文 黒衣月子 様
クロウリーがそうしたように、自らの真性を形として現してはならぬと知れ。
自らの内にある秘奥を誰が知る。知らざるものを現す事はできぬ。纏った形はそれ其のものが虚偽である。虚偽を虚偽として纏うも良し。しかし他がおよび知らぬ虚偽を纏う意味もない。
A.ラヴェイを迎え、バフォメットを掲げてきた人々をラヴェイ本人は嘆いた。
バフォメットは形骸に過ぎぬ。彼等は内の理を知らぬ。バフォメットが5なら、彼らは9なり22なりを掲げるべきであった。もしくは愚者のように振舞うか。
神は大いなる1(一なるもの)であるが、世の信望者により小さき1となった、それは2とかわらぬ。ラヴェイはその2なり3なりを掲げていたのだ。2が1にかわりて大1への道を模索していた。
「わが教会は、サタン教会というその言葉が正にその通りであるが故にそういう名なのだ。」
造反は建設と反しない。彼の行動は、内なる信仰を反抗という形で示したともいえる。
大1の内の1でなく、2として生きることも道と知った。
邪が真邪であると誰が言う。聖は真聖でないというのに。
形に用はない。真性のみを纏え、真性は見えぬものである。知りえぬものである。ゆえに形を捨てよ。
聖なり邪なりという形に、真性はないものと知れ。
数各々は違えども、全て同じと知れ。