電気の速さ

 電池に極めて長い導線をつないではるか彼方に電球を取り付ける。そこで電池のそばのスイッチを入れると電球はいつ点灯するか。
 電球は即座に点灯する。電気は即座に到達するのである。もちろん光速を超えるわけではないが。
 しかしこのときに電池から電子が光速に近い速さで電球まで走ったわけではないことに注意しなければならない。
 え?どういうことだろう。
 スイッチを入れて電球が点いた瞬間、電池から出た電子そのものが光速で電球に達して点灯させたのではなく、もともと電球のフィラメント内にあった電子が動いて発光したのである。
 小学生にでも分かるような喩えを使えば、電子はホースの中にぎっしりと詰まって並んでいるビー玉のようなものである。スイッチを入れた瞬間にビー玉は一斉にプラス極方向へ走るのである。つまり電池のそばで電子が動くのと遠くで電子が動くのとほぼ同時なのである。このことは蛇口に長いホースがつながれ、中に水が詰まったままであれば、蛇口をひねると同時にホースの先から水が流れ出るのと同じことである。

 今の場合は直流であるが、交流の場合はどうだろう。
 交流の場合は1秒間に数十回プラス、マイナスが交代する。つまり、数十分の1秒間は回路内であまねく電子は一斉にある距離だけ右方向へ動き、ついで数十分の1秒間左へある距離だけ動き、と繰り返すのである。決して個々の電子がはるか彼方へ光速で走り、また逆のはるか彼方へ光速で走るという気の遠くなる目まぐるしいことをしているわけではない。ちょっと左右に行ったり来たりしているだけである。

 個々の物質そのものが到達するわけではないが、その物質の運動のパターンが次々と隣りの物質に伝わり続けていく現象を「波」という。
 水面の波を観察すると、水の分子はそれぞれ遠くへ流れて行くのではなく、その場所で上下運動をしているに過ぎないことがわかる。しかし隣り合う水の分子は次々と運動を伝え、水面は総体として波を広げていくのである。
 音波も同じである。空気の分子は極めて短い距離内で振動するだけである。鐘の表面の空気分子が私の耳まで飛んでくるのではない。鐘に隣接する空気分子から順々に押され、引かれして振動パターンが伝わってくるのである。

 交流はまさしく音波のような波である。直流も波長が無限大の(片方向だけへの)波であるということができる。電気とは電子が直接到達することに意味のある現象ではなく、電子の運動パターンが伝わる「波」――ただ、電子が一つ一つ隣りの電子を押していくというよりも、全体として一気に動くという特殊なものであるが――の現象なのである。

 電子の速度自体は秒速数十センチ以下と言われる。あいた口がふさがらないほどの反常識的な数字である。しかしそれで電気が光速で伝わることに何の支障もないということはもうお分かりだろう。


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