皮下機械の少女
第2戦「理由」
戦う理由はありません。誰を守るとか、何の為にだとか…そんなのはないんです。
でも、お父様のお役には立ちたいんです。「戦え」とお父様に言われたから戦う…というのでは、きっとあなたは納得しないんでしょうね。
初めてラグオルに降りた時ご一緒したシェルティ様というハンターの方から、シノさんという名前のアンドロイドのお話を聞きました。
今の時代では珍しく、主のいるアンドロイドだったそうです。そして、その主人が死んだとき、自分の活動を自分の手でとめたそうです。
キサラのお父様が死んだとしたら…そんな事は考えたくないんですけど、キサラもシノさんと同じ事をするかもしれません。
…それでは、またお手紙書きます。
白いシーツ、フカフカのベッド。
しかし、そこで横たわるサイボーグの少女キサラに安らぎの表情は一切なかった。アンドロイドには違法の人工皮膚、その色白な皮膚を薄いシャツ一枚だけで隠し、首にはあたかも愛玩動物のそれのような首輪と鉄鎖。その上にあるキサラの目は大きく見開かれ、目の前の脅威を凝視していた。
「くっくっくっ。この器量…200万でも安いぞ。」
キサラの前の脅威は魚のような口をめいっぱい反らせ、笑みをうかべると収まりきらぬ唾液を床にたらした。何も着ていない巨大な腹をゆさりゆさりと揺らしベッドに近づいてくる。
なにをするのかキサラには理解できなかった。しかし、目の前の男の血走った眼、卑屈に歪む口、何かを鷲掴みにせんと動く太い指。それら全てが恐怖だった。それら全てがキサラを求めていると直感できた。必要とされて求められるのではなく、自分の首にかかる首輪が示しているかのような「モノ」としてのキサラを欲していると解った。
地球で最後の戦争といわれる「ラグナロク」で、アンドロイドは人造人間ニューマンとともに人権を獲得した。アンドロイド一体一体それぞれの意識が「個」として尊重されるべきはずであった。しかし、キサラの目の前の男にとってキサラは陵辱の対象にしかすぎなかった。戦争前はただの「モノ」だった。戦争前と戦争後、アンドロイド自体は何も変わっていないのだ。男に罪悪感は一切ない。
皮下の特殊チタニウムの存在を感じさせない柔らかい肩に男の手が食い込んだ。抵抗は許されない。キサラの脳髄に仕込まれている行動制御デバイスは、男の手を振り払う事を禁じていた。男の顔はこれから起こるであろう期待を押さえきれぬように引きつっている。
「い…いやですぅ…」
この一言がキサラにできる最大の抵抗であったが、その言葉はさらに男の気を引く結果となった、ベッドにのしかかる巨大な影。キサラの目が恐怖から絶望に変わり、さらに涙があふれてくる。
「ほほぉぉぉ…涙まで…これはこれは。」
男の言葉にキサラは耐えきれず目を閉じた。圧力を増した男の手、頬を伝わる涙。それだけを感じていた。荒い息遣いが聞こえてくる、そして次にキサラが感じたものは涙とは違う顔を流れる液体の存在だった。その量の多さに不審を感じ、目を開ける。そこにあったものは男の苦悶の表情だった。「ぐ…」
男はキサラの肩に乗せていた手を自らの胸に当てる、キサラがその手を目で追いかける。そして見たものは男のぶよぶよとした背中から胸へと貫かれたと思われる1本の虹色の光の筋、光剣であった。
男の背後の黒い衣をまとった光剣の持主は、ベッドで苦悶する男に何が起こったのか気づかせないままに剣を引きぬき、それを握る腕を軽く持ち上げると、横に払った。
重い音がベッド脇からあがり、胸から血を流す男の体がずるりとベッドより崩れ落ちる。その体に首はなく、数秒前まで期待に興奮した血走った目や快心の笑みを浮かべた口がついていた顔はベッドの脇に転がったまま、もう動く事はなかった。
「フィルナ擁護武官、そちらはどうですか?」
黒衣の男は別の部屋からあがったと思われるその言葉に「終った」とだけ答えると、いまだ動けずにいるキサラに目をやった。
キサラも倒れた男と同じように何が起こったのか理解できずにいた。そんなキサラに黒衣の男は近づき、自らの黒いコートを赤く染められた色白の体にかけると、血の蒸発する虹色の光剣を斬られて落ちた男の顔に向け、言った。
「これが…人間なのだ…」と。
白いシーツ、フカフカのベッド。
そこで軽い寝息をたてているサイボーグの少女キサラ。彼女は自らの体を構成する有機組織の維持の為に呼吸もすれば、脳細胞保護のために睡眠もするし夢も見る。ラグオル星系恒星がパイオニア2艦隊の真上に来る頃が昼であり、夜には完全な闇となってしまうキサラの家、すなわちフィルナの家があるビルも、かなりの光量がそそがれる。窓から強い光が入る頃になってもなお起きてこぬ子の様子を見に養父であるフィルナが部屋に入ってきて見たものは、猫のように丸まって寝るキサラの姿であった。
「連日の戦闘…さすがに疲れていると見えるな、今日は休ませておくか。」
結局キサラが起きてきたのは、日も暮れかかった頃であった。「地球の夢?」
ペースト状の物質の食事をとるキサラにフィルナは言った。
「お父様と初めて会った時の、地球をはなれる少しまえの夢でした。怖い夢ですぅ。」
書き物をしているフィルナはそれを聞くとペンを止め、キサラのほうを振り向いた。もくもくとスプーンを口に運ぶキサラ。
「忘れられない…か。無理もないが…」
アンドロイドを違法にカスタマイズする工房を摘発すると同時に顧客リストを押さえた人権擁護武官フィルナは違法アンドロイド売買の現行犯人を殺傷。決してこれが最初ではない行きすぎの取り締まりに批判が集まっていた中で、フィルナの行動は徹底的に糾弾された。地球にいた頃の話である。
「お父様、一つ聞きたいんですけどぉ。」
「ん?なんだ?」
「どーしてお父様は、キサラを引き取ってくれたんですかぁ?」
突然の予想外の質問に、フィルナは少し考えるかのように顎に手をやると、止めていたペンを机に置き、席を立ってキサラが食事をとっているテーブルの椅子に腰を下ろした。
「ラグオルにまで連れてこられたのは迷惑だったか?キサラ」
まじまじと見られた上にこれまた予想外の返答をうけたキサラは首をおもいきり横に振った。
「そ…そんなことないですぅぅぅ。ただ…」
「ただ?」
そうフィルナが聞き返した時、玄関に人影があった。気付いたフィルナが立ちあがり誰何する。
「あの…えっと、えっと…」
玄関の人影は名を言わなかったが、あいまいな返答が誰であるか答えを教えていた。
「キサラ、咲夜ちゃんだ。出かける予定なのか?」
玄関で落ちつかなさそうにもじもじしている幼い少女は1ブロック先に住むキサラのただ一人の友人、咲夜であった。生来人見知りがはげしい娘であるが、どういうわけかキサラとは仲良くつきあっており、よくいろんな所に遊びに出かけていた。今回もどこかへ行く約束があるのだろう。
「ほぇぇぇ。いっけない。すっかり…」
ちょうど食事を終えたキサラは大きな声でいうと、食器をあわててキッチンへもっていき、洗おうと水を流しはじめた。
「友達との約束を忘れるとは不躾だな。洗い物はわたしがする。いってきなさい。」
「はいぃぃぃ、ごめんなさいですぅぅ。」
フィルナの言葉にキサラは軽く詫びると、玄関に走って勢い良くドアを閉め咲夜と共に日の落ちかかる街へと出ていった。フィルナはそれを見送ると、残されたキサラの食器を洗い乾燥機にかけると、書き物を再開すべく、机に戻った。
「引き取った理由…か」
再度手にしたペンを何かしらの書類に滑らせる。なにかの文字を書き記した書類を目にして、少し考え、そして少し笑い、そして新しく書いた文字を消してしまった。
たった今書類に記して消した言葉「キサラの理由」…るるりんや廻奈たち、キサラがフィルナの養女であることを知っている人間も、その理由を知っているわけではなかった。
つづく(といいなァ・笑)