宮良殿内は沖縄が本土に復帰した1972年に指定になった建造物で、石垣市字大川178番地にあります。方言では「メーラドゥヌズ」と呼ばれ、宮良間切の頭職、宮良当演が1819年に建てた私宅であるといわれています。

 首里王府治政下の八重山は石垣間切、大浜間切、宮良間切の3つの行政区にわけられており、各間切最高位と「頭(かしら)」といって、この頭職の合議によって政務が行われていました。この建物は王府時代階級別にあった、住宅建築の際の構造上の規則に反していると、茅葺きに改めたという記録もあります。1879年の廃藩置県後は現在と同じ様な瓦葺きに復元したということです。

 宮良殿内はただたんに士族階級の住宅というだけでなく、首里王府と八重山との関係などを知る上でも重要な建物です。現在は老朽化が進んだ部分から、部分的に復元作業が行われています。

 観覧料 : 大人 200円 小人 100円




建物とともに、1972年に指定になった宮良殿内庭園。建物と同様に1819年に宮良当演によってつくられた琉球庭園であるといわれています。また、設計指導は首里の庭園師城間親雲上(ぐすくまぺーちん)と伝えられます。

 庭にはフクギやソテツなどが植えられ、また、地元でとれる琉球石灰岩を主な材料とした5つの築山が北側を高くして南に次第に低くなるという構成で築かれています。また、三の山と四の山の間には石橋もかけられており、庭全体に独特なアクセントを加えています。
 

 この庭園は最南端で日本庭園の流れを知る上で貴重なばかりでなく、近世沖縄の上流階級の庭園造りを最もよく伝えるもののひとつであるといわれています。