよ、と笑いながら付け足して誘うリンの言葉に、アキラは暫し

考え込む。

 はっきりいって、人の多いところは好きじゃない。むしろ大の苦手だ。けれど、こんな

ものまで用意して自分を待っていたリンの気持ちを考えると、苦手の一言で却下する

のも悪いような気がする。

 そこまで考えて、アキラはふとあることに気づく。ここにある浴衣が、アキラ一人分だけ

しかないことに。

「なぁ……リンは着ないのか?」

「え、俺?いや〜俺ってばデカイからさ、既製品だとぴったりのサイズがないんだよね」

 横幅はいいんだけど、裾がね……と苦笑いしてごまかすリンの、その言葉の裏を悟って

アキラは僅かに顔を歪める。まずいことを聞いてしまった、と己の迂闊さを悔やむように。

 大戦後、急激な需要の波を受けて義肢の性能は飛躍的に向上した。機能性を重視する

あまり外観を疎かにしがちだった前世紀の物と違い、いまは見た目もかなり尊重されて

いる。一見しても、瞬時に義肢だとわからないような作りのものが圧倒的に多い。

リンが普段使っているの物もそうだ。

 だが、いくら義肢が珍しくなくなったといっても、人の意識は簡単には切り替わらない。

実際のところ蔑みとまではいかないまでも、憐れみと優越感の入り混じった妙な同情の

煤けて見える視線は何処にいても絶えなかった。

 浴衣のように肌を露出しやすい格好で、祭りのような人の多い場所に出れば尚更

そういう不快な視線に晒されるだろう。それが判っているからこそ、リンはアキラの分しか

用意しなかったのだ。一緒にいるアキラが、すこしでも嫌な思いをしないように。

 リンの気遣いを直ぐに察せられなかった自分の無神経さが恥ずかしくて、アキラは

無意識のうちに唇を噛み締めた。

「……ゴメン」

「なんでアキラが謝るのさ」

 申し訳なさそうに俯いて呟くアキラの額に、コツンとリンの額が触れる。

「ね、行こうよ」

 触れ合った肌や、囁かれる言葉から伝わる優しい熱に絆されて素直に頷く。

嬉しげに破顔するリンに、「でも」と控えめな様子でアキラは告げた。

「俺……浴衣の着方なんて知らないんだけど」

「あ、それは大丈夫。俺が知ってるから」

「そうなのか?」

 驚くアキラに向かって、当然とでもいうように親指を立ててリンは口の端を吊り上げる。

(だって脱がせ方も判らないようなモンを着せるつもりはないし)

 溢れる本音と下心を完璧に隠し通して、リンはにっこりと微笑んだ。

「じゃあ、早速着替えよっか」

「……うん」

 楽しそうなリンの様子が、ただ嬉しくて。その裏に隠された思惑などまったく気づかずに、

アキラは無防備に服を脱ぎ、真新しい糊の匂いする浴衣に袖を通した。
 
 
 
 
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