いつかきっと君と



 『行きたいところがある』

内戦が終わり、戒厳令が解かれて半年ほど経ったころ。

いつになく真剣な表情でそう告げられ、ユキヒトはアキラの望むまま旧CFC側のある

街を訪れることになった。



 ――なにもないとこだな。

 ほどほどに整って、おなじくらい雑然とした町並み。首都圏にありながら大戦でさほど

被害を受けなかったがゆえに、その後の急激な再開発から取り残された場所。

 1時間も電車に揺られながら辿り着いた目的地を前にして、ユキヒトは胸内でこっそり

落胆する。アキラが行きたいと願った場所は、特にこれといって目立ったところのない

平凡な街だった。

 主戦場になった旧祖からいくらか距離があるため、内戦の傷跡もほとんど見られない。

所々に立つ迷彩服姿の軍人さえ気にしなければ、紛争があったことなど忘れてしまうほど

長閑な光景が何処までも続いていた。

 いったい、こんな場所に何の用があるのか。疑問だけがユキヒトの中で膨らんでいく。

もともとアキラは口数が少ないほうだが、今日は朝からほとんど喋っていない。避難所を

出てから、酷く思いつめた顔で前だけを見つめている。隣にいるユキヒトのことなど、

完全に忘れているのではと危ぶむほどに。

 こういうときのアキラは呆れるほど強情だ。何を言っても聞かないし、応えない。

かといって問い詰めたり邪魔をしようものなら、振り切ってでも飛び出していくだろう。

 そんな無茶をさせるくらいなら、自分もついていったほうがいい。一緒のほうが何か

あったときにフォローできる。そう思い、黙って同行したけれど。目的もわからず、ただ

後を追いかけるのはどうも性に合わない。せめて、何処に行くのかだけでも教えて

くれればいいのに。自分とアキラの間に横たわる距離感がもどかしくて、ユキヒトは

前を行く背中から視線を逸らす。

 チームの仲間達に感じるものとは違うその感情の源をなんと呼べばいいのか、まだ

わからない。

 Bl@sterの個人優勝者。自分と同じ孤児院出身で、記憶を消されたNicole被験者、

そして唯一完全適合した非Nicole。アキラを示す言葉はいくつもあるけれど、その

どれもが強すぎる執着の理由にするには曖昧で。いま自分の心を占める思いが漸く

巡り会った同胞への愛惜なのか、それとも「成功作」である彼への羨望なのか、それは

ユキヒト自身にも読み取れない。あまりにも複雑に絡み合っていて、未だに見極める

ことができないのだ。

 それでも、離れることは考えられない。抱えている気持ちがどんなものであっても、

アキラを見失うのは嫌だ。理屈ではなく本能がユキヒトに囁くのだ。この先どんなことが

あっても彼の手を放してはならない、と。


 迷いのない足取りで先を行くアキラが、ふいに歩みを止める。

うわのそらで歩いていたユキヒトはぶつかりそうになり、慌てて立ち止まり周囲を見廻した。

 駅から少し離れた住宅街にある、こぢんまりとした公園。数種類の遊具とベンチがある

だけのそこを食い入るように見つめるアキラの様子が気になって、ユキヒトもそちらに視線を

うつす。

 眇めた瞳の先――フェンスの向こうでは幾人かの子供と、その親らしき大人達がいた。

遊具で遊ぶ子供達の歓声は大きく、茂みで隔てた歩道のほうまで響いている。最初は

その声に気を取られたのかと思ったが、よく観察すればアキラの眼差しは砂場で遊ぶ

親子へと注がれていた。

 子供のほうは幼稚園くらいの年頃だろうか。傍らの両親と全く似ていないのは、おそらく

大戦後から続く養子政策のためだろう。そのわりに、彼等が子供を見守る目は優しい。

いつも無関心だった自分の養父母とは大違いだ。

「……無事だったんだ」

 甦った苦い記憶に眉を顰めたユキヒトの耳を、吐息のような呟きが掠める。3時間ぶりに

聞く彼の声に驚いて、横を見れば。かすかに双眸を潤ませたアキラの表情が、くしゃりと

歪んだ。まるで泣き出したいのを必死に堪えているように。

 はじめて見るその顔に、ユキヒトは貼りつけた仏頂面の下で激しく狼狽える。

 半年以上ともに過ごし、片時も離れずアキラの側にいた。他人に馴染めず生きることに

希薄な彼が心配で、色々な手を使って反応を引き出した。感情をぶつける相手がいる

ことでもう孤独ではないと、ユキヒトがいると知ってほしくて。

 けれど、こんなアキラは知らない。置いていかれた子供のように哀しげで、途方にくれた

彼は。トシマから脱出するための暗い地下道で、突然突きつけられた自らの出自に

打ちのめされた時ですら、傷ついた瞳の奥には揺るぎない強い輝きがあった。どんなに

踏みつけられても、けして屈しない強さがたしかに宿っていたのに。

 ユキヒトの困惑が伝わったのだろう、赤らんだ目元を隠すように顔を伏せ、アキラは

小声で囁いた。

「あれは……俺の、養父母だ」

 ひそやかに紡がれた言葉の意味が直ぐには理解できず、呆けたようにユキヒトは

アキラを見返す。あれが、アキラの養父母? それなら、もしかして彼等に会いに

来たのか。

「――だったら、こんなとこで突っ立ってないで行けよ」

 あの、幸せそうな輪の中に。俺の手を振り切って、戻ればいい。

胸内で急速に膨れあがる怒りにも似た衝動に呑み込まれそうになりながら、ユキヒトは

乾いた声でアキラを追い立てる。

「いけない」

「どうして」

 帰りたいから、此処へ来たのだろう?

喉元まで出かかった言葉を噛み殺してユキヒトはアキラを睨む。八つ当たりだと、

わかっている。勝手に裏切られたような気分になってアキラを責めるなんておかしい。

筋違いだ。けれど一度溢れだした激情は理性を容易く凌駕し、歯止めがきかない。

 険しい顔で見つめるユキヒトの苛立ちを感じ取ったのか、戸惑うように数度瞬いて

アキラはそっと俯いた。

「いまさら戻れるわけがない。俺は自分から逃げ出したんだ」

 自嘲するような薄い笑みが唇に浮かぶ。

「大戦後の国家再生法で、俺はあの夫婦に割り当てられた。けど、馴染めずに1年で

逃げ出した」

 淡々と事実だけを話す彼の口ぶりは、いつもと変わりない。

けれど言葉の端々に滲む後悔を、過去の自分を恥じているような匂いを敏感に

嗅ぎ取ったユキヒトは、かすかに眉を顰める。

 やはり、家族の元に戻りたがっているのではないのか。だから自分にこんな話をする

のだろう。いけないとわかっていても、一度灯った疑いの火はユキヒトの胸をチリチリと

焦がす。アキラへの深すぎる執着ゆえに。

「悪い人たちじゃなかった。血の繋がっていない俺を、それでも我が子として受け入れ

ようとしてくれた……でも」

 声が途切れ、アキラは微かに吐息をもらす。その先を口にすることを躊躇うように。

「けれど俺は、どうしても受け入れることができなかった。あの2人が嫌いなんじゃない。

ただ、昔からずっと頭の隅で感じていた気持ちに抗えなかったんだ。ここは、俺の居場所

じゃないと」

 絞り出すように吐かれたその言葉にユキヒトは息をのむ。

 ――俺の居場所じゃない。

 それは、かつてユキヒト自身も感じていた焦燥。ENEDでの記憶が残っているばかりに、

突然放り出された「普通」の世界に馴染めなかった幼い自分の、魂の叫び。

 過去を覚えていたが故のユキヒトとおなじ苦しみを、アキラもまた感じていたのだろうか。

彼の場合は故意に記憶を消された為、違和感の原因すら自覚できなかっただろうに。

「なにもわかってなかった。ひとりで生きてるつもりになって、本当はいつも誰かに

支えられていたことに気づけなかった。もっと早く知っていれば、あいつを……」

 ――ケイスケを、失わずにすんだかもしれない。

苦い後悔をゆっくりと飲み干してアキラは顔をあげる。

「……この先を左に曲がった先が俺の貰われた家だ。その三軒隣がケイスケの家で、

よくふたりで学校の帰り道にこの公園に寄った。あの頃は家にいるのが苦痛だっから、

此処で夜まで時間を潰してた。つき合わなくいいって言ったのに、ケイスケも一緒にいて、

そのせいで夕飯に遅れてあいつの母さんに怒られて――」

「……」

「今日は、ケイスケの両親に会いに来たんだ。……トシマでのことを、伝えるために」

 旧祖を脱出してから、ずっと先延ばしにしていたこと――ケイスケの死を、真実を話す

ために。

 義理の息子を可愛がっていた彼等にとって、アキラがもたらす悲報は酷なことかも

しれない。ケイスケの無事を祈っているであろう両親の希望を粉々に打ち砕くのだから。

だが、このまま消息不明にしてしまうのも同じくらい残酷だ。それでは彼等の苦しみは

いつまで経っても終わらないし、癒やされることもない。だから、憎まれてもいいから

話そうと決めた。

「覚悟は、してきたつもだった。でもだめだな。ここまで来て、こんなにみっともなく

狼狽えてる」

 震える手でみずからの肩を抱き、なにかをこらえるようにアキラは空を仰ぐ。

 いま、彼の中でどれほどの葛藤が渦巻いているのか。出逢って日の浅いユキヒトが、

すべて理解できるはずもなく。それでも、こんな弱さを見せるアキラを放っておくことなど

できない。

「いくぞ」 

「ユキヒト?」

 胸を突き上げる衝動のまま、戸惑うアキラの手を引いてユキヒトは歩き出す。あの日、

ふたりで地下道を抜けたときのように。

「ケジメをつけるって決めたんだろ」

 だったら、迷うな。

きっぱりと言い切った声は固く、冷たい。だがその裏に滲むユキヒトなりの励ましを察した

アキラの顔から困惑が消え、曇っていた表情が少しずつ晴れてゆく。

「……すまない」

「謝るな。それと、こういう時はありがとうって言えばいいんだ」

 年上風を吹かせて意地悪く口元を歪めれば、途端にむっと眉を寄せたアキラが前を

行くユキヒトを睨む。普段の澄ました顔とは違う幾許かの悔しさと羞恥の混じった年相応の

それ。自分の一言で打てば響くように反応する彼が無性に可愛くて、ユキヒトは声を

あげて笑った。勿論、アキラが余計にむくれるのはわかっていて。

「――避難所に帰ったら、申し込みしなきゃな」

 ひとしきり笑ったあと、ぽつりともらした言葉にアキラが首を傾げる。

「申し込みって、なんの?」

「仮設住宅のだ。昨日から受付が始まってただろ。もう内戦は終わったんだから、

いつまでも避難所暮らしするわけにもいかない」

 ユキヒトの言うとおり、日興連とCFCの対立で家や財産を失って難民となった人々も

終戦を迎えたことで身の振り方を考える時期に差し掛かっている。その第一歩として

新政府が住居の斡旋を始めたのだ。

「ああいうのは家族優先だから、男2人だと後回しにされるかもしれないけどな。

それでも自力で借りるよりは安いし、難民にはかなり融通してくれるらしい」

「男2人、て」

「なんだよ、俺とじゃ嫌なのか」

 既に決定事項のつもりで話していたユキヒトは、当惑したようなアキラの声に少々気分を

害して振り返る。

「ひとりよりふたりのほうがいいだろ? それとも俺じゃ不満か?」

「そ、そうじゃなくて。……お前こそ、いいのか? 俺は――」

「嫌いなヤツと暮らすほど俺はマゾじゃない」

 彼がこのあと続けるであろう問いかけを態と遮るように、ユキヒトはそっけなく告げる。

アキラの懸念など聞くまでもない。まだNicoleのことを気にしているのだ。そのせいで

散々な目に遭ったのだから無理もないが、そろそろ後ろを振り返るのは止めるべきだろう。

「反省はいいが、自責は時間の無駄だ。そんなことしてる暇があったら、生き抜くことを

考えろ」

 アキラに言い聞かせるように発したそれは、そのままユキヒトにも当てはまることだ。

 チームのこと、トウヤのこと、Nicole・Premierや幼い日の忌まわしい実験――いくら

過去を振り返って嘆いても、いまさら戻ることも無かったことにもできるはずもない。だが

だからといって、その感情に囚われるあまり生きることを疎かにするなんて馬鹿げてる。

「……着いたぞ」

「……ッ」 

 ハッと息をのむ微かな気配が、背後から伝わる。

前方に立ちはだかるのは、やや古ぼけた2階建ての家。表札はないが、アキラの様子

から察するにこの家で間違いないだろう。彼の親友だという男の実家は。

 そっと握りしめていた手を放し、ユキヒトは顎をしゃくる。

「行ってこい」

 俺はここで待っているから。

まだ躊躇いを残す緑白色の双眸をひたと見据えたまま、アキラの肩を押して中に促す。

ユキヒトが手を貸すのは、この門扉まで。あとはアキラ本人が自分で乗り越えなければ

ならない領域だ。

「ユキヒト」

 密やかな声が、ユキヒトを呼ぶ。

「なんだよ」

「――ありがとう」

 どこか気恥ずかしげに、そう呟いて。

ものうく微笑んだアキラはユキヒトに背を向け、ゆっくりと踏み出した。



 過去を乗り越える為の、はじまりの一歩を。