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歴史的仮名遣ひ学園 非常勤講師室102

●大伴持家講師 挨拶 ミニ授業   廊下へ出る

学生、生徒のみなさん、質問や相談などを遠慮なくお申し出ください。

  名前 質問・相談 返事
9 我亂堂

御返事ありがたうございます。
ルーツは同じでも、違ふやうに発音される言葉は数多くあります。「さびしい」と「さみしい」、「ねぶたい(ねぶい)」と「ねむたい(ねむい)」、「かうぶり(冠)」と「かんむり(冠)」、「セキバク(寂寞)」と「ジヤクマク(寂寞)」などのやうに、バ行とマ行の発音は随分近いものがあるのではなからうか、と考へて先の質問をいたしました。なるほど、確かに「おぼゆ」から「おもえる」になることはなささうです。
ずいぶん自分勝手に考へすぎたやうです。頭を冷して、単語の暗記から頑張りたいと思ひます!御教授下さいまして、感謝致します

目の付け所のセンスはあつたと思ひます。
「おもゆ」といふ語は歴史上のどこかに(方言としてでも)存在したといふ可能性は考へられるとしても、結局は生き残らなかつたといふことでせう。
ご質問ありがたうございました。
8 我亂堂

大伴先生、ひとつ御教授願ひます。
「思へる」と「思える」の表記についてです。
動詞「思ふ」+助動詞「る(れる)」=「思はれる」となり、これを由来とした場合、他の多くの例(いはゆる「ら抜き動詞」など)と同じやうに、「omohareru」−「ar」=「omoheru」=「思へる」となり、可能動詞としての「思へる」が出来上ります。
これはやはり、可能の意味にしかならぬと思ひます。
「思ゆ」を由来とした場合、どうでせうか。
「甘ゆ」⇒「甘える」などと同じやうに、「思ゆ」⇒「思える」となり、自発動詞としての「思える」が出来上りはしまいか。
かう考へると、「思へる」と「思える」の使ひ分けが必要だといふことになつてきます。
実際、僕らが普通、現代表記として「思える」といふ時、「思ふことができる」と「自然に思はれる」と二つの意味で使ひますが、これはやはり、書き分けが必要なのではないか、と思ふのですが、いかが思はれますか?
乱文で分りにくく、申し訳ありません。宜しく御願ひ申します。

「おもゆ」といふ語はありません。「覚ゆ」です。「思ゆ」と書いても「オボユ」と読みます。
これは「思ほゆ」から出来た語です。
ですから「思える」といふ語は出来ません。「覚ゆ」からは「覚える」が出来ます。

なほ、古語文法と現代語文法を混同しないやう注意してください。

7  

こんにちは。踊り字について質問させて頂いても宜しいですか?
2_くりかへし符号の使ひ方
http://kokugo.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/sanko/pdf/kurikahesi.pdf
こちらの資料で、「五、くりかへし符号は、同一の語の中で用ゐることを原則とし、……」とあるのですが、例(三)「パパ」「ママ」「チチハル」がなぜ仮名を重ねて書くのか分りません。「パパ」も「ママ」も同一の語だと思ふのですが、違ふのでせうか。それとも外来語(外国語)の表記には踊り字は適用されないのでせうか。
質問は以上です。宜しくお願ひします。

繰り返し符号は昔から全く「便宜的」に使はれてきたものです。義務的なものでもありません。
そんな中で「ゝ」は伝統的に和語との親和性が強く、カタカナ表記の外来語には使はないといふ人が多くゐました。
しかし別にそんな決まりもないのですから実態としてはパヽ、マヽも普通に見られました。
ご指摘の資料は学校教育のために一応の指標を定めようとしたものですが、広く順守されてゐたものではありません。
なお、カタカナ表記には「ヽ」を使ひます。

6 木更津義視 わたしは中學生ではあるものゝ,質問させてもらひます.『いへ』を,たまに『いゑ』と書いてしまふのですが,ゑとえの區別が例外を讀むでもわかりません.だう書き分ければよいのでせうか. 「え」と書くか「へ」と書くか「ゑ」と書くかはその語が大昔にどう発音されてゐたのかによつて決まつてゐます。ですから覚えるしかないのです。
ついでに添削しておきますね。 読むでも→読んでも  だう→どう
5   「次の古文を現代仮名遣いに変えなさい」という問題は、「この古文を現代ではどのように発音して読むのでしょうか。それを現代仮名遣いで書きなさい」という意味……とどこかに書いてありましたが、
「しゃうあるものの中にも、鶴は千年、亀は万年」
の問題の場合、現代での発音に……と考えると、生徒は「(鶴)は」「(亀)は」の「は」も「わ」に変えてしまいます。
どう説明したら良いでしょうか。。。。
これは手強い?質問ですね。確かに
「この古文を現代ではどのように発音して読むのでしょうか」だけであるのなら「ツルワセンネン」といふことになるのでせうが、後段では「それを現代仮名遣いで書きなさい」と言つてゐるのですから、私なら
「現代仮名遣ひといふのは普段皆さんがふつうに書いてゐる正しい書き方のことです。ですから例へば『ツルワセンネン』と読むならそれをふつうの書き方で書いて下さい。」と説明します。
それでも分からないとしたら・・・・・、私もお手上げです。現代仮名遣ひの不徹底を持ち出して話を複雑にするかどうかは貴方次第です。
先生、頑張つて下さい。
4   丁寧な説明ありがたうございます。二人の先生の説明を併せ読んで総合的に理解できました。また質問するかもしれませんので宜しくお願ひします。 このところ集中して勉強した甲斐がありました。こちらこそ有り難うございました。
3   すみません。もう一つありました。字音仮名遣ひの「「ク(-)」、「ク(-)」、「グ(-)」、「グ(-)」、「-ム」の音は慣用に従って採用を見送りました。」の部分についてもう少し説明をお願ひします。 私なりの説明をしてみます。
和語については「仮名遣ひ」とは「語そのもの」と言つていいですから、しつかりと原則を守ることは意味のあることです。しかし字音とは外国語をなるべく正しく発音するための発音記号のやうなものですから、それを厳密に窮めることには和語と同じほどの意味はないと考へます。
(Goetheを最初ゴエテと書いたかギヨエテと書いたかに関はらず、現在ゲーテで安定してゐてそれで良いと思ひます。)
お尋ねの「クヰ(-)」、「クヱ(-)」、「グヰ(-)」、「グヱ(-)」、「-ム」などはその発音が早くに衰微し、江戸時代に字音仮名遣ひが再構築されたときにもリストからオミットされた(このこと自体は字音仮名遣ひの一つの瑕疵であつたとは言へます)もので、その後も現代まで実用に当てられることはありませんでした。いまそれらを再現することには、古典を読む上でも、実用文を書く上でも大きなメリットはなささうです。
それでも字音仮名遣ひの原理を貫徹したいといふ考へかたもあるとは思ひますが、さうすると唐音以降、近現代の発音、地方音まで含めて考へざるを得なくなり(マージャン、ギョーザをどう書くか)、収拾がつかなくなつてしまひます。私は字音仮名遣ひとは、あくまで「ある範囲内での約束」と割り切つて使つていけばよいのではないかと考へてゐます。
以上、あくまで私の意見です。
2   お返事ありがたうございました。大変良く分かりました。 いいえ、どういたしまして。私はそのやうに理解してゐるのですが、もし不適当であれば他の先生方から指摘があるものと思ひます。
1   はじめまして。よろしくお願ひします。はうれんそうの「頗または菠の字音「ハ」より」といふのはどういふ意味か教へてください。なんだか分かるやうではつきりとはわからないのです。 ご質問ありがたうございます。
語源が頗薐または菠薐であるとすると頗または菠に「ホー」と読む仮名を振ることになりますが、「ホー」の字音は「ほう」「ほふ」「はう」「はふ」のいづれかで表すことになります。
このうち「はう」を採るのは、まづ頗と菠の字音「ハ」を生かし、次に延ばす音は「ふ」である理由がないので「う」とするからなのです。これは「さ」が伸びて「さうする」などとなるのと同じだと理解できます。
以上でいかがでせうか。

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質問・相談


ミニ授業

1.
 歴史的仮名遣ひの学習は信じられないほど簡単です。この「歴史的仮名遣ひ教室の」速習版の内容だけで十分、これでおしまひ、と言つてしまつてもよいくらゐです。それだけで日常的な文章なら辞書の助けなしに自由に綴ることができます。
 それなのに、大方の大袈裟な構へやうはなんとしたことでせう。御託を並べてる暇があつたらほんの一時間もかけてやつてみたらいかがでせう。たつたそれだけで歴史的仮名遣ひは信じられないほど書けるやうになります。もちろん細かいことや実際には必要ないことまで全部知らうとすれば切りがありませんが、ああ、自分は歴史的仮名遣ひで日本語が書けるのだと実感できる程度にはすぐ手が届くのです。あとはもう勉強といふよりは楽しい趣味です。さうなつてしまへばもうこつちのものではありませんか。
 以上はほんの二ケ月前の私には予想もつかなかつた真実です。
2.
 ついこのあひだ(2000年頃)までは歴史的仮名遣ひは俳句や短歌をやる人たちの専売特許のやうに思はれてゐました。それが今ではネット上では小さなブームと言つてよい状況を呈してゐます。
 パソコンとワープロ(IME)とネットとが私たちの言語生活の書記面に一定の変革をもたらすであらうことは予想されてゐましたが、はたして仮名遣ひについて予想した人はあつたでせうか。もちろんあくまで小さな小さなブームに過ぎませんが、それでも普通の人が普通の文章を普通に歴史的仮名遣ひで書いてゐるといふ状況が多くの人の目に触れる機会が従来に比較すれば爆発的に増えてゐるのです。私はこれを歴史的仮名遣ひのノーマライゼイションの大きな第一歩だと捉へたいと思ひます。まさにインターネットさまさまです。

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挨拶

 みなさん、新任の大伴です。よろしくお願ひします。
 ご挨拶に代へて、私が当学園の授業において最も感銘を受けた部分をご紹介いたします。

 「日本人は歴史上一貫して仮名を『元々書かれた通りに』書かうとして来ました。実際には間違へて伝へられたり分らないままに適当に書かれたりしましたが、意識は『元々書かれた通りに書くのが本当』であったのです。それが昭和に至って歴史上初めて元々どう書かれたかは関係なく『今発音する通りに書くのが当然』といふ意識で書くやうになりました。」

 「法則の意味や語の由来について知り始めると仮名遣いの勉強が大きな喜びに変わります。日本語の長い歴史の流れに合流する喜びと言っていいでしょう。」(「学習ガイド」より)

 もう一つ、仮名遣ひの原理の勉強のうち、

 「『転呼』は語が変化したものではなく発音の習慣の変化であり、表記には関はらない。これに対して『音便』は文字の発音習慣の変化ではなく別の語形の誕生であり、当然表記に関はる。」

 といふことの詳しい説明を読んで私は文字通り目から鱗が落ちました。福田先生の「私の國語ア室」でもしつくり来なかつたところが非常にはつきりと理解できるやうになりました。

 みなさんにもこのやうな喜びを実感していただけるやう、その一助となるべく精一杯頑張ります。


(大伴持家講師は学長の個人的伝手により学外から招聘されました。「やかもち」ではありません。「もちいへ」です。)


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