VS幸福論

文  よぐそとと    

 

 「あなたの健康と幸せをお祈り」してくれる非常に奇特な人を最近見かけない。
 もっともこれは地方によって出現頻度が違うのかもしれず「うちのあたりには沢山居るよ」という発見報告のようなものをいただく事があるかもしれないが、少なくとも北浦和周辺ではここしばらくお目にかかっていない。以前は居たのだが…

 彼ら奇特な人は自分たちがとっ捕まえる人間が絶対的な拒絶か、もしくはおとなしく従ってくれるという2パターンあると考えていると思う。もし拒絶なら仕方なし、従ってくれるなら自分たちの宗教への教化もしくは自らの修行という道が開ける。どちらをとっても祈る人間の想像通りの反応であり、自らの内もしくは各々の団体によるマニュアルに従って事を起こすだけで良く、安穏と突っ立っていられるのであるが、数年前のわたしはそれが非常に気に入らなかった。理由は無い。

 

 キリストは漁師で、お釈迦様は王子様だった。つまり何が言いたいのかといえば最初から生きた伝説として生まれてくる人はいないという事である。わたしは運命というものをあまり信じていないため、キリストは彼が救世主たらしめた過程があってはじめて救世主キリストとなったのであって、産まれたときからその過程の間は特定の道を求めるわれわれと何ら変わらぬものであると思うのだ。言いかえるなら、極端な話「救世主キリスト」から「救世主」を取ったら「キリスト」という個人名が残るだけなのだ。
 わけ解らぬと言う方の為に簡単に話すと、キリスト教という面でわたしはキリストより数段と言うより全く及ぶべくもないが、もしキリストとゲームをやったのなら、わたしの圧勝は見えている(負けたりして…)
 超伝説のキリストですらそうなのだから、そこらにいる奇特な人はそれ以下であると考える事ができる。

 

 そこで、「幸せを祈る」素晴らしくかつ奇特な人の信心をも凌駕するわたしの得意分野を、奇特な人に逆に聞かせて差し上げたならさぞかし面白かろうと思ったのだ。返り討ちにあわせるわけだ。
 「仲間だと思ってやって来たところに平手打ちを食らったようなもの…さぞびっくりしておるじゃろう…」
 漫画「AKIRA」でミヤコ様はこう言っておったが…ま、似たような事をするわけである。

 わたしの得意分野…アメリカの怪奇作家の語った原初地球を支配していた神々の恐怖。善なる神の前に敗れ去り現在に至るも、復活の兆を見せているその恐怖。幸いにも「祈ってあげる」人に声をかけられたなら、その邪悪なお話をしてあげる事に決めたのだ。大いなるクトゥルー神話を…

 そう決心すると、いずこの神様かが「面白そうだのう。」と言ってくれているかのように上手く事がはこび、北浦和駅前で何らかの小冊子をもって小さな子供をつれている素晴らしく奇特な人に出会った。妙に痩せているオバハンでくらーいオーラを纏い、「ぬーっ」という擬音が似合うように歩く。当然話しかけられた人は手を振って断りまともに相手をしていない。
 北浦和駅で人待ちの約束をしていたわたしは、こりゃいい暇つぶしができそうだと、わたしの趣味が良いとは言えぬお遊びに付き合わされる母子の姿を今一度見た。そしてゆっくりと暗げな面持ちで歩いていった。

(いつも不思議に思うのだが、こういうまともらしからぬ宗教の勧誘のような女性が、わりと高い確率で小さい子供をつれているのはどういうわけであろうか?どこかに預けるなりできないものだろうか?
パッと見たイメージとして「貧乏らしさをかもしだしているのであろうかなァ…」と思うのだが、やはりそうなのだろうか?哀れさを纏って同情をかいたいのかもしれぬが、わたしにとってみれば不気味にしか映らぬ)

 案の定、素晴らしいオバハンは子供をつれて「ぬーっ」と近づいてきた。相変わらず暗げな面持ちのわたしではあるが、内心「うしし」と思っているわけである。
 「こんにちは」
 地獄の底より招聘されたかのようなハスキーボイスオバハン挨拶にすこし驚くも、暗げな面持ちをやめ、微笑を返す。オバハンはやりやすい相手だと思ったであろう。間髪いれず、次の言葉をならべたてた。
 「なにか悩みがおありですか?神様に話すとすっきりしますよ。」
 幸せを祈ってくれるのではないらしい。しかし、わたしにとってはこっちのほうがやりやすいといえる。いつもの技(手を頭のまえにおくやつ)に移られる前に、いかにして舌戦にもちこむかという心配はなくなった。
 「ユダヤ教ですか?うーん、わたし違う神様しんじてますし…。」
 「いいえOOOですけど(←ま、イスラエル系ではある)あなたの信じている神様って?」
 さぁて、うまくはこんだ。あとはわたしの武器を使うだけである…

 水神クトゥルー、ヴーアミタドレス山のアトラク=ナクア、忌むべきミ・ゴ、それにかかる冒涜的な書物をわたしが所有し、それら邪神の復活を頑なに信じているという戯れ事を、かなりの着色をつけて話した。と言うよりほとんどウソ。(まぁ、ベースは小説だがね)
 「…」まさに絶句。それ以上にこの素晴らしいオバハンのその時の状態を上手く説明する言葉を知らない。特に快楽と苦痛の同居する人間捕食を語ろうとしたら「やめて」と懇願された。

 オバハンは「じゃ…」と言い、穢れに触れたかのようにそそくさと、そして「ぬーっ」とその場を離れた。わたしが待っていた友人はわたしの後ろに来ており、「ヲイヲイ」と言いつつわたしに顔をあわせた。

 

 楽しくなかったと言えばウソになる。しかしちと悪いことしたな、と反省もしている。少なくとも向こうは真面目なのだから…
 しかし残念に思う事もある。イスラエルの神を信じている人間が、小説で語られるような妄想を話す人間に対し、改宗をせまるどころか教えを話す事もできなかったことである。それとも「あー、この人を改宗させようとするのは無駄な事だ。」と思われたのだろうか?
 まぁ、逆に考えれば趣味でかじった程度の暗黒神話を語る人間が、イスラエル系宗教づけの人間に反論の余地を与えなかったというのは、面白い事ではある。

 「誰が天使かわかるかね?」
 M.ゴドウィンの本だったか…こんな言葉があった。
 わたし自身やっておいてこんなこと言うのも変だが、上記のようなことはやらぬがよろしいと思う。わたしも数年前一回やっただけだ。
 誰が天使か分からぬというのは極端な話であるが、わからない話ではない。

 

・追  しつこい勧誘ないし販売の電話の対応で面白いものを開発なさった方は御教えいただけると嬉しく楽しいです。
沈黙、妙な声(音・念仏なども可)を聞かせる、以外でお願いします(笑)

 

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