米一粒も粗末にせず

 

菊の香漂う十一月三日は明治節だった。小学校の展覧会もこの時季にある。校舎の窓から差し込む秋の日を浴びながら「アジアの東 日出るところ 聖(ひじり)の君の現われまして・・・・」と明治節の歌を口ずさみ図画を描いたり、馬糞紙(ボール紙)で家を作ったり、校庭へ出て紅葉した落ち葉を拾って画用紙に張ったりした。クレヨンは王様と第一(記憶違いだったらゴメンナサイ)があった。 王様クレオンは丸型で細めであったが第一クレヨンは角型で太めで丈夫。しかし箱の絵が好きでいつも王様クレオンを買ってもらった。使い始めはもったいなくて薄く描いた。だんだん使っているうちに夢中になり力が入り過ぎポキンと折れる。しまったと思うが後の祭り。巻いてある紙も筋がつきガッカリする。友達に気持ちよく貸して折られたときはなど泣いても泣ききれない思いだった。

十一月二十三日は新嘗祭(にいなめさい)で天皇陛下が新穀を天地の神におすすめし、これをお食べになる日と教わる。十月十七日は神嘗祭(かんなめさい)でどうも区別がつかなかった。姉が教えてくれた「初め神様がなめて、その後天皇陛下がなめられ、そして国民がなめるガンよ」。僕は「なあるヘソ!」と思った。米は八十八回も人手をかけてできるもの一粒でも粗末にすると罰が当たると幼いころから教えられた。学校でも弁当を食べる前に合掌し「箸をとらば天地(あめつち)みよの御恵み・・・」と唱和した。アルミニュウムの弁当箱は兄姉のお下がり、あちこちへこんだり腐食して穴があいたりしている。朝、新聞紙に包みカバンに入れる。教室でカバンを開けると汁が出て新聞紙がビショビショにぬれ帳面や教科書までしみている。おかずの臭いのついた教科書を開いて勉強した。コッコ(たくあん)やねぎ入り納豆は特ににおう。しかし味噌漬けを乗せたご飯は汁がほどよく滲みこみ大好物だった。

たまに弁当を床にひっくり返す奴がいる。そんなとき、床とご飯の間に下敷きを差し込み一気に弁当に戻すのだ。みんなワイワイ観戦。うまくいけば拍手喝采。一度失敗するとあとが大変だ。そんなとき、先生も手伝ってくれた。先生が失敗すると皆んな大爆笑。勿論その飯は全部平らげる。箸を忘れたときは鉛筆で食べるのは常識だ。最後よく舐めておかないと鉛筆が書けなくなる。それでも腹をこわす者は一人もいない。「だって僕らはちゃんと海人草(回虫駆除薬)を呑んでいるからね!」「どんなもんだ。エヘン!」(新潟日報掲載)