_初めに_

 この度書店で、貴社の「共産主義大国に関する雑誌」を購入し拝読しました。

 私旧満州からの引き揚げ者で、昭和10年生まれの80才です。

戦前戦後を通じ子供の頃13年。定年後7年余りを中国で過ごし、氏より育ちを言うならば「四分の一は中国人」と言っても良い、中国を第二の故郷と思う人間です。

 17才で電気通信省(電電公社を経てNTT)に奉職し、25年全電通の組合員として赤旗を振りました。(最後13年管理職もしました)。だからレッテルを貼るなら、立派な左翼です。インターネットの2チャンネル系の掲示板では「臆病左翼」と言われたりしますが気に入っています。

そんな人間ですから似非中国通の反中物はいつも苦々しく見ていたのですが、貴紙は共産党の生い立ちから始まり、近代史の一般解説、近代中国の側面など啓発され点も多くありました。

 _被害者3500万人_

 勿論、細かい点では異論もあります。

 例えば、貴紙では侵略の被害者3500万人は江沢民が提唱したとされていますが、私の手元にある1989年発行中国革命史の中で「東北近百万平方公里・・中略・・3000万同胞従此惨遭日軍蹂躙」とあります。この時期は李鵬が実権を持っていました。少なくとも江沢民以前から3000万という数字は中国共産党が公にしていた数字です。調べたら多分もっと前でしょう。

 因みに南京虐殺の数字もこの本によると、「拠極東軍事裁判不完全統計・・中略・・合計為35万多人」となっています。「中国革命史」は中国共産党のバイブルですから、中国共産党の公式見解と言ってよいでしょう。

 

 _共産主義_

 「共産主義は貧しい人民を統一する方便だった」この点は私も同感です。

 当時を代表する知識人林語堂(ノーベル文学賞候補にもなった)が「中国人」という書の中で「中国に社会はない」という主張を述べているのは啓示に富んでいます。

 この国の基本的倫理理念は三綱五常であり、社会を構成する市民意識があったとしたら、墨子の時代まで遡ってやっと一部の人です。

 社会という概念は、儒教の縦社会の中では生まれ難い。兼愛を説き儒家と対立した墨子なら共産主義を受け入れたのではないかと思いますが分かりません。

 デモクラシーは古代ギリシアに已にあり、社会構成の最少単位複数という概念はヨーロッパの言葉には有りますが、中国語は単複同形です。その点は日本も同じです。

 _八路軍と内戦_

 私は内戦時代少年期を撫順で過ごしました。国共内戦最前線で共産党政治局員の文字通り命がけのオルグを見ています。人だかりの中で一人の男がなにやら説いて居る。周りの群集が後ろ手で「八」の字を作っている。八路即ち共産党の意味です。この人達は捕まったら、市中引き回しの上即刻公開銃殺です。しかし彼等は最後まで堂々としていました。

 八路軍の兵士は軍服もままならぬ上に、輜重兵などは裸足で天秤棒を担いでいました。その貧しさの中で、人民の物は針一本奪わないという厳しい規律を保ち人心を掌握したのです。中国共産党はその血の代価として「独裁」を得ました。

多くの日本人婦女を妾とした国民党兵士とは雲泥の差でした。只国民党兵士の名誉の為に言うなら、「以徳報仇」という蒋介石の思想はかなり下まで浸透していて、妾というなら当番兵付きの高級妾。むしろしっかりした正妻でした。

煙草一本ままならぬ八路軍兵士にとって日本婦人は高嶺の花だったに過ぎません。

 

_侵略_

 私が戦争を知らない子供達、今の日本の指導者安倍さんの世代に是非知って欲しいのは、侵略は定義の有無以前に現実があるということです。他国の主権を武力で侵したら侵略です。「美しい日本」は日本だけでない。中国人にとって美しい祖国を踏みにじられた現実が目の前に残っている。今も中国各地にある戦時中のトーチカは、わざわざ保存しているのではありません。侵略が物理的にも風化していないのです。

安倍さんの言う未来志向は私も賛成。しかし未来は現在の向こう。現在の前には過去がある。過去現在未来は一直線上にあるのです。過去の汚点を率直に認めそれを詫びることは恥でも何でもありません。人の道です。未来への道の入り口です。

当時ですら、抗日戦士楊靖宇を匪賊として追い詰めて最後殺害した撫順警察署長だった岸田隆一郎氏は、「私がもし逆の立場だったら、私も匪賊になっていただろう」と彼等への敬意を口外して憚らなかったそうです。

侵略は子供の目にも厳として存在しました。

しかし現実は、戦争を知らない子供のそのまた子供の世代なのですね。

 _代理戦争_

中国の共産化プロセスについては、貴紙のお考えに全く同感なのですが、私はもう少しひねくれた考えを持っています。それは、アジアがロシアの赤化拡大を恐れた者達と、共産主義者との間での代理戦争の舞台になったということです。

ロシアと戦うならどこでもよいというユダヤ資本の支援を受けて日露戦争が始まる。

中国は前門の虎後門の狼を相戦わせるために、東満州鉄道の利権を、ロシアに匂わせ日本への南満州鉄道の利権と争わせる。

遼東半島割譲、三国干渉でその返還・・・。その後の満州国建国。これは日本に赤化を防ぐ役割を果たさせた者にとっても期待しない厄介な新しい狼だったと思われます。

_リットン調査団の茶番_

リットン調査団は満州国を傀儡と断じましたが、私はリットン調査団その物が後ろに黒幕が居た傀儡だと思っています。勧告書の中身の殆どは日本の満州国の建国の経緯から述べ日本の経営権を認め、満州国の主権を認めなかったのは一条だけです。

そして、今この国を無にするのは、現実的でないとまで言っています。

骨子はその経営をアメリカと一緒にやりなさいという勧告です。アメリカは自身は手を汚さず中国に進出を図かり、蒋介石に手を貸した。

それはたまらんと、ロシアが中国共産党に手を貸した。ここでも悲しい代理戦争で内乱が起こった。

共産主義は中国人民になじまなかったが、目の前の日本の侵略に対して、これで一時的に内乱から人民の目をそらし統一できた。毛沢東の言う「革命は日本軍国主義のお蔭で成就した」というのは、皮肉だが事実です。

_植民地政策_

 私の父は旧満州国の若手官僚でした。「確かに日本は酷いこともしたが、新中国の基礎となる良い事も多くした」という父は最後まで侵略を認めませんでした。

 侵略を認めない人達の意見の代表的なものです。確かに満州国は、「産業振興」「教育拡充」「治安維持」「民族共和」など王道楽土の建国理念の下多くの日本人が血と汗を流しました。しかし結果はともかく、動機は植民地の建設であり、そこに生きて来た人達にとっては「奪われた楽土」でした。

 私の名前「献」の由来は、父が「我が子を満州国皇帝溥儀に献上する」という意味で付けてくれたものです。今は満州国は傀儡国家とされていますが、父にとって満州国は中国そのものだった。だから私は生まれながらにしてこの身を中国に献上されたと思い気に入っています。

 _偽満と私_

 中国人は、旧満州国のことを「偽満」と呼びます。(一時的な傀儡国家と言う意味)

 当時を偲んで亡き父が良く言っていた言葉。

 「中国人は、すぐ没法子、現在是満州国(仕方がない、今は満州国だから)と言った」。

 この「今は」というところが、満州国は永遠の王道楽土と信じていた父にとって耳障りだったそうですが、満州国は15年で消滅して「偽満」になった。

 ただ、私にとっては「偽満」も中国の一部であり第二の故郷です。それは、母と妹を亡くした少年期の満州国の思い出はあまりにも強烈なトラウマだからです。それが今80才の高齢の中でなお中国暮らしをして、日中友好に老躯を「献上」する所以です。

 _平頂山事件_

 平頂山事件をご存じでしょうか。

 1932年9月16日、抗日兵士が撫順を襲撃し、そのとき通路に当たった平頂山部落の人達が通報しなかったのは、「匪賊に内通している」として、部落民の多く(中国側発表によると3000人近い人達)が虐殺されました。

 今その現場の跡を掘り起し、白骨の山は屋根で覆われ平頂山惨案記念館として公開されています。

 その後幸存者(幸い生き残った人達)が日本政府に民事訴訟を起こし、裁判は最高裁で「国家無答責」とうことで敗訴しました。今は原告も高齢化して残って居る人は僅に二名です。亡くなった原告の一人は「裁判には負けたが、日本国民の温かい支援を頂けたのが収穫だった」との言葉を残してくれました。原告の要求で一番大きかったのは、このことを日本国民に知って欲しいということでした。

ご存じでしょうかと失礼な書き方をしましたが、実は高裁の判事が知らなった節があるのです。そして高裁の判決も最高裁の判決も「国家無答責」(戦争で起こったことには国は責任を負わない)でしたが、「事実の否定は出来ない」と消極的ながら国として始めて事実認定された事件だからです。

 _靖国問題_

 私は平頂山の件に件に関しては、平頂山訴訟を支援する会の会員であり、撫順市社会科学院の客員会員という身分を頂きこの研究会に2010年以来、6回列席させて貰いました。

社会科学院は中国共産党歴史研究のメッカです。意外でしょうが、日本の左翼の私もこの席では「右翼」扱いです。

 それは「靖国は本質的に日本の内政問題だ。遠くない将来中国の指導者が靖国に参拝している。これは予言ではない。必ず来る未来だ。正常な状態に落ち着くのは科学だ」という持論を、10年以上前から何処ででも公言しているからです。

 もっと意外でしょうが、「ご高説です。そのような意見を言って頂く為に貴方に参加して貰っています」と中国共産党の幹部は寛大です。

 実際靖国問題は、中国にとっても重荷なのです。このままでは中国の大国としても面子に関わる。中国主導で靖国カードは切りたいのです。

 その為には、日本外交もキャッチボールが出来ないといけない。「歴史認識」を正しくすることです。間違ってもA級戦犯の分祀など小手先細工はしないこと。

前政権の名誉を回復することで、現政権の安定と寛容を内外に示すことは、中国の歴代王朝がやってきたことです。

  _中国での日本右翼関連報道_

 靖国問題では、12年前2003年5月18日武大偉大使が松山に来られた時面白いことがありました。当時私は日中友好協会理事だったので、歓迎会の末席を汚させて頂きました。その時の会話です。

 私「中国の靖国問題に関する報道は偏っています。このテレビを見た中国人の友人は、また日本は戦争をしたいのかと尋ねますから、いいですね今度は徹底的にやつけてあげましょうと、答えることにしています」と言いますと、回りは一瞬凍りつきました。然し大使は少しも騒がず、「そうなんです。私達も右翼の一部の動きに過敏すぎると反省します」と率直に言われ、その後この面はすぐ改まりました。ブラックユーモアですが、率直な思いはユーモアとして通じました。

 この限りにおいては、私も中国では右翼扱いです。

 _尖閣問題_

 マスコミの偏向報道は、日本も同じです。反日デモのすぐ横に平穏な市民生活があるのは報じない。

 尖閣問題で大事なのは、中国共産党が煽動するわりには、インテリが冷静、農民が冷淡ということです。中国は5.4運動のように、国の大事はまず学生が動く。そして農民が動いて初めて大きな変革が生まれる。

 この問題でもう一つ大事なことは、双方の主張の中に双方の矛盾があるということです。

 日本。1895年以来日本の領土と言うことは、1895年以前は日本でないということです。

 中国。明の時代から中国と言うなら、少なくとも1895年から1971年までは、中国でないことを認めるべきです。その間主権の放棄をしているのですから。

 鄧小平のいう所謂棚上げ論は、中国としては賢い選択ですが、日本はどうするか。国際世論は、いまでこそ日本有利の背景がありますが、いつまでも日本有利の保証はありません。

 _尖閣関連と実効支配_

 ご案内の井上論文では、尖閣列島の帰属について尖閣は中国の領土だと言っています。

 井上清氏は元京都大学教授。確か元厦門大学の名誉教授でもあった。

中国共産党に言わせると、「日本人も釣島は中国領土と認めている」となりますが、勿論これは間違いだと思います。氏の論文が間違いだというのではなく、これをもって中国政府が尖閣の帰属問題の根拠にするのが間違いだというのです。

これはあくまでも一学者の意見で、日本の公式見解ではない。なにより、この論文の主張するところは、「帝国主義的手法による領有宣言は無効」ということですが、一方実効支配の実態は詳細に記述している。中国がもし国際法廷にこれを持ちだすなら藪蛇。国際法廷で裁定の判断基準は実効支配の有無ですから。実効支配の概念は中国が一番否定できません。中ソ、中印、中越、中蒙など、国境を接する14の全ての国との間で、この実効支配の問題は横たわっています。大国中国のアキレス腱でもある。

 _紙背の意_

 尖閣とマスコミでは、まだ別の視点からの問題があります。

 それは、昨年末だったと思いますが、確か中国解放軍のある海将が南シナ海の問題で以下のような意味のことを新聞発表していました。

 「小国は、アメリカの虎の威を借りてのさばるでない」と。

 日本の各紙は、中国のベトナムとフィリッピンに対する威嚇というニューアンスで報道していましたが、これは完全なブーメランです。

中国共産党も一枚岩ではない。「やり過ぎるとアメリカが出て来る」と内部への警告です。つまりこの件でも内部対立がある。まあこれは私の無責任論評かもしれません。責任ある公共のマスコミとしては、こんな思い切った論評は出来ないでしょう。しかし中国の報道は、裏読みが要ります。紙背の意を汲み取るのは、文学書歴史書に限らない。春秋の筆法も裏読みも中国では大事な教養です。

 _小さな事実で大きな嘘_

 マスコミは小さな事実を誇張し、大きな事実を捻じ曲げる。

 その代表的なのが、2006年中印国境ハンナラ峠の事件です。

 当時の産経新聞は、「中国国境警備隊が、ハンナラ峠を越えて越境しようとしたチベット人を射殺した。それが偶然外国人のカメラに収まりその画像がインターネットで流付され、国際社会を騒然とさせている」という趣旨の報道をしていました。

 国境警備隊による越境者の射殺と、それをネット上で流され云々は事実ですが、_偶然_があまりにも蓋然性の乏しい偶然だった。小さな事実で、大きな芝居を演出した雪山の芸術品ではなかったか。もし国際社会を騒然とさせる目的の「必然」の作品なら、そのことこそが、犯罪行為です。

 当時インターネットで盛んに流布された「法輪功」への弾圧も、バックグランドに「繁体字」がある。中国は簡体字の国です。あまりにも作為が見え見えのお粗末作品でした。

 しかしそれらが、ネット上で猛威を振るい、北京オリンピックを妨害しようとする人達に一定の効果をもたらしたのは事実です。

 _抗日ドラマ_

 残念ながら、中国ではいまだに抗日ドラマがどこかのチャンネルで24時間流されています。抗日ドラマは中国人にとって、忠臣蔵か水戸黄門みたいなものと思えば赦せますが、これで覚えた「バカヤロ」が中国語として標準語になっているのが、悲しい。

 日本人は、皆「ニーハオ」を知っているのとは天地の差だと思います。

 日中とも、ときにマスコミは諸悪の根源です。

 バカヤロ、ミシミシ(めしめし、転じて食事の意味)は完全に中国語になっています。

 「カエルデヨ」は指揮官が軍刀をはらって「帰るぞ!」との命令が転じて「出発」の意味。その他「トツゲキ」「ソウカ」等怪しい日本語の出所は抗日ドラマです。

 今これを書いている横でも、テレビがそれをやっています。最近はバカヤロミシミシレベルのナンセンス物こそありませんが、ここでは日本兵は「鬼子」して登場します。

 _貴紙の問題点_

 マスコミの罪悪という点では、貴紙も罪作りをやっています。

 「共産主義大国の悪行」というセンセーショナルな文句は「売らんかな」の商業紙なら赦されとしても、中身は一致しない物も有る。例えば「宇宙への進出」はどこが悪行ですか?

 貴紙の言う大量の「宇宙ゴミ」は何処の国が出した物ですか?

 何千発も何万発も核兵器を持ちながら、他国への所持を許さないばかりか、自国は廃絶どころか、縮小すら満足にしない国がある。その国と違いますか?

 「ボンクラ二世」もまさに同感ですが、これは中国の話ですか?

 日本の話かと思いました。

 あらゆる権力は腐敗する。ただでさえ腐敗する権力を、何故世代を越えてまで培養継承するか。それは腐肉に集るハイエナ勢力があるからです。私は、二世議員は二世であるだけで犯罪人だと思っています。そしてそのハイエナに二世権力が票欲しさに媚びる。

 二世議員とハイエナが結託して政治を捻じ曲げ、そこに右翼が介在している。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類の低俗な論調では、右翼の「害戦車」レベルです。これではお粗末。中国共産党は、これくらいではびくともしません。

 _万人墓_

 マスコミではないが、中国の歴史教育施設には、抗日ドラマ以上に問題がある物が有ります。

 貴紙でも旅順監獄の記事がありあすが、旅順に行かれたのなら、「万忠墓」を報道して欲しかった。

 この碑文に「ここで日清戦争のとき清兵が日本軍に虐殺され、その蛮行を隠蔽するため死体と焼き、はなで飾って欺瞞した」とあります。

 これは事実と違います。日本兵が清兵を殺したのは事実ですが、勇敢に戦った相手戦士の亡骸を野犬などに食い荒らされないように丁重に葬るのは武士道です。

 断末魔の悲鳴が遠く聞こえたと言われていますが、これも助かる見込みのない重傷者に留めをさして苦痛から解放してあげるのが武士道です。

 本来美談と言える物が逆になっている。

 当時の戦争は、欧米の従軍武官が居て観戦していると思います。その記録がどこかにあるはずです。それらを参考にして是非名誉回復したい一件です。

 文明開化をスローガンに、先進国入りを目指していた当時の日本にとって、その観点からも捕虜の虐殺は有り得ません。

_武士道_

 2008年、四川省で大地震がありましたが、そのとき私は丁度中国にいました。寧波から西安へ自転車旅行の途中、宿迁と言う都市でそれを知り、貧者の一灯を市政府に寄付させて貰ったらマスコミでも美談のように報道されてこそばかった。

 もっと興味を惹かれたのは、その後です。日本から自衛隊が派遣され救援活動に従事したのですが、そのテレビ報道の一場面です。自衛隊の兵士が遺体を掘り起こしたとき、一斉に挙手の礼をしました。

 私の目にはごく自然な行動でしたが、見守る回りの群集に驚きのどよめきが起こったことの方が私には驚きでした。

「鬼子」は抗日ドラマの中で日本兵のことです。中国人の目には、「鬼の目にも涙」と映ったのでしょうか。抗日ドラマの中に出て来る武士道は「腹切り」です。

 元々朱子学に端を発する日本の武士道ですが、醜悪な一面しか見られていないそれに対し、自衛隊の兵士は、美しい一面にごく自然に光を当ててくれました。

 _撫順の万人抗_

 撫順には、「万人抗」と呼ばれる炭鉱労務者を死ぬまで酷使して、その遺体を放棄した場所があると言われています。例の本多勝一書「中国の旅」で紹介されたのですが、その数25万人前後と書かれています。

 しかしこれは限りなく白に近い灰色です。第一誰もこの万人抗を見たという人がいません。私は1992年撫順に行ったときは工事中ということで見せて貰えませんでした。 その後1998年に行った時も見ることが出来ませんでした。

 2009年から2011年まで二年撫順に滞在したのですが、そのとき得た印象では、どうも平頂山と混同されている節がある。タクシーで「万人抗」と言えば連れて行ってくれる先は、平頂山惨案記念館です。

 実はこの記念館に、1907から1931年旧満州国建国まで24年間の詳細な中国人労働者の労務災害記録が展示されています。それによりますと。

 延べ従事者 60万6124人
 死亡者    1万0489人
 負傷者   17万6991人
 とありました。            

 この数字には、その後の戦況の拡大による増産体制に入った後1945年敗戦までの数字がありません。それを含めるともっと多いでしょう。だから万人抗自体はグレーですが、労働条件の過酷さと酷使はとても真っ白とは言えません。

 _虎石溝万人抗_

 2010年、大石橋にある虎石溝万人抗に行きました。

 ここは、足を針金で縛られ生きたまま放り込まれたと思われる遺体のあることで有名な場所です。

 どこまでも続く土色の山合の道をタクシーで何キロ走ったでしょうか。トラックしか行き交わない何も無いマグネシューム鉱山に、お目当ての虎石構万人抗博物館は、その下に大規模な鉱床が発見されたとのことで、一時撤去されていました。

 レンガの塊しかない所に、丁度鉱山関係者が居たので、少し立ち話をしました。日本にも何度か公用で来たことがあるというこの50年配の男性は、かなりの地位の責任者でしょうか。

 穏やかだがきっぱりとした口調で、「侵略に抗議して反抗することが何故悪いですか」と言いました。私もよく知らなかったのですが、ここに頭蓋骨を撃ち抜かれた遺体があるのは、どうも暴動があったようです。

 _遼源鉱人墓_

 吉林省遼源市に「鉱人墓」と呼ばれる万人抗があります。

 整然と並べられた白骨体と、掘り起こされる前の写真がありました。写真で見る限りこれは丁重に葬られたお墓です。どう見ても酷使とか使い捨てとかいう印象からは程遠い。当時は庶民が死んでも穴を掘って埋めるだけ。精々土饅頭です。庶民一般にお墓などありませんでした。

 ある本によると、発掘されていない遺体が、八万体あるというのですが、もっと規模が大きい撫順炭鉱の労務災害が、公式記録によると1907年から1931年まで死亡1万0489人です。

 炭鉱の規模、採炭年数、従事者数などはっきりしないので推定ですが、桁が違うと思います。撫順炭鉱は東洋一の規模でしたし採炭年数もここは短いと思います。

 少し気になったのは、給与明細記録です。それによると月額32元は、当時の高級取だった満人警察官が50元ほどですから、決して少なくない。しかし控除がやけに多い。娼妓の身代金のように、高利の前貨金の収奪があったのではないか。

 門前に首に縄付きで晒された銅像は、「漢奸」(中国人の裏切り者)の物でした。

 中国人の経営者が、中間搾取者として存在したと思われます。

 _人柱_

2010年に中国の北の果て、黒竜江省に漠河というところから、吉林省を経て遼寧省の葫蘆島という所まで自転車で「東北三省自転車巡礼」をしてきました。ここは、ソ連軍の侵入による関東軍の玉砕と、大地の子の舞台にもなった満蒙開拓民の人達が口に現せない惨劇を味わったところです。

 勝山要塞、虎頭要塞、東寧要塞と回ったのですが、勝山要塞でガイドが「要塞構築に関わった2万の労務者が、全員機密保持の為人柱として生埋めになったと言うのです。麓の小料理屋で食事をしていたら、私を日本人と見て、60才がらみの元解放軍の退役者と名乗る男が曰く。「自分の父親も要塞構築の仕事をしていたが、死体を埋める人の嫌がる仕事をしていたので生き残った」そうです。まさか2万人全部一人で埋めたのではないでしょうが、埋めた人が生き残っているのに、二万人からの遺体の存在が分からないのも不思議です。その後行った虎頭要塞は勝山要塞より規模も大きいのですが、そこの資料館の中国側の展示資料によると、要塞構築に関わった労工は六千人とありました。

 虎頭要塞でも東寧要塞でも、人柱生埋めの記録は見ませんでした。

 _南京大虐殺_

 先に「被害者3500万人」の項で少し書きましたが、私が知る限り南京の件で中国共産党が公に具体的な数字を挙げているのは、「中国革命史」です。

 それも「東京裁判の不確定な統計によると・・・」という前置きつきです。この前置きは、「もっと多い」と言いたいのかもしれないし、数字についてはある種の逃げ道にもなっているのかもしれない。ただ日本政府としては、東京裁判を一応国際法に則った裁判と公的に認めている以上、この裁判で採択された証言に異論はとなえ難い。

 証言の正当性を検証するなら、民間の仕事です。そして中国の関係部門とも協力し合う必要が有ります。協力と言っても互いに同調する必要はない。まず違いを明らかにして、両論併記から出発する。そして日本側は否定しきれない物は、事実と認める。中国側は日本の反証に対して、同意は要らないから合理的な反論を期待したい。中国共産党自身がこの数字を「不確実」だと言っているのですから。

 そして、グレーゾーンの中の最大値と最小値を共有したい。それは理性的客観的な相互理解こそ歴史から学ぶことだと思うからです。

 _東京極東軍事裁判_

 所謂東京裁判が、勝者による裁きであることは論を待ちません。しかしこの裁判の結果を日本は国として受諾している。そして、これを受諾したことにより国際社会に復帰したという事実がある。

 もし日本が東京裁判を否定するとしたら、方法は三つしかない。

 1 もう一度戦争して戦勝国になる。

 2 平和国家として国際社会に貢献することで名誉回復。

 3 裁判では立証されていない検事側証拠の検証。

 1は論外ですが、2はすでにやっている。3こそが私達民間の仕事だと思います。

 しかし侵略の事実を直視することを、「自虐」などという非理性的な概念で否定する限り、東京裁判を批判する共通の土俵が無い。東京裁判を肯定的に見るなら、曲りなりにも戦争そのものを人類の罪悪として裁いたことですから。

 

 _風化してない侵略_

今私が住んでいる瀋陽市(旧奉天)の中心街には、まだ昔の瀋陽駅がそのまま残っています。

 近郊には、列車からも見えるトーチカが残っている。トーチカは私の知る限りでも、この他にも撫順、錦州、集安、牡丹江などなど各地にあります。牡丹江の鉄橋脇のトーチカは今でも解放軍の軍事施設として現役です。長春(旧新京)には元広東軍司令部は、満州国皇帝皇居など保存しているものもありますが、先のトーチカの類は、自然に残っている物です。

 長い歴史、広い大陸、その中で時間もゆったり流れます。だから中国人にとって侵略の歴史は、現実に五感の中に存在しているのです。

 侵略の定義をひねくり回して、侵略を正当化するところから歴史認識にずれが生まれている。単純素朴に考えましょう。「武力で他国の主権を侵したら侵略」です。

 未来志向と過去の直視は全然矛盾しません。過去無くして現在は無いし、未来は現在の後にある物です。

 _侵略と中国共産党_

よく知られているように、中国は憲法一条でプロレタリア政党の独政を規定しています。

 独裁の是非は一応おいておくとして、この独裁は抗日戦争即ち日本の侵略戦争に対して血を流したことへの代償として中国国民が与えたものです。一部に抗日戦争を戦ったのは、蒋介石の国民党だとして、中国共産党を卑小化する意見がありますが、これは間違いです。内戦の中で国共合作を実現して抗日統一戦線を構築したのは、やはり共産党の功績です。

 あの決定的に荒廃した国土を一刻も早く復興する道として独裁を選択したのは、中国国民の選択です。だから中国共産党政権の基盤を作った、抗日戦争即ち侵略そのものを否定した歴史認識は、中国そのものの否定であり、中国としては譲れない一線であることは理解すべきです。侵略そのものを認めないとなると無理があります。現実に傷跡が残っているのですから。

 _軟着陸_

2008年12月に「零八憲章」が劉暁波さんによって起草され、303人の有志の支持の下広く流布されました。これは中国で民主化を体制内で行おうとする試みです。所謂「軟着陸」と呼ばれる手法です。これはノーベル平和賞を受賞しましたが、同時に憲法に言う「何人と雖も社会主義体制の変革を試みることは許さない」に触れて、彼は懲役11年の刑を受け今彼は錦州の刑務所に服役しています。

 2008年5月、この人達のオルグ活動を偶然開封で見たことがあります。姿形は旅芸人にやつし、何かお笑い寸劇のような形の風刺劇で宣伝していました。

 求められるままに、差し出された紙に日本語でサインをしたら、大粒の涙を流して感謝してくれました。

 写真が残っていますから、この人達は303人の誰かに間違いないと思います。

 一緒に居た中国人に説明を求めたら「頭のおかしい人達だ」と、それ以上の説明はしてくれませんでした。民主化の動きは確実にありますが、それはどちらにしろ中国人自身が決めることです。

 _BC級戦犯_

 東京裁判でA級戦犯の裁きは終わり、それ以上の訴追はありませんでしたが、BC級戦犯への過酷な裁きは終わりませんでした。その中の一つに先に述べた「平頂山惨案」で断罪された久保孚氏始め満鉄関係者があります。この人達は確かに当時撫順で関係する部門の責任者でしたが、虐殺には否定的だった人達です。真の責任者はすでに帰国して居ない。この人達は誰かが償わなくてはいけない罪を、身代わりで背負わされたに過ぎません。

久保孚氏に関しては、ある思い出があります。終戦後撫順に残った日本人社会で「居留民会報」というガリ版刷りの情報誌が発行されていたのですが、そこに氏が獄中から「石山灰一」と言うペンネームでエッセイを投稿されていました。軍国主義から民主主義に一夜で180度転換した当時の日本で、デモクラシーについて語れる氏は一流の文化人でした。

「一人は万人の為に、万人は一人の為に」この不思議な考え方に、「天皇陛下万歳」で育った、早熟の軍国少年が感動を覚えたのです。

 _撫順戦犯管理所_

ここは、ラスとエンペラー溥儀が収監されていたことでも有名です。

そして今は、第一級の歴史教育施設になっています。1950年ソ連に抑留されて居た戦犯約900人を中国が引き取り、1956年まで収監された所ですが、ここでは一人も処刑されることなく、全員釈放されたということは、特筆すべきだと思います。

以前ここで働いていた職員の人と話をする機会がありました。当時は、中国はまだ極端に貧しく、自分達が満足に食べられないのに、捕虜の戦犯に毎日ご馳走を食べさせるが、理解出来ず不満だったといいます。それを聞いた周恩来が「20年経ったら分かる」と言ったそうです。それから約20年。1972年日中国交回復しました。

周恩来の国際センスが、良い意味で捕虜を利用したと言えなくもありませんが、北風と太陽の寓話でいう太陽政策は、素直に評価すべきだと思います。

 _周恩来_

「五千年的友誼、十五年的対立」というのは、日中間の関係について言った、周恩来の有名な言葉です。そして又、「中日両国は一衣帯水の間柄だ」とも言いました。両国は不幸な歴史もあったが、友好の歴史の方がもって長い。この表現は日本人の心をくすぐりました。

しかし周恩来のしたたかさは、「一衣帯水」という同じ言葉で、国内のうるさ方も黙らせたことです。

「一衣帯水」というのは、元々皇帝が臣下に対して使った言葉です。1400年ほど昔、隋の皇帝煬帝が、臣下に君臣の間柄を問われて、「朕が汝臣民を思う気持ちは親子のようなものだ。この足元の一条の細い川よりもっと狭い」と言ったことに語源があります。

だから両国間の友誼も対立も対等のものではない。親子関係として上下感覚が厳然として存在する。どちらが本家か。この考え方は中国人にとって凄く大事なのです。

中国人は、皆「徐福伝説」を知っています。秦の始皇帝が徐福に命じて童男童女500人を連れ蓬莱の国日本に不老長寿の薬を求めに行かせたという例のお話。中国人はこの伝説によって、「日本人は中国人の子孫だ」と固く信じる根拠になっているのです。

 _中華思想_

中原に華咲く文化を持つ中国。そして周辺諸国は「南蛮北荻東夷西戎」と蔑みの含みを持つ言葉で呼んでいました。しかし、自国の文化を中心に据える考えは、多かれ少なかれどこの国も同じです、それは、その国の世界地図にその国が中心に置かれているのに近い。

日本では所謂反中派の人達に言わせると、「中華思想」=「中国尊大」ということになり不評のようですが、一部の国の一部の人達から、大和魂と旭日旗が誹謗の的にされているのと同じ次元のナンセンスです。

「東夷」は日本も含まれますが、古く関東武者にとって「あずまえびす」は蔑称ではありませんでした。むしろ誇りでした。

吉田松陰は、松下村塾で中華思想について「世界の全ての点に中心がある」と教えたようです。明治の元勲は良い教育を受けていました。

当時の日本の目が世界へ向かっていたのも分かります。

 _富国強兵_

中国は弱いから侵略された。中国は貧しいから馬鹿にされた。

これは中国人の「自虐史観」ではありません。「富国強兵」のスローガンを支える中国人の歴史認識です。

「犬と中国人入るべからず」。これはかつて上海の黄浦公園の立て札に書かれていた文言と言われる物です。列強の侵略を受け自国で有って自国でないこの悔しさの中から新中国は生まれた。

その裏返しが「今や中国強し」の自負です。

皮肉なことに、このスローガンは、かつて日本の明治政府が掲げた物と全く同じです。

「文明開化」=「改革開放」

そして日本は財閥の台頭、軍部の横暴から戦争へと進む道に誰も歯止めをかけることが出来なかった。

強くなった。そして横暴になったでは、かつての日本と同じです。中国には絶対にその道を歩んで欲しくない。巨大な象のまま、肉食動物にはなって欲しくない。それが中国の体質のはずですから。軍事力で変革を求めるなら、それが軍国主義です。

 _産軍共同体_

「産軍共同体」とか「死の商人」などと言うと、ゴルゴ13の世界のように聞こえるかもしれませんが、大量破壊兵器を独占し、有り余る通常兵器は常に消費市場を求めている。それが平和を壊すエネルギーになっているのは、20世紀の戦争の主役が、常にアメリカだったのを見ても明らかです。

「富は力」か。百歩譲ってそれを認めるとしても、「力は正義」というのは認めたくはありません。力は「大量兵器の存在」をでっち上げしてまで、フセインを吊し上げた。

勿論共産主義国の大量破壊兵器も正義では有り得ません。しかしその前に持てる国が、「核拡散防止」ではない。「核廃絶」への道筋を明確に示すべきです。

正直私は分からない。「非武装中立」は空想の世界なのでしょうか。

空想でも良い。「力は正義」という妄想に対抗する理念として大切に育てて行きたい。

_汚職の本質_

中国の汚職の本質は「一家人」です。中国に始めて統一国家秦が誕生して以来、「法治」は常に統治者の理想だったが、それが破綻なく定着したことは一度もない。新中国においても、1995年に一応法が整備され、形は法治国家ですが、中身は「人治」そのものです。

一党独裁の中国では公的機関は元より、国営企業、大会社、学校、病院・・・全ての機関に中国共産党の幹部が配置され実権を握っています。市なら市書記、省なら省書記が市長や省長より偉い。学校の副校長は党書記であり、校長より偉い。

名目的な頭の下に実権者を配置するのは、中央集権の中国では伝統的支配スタイル。

そして例えば課長が替わったら、その下の部下は運転手から掃除のおばちゃんまで皆入れ替わる。これが「一家人」です。独裁の絶対権力を動かすのは、伝統的な実権を持つ土着の「一家人」のコネです。

独裁の強大な権力と、伝統的実権を持つ「一家人」との間の「関係」(コネ)これが中国の汚職の本質そのものです。

 _人治_

以前、中国語の勉強で短期留学していた時の話です。教材で孟子の教えがあった。

例の「男女七歳にして席を同じくすべからず」の類の話です。

「みだりに婦女子の手を握ってはならない。しかし溺れた者を助けるときはこの限りではない」。その後が凄い。「権力においてしかり」と孟子が言ったと言うのです。

「これこそが腐敗ではありませんか?」と私が質問したのに対し、中国人の教師は黙って私の目を見つめ大きく頷きましたが、否定はしませんでした。「法治社会」は法の下に平等を謳いますが、「人治社会」では困った人を助けるように法をずらします。だからそれが出来る権力者は常に困らない。

  私は勿論権力者ではありませんが、公的行事などでは、外国人ということで思いがけない厚遇を受けることがある。予定が変更して会合に遅れそうになったとき、パトカー先導で走ったこともあります。
 逆に一庶民として暮らしていると、思いがけないところで、通行禁止になり足止めを食らうこともあります。良い思いをする人の裏には泣く人が居る。


 _人権_

 私達の世代は、軍国主義教育と民主主義教育と両方受けました。

 軍国主義教育では、個人主義は「我が儘」であり悪の危険思想でした。

 それが、戦後制定された教育基本法では個の尊重が基調になり、教育勅語の忠孝君臣の道は否定された。

 人権は言うまでなく、思想信条の自由、即ち表現の自由です。確かに中国にはそれが無い。中国人に言わせると、「政権を批判しない限り表現は自由だ」と言うがそれは違う。

批判の自由こそ自由の根源だから。ただ、人権王国アメリカだって、星条旗に忠誠を誓わない者への自由は制限される。

 「天皇陛下万歳」で文句を言わずに死ぬことばかり教えられた世代が、自由を知ったらもうその甘さは捨てられない。中国の人権問題は、人権が先か、食うことが先かから始まった。

 今や世界第二の経済大国。圧力釜の構造強化もだが、空気抜きで内部圧を下げないと、内外から釜自体が危険に晒される。

 _マンモスの牙_

 中国の共産党国家は必ず滅びます。

 先にも書きましたが、かつて弱いから日本はじめ列強に侵略された中国は、今や押しも押されもせぬ軍事大国。

 今日も国営テレビ「築夢路線」で解放軍の大規模な軍事演習が放映されていました。

 南沙諸島の国際裁判は、中国は受け入れるどころか顧みようともしない。

 そして、そこに引き続き武力で軍事基地を建設している。

 仮に中国に言い分があったとしても、現状を武力で強引に変革したら、それは当然世界から非難される。

 盛んなる者必ず滅ぶ。これは「人は必ず死ぬ」というのが自然の法則と同じように、歴史の例外ない法則です。

 人が死ぬのは間違いないが、いつ死ぬかは誰も知らない。

 中国共産党も同じです。だから共産党幹部は汚職で得た金を海外に移している。

 中国の権力者の一極集中は、長い歴史の中で民族的に染みついている物です。

 それが巨大化して、牙が矛盾になっている。

  _歴史の必然_

 もし「中国共産党は永遠です」と言ったら、それは社会主義思想を支えている唯物弁証法と相容れません。

歴史は矛盾を解消する方向に流れる。それがまた新しい矛盾を生みそれを次の歴史が解消する。矛盾がなくなったら歴史は止まります。

今の中国の矛盾は、矛盾が見えないことです。日本人が格差社会の中で「一億総中流」意識で暮らしているように、中国人は体制への不満を見せません。二人だけの世界では「私は中国共産党が大嫌いだ」と言う人もいます。しかし私は囮でないかと警戒します。

敗戦後の撫順は、国共内戦の中で最後の未解放地域でした。グレーゾーンでの庶民は、形勢が鮮明になるまで、旗色を鮮明にしませんでした。信じられないでしょうが、戦後暫く日章旗を持っている人もいました。庶民の用心です。

矛盾を見せないのは、為政者の能力です。腹の中を見せないのは、庶民の本能です。

  _日本の将来_ 

 中国共産党の将来を論じましたが、日本はどうなる。

 実は私には分かりません。それは人間の目が外を向いて見るように出来ているからです。

 他人のデスマスクは想像できるが、自分のデスマスクはなかなか想像出来ない。鏡で見る自分の顔は、すでに無意識に作られた仮面で」実像ではない。

 話は変わりますが、先日天皇の生前退位が問題になっていました。

 しかし、そもそも天皇制とは何かを論ずる基盤がない。

 憲法改正論者も一条は素通りのようです。憲法改正論者は大日本憲法へ戻せと言われる。

 万世一系の天皇というのが、下地にあるようです。

 紀元2676年はかなり曖昧ですが仮にそれを認めるとしても、正史の中でも南北朝はグレーゾーンがある。

 中国人が見る日本にも、もし日本人が見る中国が正しいと論ずるなら、耳を傾けるべきです。

 所詮自分の姿は、自分で見えないのですから。

_中国人の顔_

 13億の人を一口に「中国人」と括る危険は、十分に承知の上での意見です。

 テレビでは、毎日24時間「抗日」に関係する番組を流している。
 中国のテレビで1日10回「抗日」という言葉を聞くか聞かないか。
 聞く方で100万円でも賭けます。100回でも勝てそうですから、10回なら必勝です。
 国内の格差矛盾は、国民の目を「中国夢」というスローガンで外へ向けて緩和している。
 独裁の基盤を揺るがせにしないために、建国のエネルギーになった「抗日」は今でも必需品なのです。

 しかし中国共産党員も庶民の顔を持っています。個人的に話をすると、靖国問題も尖閣問題も口角泡を飛ばすことはありません。
 「ご高見に啓発されました」と丁重に聞いてくれます。或は軽くいなされているのかもしれませんが。
 中国という土地に暮らす中国人と、中国という国に暮らす中国人は違います。
 今「スパイ防止法」という法律が出来て「国」の顔を持った中国人「公安」では意地悪としか思えない扱いを受けます。
 「私は中国の法律を尊重します。だから正しい手続きを教えて下さい」と穏やかにいうのですが、三カ月毎に更新する暫定居留手続きが毎回違って、時間がかかる。
 しかし中国の庶民は、「上に政策有れば下に対策有り」で助けてくれます

 中国人は、皆二つの顔を持っている。
 それは、京劇の一人で二つの面を早変わりするあの芸(変臉)と同じです。

     
未完
   けんさんの中国ぶらぶらへ