中国のテレビに出演

 平成6年、北京語言学院に短期留学したいた時のことである。
                    閻魔さんへの贈り物 中央田壮壮監督 右私

  

留学生寄宿舎のロビーで雑談をしていると、国籍不明の年輩のご婦人から

「 あの日本人ですか?」 と声を掛けられた。  それにしても上手な日本語だなと思っていると

「本当に日本人ですか?」 ともう一度念問いする。私の日本語も少し訛ってきたかな、と訝りながら

「はい、そうですけど」と、精一杯流暢な日本語で答えると、

彼女

「ああ、よかった」 と、少しせき込んで話を始めた。

 

 要件だけ記させて頂く。

 中国テレビで「ガイドお嬢さん」という90分テレビドラマをつくる。そこで日本人の旅行団が要るのだが出演して貰えないか。ギャラは一応出すけどあまり期待しないで欲しい。ロケは授業のない土曜日曜だけ。明日スタジオで詳しい説明をする、とのこと。

ここは世界各国の学生が老若男女集まっているので、ときどきこんな話があるのは聞いていた。「ええ、いいですよ」と私の返事があんまり軽いので、ちょっと拍子抜けしたように「ほかにこんな人が欲しいのですけど」と性別と年齢をあげてくる。

「心当たりがありますから、当たってみましょう」と寄宿舎の中を回ったら、実にあっけなく頭数は揃った。大体こんな所にくる人間は、私を含めて結構好奇心が強いのである。

 この国籍不明のご婦人こそ松下孝子先生、この学院で中国人に日本語を教えている。中国映画界のスター干黛琴女史と浅からぬおつきあいをしており、そんなこともあってこの話が入ってきたらしい。そして、この先生が日本人旅行客の中で一番重要な役をすることになる。

 実は私、これもひょんなことから以前NHK「ひるどき日本列島」に一週間出演したことがある。そのときの経験からしても、素人に演技なんか期待されるはずはないと信じていた。まだこのときは、エキストラに毛が生えた程度のことと、思っていたのである。

 翌朝、制作担当の李さんが車で迎えに来た。 

 

 監督は映画「青い凧」で1993東京国際グランプリの最優秀監督賞を得た田壮壮氏。

 たまたま、ラストエンペラーの子役をしたあれはなんと言ったか?可愛いい子供が居たので、写真を撮らせて欲しいと頼んだら、にっこりポーズをとってくれた。

 待つほどのこともなく、いま日本から帰ったばかりという監督が顔を見せる。身長175cm前後。少し体を丸めているが、ジーパンに皮ジャンパーがぴったり似合う精悍な体付き。髭に囲まれた大きな目はときに神経質そうに、ときにいたずらっぽく、又ちょっと視線を外らして、はにかんだり、短い時間に様々な表情を見せて呉れる。

 早速役を決める。中国映画のスター女優が演じることになっていた役を、監督じっとM先生を見て、「貴女がやって下さい」。まさに鶴の一声。ここにいたって私もエキストラでないことを思い知った。

日本人の役は、日本人でないと絵にならないというのである。私には、もう少し日本人らしい服装をして欲しいとのこと。御恥ずかしい。余程ひどい格好をしていたのだろう。

 

  日本人らしくする為の小道具として、ビデオカメラが有ったら持って来て欲しいと言う。清華大学に来ている私の友達が持っているのを借りにいったら、彼笑いながら「それはいい冥土の土産が出来ましたね」と貸して呉れた。まさに冥土の土産、なによりの体験である。

 

 ここで少し、ドラマのストーリーと出演者の紹介を簡単にしておこう。

 3人の日本人担当ガイドさんが主役。

 1組目の旅行客は、建築家夫妻。奥さんは戦時中従軍看護婦の経験がある。

 2組目はパック旅行の団体。その中で私が身体傷害者の子供を車椅子で連れている。

 3組目は若い4人組。徒歩で旅をしている。

 3人のガイドさんがそれぞれの旅行客を案内しながら、そこで起こるエピソードを織り込み、若い娘の青春を描くお正月番組。クライマックスは万里長城で最後3組が一緒になる。そこで私が車椅子を過って転がしてしまうのだが1組目のガイドと2組目のガイド二人が身を挺して助けて呉れる。この話は実際に有ったことだそうである。

 1組目で夫役をするKさんは、これ正真正銘の工学博士。電子工学部門で活躍され、いまは引退されて日中友好協会の仕事をされている。70才だが太極拳もされてなかなか60才にも見えない。M先生が夫人役。

 2組目の旅行団の団長さんが、Nさん。58才。今年ある事務機器会社の役員から身を引かれた。

 この旅行団には中央演劇学院の日本人学生も8人位参加している。中に一人中国語の上手な若者がいて、その人が監督と我々の橋渡しもする。私は彼のことを助監督と呼ばせて貰ったのだが、本名田代嘉弘君。

 3組めの4人のうち3人は北京語言学院の生徒。後一人は北京放送局で日本語放送の指導をしている高橋さん。李さんに直接バスの中でスカウトされたとのこと。

 

俳優

 汝薇 徐帆

  このドラマの主役。日本向け雑誌「人民中国」の表紙を飾ったこともある有名女優。

今回は緒方夫妻のガイドをする。

 実は元々の台本では最後に私が感謝の気持ちを込めて汝薇に軽くキスをする場面がある。日本人には無い習慣なので、私が脚本家に言って直して貰ったのだが、そのことを彼女に言うと、

 「私とキスするのがそんなに嫌なのですか?又脚本家に言って直して貰おうかしら」

 私も負けていない。

 「練習だけならいいですよ。今からお願いしましょうか?」

 とたんに彼女キャーと悲鳴をあげて逃げだしてしまった。どこにでも居そうな陽気でおちゃめなお嬢さんである。

 

 恵英 李小燕

  私達旅行団のガイドを担当する。ドラマのなかでは汝薇の恋敵でもある。李香蘭そっくりの美人である。これは私だけの見方ではなく、たまたま李香蘭のことが話題になったとき、「李小燕 が李香蘭そっくりだね」 と言ったら皆がそうだと認めてくれた。台詞は吹き替えになるのを知っていたので、ぎこちない日本語を使おうとする彼女に対し、「 どうぞご自由に中国語で喋ってください。私は殆ど分かりますから」 と言うとすっかりリラックスしてくれた。殆ど分かるは、はったりもいいところ。私は状況に応じて反応しただけである。ところがなんと彼女監督に対して「あの人の中国語はたいしたものです。私の話すのが全部分かっている」と言っている。美人に気に入られる為には、私だって少しは努力する。

 

  高楽博

  15才。高中1年。身体障害者の役で私の息子という設定である。身長1m75位。変声期だろうか野太い声を出すが、顔は実に可愛いい。映画出演は6回目とか。ロケの合間も本当の息子のように、色々と私の世話を焼いて呉れた。

 

張明

  このドラマの脚本家。歳格好は40過ぎだろうか。眼鏡の奥の目がいつも柔らかくほほえんでいる。例のキスシーンの変更を恐る々々申し出たら、二つ返事で承諾した上、他におかしな所があったら教えて下さいと頭を下げる。実に謙虚な人だ。

 

 飛行場ロケ

 ロケ第一日は飛行場での撮影である。到着直後第2組すなわち私達の団体がバスに乗り込んだ場面もある。1組と3組の人は、今日の出番は無いのだが、ロケの雰囲気を知る為に参加している。

  私達のガイドをする恵英も準備を始めた。最初彼女が日本語で簡単な自己紹介と、歓迎の挨拶をする場面がある。台詞は吹き替えである。ここは日本語で喋ったらどう言うのかと彼女が私に聞くから、M先生を紹介した。M先生は元々が中国人に日本語を教える先生である。専門分野なので張り切って、講義が始まった。

ところが、恵英が知りたいのは台詞を言うのに要する時間だけ。一二三四と口の中で数えて、さっきは十秒だったのに、今度は何故十四秒かと抗議するような口調で尋ねる。私はM先生が勘違いをしているのがすぐ分かったので、言ってあげようと思ったのだが、先生すっかり教室の教師雰囲気なので、ちょっと近寄り難い。まあ二人でなんとかするだろうと、ほっとくことにした。

監督さんと技術陣は飛行機の発着場面を撮りに、空港の方に出かけていて、今私達は待つのが仕事になっている。

 程無くバスの中の撮影が開始された。まず何でもいいから、日本語ではしやいでくださいとのこと。バスを一杯にするため中国人のエキストラもいるが、中央演劇学院から参加している日本人の若者が上手に調子を合わせている。恵英さんが、端正な顔で真面目に「一二三四」と中国語で数字を読むだけの台詞を喋り始めると、皆思わず笑い出してしまった。ほんとうに可笑しかったのだ。このハプニングは絵になっただろうか。脚本には無かったが、一斉に拍手。まあ素人でもこれくらいの演技はする。監督さんからの演技指導は、カメラを見ないで下さいだけ。市内観光案内の場面は、恵英さんに中国語でそのまま語って貰う。そうでないと、「一二三四」では私達も反応しにくい。

 一日目は、二時でもう終わりますとのこと。軽いなと思っていたら、明日は長城にいくので六時に迎えに行きます、と聞いて少し驚いた。

 

 長城ロケ

 六時ちょうどに迎えのバスが来た。北京の朝はまだ明けていない。高楽博君がすでに乗っていて、「ここ、ここ」と私を彼の横の座席に誘ってくれる。まるで本当の親子だね、と皆さんに冷やかされるが、まんざらでもない。

これは少し悪い冗談になるが、今度北京にくるとき娘が「もし中国から子供を連れて帰ってきたら、子供は家に入れて上げるけど、お父さんは絶対に入れて上げないからね」と言ったのを思い出して一人可笑しくなった。

ビルの陰から昇る朝日を、北京で拝めるとは夢にも思っていなかった。八時前朝食のため食堂に立ち寄る。実は私は五時に起きて、インスタントラーメンで、すでに腹拵えは出来ていた。殆ど箸をつけない私に、ロケに出ると二時位まで食べられないこともあると、高君がもっと食べろと薦めて呉れる。それでは一口だけでも箸をつけて下さい、あとは私が食べますからと更に言う。

さすが食べ盛り、高君ワンタン二杯をぺろりと平らげた。そして、私のために焼き餅に牛肉を挟んだ弁当を拵えてくれた。

 

 ロケの現場は慕田峪。ここにはケーブルカーがある。五分も乗らないと思うのだが、中国人料金人民元片道二十元也。外国人料金人民元片道六十元也。ガイドさんの月給が三百元だから、あまり安くはない。見方によっては世界でスペースシャトルの次ぎに高い乗り物かもしれない。

ケーブルカーには制作の李さんともう一人脇役の女優さん、それに私達四人の日本人が乗ることになった。大きな声では言えないが、買った切符は全部中国人料金。李さんが、ここから先は一言も喋らないで欲しいという。ところが改札口で、一発でひっかかった。当然かもしれない。監督さんの注文で私達は精一杯日本人らしい格好をしているのである。小道具のビデオカメラも持っている。おまけにNさんが李さんの忠告を聞き漏らしていたからたまらない。

「どちらか来られたのですか」と改札員がNさんに聞く。

「え、ぼくは日本人だよ」とNさんが日本語で返事をする。

「だー」。

Nさんは切符の料金を見て随分高いから、これが外国人料金だと思っていたとのこと。大笑い。

さて次ぎは私が踏絵を踏む番である。先手を打って中国人らしく胸を張って堂々と

「君達は私を何国人と間違えたのかね」と高飛車にでたら、李さんの面子の手前もあって南方人ということで見逃してくれた。

私達の撮影シーンは、私が車椅子で高君を連れて歩く場面から始まった。そこで記念撮影をする。私がガイドさんに一緒に写りましょうと薦める。恵英がちょうど通りかかった汝薇にカメラを渡して、列に加わる。私が過って車椅子を転がしてしまうというというクライマックスシーンである。そのあと皆が転がる車椅子を追いかけるのだが、走り降りると

「こりゃマラソンだ!」と監督の不満声が聞こえた。

続いて何か大声がしたが聞き取れない。

「なんて言ったの」と助監督に尋ねたら

「大根役者め、皆替えるぞ!」だった。

私に演技指導

「ちゃんと落ちるのを確認してから走り始めること。あまり早く走らなくてよろしい」

更に汝薇に対して

「笑ったら駄目じゃないか!」と雷を落とす。

しかしこのちゃめ娘けろっとして、私すぐ笑っちゃうと自分で自分の頬をつねっている。彼女はプロである。そんなヘマをするはずはないではないか。こりゃ駄目だとすぐ分かったので笑いながら走ったのだ。

このカットはなんとかクリアした。しばらくして次ぎのカット。私が恵英の背景になって後一人若い男の子と一緒に走る。演技らしい演技もないわりに簡単な場面だがなかなかOKにならない。美術担当の劉さんがいたので、「なにが問題なのですか、走る早さそれとも」と尋ねたら、「私達の問題です、決してあなたのせいではありません」とはっきりした返事が返ってきた。なにか技術的なトラブルらしい。監督さんがもう一度走って欲しいと頭を下げる。

「 かまいませんよ、私は走るのが好きですから」と言ったら、どっと笑いが起こった。笑って呉れたからよかったが、下手すると「いつまで走らせるつもりだ」と受けとられかねない言葉なのだ。

  私の「走り好き」のせいではないと思うが、これを最後に長城の撮影は無事に終わった。

 

 時間は四時過ぎ、若い四人組の撮影がまだ残っている。北京郊外の田舎道を歩くシーン。この場面は意外に長引いて、57才の運転手の王さんが、

「自分が居ないとどうせバスは動かないから心配は要らない」と、私を散歩に誘ってくれる。二人だけになると

「こんな歌を知っているか」と、日本語でメロディーを口ずさんだ。なんとそれは、あの「白地に赤く日の丸染めて」ではないか。私が同じメロディーを口ずさむと、彼が

「それそれ、これは何の歌か」と興奮しながら私に尋ねる。

「これは日本の国旗の歌だ」と言うと

「そうだったのか」と何度も頷いた。

五十年以上も前、この歌を歌うと日本人が褒めてくれる。しかし意味はさっぱり分からなかったと彼は言う。日本軍の宣撫隊が教えたのだろう。

 

 市内観光

七時半李さんの乗った迎えのバスがくる。八時中央演劇学院の若者達を迎えに行ったのだが、誰も出ていない。ここは北京の胡同「横町の路地」にあるこぢんまりとした学院である。

ややあって、若者の集団が不機嫌そうに乗り込んできた。「えらい機嫌が悪いね」と私が言ったら、アーちゃんという愛称をもつ可愛いい娘さんが「そりゃそうですよ。昨日連絡が有ったのは一二時過ぎですよ」と言う。更に李さんに対して

「貴方の連絡が悪い、ちゃんと言ってくれていたら私達だって間に合っていた」と中国語で語気鋭く言う。

ほう、これが国際化なのだと私はアーちゃんの可愛いい口元をしげしげと見つめた。私達日本人、なかでも年輩の我々は、はっきりと態度を表明するのが苦手である。

今日の撮影は、市内観光、日本料理屋での食事、けがをした二人の小姐の見舞い。それにKさん演ずる緒方先生が、旅の途中で病気になって入院する場面がある。この場面は元々の脚本にはなかったので、李さんから説明を聞いたKさんが、

「なんの病気ですか」と心配そうに聞く。

「多分あちらの病気でしょう」と私が言ったら息子の高君が一番大きな声で笑った。この坊や結構おませなのだ。

  ご機嫌が悪かった中央演劇学院の若者達も、撮影に入ると少しずつ機嫌を直してきた。監督から日本語でもっとはしゃいで、と注文が付く。助監督君が北京通ということで、悪のりの演技をしてくれる。故宮の付近を何回か回ってやっとOKが出たのは二時近くだった。

 

次ぎは日本料理屋での食事場面。ところが腹を空かせた若者達にかかると、本来小道具である料理が、NGを重ねているうちにどんどん無くなる。私は本当にはらはらした。高君は刺身が全然駄目。恵英に箸で食べさせて貰う場面は、おでんばかり食べていた。私は私でこの飲み助が水で乾杯の繰り返し。これまでの人生、食べるために仕事をしてきたが、仕事で食べたのは初めて。張明さんが

「美味しかったですか」と聞くが、これではどんなご馳走を食べても美味しいはずがない。鍋料理を追加して貰って、やっとくつろいだ。

 

見舞いの場面の撮影は九龍口療養所。北京南方の郊外にある。党の高級幹部または大使館職員等が利用するのではなかろうか。所長さんの説明は誰でも利用出来ますだったが、それは建て前。外観は元代の建築様式を用いたそうで地味である。しかし設備が完備している。

一五〇平米強の広い部屋には、高級な調度品とともに、様々なリハビリ用品、卓球台、玉突き台まである。玄関が凄い。故宮のあれは何と言ったか、龍が珠をくわえた様を模した浮き彫りの壁画。あれと同じのが有って、カクテル光線でライトアップされている。北京駅の特別待合室が新聞を読みかねる明るさだから、ここの設備の豪華さが群を抜いていること、ご理解頂けるだろう。

 Kさんの入院見舞い場面の撮影で、ハプニングが起こった。緒方先生ことKさんはベッドで寝たまま。何回かNGを重ねているうちに、この先生本当に鼾をかいて寝てしまったのである。泣くのも笑うのも難しい演技である。しかし世界広しといえども、眠る演技を地でできる人はこの人だけではなかろうか。

 Kさんは天性の名優なのだ。これには監督さんはじめスタッフ一同大笑いとなった。

  私達の場面はKさんほどの名演技を必要としない。けがをしている汝薇と恵英の見舞い。そこで、ものを言えない一雄こと高君が、電子手帳に書かれた「謝謝」の文字を二人に見せて感謝の意を表す。

  終わったときは九時近い時間。運転手の、王さんの家の近くで、「しゃぶしゃぶ」をご馳走になる。ここで王さんが、実にかわいいいお孫さんを抱いて来た。

 明日は七時半に迎えに来るということで、寝たのは十一時過ぎだったろうか。さすがに疲れた。

 

 昆論飯店最後のロケ

うとうとしていたら、Kさんが「七時二十分ですよ」と起こしにくる。

「ひぇーっ」とにかく着替えだけして飛び出した。四十年の月給取り生活で、遅刻しそうになったことは何回もあるが、その経験がここで生かされようとは。

 Kさんはその昔海軍士官。最初は起床してから制服に着替えるのに三十分かかったのが、最後は三十秒でできるようになったそうである。

  顔も洗っていないので、ばさばさの頭が気になる。M先生に「どうです」かと尋ねるのだが、彼女「どうでもいい男」と笑って取り合ってくれない。人のことだと思って冷たいお人だ。今日の私のシーンはことが予定通り運ばなくて、いらいらしながら恵英にかみつく場面である。「えい、地で行くか」と腹を据えた。

寝坊して朝食を食べていないと正直に言って、李さんに通りの屋台でワンタンと包子をご馳走になった。

「これは寒さしのぎ」と言いながら、李さんが二鍋頭酒を薦めてくれる。高粱を原料にした中国酒。これがめちゃくちゃ強くて五十六度。

  午前中は天壇公園で、緒方夫妻の撮影があるだけ。私達は天壇公園の中を散歩したりして時間を潰す。本物の日本人観光団が来たので、ちゃっかり後ろについてガイドの説明を聞いたりする。私は中国人旅行団の中国人ガイドの説明が、面白かった。指をさしながらの説明だから、少し難しい単語も聞き取れる。

 Nさんが一度糖胡芦を食べたいというが、いつもどこでも見かけるのに今日は何故か見あたらない。さんざしの実を十個程竹串に刺して、飴でまぶしたお菓子。私は子供のころ食べたことがあるが、甘酸っぱくてとても美味しい。

  先にバスに帰って待っていると、撮影が終わった汝薇がなんとその糖胡芦をしゃぶりながら帰ってきた。そして私に食べますかと、ひょいと差し出す。残念ながら彼女とのキスシーンは無くなったが、この美人女優と一本の飴菓子をしゃぶりあう好運にありつけた。Nさんも当然、食べさせてくれと身を乗り出してくる。

  そしてM先生にもそれを回した。ところがこのM先生実は糖胡芦が苦手なのだ。どうするかなと、興味深く眺めていると「美味しい」と言って食べているではないか。先生姿形は国籍不明だが、中身はやはり純粋の日本人なのだ。ここではっきり断れないのだから。

 午後は昆論飯店で私達の撮影シーンもある。

私が恵英に手足の不自由な子を連れて来たのだが、長城を見せて貰えるかと頼むシーンである。ここの台詞は日本語のはずだった。ところが監督さん何を思ったのか、このような意味の言葉を中国語で言いなさいと言う。間違ってもよろしい、少しくらい発音がおかしくてもいい、とにかく中国語で言いなさいと言って具体的な台詞指導をして呉れないままカメラの方へ行ってしまった。

彼が日本人らしい中国語を使って欲しいのは分かる。しかし私だっていい格好をしたいではないか。ちょうど横に張明さんがいてので「助けてよ」と頼んだら,人のいい彼が具体的な台詞を付けて呉れた。しかしいきなり“ 開始” 。練習する時間なんかない。

 車椅子を私が押して恵英に近づく。緊張とともにぎこちなく喋る。

  幸い一回目はNGになった。監督さん、私の所に来て「貴方には二つ問題が有ります」と言って演技指導。まずは恵英の方をしっかり見てから、行動を開始すること。第二は行動台詞全てもっとゆっくりすること。

 しかし私は

 「お嬢さん、私の子供は話すことも歩くことも出来ません。今度中国に来て、この子がどう台詞が気になって、演技どころではない。

次はもっと恵英に近づいて話なさいという注文。しかし失敗する度に恵英が「素晴らしいですよ」と勇気付けて呉れる。

張明さんも「段々良くなっています」と見るタイミング、立つタイミングを軽い合図で教えて呉れる。

 五回目だったろうか。監督が“非常好!” と最高の褒め言葉とともに、親指を立てて呉れた。この言葉を聞くなり私も今までの疲れが吹っ飛んでしまった。監督さんのご機嫌がいいうちにと、二人で記念撮影を申し出たら笑顔で引き受けて呉れた。この写真こそ本当の冥土の土産。閻魔さんが喜んで呉れるだろう。