九 月 六 日
次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって、三時間目の終りの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下をまっ白な鱗雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯気のように立ちました。
「下(サガ)ったら葡萄蔓とりに行がなぃが。」耕助が嘉助にそっと云いました。
「行ぐ行ぐ。又三郎も行がなぃが。」嘉助がさそいました。耕助は、
「わあい、あそご又三郎さ教えるやなぃじゃ。」と云いましたが三郎は知らないで、
「行くよ。ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのお母さんは樽へ二っつ漬けたよ。」と云いました。
「葡萄とりにおらも連でがなぃが。」二年生の承吉も云いました。
「わがなぃじゃ。うなどさ教えるやなぃじゃ。おら去年な新らしいどご目附だじゃ。」
みんなは学校の済むのが待ち遠しかったのでした。五時間目が終ると、一郎と嘉助が佐太郎と耕助と悦治と又三郎と六人で学校から上流(カミ)の方へ登って行きました。少し行くと一けんの藁やねの家があって、その前に小さなたばこ畑がありました。たばこの木はもう下の方の葉をつんであるので、その青い茎が林のようにきれいにならんでいかにも面白そうでした。
すると又三郎はいきなり、
「何だい、此の葉は。」と云いながら葉を一枚むしって一郎に見せました。すると一郎はびっくりして、
「わあ、又三郎、たばごの葉とるづど専売局にうんと叱られるぞ。わあ、又三郎何(ナ)してとった。」と少し顔いろを悪くして云いました。みんなも口々に云いました。
「わあい。専売局でぁ、この葉一枚づつ数えで帖面さつけでるだ。おら知らなぃぞ。」
「おらも知らなぃぞ。」
「おらも知らなぃぞ。」みんな口をそろえてはやしました。
すると三郎は顔をまっ赤にして、しばらくそれを振り廻わして何か云おうと考えていましたが、
「おら知らないでとったんだい。」と怒ったように云いました。
みんなは怖そうに、誰か見ていないかというように向うの家を見ました。たばこばたけからもうもうとあがる湯気の向うで、その家はしいんとして誰も居たようではありませんでした。
「あの家、一年生の小助の家だじゃい。」嘉助が少しなだめるように云いました。ところが耕助ははじめからじぶんの見附けた葡萄藪へ、三郎だのみんなあんまり来て面白くなかったもんですから、意地悪くもいちど三郎に云いました。
「わあ又三郎、なんぼ知らなぃたってわがなぃんだじゃ。わあい、又三郎。もどの通りにしてまゆんだであ。」
又三郎は困ったようにしてまたしばらくだまっていましたが、
「そんなら、おいら此処へ置いてくからいゝや。」と云いながらさっきの木の根もとへそっとその葉を置きました。すると一郎は、
「早くあべ。」と云って先にたってあるきだしましたのでみんなもついて行きましたが、耕助だけはまだ残って、
「ほう、おら知らなぃぞ。ありゃ、又三郎の置いた葉、あすごにあるじゃい。」なんて云っているのでしたがみんながどんどん歩きだしたので耕助もやっとついて来ました。
みんなは萱の間の、小さなみちを山の方へ少しのぼりますと、その南側に向いた窪みに栗の木があちこち立って、下には葡萄がもくもくした大きな藪になっていました。
「こゞおれ見っ附だのだがらみんなあんまりとるやなぃぞ。」耕助が云いました。
すると三郎は、
「おいら栗の方をとるんだい。」といって石を拾って一つの枝へ投げました。青いいがが一つ落ちました。
又三郎はそれを棒きれで剥いて、まだ白い栗を二つとりました。みんなは葡萄の方へ一生けん命でした。
そのうち耕助がも一つの藪へ行こうと一本の栗の木の下を通りますと、いきなり上から雫が一ぺんにざっと落ちてきましたので、耕助は肩からせなかから水へ入ったようになりました。耕助は愕いて口をあいて上を見ましたら、いつか木の上に又三郎がのぼっていて、なんだか少しわらいながらじぶんも袖ぐちで顔をふいていたのです。
「わあい、又三郎何する。」耕助はうらめしそうに木を見あげました。
「風が吹いたんだい。」三郎は上でくつくつわらいながら云いました。
耕助は樹の下をはなれてまた別の藪で葡萄をとりはじめました。もう耕助はじぶんでも持てないくらいあちこちへためていて、口も紫いろになってまるで大きく見えました。
「さあ、この位持って戻らなぃが。」一郎が云いました。
「おら、もっと取ってぐじゃ。」耕助が云いました。
そのとき耕助はまた頭からつめたい雫をざあっとかぶりました。耕助はまたびっくりしたように木を見上げましたが今度は三郎は樹の上には居ませんでした。
けれども樹の向う側に三郎の鼠いろのひじも見えていましたし、くつくつ笑う声もしましたから、耕助はもうすっかり怒ってしまいました。
「わあい又三郎、まだひとさ水掛げだな。」
「風が吹いたんだい。」
みんなはどっと笑いました。
「わあい又三郎、うなそごで木ゆすったけぁなあ。」
みんなはどっとまた笑いました。
すると耕助はうらめしそうにしばらくだまって三郎の顔を見ながら、
「うあい又三郎、汝(ウナ)などあ、世界になくてもいなあぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ耕助君、失敬したねえ。」
耕助は何かもっと別のことを云おうと思いましたが、あんまり怒ってしまって考え出すことが出来ませんでしたので又同じように叫びました。
「うあい、うあいだが、又三郎、うなみだぃな風など世界中になくてもいゝなあ、うわあい。」
「失敬したよ。だってあんまりきみもぼくへ意地悪をするもんだから。」又三郎は少し眼をパチパチさせて気の毒そうに云いました。けれども耕助のいかりは仲々解けませんでした。そして三度同じことをくりかえしたのです。
「うわい、又三郎風などあ世界中に無くてもいな、うわい。」
すると、又三郎は少し面白くなった様で、またくつくつ笑いだしてたずねました。
「風が世界中に無くってもいゝってどう云うんだい。いゝと箇條をたてゝいってごらん。そら。」又三郎は先生みたいな顔つきをして指を一本だしました。耕助は試験の様だしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから云いました。
「汝など悪戯(イタズラ)ばりさな、傘ぶっ壊(カ)したり。」
「それからそれから。」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それがら樹折ったり転覆(オッケア)したりさな。」
「それから、それからどうだい。」
「家もぶっ壊さな。」
「それから、それから、あとはどうだい。」
「あかしも消さな。」
「それからあとは? それからあとは? どうだい。」
「シャップもとばさな。」
「それから? それからあとは? あとはどうだい。」
「笠もとばさな。」
「それからそれから。」
「それがら、うう、電信ばしらも倒さな。」
「それから? それから? それから?」
「それがら屋根もとばさな。」
「アアハハハ屋根は家のうちだい。どうだいまだあるかい。それから、それから?」
「それだがら、うう、それだがらラムプも消さな。」
「アハハハハハ、ラムプはあかしのうちだい。けれどそれだけかい。え、おい。それから? それからそれから。」
耕助はつまってしまいました。大抵もう云ってしまったのですから、いくら考えてももう出ませんのでした。又三郎はいよいよ面白そうに指を一本立てながら、
「それから? それから? えゝ? それから?」と云うのでした。
耕助は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
「風車もぶっ壊さな。」
すると又三郎はこんどこそはまるで飛び上って笑ってしまいました。みんなも笑いました。笑って笑って笑いました。
又三郎はやっと笑うのをやめて云いました。
「そらごらん、とうとう風車などを云っちゃったろう。風車なら風を悪く思っちゃいないんだよ。勿論時々こわすこともあるけれども、廻してやる時の方がずっと多いんだ。風車ならちっとも風を悪く思っていないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようはあんまりおかしいや。うう、うう、でばかりいたんだろう。おしまいにとうとう風車なんか数えちゃった。あゝおかしい。」又三郎は又泪の出るほど笑いました。耕助もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一しょに笑い出してしまったのです。すると又三郎もすっかりきげんを直して、
「耕助君、いたずらをして済まなかったよ。」と云いました。
「さあそれでぁ行ぐべな。」と一郎は云いながら又三郎にぶどうを五ふさばかりくれました。又三郎は白い栗をみんなに二つづつ分けました。そしてみんなは下のみちまでいっしょに下りて、あとはめいめいのうちへ帰ったのです。
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私は、それまでみんなが私のことを風の神様の子供のように言うのを面白がってはいましたが、この日初めてその話に乗ってみたのです。でもそれほどこのことを気にしている訳でも嫌がっている訳でも喜んでいる訳でもありませんでした。
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