映画「風の又三郎」

 「風の又三郎」と題する映画はいくつかありますが、原作の雰囲気をよく伝えているのはなんと言っても最初の映画化作品「風の又三郎」(日活、監督 島耕二、主演 片山明彦、昭和15年10月10日封切、白黒・96分)です。
 この映画はモノクロですが美しい自然や動植物などをふんだんに描写しており、また若き風見章子さんの美しさが大変印象的です。

 あらすじはほぼ原作通りですが、特記すべき内容を記してみましょう。(ビデオ「風の又三郎」−日活株式会社−より)

 9月1日、三郎が教室に現れる。これまでいなかった5年生だと紹介される。嘉助は4年生。

 翌日、鉛筆騒動。三郎は佐太郎にきれいな鉛筆を与え、みんなは好感を持つ。三郎は国語の本を読んで皆を感心させる。

 日曜日、みんなはぶどう採りにでかけ、三郎は耕助との論争の前に風の歌を歌う。ぶどう採りのあとそのまま「うえのはら」へ出かける。ガラスのマントを着た三郎は風の歌を歌う。助けられた嘉助は床につく。一郎と佐太郎が見舞いに来て、嘉助から三郎が空を飛んだ話を聞く。

 暑い日、みんなは川へ泳ぎに行く。佐太郎の妹、かよは川原の兄の風呂敷包みからきれいな鉛筆を抜き取る。川に現れた変な格好の男は地質関係者らしい。そのあとみんなは相撲を取る。投げられた三郎は「悔しかったら風を吹かしてみろ。」と言われ、空の雲行きを見て風の歌を歌うと風が吹いてきて、暴風雨となる。

 嘉助は三郎が風の歌を歌う夢を見て目覚める。一郎が迎えに来て急いで学校へ行くと佐太郎が来ていて、三郎にもらった鉛筆がなくなったので探しに来たと言う。三人は先生から三郎が去った事を聞く。耕助もやって来て、四人は空に向かって風の歌を歌う。

 
 原作を念頭に置いて鑑賞したときのその他の目を惹くポイントを挙げてみましょう。

 川で蛙を捕まえる一年生の場面で始まる。
 村には鉄道が通っていることと校舎が古い藁葺きであることが別々の意味で意外である。
 蛙やカマキリ、ミミズ、カタツムリ、フクロウ、カラスなどの小動物がなまなましく描写される。
 一郎は剽悍で威厳あるガキ大将、嘉助はまじめで柔和な少年のイメージで描かれる。
 生徒は登校すると国旗掲揚塔に礼をする。
 先生はほとんどにこりともしない謹厳ぶりである。

 先生が二百十日の説明や川を濁すなという話をするところが描かれる。
 美しいヒロイン不在の原作を補完する、嘉助の姉が登場する。
 初日、けんかとそのあと三郎が教室から一旦消える場面がない。
 翌日、三郎が消し炭を使う場面がない。
 日曜日、三郎が論争の最後に風の有用性を詳しく説く。
 又三郎が座っている場面のガラス(透明ビニール様)のマントは裾が大きく拡がり目を奪う。三郎の表情と相まって人身御供の花嫁衣裳のような不思議な蠱惑的雰囲気を漂わす。
 暑い日、発破も毒もみもない。
 「風を吹かしてみろ。」と言われた三郎が密かに空の雲行きを計算して歌を歌い出したことを明示的に描写しており、ここでは三郎が又三郎ではないことが示唆されている。
 最終日の発端が一郎ではなく嘉助の行動によって描かれる。
 佐太郎が三郎からもらった鉛筆が特に意味あるものとして扱われている。
 今から見れば稚拙な又三郎の飛翔場面の特撮、風の論争での耕助の言い分の説明場面、三郎が風の効用を説明する、今で言えばCG風のアニメーションが興味深く見られる。
 
先生が騒ぐ生徒を厳しく叱る場面などがあるが、これは明治以来昭和の戦後しばらくまで普通であった教室内の自然な情景をそのまま描いたものであり、時代の要請によってことさらに曲げて描かれたものではないと思われる。)

 補足として、原作との微妙な関係に関する二三の興味ある事項を記します。

 初日の朝、みんなが学校へやってくるところでの囃し声が「チョーハーカグリ」になっている。※1
 "上の野原"が"うえのはら"と呼ばれている。
(これは「種山ケ原」での呼び方と同じ。※2
 三郎の父が教室であおぐ扇がことさらに風と関連付けられている。
 台風の説明をする先生が"タスカロラ海床"を"タスカロラ海溝"と言う。
※3
 タバコの葉をむしった三郎が1日の父同様にそれであおいでいる。
 風の論争をする耕助が言いよどむ時に「それから、」と言っている。
(手書き原稿のひらがなをそのように読み取る説もある。校本全集編集を担当された天沢退二郎氏に問題部分の原稿コピーを見せていただく機会があった。その部分は作者の農学校の教え子松田浩一氏が前身作「風野又三郎」を原稿用紙に筆写したものに作者の手入れがしてあるものなのだが、当該箇所は松田氏の筆跡で、私にはどうも「ら」とは読めないように見えた。なお、松田氏の筆写の元になった作者自筆の「風野又三郎」原稿の当該部分は「う」と読まれて来ている。※4
 川原で男を囃す言葉が「・・言うではないか」となっている。
 三郎の歌う風の歌(杉原泰蔵作曲)の歌詞が「・・・甘いりんごもすっぱいりんごも・・・(一番)、・・・甘いざくろもすっぱいざくろも・・・(二番)、・・・甘いくるみもすっぱいかりんも・・・(三番)」となっている。
(映画製作当時は本文テキストが今のように確定していなかったという事情がある。※5

 
 なお、一郎役は若き日の大泉滉氏、嘉助の姉役が風見章子さんです。お二人を知る者にとっては並々ならぬ感慨で胸がいっぱいになってしまいます。

 (作品データと鑑賞評へのリンクがおしまいににあります。)


「ガラスのマント」

 成元年に制作された「風の又三郎―ガラスのマント―」(朝日新聞社ほか、監督 伊藤俊也、カラー・107分)は、原作にない薄幸の少女"かりん"を中心とし、その母娘にまつわるドラマを原作に並行させて「銀河鉄道の夜」など他の作品のイメージをも取り込んだ新しい機軸で描かれました。前作の影響も随所に見られます。監修は入沢康夫氏。

 主な内容

 (冒頭は「風野又三郎」を思わせる野山を吹き渡る風の視線でとらえた美しい空撮の連続。タイトル後がドジョウを手づかみする幼児のシーンで始まるのは前作の影響。)

 お盆の時期。父がなく、自宅で結核の療養をする母(壇ふみ)と二人暮しで片方の耳が聞こえないかりん(早勢美里)は男の子たちに「病院臭い」といじめられている。(嘉助ら男の子たちは前作と違い、良く肥えている子が多い。)

 かりんの父方の祖父(内田朝雄)の家(本家)からの使い(岸部一徳)が来て母に対し療養所へ入り、かりんを本家の養女にしろと言う。
 立ち聞きしたかりんは怒り、使いの革靴の片方を森の中に捨ててしまう。木の洞で寝込んでしまったかりんは革靴を履いた一本足の巨大な魔物に追いかけられるが風が吹き払ってくれ、歌が聞こえてくる。そしてかりんは又三郎の姿を見る。

 9月1日の朝、教室に不思議な男の子が現れる。(発見するのは二人の男の子だけでなく、女の子も一人いる。)
 かりんは三郎の父(草刈正雄)が持つ懐中時計にどきりとする。
 放課後かりんは本家へ行き、密かに蔵の中から父の遺品の壊れた懐中時計を持ち出す。
 このときかりんは回想する。昔森の中で猟をする父の後を追い、父の銃の音に驚いて倒れ、左の耳を打って聴力を失ってしまった・・・
 父の墓参りをしたかりんは本家で働く仲良しのお種ばあちゃん(樹木希林)から、父が長男であったにもかかわらず風来坊なので分家されてしまい、かりんの事故のあと気に病んで体を悪くし、その後亡くなったことなどを聞く。
 かりんは橋の上を走る汽車が空中へ舞い上がり(銀河鉄道の夜のイメージ)、その中で両親の姿(父の姿は三郎の父に似る)が窓に映り、ドアの向こうに又三郎が現れるのを見る。

 9月2日、音楽の授業。放課後かりんは森の中の療養所を見に行こうとするが途中で男の子らに病院臭いといじめられる。そこへ三郎が現れてクレゾールの匂いは清潔だとかばい、療養所へ連れて行ってくれる。
 夜留守番をしているかりんのところへ三郎が木の実を持ってきてくれる。
 外出中の母が倒れたという報せにかりんが駆けつける。

 翌日、かりんは欠席している。放課後男の子らと三郎は葡萄採りに行く。タバコの葉騒動。葡萄藪には母に食べさせようとかりんが来ている。三郎は白い栗を取ってかりんに見せる。風の論争。
 帰宅してかりんは見舞いに来たお種ばあちゃんから例の使いの男が怒っていると聞いて靴を返そうと森を探すうちに三郎の家を見つける。父親はセロを弾いている。かりんは葡萄ジュースをもらったり、偏光顕微鏡を見たり、過冷却水中のきれいな結晶を見たりする。(この辺り、さまざまな作品のイメージ。)
 かりんは三郎に事故の話をし、左の耳はいつもは聴こえない音が聴こえるのだと言う。三郎はそれは本当の耳なのだと言う。
 三郎の父が修理するとかりんの時計が動き出す。

 翌日曜日、男の子たちが約束の場所へ来ると三郎がかりんを誘って来ている。
 柵の丸太は嘉助ら三人が乗って折ってしまい、嘉助が外す。(逃げた馬を追い嘉助がさまよう場面では地面や岩に顔のように「眼」があって脅し、根っこが手になって嘉助の足をつかむ。)
 木の洞に逃げ込んだ嘉助は上の枝からガラスのマントの又三郎が高く飛んで行くのを見る。
 気を失った嘉助をかりんが見つける。
 上の原を下りたあと三郎とかりんは森で偶然例の靴を見つける。三郎は僕に会いたくなったら「本当の耳」をすまし、風の歌を歌えと言う。
 靴を持ってかりんが帰宅すると例の使いが療養所と養女の話を決めているのが聞こえる。怒ったかりんはまた靴を投げ捨てる。
 寝込んだ嘉助の家へ男の子達が見舞いに来る。(男の子らが板の間の上に泥足の跡をつけるのは前作と同じシーン。)
 嘉助がガラスのマントの話をすると、信じる子と信じない子の喧嘩が始まる。

 放課後、川原で双方が対決するが仲直りし、川で泳ぐ。
 三郎が現れ、石取りをしようと言う。みんなは(自分達の対決は)お前のせいだと三郎を責め、水の中に沈めようとする。かりんはそれを見ている。
 逃れた三郎にみんなはお前が本当に又三郎なら風を起こせるかと言う。三郎は口笛で風の歌を吹くが風は起こらない。
 そのとき発破の音がしてみんなは魚を取りに行く。専売局らしい男(すまけい)を囃し立てる。(男のイメージ、みんなが又三郎を囲むのが木の上ではなく川原であることが前作で描かれたものと良く似ている。囃し言葉の「・・では・・」も前作と同じ。)そのとき風が男の帽子を飛ばす。
 気が付くと木の上で三郎が口笛を吹いており、嵐となリ雨も降ってくる。かりんの先導でみんなは「雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ又三郎」と叫ぶ。

 風は吹き続く。9月11日の日曜も無人の学校に吹きつけている。

 9月12日朝、本家でかりんが朝ご飯を急いで食べ、マントを着て途中で一郎と嘉助も一緒になり学校へ行く。
 先生の説明の途中でかりんはマントを脱ぎ走り出す。
 誰もいない三郎の家で動かない時計を懸命に振る。歌を歌うがうまく歌えない。又三郎の姿を初めて見た晩の洞のある木に行き幹に左耳を当てると歌が聴こえてくる。
 療養所へ走り母を呼ぶと窓に母が現れる。かりんは風の歌を歌うと子供達も現れて一緒に歌う。

 ラストシーンは白い帽子と広がったマントの形をした雲。そして草原をどこまでも駆けていく子供たち。

 
 この作品は原作の話にかりん(原作にもう一人付加されたメディア―巫女―のような存在です。クレゾールの匂いに守られ、聞こえない耳で自然からの不思議な声を聞きます。)の話が並行しているだけでなく、三郎はその両テーマの接点で「本当の耳」などと有意的に絡んでいます。明らかに「又三郎」の意味が拡大的に変質しており、前作と単純に比較されるのではなく、別の感慨をもって鑑賞されるべき映画です。しかし、かりんのストーリーが分かりやすいだけに、原作のテーマをよく理解していないと全体としての理解を得にくい人もあるかもしれません。
 風の歌は前作の杉原泰蔵作曲の同じメロディーが使われています。歌詞は「甘いりんごも・・・すっぱいりんごも・・・」ですが、最後の場面では二番(子供たちが歌う部分)が「青いくるみも・・・すっぱいかりんも・・・」となっています。
 なお、子供たちの洋服姿は戦後の風俗と言えるようです。9月1日が二百十日であり、3日が土曜日で、その日の夜に描かれている月がおおよそ月齢18前後に見えることのみを根拠にすると、設定は1966あるいは77年と考えなければなりません。 しかし、その頃にあのような結核療養所があったでしょうか。66年はちょっと微妙ですが77年は否定されるでしょう。
 しかし事実は、この月の映像は単にこの映画が撮影された88年の夏から秋にかけてのある日に偶然撮られたものに過ぎないのでしょう。(ものがたりの舞台(2)
10000年カレンダー、二百十日の計算・月齢の計算参照)

 かりん役の新人早勢美里さん(撮影当時五年生)はのちに「宮澤賢治―その愛―」(松竹、監督 神山征二郎、主演 三上博史、平成8年)に賢治の恋する岩手病院の看護婦さん役で出演して賢治映画ファンを喜ばせました。かりん役のイメージが忘れ難く思われてのキャスティングだったのでしょう。
 (映画中では名は一説により高橋ミネとされているが正確には不詳。)

 (詳しい内容へのリンクがおしまいににあります。) 


 上記二作品の他に昭和32年1月配給の東映教育映画部制作の児童劇映画「風の又三郎」(村山新治監督、出演・左卜全、加藤嘉、松山省次ほか)がありますが、これは劇場公開用ではなく、巡回上映や視聴覚ライブラリー用として作られたものでした。このときは実際に江刺地方がロケ地として選ばれ、地元の人も多数エキストラ出演したそうです。この映画については小学生の時に見た記憶があります。ドラマとしては思い出せませんが、木々の樹冠が照明に照らされて猛烈に揺れる夜の山と、はるか超高空から見下ろしたふうの夜の山々の箱庭的(衛星写真的)シーンがずっと記憶に残っています。
 オリジナルビデオ作品としては昭和63年にコナミから宮沢賢治名作アニメシリーズ「風の又三郎」(りんたろう監督、カラー・30分)が発売されています。冒頭ほかに流れる風の歌は宮下富実夫の新しいメロディーで、ほぼ原作に近いナレーションをC・W・ニコル氏が担当しています。ストーリーは原作通り進みますが、日曜の上の野原の事件のあとは葡萄採りもさいかち淵も省略されており、すぐ最終日となります。たびたびの風の吹く場面は風景が横に流れるように描かれ、又三郎の飛翔場面はオーロラのイメージの中を馬とともに光の粒を撒き散らしながら飛ぶという美しいものです。
 テレビドラマとしてはNHKの「少年ドラマシリーズ」で昭和51年12月6日から9日まで4日間にわたり、午後6時5分から20分間「風の又三郎」(脚本・別役実、演出・上原正巳、音楽・池辺晋一郎、出演・宮廻夏穂、すのうち滋之、安藤一人ほか)が放映されました。



画「風の又三郎」

 「風の又三郎」と題するコミックなら何といっても、ますむらひろし作「風の又三郎―賢治にいちばん近い風―」(朝日ソノラマ)です。(収録作品集、文庫版、デジタル版もあります。)
 この作品は文学作品の漫画化にありがちな独自の展開や解釈などを一切排し、極めて原作に忠実に描かれており、「風の又三郎」コミック化の決定版とも言うべきものです。ただほんのちょっと原作と違う部分を挙げるとすれば、登場人物が全て
なんと猫になっちゃっている!ことぐらいでしょうか。
 アニメ映画「銀河鉄道の夜」やシチューのテレビCMでおなじみのほんわか系の猫といえばお分かりでしょう。あのお馴染みのちょっと太めの猫たちが着物を着た姿で活躍しますが、そんな中で三郎はきりりとした猫として描かれています。
 なお、キャラクター以外の自然描写などは写実的です。
 冒頭の部分から順に気の付くことを挙げていってみましょう。

9月1日
 第一コマは一ページを使って学校と周囲の山川を描いており、風の歌は「すっぱい
くゎりん」と、旧かなを生かしている。
 生徒については、「
三年生がないだけであとは」を削除してあとに矛盾が残らないようにしている。
 「運動場」は「うんどう
」とルビを付けている。
 先生は当然ながら洋服姿で、眼鏡をかけている。
 三郎の白いシャッポは前につばのある形のもので、猫の頭に合わせて耳の部分が突き出ている。
 整列するところでは、学年別に6列、きちんと正確な人数が細かく描き込まれていて微笑ましい。(低学年が右となっているが、原作では逆と見たほうが良いかもしれない。
※6
 三郎が列に入るところで生徒の一人に「
年生かな」と言わせ、学年の矛盾を避けている。
 教室の机は全部描き切れないので、4列5段ぐらいに見える。黒板に向かって右(廊下)側に一年生、概ね左(運動場)側に上級生。(これも原作とは逆かもしれない。)嘉助は最左列前から二番目。その後ろが三郎。一郎は左から二列目最後尾。その二つ前が佐太郎。
 生徒たちは着物の柄で人物(猫物?)が識別できるようになっているため、このあと12日までそれぞれ着た切り雀である。

9月2日
 
一郎は風呂敷包みではなくカバンを持っている。
 つむじ風の場面では「フォーッ」という音がしている。
 先生は「五年生の人は読本の
頁の課をひらいて・・・孝一さんは読本の十八頁をしらべて」と、具体的数字を言う。
 三郎が運算しているのは
51÷ 3である。

9月4日
 湧き水のところにやってくるのはちゃんと
人になっている。
 切れたわらじが吊るしてある栗の木の場面で「ミーン ミン ミー」とセミの声がする。夏後半に多いミンミンゼミであろう。
 大きな谷の場面はページ左半分全部を縦長のコマに使って底知れずの深さを表現している。
 又三郎が足を投げ出している場面は一ページを使っている。又三郎はまっすぐ前を見る厳しい表情。
 「金山
り」に「かなやまほり」とルビを付けている。

9月5日
 この日を9月
日としている。
 三郎の取った栗は白くなく、熟しているように見える。
 「風車」に「
かざぐるま」とルビを付けている。

9月7日
 ミンミンゼミの声がする。
 「水泳び」に「みず
び」とルビを付けている。
 裸になった三郎以外の猫たちは概ねふくよかである。
 あとから発破を見に来た大人たちの姿は馬に乗った1人以外は
人となっている。
 嘉助の瓜をすするときのような声を「ぞぞお」と表現している。
 いけすをこしらえたあとミンミンゼミの声がしている。
 鼻の尖った人の持っているのははっきりとステッキに見える。

9月8日
 ミンミンゼミの声がする。
 二時は柱時計が打っている。(柱時計の場所は黒板の左上 [9/1と9/2に描かれている] 。)
 さいかちが青く光って見えるという場面と三郎が雲の上の黒い鳥を見ている場面でミンミンゼミの声がする。
 じゃんけんをしたのは総勢10人。
 
誰ともなく、「雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ又三郎。」と叫んだものがあった場面は見開き二ページを使って、画面全体に降りしきる雨の縦線の中、右ページにはねむの木の下で川面を見つめる子供たちの後ろ姿と脱いだ着物、左ページにはそこへ向かって必死に泳ぐ三郎が描かれている。作品中最大のコマ。

9月12日
 箒の形がしゅろ箒かどうか疑問。
 最終コマ(二人が顔を見合わせた場面)は一ページを使っている。


 以上、一読後ほとんど違和感のない漫画化作品でした。活字嫌いの子供たちにまず与えたとしても一定の「風の又三郎」の世界を感じ取ってくれるだろうと期待できます。
 「猫」については、三郎をはじめとする子供たちに明確な容貌を与えてしまわないという意味でも悪い手法であったとは言えないでしょう。でも、ものがたりを気に入った子供たちに、これは本当は猫じゃない人間の話なんだよと付け加えてしまっていいのかあるいは付け加えるべきなのか、うーん、迷ってしまう・・・・・


 他に山本まさはる「風の又三郎 」(文芸まんがシリーズ・ぎょうせい)、有久祐子「風の又三郎」(旺文社名作まんがシリーズ)があります。
 また少女まんがとしては片山愁「風の又三郎」(ASUKA COMICS DX・角川書店)があります。2日と川遊びの日(7・8日が一日にまとめられている。)に省略が多いのが残念。



※1 鑑賞の手引き(1)9月1日の注
※2 ものがたりの舞台(1)ものがたりの舞台(1)
※3 鑑賞の手引き(1)9月12日の注
※4 原作本文9月6日、「風野又三郎」本文9月7日
※5 風野又三郎から風の又三郎へ風の歌
※6 ものがたりの舞台(1)小さな学校


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