47年目の同級会
平成11年5月23日(日)は、5月にしては25℃を超える暑い日でした。この日の朝は、斉藤先生や4年4組のの同級生に、昭和27年以来の再開が出来るということで、ソワソワしていいました。47年の 気の遠くなるような歳月、それぞれが違う人生を歩いて、再び巡り合えることに感動していました。それぞれが語りつくせないほどの人生を刻んだことでしょう。しかし振り返れば過ぎ去った47年はつかの間のことのようです。
斉藤先生には、まさかお会いできるとは思っていませんでした。だから、この日のことが奇跡のように思えました。小学校6年間のほぼ全部を斉藤先生のクラスで育ちましたから、私にとって小学校の先生と言えば斉藤先生のことでした。後で確かめたところYさん、Mさんも6年間一緒でした。昭和23年、小学1年生の私達は6歳、先生は23歳、そして51年が過ぎた今、私達は57歳、先生は74歳になりました。どちらかと言えば物静かな印象だった昔と比べ、この日の先生の笑顔はとても素敵でした。そしてお元気なことがなによりも嬉しいことでした。
A君は、昔のことを実に詳しく覚えていました。彼からは、沢山の思い出を教えてもらいました。私が学校に行く道筋は、駅前通りの自分の家からいつもマーケット通りを抜けて「谷地村」を通り、安勝寺の横、役場の前を通り、郷屋川の手前でA君の家に立ち寄り、彼を誘って学校に行ったのです。道草をしながら通学していたあの日のことが、走馬燈のように浮かんできます。
A君いわく「君はいつも教科書を風呂敷に包んで通っていたよ」とのこと。入学した最初のときは、厚紙製ランドセルを使っていましたが、その後は風呂敷だったと思います。このことについては、私もはっきり覚えていますが、なぜか気になりませんでした。しかし前にも言ったカラ傘については随分、駄々をこねた記憶があります。
YKさんは、特に会いたかった人のひとりで、具体的なことで記憶に残っていました。YKさんは、目が大きくて如何にもおかっぱという感じの女の子、浦島太郎の劇で乙姫様を演じた人です。ただ、あの時の劇はどんなもので、どんなやりとりがあったか全く覚えていません。何か覚えていることがあれば聞いてみたかったのです。しかしこの間は、あっという間に終わってしまい、話しもできずに残念でした。
S君から「君とは随分一緒に遊んだんだよ」と言われ、話しを聞くうちに段々と思い出すことができました。当時のS君は自分より身体が大きく頼もしい友達でした。学校以外でも、放課後によく彼の住んでいる三本木に遊びに行きました。三本木にはG君もいて、あちらこちらを遊びまわりました。加茂の明神神社へ遠足に行ったときの写真に、大きくもない自分が後の方でS君と並んで写っているのがその証拠だったのです。
Aさんは、おさげ髪の似合う人でした。中学2、3年のときも同級生でしたから、合わせて6年間一緒でした。そして平成6年に、姪の結婚式のとき披露宴式場で彼女と顔を合わせたことから、二人は遠い姻戚関係になっていることが分かったのです。
U君のことは、最初思い出せませんでした。しかし名前の漢字の一字が変わっていたとのことで、すぐにU君のことを思い出すことができました。自分からみると大柄で、力が強かったようで、役場の近くに住んでいたと思います。昔の面影はあまりありませんでした。またW君は、背が高くて色白でちょっと飄々とした面影がそっくり残っていて、すぐに彼と分かりました。