1609年琉球を攻略した薩摩藩は、1611年には伊地知重康らに先島諸島の検地をさせました。その頃の八重山には社寺がなく、信仰の教えがわからないとして、琉球国王尚寧に社寺をつくるよう勧めました。そして、1614年に隣接する桃林寺と一緒に建てられたと伝えられています。これが八重山における社寺建立と仏教伝来のはじめといわれています。
 創建当初は茅葺きで、1696年には瓦葺きに改めましたが、1771年八重山全域を襲った明和の大津波のため破壊され、1786年に再建、しかし、1945年の太平洋戦争でまたしても壁などが大破され、その後、大修復工事を施すなど、幾多の変遷を経ています。

 祭神は真言宗の教えをもつ紀伊の国熊野大権現を分神したもので、御神体の宝鏡は琉球最古の銅製の鏡といわれています。権現堂は八重山の宗教史を知る上でとても貴重な建造物です。