参考作品抜粋
原則として童話は現代仮名遣い、詩は原文通りです。
童話の全文はおしまいにのリンクを利用してお読みになれます。
「イーハトーボ農学校の春」抜粋
そこの角から赤髪(あかげ)の子供がひとり、こっちをのぞいてわらっています。おい、大将、証書はちゃんとしまったかい。筆記帳には組と名前を楷書で書いてしまったの。
さあ、春だ、うたったり走ったり、とびあがったりするがいい。風野又三郎だって、もうガラスのマントをひらひらさせ大よろこびで髪をぱちゃぱちゃやりながら野はらを飛んであるきながら春が来た、春が来たをうたっているよ。ほんとうにもう、走ったりうたったり、飛びあがったりするがいい。ぼくたちはいまいそがしいんだよ。
「ひかりの素足」抜粋
日はもうよほど高く三本の青い日光の棒もだいぶ急になりました。
向うの山の雪は青ぞらにくっきりと浮きあがり見ていますと何だかこころが遠くの方へ行くようでした。
にわかにそのいただきにパッとけむりか霧のような白いぼんやりしたものがあらわれました。
それからしばらくたってフィーとするどい笛のような声が聞えて来ました。
すると楢夫がしばらく口をゆがめて変な顔をしていましたがとうとうどうしたわけかしくしく泣きはじめました。一郎も変な顔をして楢夫を見ました。
お父さんがそこで、
「何(な)した、家さ行ぐだぐなったのが、何した。」とたずねましたが楢夫は両手を顔にあてて返事もしないで却ってひどく泣くばかりでした。
「何した、楢夫、腹痛いが。」一郎もたずねましたがやっぱり泣くばかりでした。
お父さんは立って楢夫の額にてをあててみてそれからしっかり頭をおさえました。
するとだんだん泣きやんでついにはただしくしく泣きじゃくるだけになりました。
「何して泣いだ。家さ行ぐだいぐなったべあな。」お父さんが云いました。
「うんにゃ。」楢夫は泣きじゃくりながら頭をふりました。
「どごが痛くてが。」
「うんにゃ。」
「そだらなして泣いだりゃ、男などあ泣がないだな。」
「怖(お)っかない。」まだ泣きながらやっと答えるのでした。
「なして怖っかない。お父さんも居るし兄(あい)なも居るし昼まで明りくて何(な)っても怖っかないごとあ無いじゃい。」
「うんう、怖っかない。」
「何あ怖っかない。」
「風の又三郎あ云ったか。」
「何て云った。風の又三郎など、怖っかなぐない。何て云った。」
「お父さんおりゃさ新らしきもの着せるって云ったか。」楢夫はまた泣きました。一郎もなぜかぞっとしました。けれどもお父さんは笑いました。
「ああははは、風の又三郎あいいこと云ったな。四月になったら新らし着物買ってけらな。一向泣ぐごとあないじゃい。泣ぐな泣ぐな。」「泣ぐな。」一郎も横からのぞき込んでなぐさめました。
「もっと云ったか。」楢夫はまるで眼をこすってまっかにして云いました。
「何て云った。」
「それがらお母(っか)さん、おりゃのごと湯さ入れで洗うて云ったか。」
「ああはは、そいづあ虚(うそ)ぞ。楢夫などあいっつも一人して湯さ入るもな。風の又三郎などあ偽(うそ)こぎさ。泣ぐな、泣ぐな。」
お父さんは何だか顔色を青くしてそれに無理に笑っているようでした。一郎もなぜか胸がつまってわらえませんでした。楢夫はまだ泣きやみませんでした。
「さあお飯(まま)食べし泣ぐな。」
楢夫は眼をこすりながら変に赤く小さくなった眼で一郎を見ながらまた言いました。
「それがらみんなしておりゃのごと送って行ぐて云ったか。」
「みんなして汝(うな)のごと送てぐど。そいづあなあ、うな立派になってどごさが行ぐ時あみんなして送ってぐづごとさ。みんないいごとばがりだ。泣ぐな。な、泣ぐな。春になったら盛岡祭見さ連(つれ)でぐはんて泣ぐな。な。」
一郎はまっ青になってだまって日光に照らされたたき火を見ていましたが、この時やっと云いました。
「なあに風の又三郎など、怖っかなぐない。いっつも何だりかだりって人をだますじゃい。」
楢夫もようやく泣きじゃくるだけになりました。けむりの中で泣いて眼をこすったもんですから眼のまわりが黒くなってちょっと小さな狸のように見えました。
お父さんはなんだか少し泣くように笑って、
「さあもう一(ひと)がえり面洗(つらあら)ないやない。」と云いながら立ちあがりました。(このあと兄弟は吹雪の中で遭難することになる。)
「雪渡り」抜粋
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ、鹿の子ぁ嫁ぃほしいほしい。」
すると向うで、
「北風ぴいぴい風三郎、西風どうどう又三郎」と細いいゝ声がしました。
「まなづるとダァリヤ」抜粋
風が南からあばれて来て、木にも花にも大きな雨のつぶを叩きつけ、丘の小さな栗の木からさえ、青いいがや小枝をむしってけたたましく笑って行く中で、この立派な三本のダアリヤの花は、しずかにからだをゆすりながら、かえっていつもよりかがやいて見えておりました。
それから今度は北風又三郎が、今年はじめて笛のように青ぞらを叫んで過ぎた時、丘のふもとのやまならしの木はせわしくひらめき、果物畑の梨の実は落ちましたが、此のたけ高い三本のダアリヤは、ほんのわずか、きらびやかなわらいを揚げただけでした。
「いちょうの実」(「いてふの実」)抜粋
北風が笑って、
「今年もこれでまずさよならさよならって云うわけだ。」と云いながらつめたいガラスのマントをひらめかして向うへ行ってしまいました。
「葡萄水」抜粋
その気の毒なそらか、すきとおる風か、それともうしろの畑のへりに立って、玉蜀黍のような赤髪を、ぱちゃぱちゃした小さなはだしの子どもか誰か、とにかく斯う歌っています。
「馬こは、みんな、居なぐなた。
仔っこ馬もみんな随いで行た。
いまでぁ野原もさぁみしんじゃ、
草ぱどひでりあめばかり。」
「水仙月の四日」抜粋
雪婆んごは、遠くへ出かけて居りました。
猫のような耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけていたのです。
ひとりの子供が、赤い毛布(けっと)にくるまって、しきりにカリメラのことを考えながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘の裾を、せかせかうちの方へ急いで居りました。
(そら、新聞紙を尖ったかたちに巻いて、ふうふうと吹くと、炭からまるで青火が燃える。ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。)ほんとうにもう一生けん命、こどもはカリメラのことを考えながらうちの方へ急いでいました。
お日さまは、空のずうっと遠くのすきとおったつめたいとこで、まばゆい白い火を、どしどしお焚きなさいます。
その光はまっすぐに四方に発射し、下の方に落ちて来ては、ひっそりした台地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。
二疋の雪狼(ゆきおいの)が、べろべろまっ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいていました。こいつらは人の眼には見えないのですが、一ぺん風に狂い出すと、台地のはずれの雪の上から、すぐぼやぼやの雪雲をふんで、空をかけまわりもするのです。
「しゅ、あんまり行っていけないったら。」雪狼のうしろから白熊の毛皮の三角帽子をあみだにかぶり、顔を苹果のようにかがやかしながら、雪童子(ゆきわらす)がゆっくり歩いて来ました。
雪狼どもは頭をふってくるりとまわり、またまっ赤な舌を吐いて走りました。
「カシオピイア、
もう水仙が咲き出すぞ
おまえのガラスの水車
きっきとまわせ。」
雪童子はまっ青なそらを見あげて見えない星に叫びました。その空からは青びかりが波になってわくわくと降り、雪狼どもは、ずうっと遠くで焔のように赤い舌をべろべろ吐いています。
「しゅ、戻れったら、しゅ、」雪童子がはねあがるようにして叱りましたら、いままで雪にくっきり落ちていた雪童子の影法師は、ぎらっと白いひかりに変り、狼どもは耳をたてて一さんに戻ってきました。
「アンドロメダ、
あぜみの花がもう咲くぞ、
おまえのランプのアルコール、
しゅうしゅと噴かせ、」(このあと子供は吹雪の中に倒れることになる。)
「盆地に白く霧よどみ」
(先駆形1)
そこは盆地のへりにして
稲田はせばく水清く
藻を装へる馬ひきて
ひとびと木炭(すみ)をととのふる東 仙人六角牛の
洞に水湧き雲湧けば
南なだらの高原に
黄金の草こそ春は鳴れそこに五つの窓もてる
宿直(いへゐ)をかねし教室の
やどり木つけし栗の木を
うちめぐらして建てるありとは云へなれがそのひとみ
つひに朽ちなんすがたかは
いざかしこなる青空に
こゝろのかぎりうたひ来よ
(冒頭の「そこ」は推敲の過程で一旦「遠野」となっていた。また、別の下書き稿によれば「なれ」は教師を指す。)
(先駆形2)凶作地
そこは盆地のへりにして
稲田はせばく水清く
馬は黒藻をよそほへりやどり木吊(か)けし栗の下
丘に五つの窓もてる
宿直(いへゐ)をかねし校舎あり髪やゝ赤きうなゐらの
白たんぽゝの毛を吹かんとは云へなれがそのひとみ
そこに朽ちなんすがたかは
そらは晴れたりなれを祝ぐ
(最終形 文語詩稿五十篇「盆地に白く霧よどみ」)盆地に白く霧よどみ、 めぐれる山のうら青を、
稲田の水は冽くして、 花はいまだにをさまらぬ。
窓五つなる学校(まなびや)に、 さびしく学童(こ)らをわがまてば、藻を装へる馬ひきて、 ひとびと木炭を積み出づる。
(最終形直前の下書きには「二学期」の題が付いていた。)
以上の他に推敲の過程(「新校本宮澤賢治全集」による)ではおおよそ次のような内容が読み取れる。
遠野盆地の縁にあるこの小さな学校に五年勤めよと命ぜられた君。
髪の赤っぽい子供たちが登校して来て君を囲み、君が教えた歌を歌う。またタンポポの綿毛を吹きながら話をしてくれとせがむ。
君はこのままここで朽ちてしまうわけではない。君の胸に燃える火をこの子たちに移せ。君の弾くバイオリンや笛の音に風のいのちを込めるのだ。この作品を含め文語詩群は作者最晩年に書かれている。
「孤独と風童」(大正15年1月、雑誌「貌」発表形)
シグナルの赤いあかりもともったしそこらの雲もちらけてしまふ
プラットフォームは
Yの字をしたはしらだの
犬の毛皮を着た農夫だの
けふもすっかり酸えてしまった
東へ行くの
白いみかげの胃の方へかい
さう ではおいで
行きがけにねえ
向ふの あの
ぼんやりとした葡萄いろのそらを通って
大荒沢や向ふはひどい雪ですと
ぼくが云ったと云っとくれ
ぢゃ さようなら
樺の林の芽が噴くころにまたおいで
こんどの童話はおまへのだから
「注文の多い料理店」抜粋
「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日の宿屋で、山鳥を拾円も買って帰ればいゝ。」
「兎もでていたねぇ。そうすれば結局おんなじこった。では帰ろうじゃないか」
ところがどうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこう見当がつかなくなっていました。
風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。*
「あるきたくないよ。あゝ困ったなあ。、何かたべたいなあ。」
「喰べたいもんだなあ」
二人の紳士は、ざわざわ鳴るすゝきの中で、こんなことを云いました。
その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。*
そこで二人は、きれいに髪をけずって、靴の泥を落しました。
そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入ってきました。
二人はびっくりして、互によりそって、扉をがたんと開けて、次の室へ入っていきました。*
室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。
見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
犬がふうとうなって戻ってきました。
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