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補講205教室

特別授業:「どう」について

 過去のポルトガル人による発音記録によると、「どうしよう」などの「どう」は安土桃山〜江戸初期には開音(「ダォー」のやうな音)で発音されてゐたらしいのです。
 もしこれが事実であつたとすれば、この語が元々「だう」であつたと推定する大きな根拠となり得ます。そして「だう」であるのならば、現代仮名遣ひの「こう、そう、どう」は歴史的仮名遣ひでは揃つて「かう、さう、だう」であるといふ、とてもスッキリしたことになるのです。
 ではなぜ「どう」の歴史的仮名遣ひが「だう」であるとはされてゐないのでせう。

 「どう」といふ語は次のやうにして出来たと考へられます。

 「か(斯)く」の音便形「かう」は相当古くからありました。これは後に転呼で「カォー」のやうに発音されるやうになりました。次にこの「かう」に引かれて「さ(然)う」(サォー)といふ語が出来ました。そして「斯う」「然う」が揃ふと、これに似せて残る「如何う」(ダォー)が発生したと考へられるのです。
 ところがここで、「かう」は「か(斯)+う」、「さう」は「さ(然)+う」であるのは明らかですが、「如何う」については、「だ」といふ語はないのですから、「だ+う」ではなく、「どこ」「どれ」などの「ど」に「う」が付いたものと見なければなりません。

参考:
「か」は古くから「かの」「かは」などと、「さ」は「さは」「さこそ」などと使はれた。
「だれ(誰)」は「た」→「たれ」(→さらに後に「だれ」)なのでここでは関係がない。
「どこ」「どれ」は「いづこ」「いづれ」から出来た語。

 実際の古い資料(日本語の文書)を見てもほとんど「どう」や「どふ」と書かれてゐるやうです。「カォー」「サォー」と同じやうに「ダォー」と発音することがあつたとしても、文字に書くにはやはり「どこ、どれ」などと同じ「ど」だと意識したものなのでせうか。
 (どうもすつきりしない感がありますが、その後間もなく「カォー」「サォー」「ダォー」などの開音はこぞつて「コー」「ソー」「ドー」などの合音と同じ発音に変化していきますから、「どう」と書いて「ダォー」と発音する矛盾は解消されることになります。)
 (もちろん、「ダォー」の記録自体が誤認であつた可能性もあります。)

 ここは、「ダォー」と発音されたことがあつたとしても、歴史的仮名遣ひとは「その語が最初にどう書かれたか」を意味するものなのですから、実際に書かれた「どう」を採用するといふのが妥当といふべきところでせう。
 ただし、「ダォー」と発音されたのだから飽くまで「だう」といふ新語であつて、「どう」の表記は誤りであつたとすることも、相当の論拠があれば可能となります。

仮名遣ひの歴史 参考1
用語について


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