文集復刻に寄せられたメッセージ

 

齋藤富美子先生(新潟市在住)

 

風薫る晴れた日が続きます。一年中で最も大好きな季節で、私でも外に出たい衝動にかられます。今日は五泉市民新聞をお送りいただき有難うございました。この文集のことが一面トップに扱われ、吹き出しも「五十年前の文集を復刻」と、文面もわかりやすく、ほんとうに嬉しい記事でした。

みなさんも今は、いろいろなところで生活を営まれながら、「五泉」という故郷で過ごした五十年前の自分たち(あの純粋な神様?のような心を持っていた十歳のころ)をこの文集から見つめ直し、この感動を糧にまた生きていく勇気を貰ったのではないかと思います。私も、二度も、三度も、幾度も、幾度も、この文集を読み返しております。

 

 

西村要子(旧姓 田中さん 埼玉県在住)

 

この度は、みんなの文集を送ってくださいまして有難うございました。あの時代にこんな純真な心で過ごせた時があったなんて、私たちは幸せでしたね。

残念ながら私のが無くて、良かったのかどうか・・・でも昔の自分に会ってみたかったです。あの写真を見る限り(大切にもっていますが)私はとても気の強い少女だったのでしょうね。それから私と鈴木の秀ちゃんと、あと三人くらいで、村松の先生の家に遊びに行ったことがあるのですが、誰と誰だったか全然覚えておりません。その時は、村松の駅から随分と歩いた記憶があります・・・

 

 

関口道子(旧姓 横野さん 埼玉県在住)

 

文集、とても懐かしく読ませていただきました。五泉の方言のところは、声を出して読んでみたら、涙が出てしまいました。五泉の昔の暮らしや風景が思い出されてきました。ああ、五泉に帰りたくなりました。本当に有難うございました。また第三版がありましたら楽しみにしています。

 

鈴木クニ(旧姓 落合さん 東京在住)

 

 文集の再刊ありがとうございます。文集の記憶はあまりありませんでしたが、私のものも載っているのですか・・・。えっ「きくもぎ」ですか。純真だったんですね。そんなこともあったんですね。私は早生まれだったもので、一歳近く年上の人もいましたから、当時は、よくものも言えずおとなしかったんです・・・

 

関塚翔司(横浜市在住)

 

 今年の桜はあっという間に終わりました。すっかりご無沙汰しておりますが、その後、お元気でお過ごしのことと存じます。この度の文集の復刻のことでは、皆さんにすっかり任せっきりで申しわけありません。いろいろと難しい問題やら面倒なことにもご尽力いただき有難うございました。私に出来ることがありましたら、可能な範囲でお手伝いさせていただきますので、よろしくお願いします。

 

 

松村クニエ(旧姓 阿部さん 埼玉県在住)

 

 先日、五泉に行って参りました。菅名岳、白山にはまだまだ雪があり、村松公園の桜は満開となっていましたが、風はまだ冷たく感じられました。この度は皆様のご苦労を知り、心から感謝申し上げます。私も2年から6年まで、ずっーと齋藤先生の担任でしたから、なつかしさもひとしおです。私も齋藤先生の家に遊びに行ったことがあります。

 

 

松尾カネ(旧姓 金子さん 村松在住)

 

 みんなの文集、遠い日の思い出を、ほんとうに懐かしく読ませていただきました。ほんとうに有難うございました。

 

 

伊藤征子(旧姓 武藤さん 五泉在住)

 

 早速、文集を読ませて頂きました。胸がキューとなり、まるでタテムスリップしたように、しばらく文集に浸っていました。よくぞここまで復刻できたかと思い、心から感謝申し上げます。でも全員のものがないのは残念だったですね・・・・またの機会に皆様とお会い出きることを本当に楽しみにしてます。

 

 

渡辺昌平(宮城県在住)

 

 私は、昨年退職して今は地域の老人会で副会長などしております。先日は、思いがけない昔の文集を送って頂き、本当に懐かしく読ませて頂きました。昔のことが、昨日のことのように思い出されます。老人会のみんなにもこの文集を見てもらいました。

 

 

斎藤忠夫(五泉在住)

 

 文集ありがとうございました。私は定年退職して、今は幼稚園児の送迎バスの運転をしています。今回の文集を見せてもらい、ほんとうに涙が出るほど、懐かしく感激しました。また五泉に帰ってきたら声をかけてください。お会いしたいです。

 

 

加藤鉄也(埼玉県在住)

 

 こんなに昔の文集、よく残っていましたね。びっくりしました。担任だった齋藤先生が、私の叔母と新津の女学校時代の同級生だったことを後日に知りました。先生はご存知だったかどうか・・・・

 

 

  松本孝(五泉在住) 

 

文集を有り難うございます。大変なご苦労でしたでしょうネ、私はときどき晩酌時に文集を開きます。家族に私の子供時代の、生活や遊びの話などをしています。家族の団らんに役立てています。定年後この3月頃からパソコンをならい、メールが出来るようになり初めて送信に挑みました。

 

        ろくじゅうで うまれてないて 立ち上がり   2002.4.27  

 

 

清野キソ子(旧姓 今井さん 五泉在住)

 

 思いがけないお便りにびつくり、封を切って二度びっくりしました。なつかしく一気に読みました。遠い昔のことが、あんなこと、こんなこともあったのかと。

 名簿の名前もうろ覚えの方、去年の還暦にお会いした方などなど。この文集の発行にあたり大変な作業の様子がうかがい知れます。でもお陰さまで昔にもどったような気持ちにさせられました。本当に有難うございます。いつか逢える日を楽しみにしてます。

 

 

黒澤窈子(旧姓 中村さん 福岡県在住)

 

新潟日報ですって?まあ、どうなるかは別として色々な意味で広がるんですね!ただただ、ビックリです。ほんとうの温もりがあるから、この文集を読んだ方々が感動して下さるんですね!
 
ざらざらの文集が、つるつるの紙に印刷された表紙へ、真っ白く上質の紙に印刷された写真やカットや文字へ、手の感触もかわり、視覚からの材質もかわった。20代の先生が、70代の先生へ。文集の正面からの小学校の正面玄関と、住所録の運動場も1年の時の校舎も見える少し斜めからの正面玄関。ひとつひとつが、不思議でなりません。
 ひとつひとつが、なつかしく、とっても大切なもの。わたしも、それをじっとみています。ひとりひとりの友達がみえてきます。この文集を手にした人たちも喜び懐かしんでくれている!そしてまた、色々な人が感動して下さる。とっても、とっても、しあわせな気持ちです。

田中さんは同じ「ようこ」で文字違いで、いつも、綺麗な洋服を着ていて、八幡様の通りの下駄やさんでしたね。瀬倉さんは、八幡様に向かって右角の二階に住んでいて、母と同じ未亡人で、遊びに行ったことを覚えています。子守の詩でそのころの本音が出ていますね!右を曲がってもうちょっと行くと川口さんの家があって、八幡様のあたりで遊んだ記憶があります。同級会では川口さんと写真をとりました。鈴木秀治さんはとっても元気な男の子だと思っていました。作文をみると、そのまたガキ大将がいたなんて微笑ましいですね。
 そういえば横野さんも子供心ではただ恵まれたお嬢さんと思っていたら、病気がちなお母さんでおばあちゃんが世話をしてくれたと同級会の時言っていた彼女の松の詩が、お母さんへの思いやりであったのかもしれないわね、などと同級生を見る私の目がこの詩を通して、少し深まったような気がします。

(関連メッセージもあります→こちらから


鶴巻サチ(旧姓 川口さん 南蒲原郡田上町在住)

 

 新緑香る季節が訪れました。先日は大変ご苦労なさった遥か彼方の文集を送って頂き、有難うございました。健康でいれば、こんなに懐かしいのに会えるとほんとうに思いました。また齋藤先生を囲み、語り合いたいものですね。会える日を楽しみにしています。

 

 

中村吉則(新津市在住)


 この度は、貴重な「みんなの文集」ありがとうございました。いま、役所に送っていただいた文集を読ませていただいています。
 赤城さんの手紙では「中蒲原郡五泉町」となっていましたね。あの頃、子どもの遊びは「パッチ」でした。上の子は、子だくさんでみんな妹や弟の子守をしていましたね。写真のように、一張羅の学生服で袖口が鼻水でテカテカしていました。
 それにしても、50年ぶりの「第2版発行」というのが、気が利いて、きっとまとまったいいクラスだったのだなあ、と感じました。
 とっても、暖かな文集なので、ぜひと思い、今日「新潟日報」に話をしておきました。取材があるがどうかは分かりませんが、今の子ども達に読んでもらいたいですね。

 

 

長谷川泰子(神奈川県 管理人の知人です)

 

文集を読ませていただきました。モニターで下読みしていましたから内容はわかっていたものの、印刷物を通して読んだ感想は、モニターのそれとは全く違います。デジタル時代とはいえ、紙に勝るものではない、と改めて実感いたしました。紙質といい、印刷色といい、復刻版にふさわしい仕上がりだと思いました。手作り感がまたいいです。電子メールだけのやり取りとはいえ、製作者のやさしい愛情を感じることができました。可愛い挿絵もとってもいいですね。文章にあった挿絵は、想像を膨らませる手助けをしてくれます。
 
子供の素直な情感が目線で表現されとても印象深く、あたかも自分がその時代を知っているかのような錯覚を覚えましました。短い言葉のはしはしに筆者一人一人の個性を感じます。雪や家族のことも多く書かれています。雪国の厳しさや家族のやさしさに心の豊かさを感じました。自然豊かな土地ですばらしい仲間や先生、家族に囲まれて育った皆様をうらやましく思いました。
 
私の小学生の頃のクラス文集なども、もっぱらワラ半紙にガリ版刷り、色紙をあてホチキスでとめただけのものです。小学校を卒業してから一度も拝んでいませんから、すでに20年は封印されていることになります。母が几帳面なので、ほとんどがビニール袋をかぶっていますから劣化は少ないと思っていますが、今のうちにデジタル化しておこうかなと、いただいた文集を拝見して考えさせられました。

 

安達和夫(神奈川県)

 

 過去を振り返るのは年をとった証拠、いつも前向きに・・・みたいに思い、周りもそんなことを言っていたようですが、60歳近くになった時、そんなに突っ張らなくても、と思うようになったのです。人生は時には立ち止まり、そして振り返るもよし、しかし何時までも前向きの人生でありたいとも言い聞かせているのですが・・・。これ、どこかの歌の文句にあったでしょうか。

それにしてもこの文集を読んでいると、当時の生活や風景や遊びの記憶がとめどもなく溢れてきて、本当に胸が熱くなります。「きせる屋」なんて店屋さんの名前、懐かしいですね。どの作品もそれほどの洗練さも技巧もありませんが、なぜか私には光輝く名作のように思われてなりません。

ところであの頃の自分は、特に文章を書くのが苦手で、やっと数行の言葉を文章にすることができたのだと思います。小学生のころは、自分の家の裏からは汽車の走るのがよく見えました。それで汽車への思いを書いたのだと思います。