二百十日の計算
二百十日とは雑節の一つで、立春の日を元日として210日目に当たる暴風の吹きやすいと言われる日です。(二百二十日も同様の日です。)初め私は昭和初期の暦をみつけて立春あるいは二百十日の日付を調べるつもりでしたが、なかなかその暦が見当たりません。そこで、計算によって調べてみようと思い立ち、事典を参考に次のような道筋で考えてみました。
立春とは二十四節気(絶対的な季節の指標)の一つですから、毎年地球が公転軌道上で太陽に対して同じ位置に来た瞬間の日付をもってその日が決まることになります。
そこで地球の公転周期を調べてみますと、365.2422日とあります。
@ すると、立春の時刻は我々のカレンダーや時計の上では毎年0.2422日(約5時間49分)ずつ遅れることになります。
4年経つと丸24時間近くも遅れることになりますが、しかしその4年間のうちには日数が一日多い閏年が一回含まれていますから、差し引き約45分逆に早まる計算になります。
A つまり、立春に限らず二十四節気の時刻というのは全ていつの年でもその4年前と比べると約45分早まっていることになります。
(ただしこのことは途中に閏年を省く年があると当てはまりません。)
次に、手掛かりになる日付を見つけるため私物の古い手帳など資料を調べてみたところ、1984年の立春が2月5日で、1988年の立春が2月4日であることが分かりました。
さあ、この4年間にも立春の時刻は45分早まったはずですが、日付まで変わっているということは、次の可能性しか考えられません。
「1984年の立春は2月5日0時台で、1988年の立春が2月4日23時台であった。」
ここまで分かればつぎの表が完成します。
立春の時刻
1984年(閏) 5日 0時台 1985年(平) @により、また前年は立春のあと平年より1日多いから一日戻して 4日 朝6時台頃 1986年(平) @により 4日 昼頃 1987年(平) @により 4日 夕方17時台頃 1988年(閏) @により(またAにより) 4日 23時台
いよいよ概算で目的の年の立春を調べます。1927年から1987年までは60年経っており、この間に閏年が省かれることはありませんでした。この間立春はAにより11時間15分ほど早まっているのですから、1927年の立春は1987年の時刻よりもその分遅い「おおよそ5日の朝5時前後」であったはずです。
また、1932年から1984年まで52年経っており、この間に閏年が省かれることはありませんでした。この間立春はAにより9時間45分ほど早まっているのですから、1932年の立春は1984年の時刻よりもその分遅い「おおよそ5日の午前10時前後」であったはずです。
ところでAで示した時間はあくまで平均です。事典によるとより正確には44分56秒で最大15分程度の誤差を持っているということですから、概算の結果が日付の境目(24時)に近い場合は厳密な計算が必要になります。
しかし上に示した結果は日付の境目からは充分離れていますので、誤差が日付にまで影響を与えている心配はありません。日付はそのまま確定してよいことになります。
それでは目的の1927年の二百十日を数えてみましょう。結果は9月2日となります。
また、1932年の二百十日を数えてみますと、この年は閏年ですから9月1日となり、「風の又三郎」の記述内容と合致します。
ついでに「風野又三郎」の方の設定年と思われる1924(大正13)年について同様に求めると9月1日となり、こちらも記述内容と合致します。
月齢の計算
月の満ち欠けは平均29.53059日で一巡します。
一年は365日ですから、12巡と10.63292日です。そこで月齢は翌年の同月同日には10.63292進んでいることになります。但し、その間に2月29日が挟まると11.63292進みます。
(計算上29.53059を越えた月齢はそこから29.53059を引いて表わします。)
新聞で調べると今日の月齢は約○○.○とわかります。映画「風の又三郎」で述べた1966年の9月3日は今日の時点から××××日さかのぼります。つまり△△△巡と★★.★★日です。そうすると、今日の月齢はその日よりも★★.★★進んでいることになります。
○○.○から★★.★★を引いてみましょう。マイナスになれば29.53059を足して表わします。
このようにして計算すると1966年9月3日の月齢は18弱、1977年9月3日は19台であることがわかります。
日めくりカレンダー