後から来たものが先になる

                             文   よぐそとと

 

 

 少年の引き起こす凶悪事件が多発しているという事をニュースで頻繁に聞くようになってずいぶんとたつが、いまだにニュース番組上で、その類の話題に事欠かないどころか、さらに増加しているところを見ると、さしたる解決策もないようである。
 少年犯罪における犯罪以外の問題は何かといえば、ひとえに犯罪を犯した少年の社会的な将来を考慮してだけの事だと思うのだがいかがであろうか?それとも諸兄は少年の今後の人格形成ないし精神面で問題があるとおっしゃられるだろうか?わたしが最近考えているのはその点、昨今の少年の精神成熟度と大人と呼ばれている人間たちのそれの比較である。

 先日わたしは大好きなラーメン屋に行った。半年前にオープンしたばかりのとんこつラーメン屋なのだが、スープと麺のバランスが素晴らしく、いつも妙に混んでいて、その日も人だらけのカウンターの端っこになんとか腰を下ろすことが出来た。
 混んでいるわけであるから、いやでも隣の人間との距離は短くなるのは道理である。盗み聞きする気などなくても、隣の人間の声が大きい場合、自然と耳に入ってくるわけである。そして今回わたしの隣に座った二人の会話を聞いて少し驚いた。それは以下のような会話であった。

A 「あの娘とはどうなの?最近。」
B 「あいつデリカシーなくてよー。」
A 「でもかわいいじゃん。」
B 「顔だけじゃダメなんだよって言ってやったぜ。」

 このあとも延々とBの彼女らしい娘についての談義は続くのである。一見、どこにでもあるような会話であろう。実際わたしもこの会話だけを見れば友人のほらふきユーキ(24)のセリフっぽいなと思ってしまうところだ。しかしこの会話の主であるAはBの母親であろうかと思われる女性。Bに至っては、小学校低学年…否、小学校入学前の男の子と言うが正しい少年であった。
 この会話だけで、昨今の青少年の精神が大人のそれと変わらぬと語るのは早とちりの感もあるかもしれぬ。しかしこの事例に限らず、肉体的な年齢が、必ずしも精神的な成熟度と一致しないという例は新聞に目を通すだけでも多いと思うのだ。
 新聞には当然様々な事件が載っていて、それら事件の当事者は大方大人と呼ばれる年齢に達している人間であろう。子供より分別があると認められ、様々な権利を有している大人があまたの犯罪を犯すのだ。人間としての経験が少ない子供が犯罪を犯すのは、これ当然ではなかろうか?

「あたしの子が殺人犯になったらどうしよう。」 
 幼児虐待による死傷事件。教師や警官の不祥事。マスコミの誇張はあれど、かような事件があったのは事実だ。そんな時代背景を反映してか、わたしの友人は、このような言葉をわたしに述べた。
「ゴキブリを殺しても良いのに、人を殺しちゃいけないの?」という質問に答える自信が無いとも言う。つまり、子供の手本たる大人になる自信が無いと言うのだ。自戒の意味もこめて言うが、少年犯罪の一因はここにあるのではないだろうか?子供に対して、大人はその大人ぶり(?)を、しっかりと示さねばならぬのではないかと思うのだ。

 タバコが吸えるから、車に乗れるから、セックスしたから大人だというのは当然違う。
 玩具で遊ぶから、甘いものが好きだから、いつまでも遊んでいるから子供だというのも当然違う。

 そして、何をもって大人と子供の境とするかは全く曖昧である。肉体的に生存している時間から大人如何を判断するなら簡単であるが、「21世紀はココロの時代」という如く、精神で大人如何を判断するなら、これほど難しいものは無い、小学校入りたての男の子が大人だと言う事も十分ありうる。冒頭のB少年の言葉が自らの頭で考えられたものなら、B少年は大人候補であろう。

子供はさほど子供でもなければ大人はさほど大人ではない。手本となるべき大人不在のため、自ら大人にならざるをえぬ子供たちというのは以外と多いのではないかという幻想が、わたしの心にまとわりついて離れない。

 

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