トゲソ(いとよ)の思い出
ふるさと 五泉のことを想うとき、なぜかトゲソが思い出に出てくる魚でした。平成11年ころに五泉市役所に消息を尋ねたとき、トゲソの保護活動を進めている会があることを知りました。
昭和20年代後半の頃だと思いますが、私の実家が駅前通りにあったころ、家の裏に幅が30センチほどの堀(水路)があり、そこにはトゲソ(その頃はイトヨといっていた)がいました。あの水草で作られた丸い巣もたくさん見かけました。
当時は水道などは無く、どこの家も井戸水を使っていましたから、いつも冷たい井戸水が注がれていた水路は、町の中であってもトゲソにとっては絶好の生息環境だったのでしょう。 しかし多少の石鹸水などを含んだ生活排水も流れ込んでいたのですから、そこにトゲソが棲んでいたことが、今考えると不思議に思われます。それは当時の家庭から排出される雑排水の環境への影響が、極めて小さかったことによると考えられます。
小さいながらも精悍な姿かたち、摘んだときの尖ったとげの感触、それに何といっても丸い巣をつくることが、普通の魚ではないという思いがしたのでしょう。 まさに化石のような不思議な魚でした。小さな水槽で飼ったこともありましたが、そう長くは生きていなかったと思います。
今、五泉の町の中で、水の里の面影をとどめるものは多くありません。考えてみれば、昭和20年代の水環境が、いかに素晴らしいものであったかを、トゲソが私たちに語りかけているようです。
少年時代から、その後45年以上もトゲソを見る機会はありませんでした。私にとって、トゲソは幻の魚となってしまいました。