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  なおっちゃんとの出会い   
 
 なおっちゃんと出会えたおかげで、今の僕たちがあると思う。

 2001年、夏7月 先生から電話が鳴った。

「なおと、朝 学校にバイクで通っている時、交通事故にあって意識がないんよね

・・・もう、ダメかもしれん・・」 言葉がなかった。

 後で分かったことだが、なおっちゃんはバイクで交差点を青信号で

直進しているところ対向車が右折しようとしてぶつかった。

 乗用車の確認の見落としのせいで、こんなことになった。

 なおっちゃんは 僕たちの(当時)ダンスの先生の息子さんで福祉の

学校に通っていて、なおっちゃんも車いすダンスをやっていた。

 車いすダンスをやり始めた時期も、ようちゃんと同じくらいで、

どっちが早く上手くなるかと競っていたくらい、

大会に向けて一緒に練習して車いすダンスの大会で賞をとったことがある。

 ダンスパーティーに参加してデモもした。

イベントでダンスを披露をしたこともある。水族館に行ったこともある、

焼き肉屋で食べながらいろんな話をして盛り上がったこともあった。

 僕達にとって、なおっちゃんは友達であり、お兄ちゃんみたいでもあり、

そして良きライバルであった。

 「なおっちゃんの第一印象わ?」と聞いた時、誰もが口をそろえて言うくらい

「笑顔がすごくいい。明るくて、やさしい、かっこよく頼りになる」と言う。

 なおっちゃんが事故して2日後 病院にお見舞いに行った。

 集中治療室で、なおっちゃんは意識がなくて人工呼吸器をつけていた。

「ほんとに事故を起こしたの?」って思うくらい

体にかすり傷しかないのに頭の中は(脳)ひどく傷を受けていたらしい。

「なおっちゃん、なおっちゃん、頑張れ、またダンスするで」と、
みつ・ようちゃんは何度も声を掛けると、

なおっちゃんの顔から ほんのり汗がでてきた。

 今、なおっちゃんが僕達に「分かってるって」という応答だったのかもしれない。

 数日後、なおっちゃんは亡くなった。 

言葉がなかった。いつも、なおっちゃんに いろいろお世話してもらったのに、

僕たちは何も、なおっちゃんにしてやれることはなかった。

 数日後、なおっちゃんの お別れ会があり僕たちはルンバを踊って、
なおっちゃんとお別れをした。

 お別れはしても、僕たち、そして、皆さんの心の中には、なおっちゃんとの想い出が残っているし

なおっちゃんの魂は永遠に僕たちを見守ってくれていると思います。

 なおっちゃんの臓器は、提供で全国で7人の人が助かっています。

そして、なおっちゃんもその人たちの体の中で、生き続けています。

 「僕達の夢、車いすダンスで世界一。  そして なおっちゃんの夢でもあった世界一。」

 僕たちは2002年10月12・13日ポーランドで世界選手権大会に

初めて出場しスタンダード4位。ラテン7位。世界一に一歩、近づいたよ。

 僕たちは、なおっちゃんの分もおもいっき楽しんだ。

 僕達は2度目の挑戦。

 2004年11月東京での世界選手権大会では スタンダード3位になり、また少し近づいた。

 なおっちゃんは僕達の心の中で生き続けてくれているし

一緒に楽しんでくれている。 一緒に世界一になろうよ!

 2010年11月 3度目の挑戦、ドイツに行くよ。