事典に見る「風の又三郎」

 「風の又三郎」の一般的な評価は各種の事典類によって知ることができます。各書から一部抜粋させていただきました。

国語辞典

 大辞泉(小学館)
  山奥の小学校に転校してきた少年を、村の子供たちが風の化身と思い込み、親しみと畏怖の念を抱く姿を描く。

 言泉(小学館)
  
(前記にほぼ同じ。)

 大辞林(三省堂)
  東北の小学校に転校してきた少年を、村の子供たちが風の化身と思い、恐れ親しむ姿が自然の中の遊びを通して描かれる。

 日本国語大辞典(小学館)
  大風の吹く日に転校してきた少年を風の化身と思い込み、親しみと畏怖の念を抱く谷川の小さな分教場の生徒たちの姿を郷土色豊かに描く。  


百科事典

 日本大百科全書(小学館)
  日を追ってエピソードが進行するうちに、子供達の気持ちは、高田三郎を又三郎とみる嘉助と、そうでないとみる一郎の間で揺れ動く。
  自然とともに息づくような表現によって地方色豊かに造型された少年文学の傑作。

 旺文社百科事典エポカ
  村童スケッチ系の後期の代表作。
  土俗信仰的な風の具象化「又三郎」に対する村童の親近感と恐怖感の入りまじった気持ち。
  賢治童話の一要素である郷土性の豊かな名作。

 国民百科事典(平凡社)
  宮沢賢治の童話の代表作。
  空想性のつよい賢治作品中でめずらしく写実的に子どもの姿をとらえ、美しい自然の中に神秘性と科学性をとかしこんでいる。
  
(説明中“おりまぜた短編挿話”の中に「ひかりの素足」を含めているのが珍しい。)

 玉川児童百科大辞典(誠文堂新光社)
  
東北の自然を背景として、民話性と現実性をまじえて、小学生たちの心理や生態をいきいきと描いた作品。

 マイぺディア98(日立デジタル平凡社)
  全編を通じて風の吹き鳴る自然描写の中に、又三郎への恐れと親しみを写実的に描き、賢治童話の代表作。


文学事典

 日本文学事典(平凡社)
  山村児童の生活感情豊かな世界を生き生きと描いた作。
  最初の原稿(「風野又三郎」)をよりリアルに書き改めたもの。
  賢治の童話中の四大長編の一つ。
(他は「ポラーノの広場」「グスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜」)

 近代日本文学辞典(東京堂出版)
  異稿「風野又三郎」を一層芸術的に深化したもの。
  賢治童話中、郷土的色彩を有するものの代表的作品。
  賢治の諸傾向を代表するものの一つ。

 日本文学鑑賞辞典(東京堂出版)
  村童スケッチの集大成と見られる。
  制作の主眼は、三郎よりも、嘉助に代表される村童たちの心理である。
  自然に対する神秘感としては「しんとして」という表現がしばしば使われている。(下記参照)
  賢治童話の一要素である郷土性を代表する作品で、方言文学としても興味があり、また、彼が農学校の教諭をしていた経験に基づく「学童もの」の一つ。

 児童文学辞典(東京堂出版)
  「又三郎」に対する親愛感と神秘感と、「三郎」に対する現実感とが微妙に交錯する村童たちの素朴な心象が中心。
  自然・村童・民俗信仰などの郷土的要素を集大成した長編童話である。

 日本文学史辞典(角川書店)
  三郎を風の子又三郎だと考える小学生たちの素朴な心理を外枠に、自然の中でいきいきと遊ぶ村童の集団の生態を描く。
  終結部は、現実の中に空想世界が渾融する子どもの心の世界を見事に照らし出している。

 日本現代文学大事典(明治書院)
  初期形「風野又三郎」から、童話「種山ケ原」「さいかち淵」を取込み、さらに小さな分校の村童の実際を取材するなどして、岩手の小学生たちの現実をふまえた物語に改稿した。
  農山村の子供たちの暮らしぶりや仲間意識が日常の遊びや学校での生活を通じて見事なまでに捉えられると同時に、転校生の持つ謎めいた雰囲気が呼び起こした、土地の子供たちの共同性に底流する伝承や自然への畏怖を浮かび上がらせている。

 児童文学事典(東京書籍)
  「風野又三郎」から一転してリアルな筆致で描いた。
  豊かな自然描写と心理描写の照応のうちに鮮やかに造型している。
  とりわけ九月八日の章は戦慄的である。
  冒頭と終章に出てくる風の歌もまことに象徴的・印象的・効果的である。

 名作の研究事典(小峰書店)
  子供達は三郎を風の神のように考える。そしてこの神秘的な存在がいつのまにか少年たちを取りまく大自然の中にとけこんでいく。
  しかも二百十日という気象の変化と結びつけていくところに、この童話の興味が一段とましてくる。
  この童話のように現実世界の子どもをえがいたものはこの作者にしてはめずらしいもの。

 

 賢治童話事典 別冊國文学「宮沢賢治必携」(學燈社)より

  天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』(思潮社、昭43)は、<ぼくの詩的問題のいくつかをして、宮沢賢治の作品を通過させてみよう><賢治の作品を通過することによってはじめて形をとる詩的問題を提してみたい>との立場から、<作品の彼方の深淵が><風景のこちら側にその使者を送>ったことに作者が気づいた、それがこの作品を書いたことの意義だとする。一般的には、村童物語の集大成とみる。境忠一『評伝宮沢賢治』(桜楓社、昭43)は、<「馬の頭巾」「種山ヶ原」から「十月の末」「谷」「さいかち淵」「みぢかい木ペン」などを中心にした村童スケッチが、初稿「風の又三郎」の風の精と科学啓蒙話を、村童物語の現実に近づけ>、<江刺郡種山あたりの山村を舞台にしているので><種山ものの集成>とする。恩田逸夫は『風の又三郎』解説(岩波書店、昭38)で、嘉助に代表される村の子供たちが<三郎>を通して<又三郎>への親しみと畏れを抱く心理描写が作品の主題だとみる。佐藤通雅「童話『風の又三郎』」(「国文学」昭50・4)は、<現実、超現実の激しい交錯、またぎりぎりのせめぎあいがこの作品の要>とする。続橋達雄「『風の又三郎』をめぐる断想」(「賢治研究」昭54・2)は、わらべ唄と関わる一面をさぐろうとする。なお、古賀良子「賢治の少年小説について」(「四次元」昭32・3)は、初期形と最終形の違いを分析、初期形が<科学と民話と村童描写とは、未だ個々別々で、教訓性もかなりむき出し>なのに対し、最終形では<転校生高田三郎を中心に、素朴な東北の童子の生活と心理が、リアリスチックに描かれている>点に注目。この面の掘り下げも今後の課題の一つ。


 ※ 「しんとして」及び類似の表現については美しい自然しんとした風景参照。


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