認定試験4

最終変更2019/12

下記の文の仮名部分を正しい歴史的仮名遣い(字音仮名遣い由来を含む)に直してください。

 この試験では促音・拗音については小字を使用せず、並字としてください。原文にない新たな踊り字は使用しないでください。
 文の体裁や漢字はそのままとし、仮名遣い以外については一切変更しないでください。

問題兼答案

都道府県名(必須)   登載名(必須)
         

直し了えたら提出してください。1字1点の減点法で90点以上を合格とし、お名前を発表いたします。受験は何回でもできます。

(問題文の原形は下で確認できます。)

外国人、海外在住日本人は国名を、日本在住外国人は都道府県名を記入して下さい。

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問題文原形

 朝目覚める度に、ああ、また朝か・・・ こんなにあわただしく次々と朝が来るなら、残りの人生はあっという間に過ぎてしまうではないかと恐ろしく思う。
 若い時はこういうことはなかった。
 歳を取ると時間が速く過ぎるというが、本当だ。
 毎日毎日同じような一日があっという間に過ぎていく。
 (こういうことはずいぶん昔に聞き知っていたはずなのだが、うかつなことに自分には関係のないことだと理由もなく思っていた。)
 もちろん、何かの都合であちこち飛び回ったり、いろんなことが次々起きたりする日はとても長く感じられ、午前中の出来事がまるで一週間前のように思われることさえあるのは今も同じだ。
 だが、そんな日が混じっていても、あとでまとめて思い出してみるとやはり日々はあっという間に過ぎている。
 若い時(23歳)に一人で奈良へ旅行し、その昔中学三年の修学旅行で歩いた同じ場所を歩き、昔泊まった旅館を目にして、懐かしさに私は激しく感動した。
 9年も前のはるかな昔の体験をば今こうして再確認することができようとは全く希有のことに違いない。
 こんな感激を味わう人は他にはいるはずがないと、真剣に思ったものだ。
 それに引き換え、最近の9年間を考えてみると何ほどのこともない。
 つい最近のほんの一時期に過ぎないではないか。
 もし今9年ぶりにどこかの場所に立ったとしてもほとんど特別な感慨はないだろう。
 子供の頃の一日あるひは一年間と、大人のそして老人の一日、一年間は長さが違ふといふことへの言及はおびただしひ。
 色々な言ひ方がされるが、たへず新しひ体験を次々に重ね続ける時期と、何も新しひことのなひ時期では時間の充実度が違ふのだといふのがまづ共通した趣旨だろふ。
 なるほど確かにことはりだ。ただ、新しひ体験とか充実などといふ語を用ひると、個々人の事情や時期的な事情との連関を想起させるので事態をはっきりと掴めなひ憾みが残る。
 私がこれまでにいちばん納得できた定量的?な説明は、
 「人は経験としての時間(の長さ)を、それまでに生きた時間の総量を分母として把握する。」
 といふものである。こひつは分かりやすひ。
 (つまり主観的時間は年齢に反比例するといふわけだが、世の中には恐ろしひことを言ふ人もいるもので、なんと年齢の三乗に反比例といふ説を読むだこともある。
 何ちゅふことだ。信ぢたくなひ。)
 とすれば、奈良での私の回顧は人生の23分の9、ほぼ4割を遡るものであったのである。
 大変な分量であったのである。(いばるほどのことはなひ。)
 どふりで衝撃を受けたはづだ。
 オリンピックで金メダルを獲得した中学三年の岩崎恭子さんが「今まで生きてきた中で一番幸せです。」
 と語って、多くの大人がほほへましひやらおかしひやらで苦笑を禁ぢえなかったといふことがあったが、しかし彼女の言葉は中学三年生にもちゃんと大人と同ぢ感覚でとらへている人生の分母があるといふことを示している。
 大人はそれを覚へていなひのだ。
 私は計算してみた。
 現在から人生を23分の9遡ると何時になるか。
 その時期の私の職場は遠く離れた町にあった。
 仕事のこと、二度と見ることのできなひ人の顔、研修旅行のこと、私生活のできごと、などを思ひ出して、今そこに立ったらどんな気持ちがするだろふと考へてみる。
 やはりそふだ。
 遥けくも来つるものかな、と思わづにはいられなひだろふ。感にたへなひ。
 もし80歳まで生きたら、一日、一年はあっといふ間にたつだろふ。
 20歳の4倍の速さだ。
 (信じたくなひ説が正しければ64倍だ。
 周りはマンガのよふに手足をバタバタさせて走り回る人々なのだ。あほりを受けて自分も走り出したりしなひのだろふか。
 いや、たぶん自分がどふしよふがもう関係なひのだ。)
 そのときにもし人生にやり残したことがあると思うなら、あとは焦りの日々、
 若き日の無自覚と怠惰ゆえの当然の報いではあるが、身をよじって悶えるような日々をおののきながらじっと耐える身になってしまうのだ。
 そして今更もう諦めるよりしようはない・・・ 行き着く先はみじめなよいどれ同然だろう。
 そんな事態を招かないためにはまだ若いうちから準備おさおさ怠らず、何事にもやり残しをなくすことだ。
 十分充実した人生であったと自覚してからなら、速く過ぎる日々も苦にならないだろう。
 今からでも遅くないからせいぜい自覚を強め、自らに精進を強いていけば何とかなるのではないかと胸に問うてみよう。
 しかしどうせ自堕落な自分だ。とうていそんな苦行はできはしまいと思われる。ではどうする。
 だめだ。ぜんぜん思いつかない。おしえてーー、えらいひと!
 已むをえない。そのときは早めに訪れる「ぼけ」に期待するのがよかろうと思う。
 焦りを感じずゆったり過ごすためだ。
 これからでも遅くないから毎日ぼんやりと空虚な日々を重ねればそれはじきに実現するに違いない。(こいつはありがてえ。)
 つつしんでもうしあげます。人生はどっちにころんでもうまくいくようにできてはいるのです。
 いかん。冴えてるつもりがおしまいがはなはだ陳腐な教訓へのこじ付けになってしまったのは遺憾だ。

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