母校を想い 声援送る

 

「春は名のみの風の寒さや・・・」三月は卒業式。希望の中にも惜別の悲しさがある。四月は入学式。真新しい服の子供たちの甲高い声が街角にひびき春の悦びを感ずる。

 

私は昨年ひょんなことから母校の小学校へ「昔の五泉小学校について」の話にいった。そんなことから学習参観、作品発表、運動会など興味深くみせてもらった。想像以上に子供たちは純粋で素直だった。また子供たちの目線に立ち、体当たりで情熱的に教えておられる担任の先生。大きな目標に向かって一丸となって取り組んでおおられる校長先生方の迫力ある姿を目の当たりにして感動し、安堵した。大いに声援を送りたい。

今年の卒業式、入学式にも出席した。六十数年ぶりに校歌を歌い感激する。

 

  想いは遠く昭和十三年五泉尋常小学校へ入学した当時に遡る。「サイタ、サイタ、サクラガサイタ」を初めて習ったころである。儀式の思い出も多い。一月一日、紀元節、天長節、明治節の四大節、その他いろいろある。祝日であるが全員登校し儀式を行った。正装した先生方、高学年の女子ははかま姿で登校するものもいた。前々から儀式用の唱歌の練習があり、全校生徒が一堂に整列し厳粛そのものであった。

 

五泉小学校はマンモス校で全校生徒数約三千二百人が第一運動場に集まる。昔はみんなはなを垂らしていた。式の始まる前に先生が壇上に立ち「皆さん、まずはなをかみましょう」と言われる。先生が鼻と言われる「は」の一言でみんな一斉にすする。

 

三千二百人が一斉にすするのでその音は凄まじいものだ。先生方は顔を見合わせて大笑い。子供たちは大慌て。もちろん立派なはな紙などはもっていない。新聞紙である。ポケットから幾度もかんで乾燥したものをバリバリと剥がしてかむ。中には乾く間もなく人肌に濡れたものをわずかな空間を探してかむ。かんだあとインクが顔につき、髭ができるものもいた。万年はな垂れ坊主はかんでも赤い二本の筋が残る。教育勅語を賜るあいだ頭を下げていると一層出そうになるのがつらかった。遠い昔のほろ苦い想い出である。(新潟日報掲載 )