Pussy Cat



 ――好きなものは?



そう聞かれたら、答えなんてひとつ。

肉を切り裂いた瞬間に噴き出す、噎せるような血の匂い。鮮やかな朱から香るアレに、

勝るものなんてない。だけど、ラインの混じったヤツは絶対ゴメンだ。あれはただ臭い

だけだ。味も不味いし。

 若くて青くて、できるだけ何も知らない奴がいい。

そういう世間知らずの、恐怖に引きつる顔を眺めながら喉笛を食い破るのが楽しい。

絶望に染まる瞳をじっと見据えて、少しずつ命を削ぎ落としていく――その瞬間だけは、

自分が『生きて』いるのだと実感できる。だから、この仕事はグンジにとって天職といって

いいだろう。

 好きなときに好きなだけ闘って、殺して、肉を引き裂く。

それ以外の娯楽なんて、知らない。これが俺の世界のすべてだと、グンジは信じて疑いも

しなかった。



 あの日、鈍色の猫を拾うまでは。




「なーんか、違うなぁ〜」

 鉤爪にたったいま付いたばかりの血を、ペロリと舐めて。グンジは八の字に眉を

歪めながら、うーんと唸る。

「あ? なにが違うってんだヒヨ」

 物言わぬ肉塊と化した男の頭から、血と脳漿がべっとりと染みついた鉄パイプを

無造作に引き抜いて、キリヲが振り返れば。自分が造り出した死骸の前で、いやに

難しい顔をするグンジと目があった。

 毎日の日課である違反者狩りは、これ以上ないほど趣味と実益を兼ねた仕事だ。

めぼしいヤツがいなければ自分で作り出してもいいそれは、自他共に認める切り裂き

お馬鹿さんなヒヨコ頭にとって愉しいお遊びのひとつのはず。

「ん〜……なんてーか、いつものトキメキを感じないっつーか、起ちちそで勃たないっ

つーうかぁ」

「なんだそりゃ」

 抽象的かつ下品な返答に呆れ、キリヲは口をへの字に曲げる。

頭の螺子が緩みまくったグンジの言葉は、いつ聞いても意味不明だ。時には最低限の

会話さえ成り立たないこともある。普段のキリヲなら、付き合うのも馬鹿らしいので

右から左に流してしまうのだが――妙にこだわるヒヨコ頭の様子に興味を引かれ、

つい深入りして尋ねてしまった。

「もっとわかるように話せや」

「だーかーらーっ!! ラインの匂いはしねーし、他のクスリの味もしねぇ。不味くは

ねぇけど、なんか違うんだよコイツは」

 えらく真剣な表情でグンジは自らトドメを刺した男を検分する。

そう、なにか違うのだ、いままでと。でも、その差異がうまく言葉にできない。感じたことを

頭の中で整理して他者に伝えるという、ごく当たり前の教育を受けていないグンジには。

 ああでもないこうでもないと、いつまでも座り込んでぶつぶつ呟く相棒に痺れを切らした

のか、ドスのきいた声でキリヲが怒鳴った。

「ウダウダ言ってないで、そいつ担げ。ぼやっとしてると日が暮れるぞ……お嬢ちゃんが

待ってんだろーがァ」

 その一言で、あれほど悩んでいたにもかかわらずグンジはあっさりと屍への興味を

捨てた。

「あーもうそんな時間〜? やっべぇじゃんっ!」

 慌てて立ち上がり、死臭の漂い始めた違反者を無造作に担いで走り出す。

とんでもない速さでぐんぐん遠ざかっていく背中を、呆れたような表情で見つめながら。

キリヲは深い溜息を吐きだした。

「自覚がねぇっつーのは厄介だなぁ……ミツコさん」






 密やかな静寂を破る硬い靴音が、半地下に作られた回廊中にけたたましく響く。

館の主が推奨する優雅さとか気品とは真逆のその騒音は、いちばん奥にある扉の前で

ピタリと止まった。

「ネコネコネコちゃ〜んッ……て、あれ?」

 勢いよく扉を開けてはみたもの、期待した返事はおろか何のいらえもなく。

少々落胆しながらグンジはきょろきょろと散らかった部屋を見渡し、目当ての人物を

見つけ眉を顰めた。

「なんだぁ、まだ寝てんのかよ」

 つまんねぇー、と子供のように唇を尖らせて。それでも殴って起こすなんて無粋な

ことはせず、ベッドの隅で丸くなって眠るアキラへと躙り寄る。

 よほど疲れていたのだろうか。グンジの騒々しい気配や血臭が側にきてもアキラは

まったく反応せず。ただ昏々と眠り続ける。

 すう、と小さな寝息をたてて微睡む様は本物の猫のよう。眺めるうち、触りたいという

欲求がうずうずと湧き上がる。

「ネコネコ〜……アキラ」

 傷つけないよう、鉤爪はきちんと取り外して。柔らかな毛並みを思わせる鈍色の髪に

手を伸ばし、幾度か撫でる。それだけではとても満足できず、シーツにくるまれたアキラを

閉じこめるように覆い被さった。

「あ〜、すっげーいいニオイ」

 ふわり、と仄かに香るアキラの体臭をくんと吸い込んで、グンジはうっとりとした表情で

目を瞑る。

 生き血の濃い匂いとも、引き裂いた瞬間に溢れる肉の匂いとも違う。

なのに、じわじわと胸が昂ぶっていくのは何故だろう。

 香草のような涼やかさと、その後に感じる僅かな甘さ。それがすうっと鼻孔を抜け、

グンジの中に熱を点す。闘いの高揚とは異なる、けれど温かい何かが身の内にゆっくりと

息づくのを感じる。

 それが、ひどく心地よい。

命を奪わなくても、ココロが満たされる。それはグンジにとって、はじめてのことで。

戸惑う気持ちがないといえば、嘘になる。だが、嫌だとは思わない。知らないものだけど、

キライじゃない。もっと感じたい。

 スンスンと犬のように匂いを嗅ぎながらグンジもベッドに横たわる。スプリングが軋んだ

音を立ててもぴくりとも動かないアキラを強引に引き寄せ、胸に抱く。

 気まぐれに拾った、活きのいい仔猫。いずれ飽きるまで、愉しませてくれればいい。

いままで数え切れないほど捕まえた玩具とおなじように。そう思っていた。 

 でも、もしも。こいつを側におくことで、なにかが変わるのなら。こんなふうに気持ちいい

ものがたくさん生まれるのなら、壊さずに残してもいい。最後まで面倒みてやってもいい。

 
 懐かせるつもりが、なんだか自分のほうが餌付けされてしまったような微妙な気分に

なりながら。それも悪くないか、と苦笑してグンジは眠り続けるアキラの唇を塞いだ。




 息苦しさに負けた仔猫が目覚めるまで、ずっと。