Bl@starチャンプは意地悪バーテンダーがお好き


 かちり、と金属が擦れる音が聞こえてから数秒後。薄暗い部屋でうつらうつらと舟を

漕いでいたアキラはそっと目をあけた。





「ユキヒト?」

「……ああ。悪い、起こしたか」

 薄暗い玄関に人の気配を感じて名を呼べば、低い声音が応える。ユキヒトが仕事から

帰ってきた。それは理解できても、寝起きの頭はぼうっと霞がかかったままで、うまく起動

しない。

 半身を起こした状態で、ぼんやりと戸口を見つめるアキラの上に影が落ちる。近づく

ユキヒトの顔を半ば夢うつつで見上げたアキラは、覆い被さる体から滲む香りに顔を顰めた。

「……くさい」

 じわりと鼻腔の粘膜に染み込む、甘ったるく人工的な匂い。

眉間の辺りを圧迫されるような不快感を覚えてアキラは反射的に腕を突っぱり、ユキヒトの

体を押しのけて低く唸る。耳を打つ不機嫌な声音に、一瞬怪訝な表情を浮かべながらもすぐ

思い至ったのか、「ああ」と呟いてユキヒトは肩を竦めた。

「客の煙草の匂いが移ったんだろ」

「煙草……?」

 そんなに匂うか、と問いかける言葉を無視して、眉を寄せたままアキラは胡乱げに

ユキヒトを睨めつける。

 興味がないから吸わないが、いくらなんでも煙草の臭いくらいは判別がつく。こんな胸焼け

しそうな甘い匂いのするものなんて本当にあるのだろうか。ユキヒトのことだ。アキラが

無知なのをいいことに、またかつごうとしているのかもしれない。たった二歳しか違わないにも

かかわらず、アキラにたいして保護者のように振る舞う彼なら充分ありえる。

 過去の恥ずかしい体験からくる不審の眼差しに、にらまれたほうのユキヒトは片眉を吊り上げ、

呆れたようにため息をついた。

「外国製のヤツだと、こういう匂いのするのもあるんだよ」

 納得したか、と。囁いたユキヒトの顔が再び近づく。

生活時間帯の噛み合わない二人の間でいつの間にか日常化した、帰宅を知らせるユキヒトの

キス。いつもならば夢見心地で受け入れるそれを、しかし唇が触れあう寸前にすっとアキラの

掌が滑り込んで拒んだ。

「……オイ」

「臭い。鼻が曲がる」

 むっとするユキヒトを強引にベッドから押し出し、身を翻したアキラはもぞもぞと毛布に潜り

込む。自分でもなんだかよくわからないが、むかつく。匂いはもちろんだが、ユキヒト自身にも

腹が立つ。

 このアパートからユキヒトの職場まで、歩いて三十分以上はかかる。その間、消えることなく

家まで香りをつけて帰ってきたということは、それだけ長い時間その客とやらと密着していた

証拠ではないのか。そう思った途端、胃が引き絞られるような痛みを感じてアキラは唇を

噛みしめる。

 一度回り始めた思考は瞬く間に眠気を吹き飛ばし、坂を転げ落ちるように気分を急降下

させてゆく。どんどんと妄想が膨らんで不機嫌になるアキラを放置したまま、ベッドから追い

出されたユキヒトは浴室へと姿を消した。

 明かりのついたガラス戸のむこうから籠もった水音が間断なく響く。一定のリズムで聞こえて

くるそれに、熱くなっていた感情が少しずつ冷め、かわりに微かな後悔がアキラの胸に生まれる。

 さっきは、ちょっと子供っぽかったかもしれない。あんなふうに拒絶せずとも、もっとほかに

言いようがあったはず。それなのにユキヒト相手だとどうしても素直になれない。あの余裕な

態度が癪にさわって、つい抗ってしまうのだ。アキラのささやかな反抗など簡単にいなされて

しまうと知っているのに。

 制御できない自分の感情に戸惑うアキラの耳を、引き戸の開く音が掠める。ユキヒトが風呂

から上がった。それだけでどくんと心臓が跳ね上がり、弛緩していた体に緊張が走った。

 ひた、ひた、と足音が近づき、シーツに乗り上げた膝の重みでベッドが軋む。毛布を捲って

潜り込んできたユキヒトを避ける間もなく、しなやかで力強い腕が背後からアキラを抱き竦めた。

「なっ、は、はな――」

「うるさい」

 ぞくりとする低声で狼狽えるアキラの抵抗を遮り、先ほどの仕返しとばかりにユキヒトの唇が

目の前にある耳を喰む。流線の縁を舌でなぞり、耳朶を甘噛みし、執拗に舐る。

 欲望の滲んだ性的な接触と子供が甘えるような無邪気さが複雑に入り交じった愛撫が、

アキラの羞恥と理性を否応なく突き崩して。石鹸の匂いに混じるユキヒトの仄かな体臭が

蕩け始めた体の奥に仄暗い淫火を灯す。

 じわじわと胸を炙るそれに、とうとう耐えられなくなったアキラはすこしだけ身を捩り、肩口を

彷徨っていたユキヒトの頬にそっと口づけた。

「……俺に触れられるのは嫌じゃないのか?」

 そう言って意地悪く笑う様が憎らしくて、彼の弓なりに反った口唇に軽く歯を立て、舌先で

撫でる。するとユキヒトはますます笑みを深め、続きを強請るようにアキラの唇を塞いだ。