5月のカエルに郷愁

 

風薫る五月、一斉に新緑におおわれ生命の息吹を感じる。水を張った田んぼに写る景色も美しく、カエルの鳴く音もたまらなく郷愁を覚える。

五日は子供の日、子供のころ端午の節句を団子の節句といって喜んでいた。それもそのはず、笹団子は年に一度の食べ物だった。旧暦で一ヶ月遅れであったが各家庭で代々受け継いだ自慢の味だ。学校から帰ると笹と甘い団子の匂いが家中に立ち込めている。竹竿に蒸したての笹団子と粽(ちまき)がぶら下がっている。さっそくもいで、柱によりかかりながら食べていると大田の森から郭公(かっこう)の鳴き声が聞こえて来る。習いたての「背くらべ」「鯉のぼり」の唱歌を口ずさむ。

 

節句には凧揚げをした。学校が終わると一目散に谷地村の本間花屋さんへ走った。店で凧の武者絵を描いているのを見るためだ。大きな刷毛でさっと一撫ですると生え際の毛の一本、一本、本物のようにできあがる。あまりのうまさに一同目を丸くする。八幡太郎義家、源義経、鎮西八郎為朝、上杉謙信・・・など店一杯に飾ってある凧、どれもこれも欲しいものばかりときのたつのも忘れて見入ったものだ。

 

家の廻りは田んぼでよくカエルを捕まえて遊んだ。カエルにとっては大変迷惑なことだろうが良き遊び相手である。もちろん素手で捕まえる。ひんやりとぬるぬるしたカエルは逃げようと必死だ。もがくと指の隙間から足が出る。そんな感触が今も忘れられない。通称雨ガエル、糞ガエル、医者ガエル、殿様ガエルなどいたがお目当てはなんといっても殿様ガエルである。 元来、日本人とカエルは相性が良いようだ。漫画の原点ともいわれる鳥獣戯画(十二世紀後半)に主人公で登場する。

カエルの尻から空気を入れて泳がせたり、土の中に埋めたり、丸めてみたり伸ばしてみたり終いにカエルは仮死状態。これをみて子供心に急に不憫に思い、軒下に並べ「生き返りますようにと」万遍なく小便をかける。しばらく遊んで戻ってくると全匹逃げていない。ああ良かった!帰りに「明日天気になあれ」と下駄を放り飛ばす、晴れが出た。夕焼けがきれいだった。(新潟日報掲載)