補講309教室

特別授業:母音連続について

 古来の日本語では一語中で母音が連続すること(連母音)が嫌はれました。簡単にいふと語頭以外に「あ、い、う、え、お」の文字が来るやうな語は存在しにくかつたのです。そのことはいくつかの複合語の成り立ちを例にとつてみても観察できます。例へば、

わが(吾)+いも(妹)→わぎも  あら(荒)+いそ(磯)→ありそ  はる(春)+あめ(雨)→はるさめ

 などの語はいづれも母音が連続しないやうに変化して出来上がつてゐることが分かります。

 今、試しに「はるあめ」を発音してみませう。「はるさめ」に比べるとなんだか「あ」の辺りが不安定のやうな頼りないやうな変な気持ちがしませんか。たぶん大昔の日本人はこのやうな感覚に強く捉われ、母音と子音が交互に並ぶのでなければ気持ちが悪かつたのではなからうかと思ひます。

 ところがその後漢語が到来すると、その発音を表はすために「〜い」や「〜う」といふ書き方をせざるを得なくなり、またその種の発音は日本人にとつて言はば新鮮な響きであつたため、和語についてもわざとそのやうな発音をして新鮮な語感の新語を作ることが起こり始めました。概ね平安時代のことです。
 このやうにしてできた新語を音便形といひます。

例:きさき---きさい  はやく---はやう

(これら音便は元の表記のまま発音が変はつたものではなく、元の語とは別に新たな語が誕生したものであることに留意する必要があります。ですから元の語とは文字も発音もはつきりと区別されました。この点が転呼とは全く異なるところです。)

 次に、これら母音が連続する漢字や和語は最初は文字通りに発音されてゐましたが、そのうちにやはり日本語の性質にうまく合はなかつたのか、二つの母音が融合して長音として発音されるやうになつていきます。この現象は主に「〜う」と書かれる語において顕著に起りました(「〜ふ」と書かれる語も同じ発音ですので同様に変化しました)。概ね鎌倉時代以降のことです。
 これらの発音変化は転呼の一種で、「ウ転呼」または「連母音転呼」あるいは「長音化転呼」とも呼ぶべきものです。

例:あう・あふ→アォー→オー  いう・いふ→ユー  えう・えふ→ヨー  おう・おふ→オー  きやう→キャォー→キョー  きよう→キョー

(これらは転呼ですから表記は元のまま発音だけが変化したものです。元通りの発音は消えてなくなりました。これが転呼の性質です。)

(ちなみに、この種の長音は現代仮名遣ひにおいても「〜う」と書かれるため、現代仮名遣ひにおける表記と発音のズレの大きな例として常に指摘されるところとなつてゐます。)

 この種の転呼は近代に至つて一部修正されることになりました。東京語を基本として現代標準語が成立したことにより、動詞の「〜あふ、〜かふ、・・」類の発音だけは長音化転呼せずに「〜アウ、〜カウ、・・」と発音されることになつたのです。これは発音の自然さといふ「感覚」よりも動詞語幹の一貫性といふ「理屈」を優先させた現象だと説明することができます。

例へば「会ふ」を ワナイ、イマス、ー、エバ、オー と発音してしまふと語幹が一貫しないことになつてしまひます。


理論的にや行の「い」、わ行の「う」は語頭以外にも存在できました。表記はあ行の文字と異なりませんので一見区別が付きません。

 

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