4月2日。月。曇り。宇部。674/49キロ。
二時と少し早かったが、次、小郡まで目指すと30キロほどある。それまで宿があるか心配だったのと、少し予定よりペースが上がっているので、宇部で泊まることにする。チェックインタイムに早い分割り増し料金一割。
今日は家内の月命日である。彼女は長い患いだったが、昨年二月二日、春を待てずに逝った。
もし家内が元気だったら、今回の自転車旅行に対して「何処でも好きな所にお行き。帰らなくていいよ」と言って送り出してくれたはずである。
定年後も、病妻を放り出して毎年中国に行かせて貰った。瀋陽に一年、北京に半年と三ヶ月と二回。その他囲碁旅行や、自転車旅行と金がある間は放浪していた。
彼女は、私の若い頃の名台詞「家に帰ったら、食う物はある」という言葉を引き合いにだしては、私の放浪癖を苦笑しながら諦めていた。
一昨年九月には私も胃癌の手術をして、家内を泣かせることはあっても、私が泣くことになるとは、思っていなかった。幸い癌は初期で、内視鏡切除で完治した。
人は必ず死ぬ。それは誰でも知っている。しかし何時死ぬかは誰も知らない。
放浪の俳人山頭火は、もし妻が自殺しなかったら、家で妻と平和に食卓を囲んでいたかもしれない。
放浪の歌人西行は、もし袈裟御前が彼の想いを叶えてくれていたら、只の不倫若武者佐藤義清として、後世に名を残していなかっただろう。
願わくば 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
西行法師
日本列島は今や花盛り。私はまだ死にたくない。
願わくば 北の果てまで行き着かん 花の盛りと共に走りて
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