認定試験3 最終変更2019/12
下記の文の仮名部分を歴史的仮名遣い(字音仮名遣い由来を含む)に直してください。
この試験では促音・拗音については小字を使用せず、並字としてください。踊り字は使用しないでください。
文の体裁や漢字はそのままとし、仮名遣い以外については一切変更しないでください。
問題文原形
私は2年前から都心の仕事場に置き傘をすることにしている。
それがおとといは6本にもなった。
こうなるとさすがに家にはめぼしい傘がなくなったので、快晴の日差しの中をブラブラと1本提げて家に帰って来た。
(ついこの間も一回6本溜まったので一挙に5本持ち帰ったことがある。)
最初置き傘を始めたときは漠然と「家から差して出る回数と仕事場から差して帰る回数はほぼ同じだ」と考えていた。
だから2〜3本は溜まるかもしれないとは思っていたのだが、6本とは許せない。
もし殆んどの日が雨で、晴れているほうが珍しいという気候の世界なら、殆んどの日が一本の傘の往復になるだろう。
たまに置き傘が発生するとしても多く溜まることはないだろう。
だが実際は晴れている日が圧倒的に多く、たまに降るだけである。
一旦置き傘が発生したらそれは長引く。
次の雨の機会まで置いておかれる。
しかし、だからといってそれで置き傘がそんなに溜まることになるだろうか。
ならない。
後日、朝降っていなかったのに帰宅時に降っているという日が来れば置き傘は解消するではないか。
ところがそれにもかかわらず何と6本なのだ。
待てよ、雨というものはそんなに降り続くものではない。
降り出してから24時間も続くということは少ないではないか。
平均はもっと短時間だろう。
そうだ、朝降っている雨は約10時間後の帰宅時には上がっていることが多いのだ。
だから置き傘はどんどん溜まるのだ。
しかしなんだかおかしいな。
帰宅時に降っている雨も翌日の朝には上がっていることが多いのではないか。
すると置き傘は減っていくではないか。
これじゃあオアイコになる。
いや、家にいる時間は仕事場にいるより長い。
休日だってある。
だから仕事場にいる間に雨が上がってまた次の雨が降り出す確率よりも、家にいる間に雨が上がって、そしてまた次の雨が降り出す確率のほうが高いのだろうか。
なんだかバカバカしいことになってきた。
単純に考えよう。
置き傘が増える機会(朝降っており帰宅時晴れている)と減る機会(朝晴れており帰宅時降っている)が同率で発生するとしたら、置き傘の数が0本から(増える一方で)6本に増えるということは丁半賭博に6回連続して勝つようなものだ。
まずありえない。
もちろん私の場合は増えたり減ったりしながら6本になったのだろう。
それならば、増減しながらついに6本に達することは考えられるだろう。
広場の真ん中にいる酔っ払いがランダムな方向に一歩ずつよろけ続けると、酔っ払いの位置はどんなふうに移動していくだろう。
真にランダムならいつまでたっても中心の近くにいるだろうと推定されるだろうか。
いやいや酔っ払いは次第に広場の中心から離れていくだろうと数学は教える。
置き傘の場合は0本になることはあってもマイナス本になることはないから、この場合は「狭い廊下の突き当りからよろけ始めた酔っ払い」に相当する。
突き当りからの距離は増減しながらも次第に大きくなる傾向を示すだろう。
傘は増減しながら次第に増えていく傾向にある。
それでは傘が増減しながら0本から6本に達するには平均してどれぐらいの回数の機会が必要なのだろうか。
相当必要だろう^_^; 月日もかかる。
しかし、私の実感は「増える一方で」6本になったのである。
記録を取っていたわけではないから、それが数学的に考えてどれぐらい起りうることなのか計算することはできないのだが、あきれるほど着実に増えたという実感はほんとうにしている。
この実感が(実は錯覚である可能性も捨てきれないが)正しいとすると増減の機会が同率で発生するという前提が間違っていたことになる・・・
私は次のように納得することにしよう。
雨というものはおおむね日中よりも夜間に降り出すことが多く、また午後に上がることが多い。
天気予報でも「朝のうち雨が残りますが午後には晴れるでしょう」ということが多いではないか。
気象データを調べれば多分簡単に裏付けが取れそうに思われる。
あるいは関係者には常識であるかもしれない。
(いや、必ずしもそうでないかもしれない。
「午前中は持ちますが午後には降り出すでしょう」というのも聞くような気がするからなあ・・・(ーー;))
もしこの推測が外れていたら、すべては運に恵まれない私に「午後のみの晴れ男」という変な運がついているせいだということになる。