ピクニック

 看護婦学校の生徒王丹が、

「明日、学校で本渓へピクニックに行きますが先生も行きますか」と電話を呉れる。


 実はこの話しは以前小耳に挟んで、校長に「私も是非一緒に行きたい」とお願いし、既に案内を頂いていた。しかしこうして、生徒が電話を呉れるのが嬉しいではないか。

更に詳しく彼女に聞いたところによると、

   5月22日   午後 9時〜11時まで学校で「交歓会」

  5月23日  午前 2時半  バスで本渓へ出発。 7時頃着。

 その後は向こうで遊んで、23日午後 6時頃帰着予定と言う。相当な強行軍だ。

22日当日は夕方から、小学生のように落ちつかない。王丹は何も準備は要らないと言ったが、夜中は寒いかも知れないと思って、長袖のポロシャツを用意する。他に、携帯用の碁盤、中国将棋。魔法瓶の水筒を用意する。

「食べる物は彼女達から少しずつ頂くか」と私も図々しい。

それでも冷蔵庫にソーセージが3本残っていたので、鞄に放り込む。ナイロン紐、ビニール袋、ナイフ、救急医薬等この種の小物は多年の経験からの必需品。ノート筆記具と小辞典も学究の徒?たる者肌身離せない。カメラにフィルムは36枚撮りを二巻用意した。

宿舎の従業員陳さんに

「こんなものでいいかな」

と準備について相談する。彼曰く

「大勢で行くのだから、何も心配は要りません。皆が貴方の世話をして呉れます。」

 

 九時前学校に着くと、校庭に舞台を囲むように、半円状に椅子が500程並べられ、カラオケも準備されてある。交歓会の演芸が正に始まろうとしている。

早速中央の正面席に案内された。各クラスが、歌や踊りの出し物をするのだが、現代舞踊は自分達で振り付けもするそうで、なかなか上手い。衣装も凝っていて、中にはあのなんと言ったか、最近流行のお臍を出した衣装で魅力を振りまく組もある。

  宴もたけなわの頃、飛び入りで一曲求められたのには弱った。折しも満月、「荒城の月」をご披露してお茶を濁したまではよかったが、アンコール曲なんか用意していない。もう一曲と言われて、すっかり立ち往生していたら「では踊れ」と催促される。

やむを得ず阿波踊りをやった。手を上に挙げて足を動かしただけだが、これがばか受けして、ぐっと友好の雰囲気が盛り上がった。

  終わったのが十一時近く。生徒達はまだ、トランプに興ずる者、グループで歌を歌う者、校庭でディスコを踊る者、ビデオを見る者と夜を徹して遊ぶ。私もトランプに誘われたが、少しでも寝る事にして、校長室のソファーで横になる。

  私の特技の一つは、何処ででも寝られること。周囲は音楽と嬌声の渦だが三時間はうとうとした。

 

 八台のバスに分乗し出発したのが予定通り二時半。

  さっきまであれ程元気だったお嬢さん達も、バスの灯が消えるとさすがにおとなしい。誰かが言っていた。どんな美人も驚いてポカンと口を開けた顔は見られないと。今日始めて口紅を付けた一八才の乙女達も、ポカンと口を開けた寝顔は、あどけないと言うか子供っぽいと言うか、悪いが美人には見えない。よっぽど写真に撮って後日冷やかしてやろうかと思ったがやめにした。

 夜の高速道路は単調である。周りは緩やかな丘陵地帯。時折民家の灯が見える以外は、只闇の中にエンジン音が響く。

私の席は一番前の最高の場所だった。しかし何処からか風が入って冷える。膝を擦っていたら、さっきのポカンと口をあけていた生徒が、

「先生どうしたのですか、寒いのですか」

と上着を脱いで膝の上に置いて呉れた。眠っていたと思ったのに、こんなに気を遣って呉れているのだ。今度は彼女の顔が天使のように美しく見えた。

四時トイレ休憩。夜は既に白みかけている。五時行く手に朝日が昇った。上空は良く晴れているのに、突然稲妻が走った。前方我々の目的地の辺りに厚い雨雲が見える。

「本渓は雨だな」

と運転手が呟くように言う。

  六時、中国の朝は早い。子供達が登校している。畠には既に人影が見える。唐黍だろうか、作付けも終わり直線の畝が整っている。

六時半、高速を下り山道にさしかかろうとしたとき、急に車が動かなくなった。運転手さん少しも騒がず、「何でもありません」とボンネットを開ける。どうもレバーのピンが外れて、アクセルがエンジンまで伝達しないのだ。同行のバスの運転手も下りてきて手伝い五分もしないで修理出来た。横に座っていた女性教師が私に

「日本のバスは素晴らしいですよね」

と話しかけてくる。こんなとき私は相槌の打ちようがないではないか。わざと、とぼけて

「人によって違います」

と頓珍漢な返事をしたら、今度は別の人に

「テレビで見たのだけど、日本は地下鉄もバスも全部空調があって、冬でもミニスカートの人がいる」

と話しかけていた。続いて、

「日本のサラリーマンは皆電車の中で新聞や雑誌を読むそうですね」

と私に問いかける。

「良く知っていますね」

と今度は私もまともに受け答えをした。

 

  七時本渓森林公園に着。さっきまで雨が降っていたのか、冷え冷えとする。宝探しをしていたら、又雨が降りだした。雨具の用意してなかったのだが、生徒の一人が自分はジャンパーを着ているからと私にナイロンかっぱを貸して呉れた。かっぱを着たので鞄が持ち難くなったら、別の生徒が持って呉れる。中国は本当に年寄り天国だ。陳さんが皆で貴方の世話をして呉れると言ったのは、間違いなかった。

バスの中で雨宿りがてら、ゲームをする。持参した碁盤、オセロ、中国将棋が役に立った。実は課外授業で囲碁を教えているのだが、中に筋の良い子がいて一局毎に強くなる。その子と少し真剣に打っていたら、昼前陽が射してきた。

「晴れた!晴れた!」

とバスの中に一斉にソプラノの合唱がわき起こる。私達も碁どころではない。皆と一緒に外に飛び出した。

まず河原で撮影会。娘達が

「先生写して、写して」

と次々にポーズをとって私にせがむ。

用意した36枚撮りの二巻はあっと言う間に無くなった。幸い公園に売店があった。

 

 釣り橋を渡り、「環山路」という道標のある道を登る。山の名前は「小黄山」この「環」と「黄」の発音の区別が私にとってめちゃ難しい。

human」と「huang」 。発音記号で書くと、最後に「g」 が一つ入るだけだが聞いてよく聞き分けられない。だから言う方もはっきりしない。理屈は知っているのだが、感じが掴めない。「私達にとって、美容院と病院の区別が難しいようなものですね」と言いながら、何人かの生徒が教えて呉れる。今日は彼女達が私の中国語の先生だ。

「大体いいです」

とは言って貰ったが、ついに満点は貰えなかった。

当然ながら、彼女達の中国語は素晴らしい。小鳥がさえずるような会話に聞きほれる。彼女達が私に向かって言う中国語は、比較的ゆっくりそしてはっきりと、易しい言葉で話して呉れるからよく分かる。しかし彼女ら同士楽しそうに話す言葉は、何が話題になっているかも分か

らない。

 小鳥と言えば、全然さえずりも聞こえない。山は深いから人間と関わりのない世界で、彼らの別天地を作っているのだろう。桧の植林がある。日本ではポピュラーなこの樹を誰も知らない。

遼寧省を全体的に見ると冷帯夏雨気候だが、ここ本渓は山岳地帯で局地的に雨が多く、日本の温帯多雨気候と一部似ている。森林公園の風景も、日本の渓谷に非常に良く似ている。桧は渓谷の日陰を好むから、ここは適地なのだ。多分日本の企業と資本がここにも入っているのだろう。

 雨に濡れた山道は滑る。50メートルも登っただろうか、まだ先は遠いようだ。足でも捻挫してはいけないと、私だけお先に失礼することにした。一人で下りられると強く辞退したのだが、二人の生徒が同道して呉れる。

 バスにはかわいそうに一人の生徒が、当番で留守番しながらバスの掃除をしていた。彼女とおしゃべりをしながら学校が準備してくれた弁当を食べ、休息する。

 本渓には、大規模な鍾乳洞がある。ここも行く予定だったのだが、途中雨が降ったりしたため予定がずれて時間が無い。時間も半端で少し早いが、一時に帰りの車が出ることになった。私も少し疲れたので、早めに帰るのは有り難い。鍾乳洞は心残りだがまた来ることにしょう。

小鼻に汗をかいている一人に

「どう、疲れた」

と尋ねたら、

「少し眠たい」

というだけで、まだ遊び足りなさそうな様子。

これが若さか、はたまた中国発展のエネルギーか 。