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 感謝の一日

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  ついに立った。日本最北端の岬に。
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 5月20日。日。曇り後晴れ。宗谷岬往復。3301/60キロ。

 

 強風、波浪、濃霧注意報は全て解除された。風速4m。気温4℃。

 午前8時、長袖のシャツ、ズボン下、毛糸のセーター、更に毛糸の首巻、手袋と松山なら真冬の完全武装で、最後の旅に出発した。

 

 市街地を離れると、宗谷海峡を左に見て海岸線の直線平坦な道が、原野に近い風景の中を続く。北北東の風は向かい風だが、それさえ今日はむしろ心地よい。道端に可愛い犬が居ると思って、よく見たら狐だった。カメラを構えたら逃げられてしまった。残念。

 野良犬も 宗谷岬は コンと鳴き

 

 岬の手前3キロほどの所に、間宮林蔵渡樺の碑がある。ここで写真を写していたら、今日取材をして下さる北海道新聞の記者の方と一緒になった。ここと最北端の碑の前で、私と自転車の「雄姿?」をカメラに納めて貰う。鼻水が出て仕方なかったのは、寒さの故ばかりではあるまい。年寄りの感傷か。

 周囲は、土産物屋や食堂が立ち並び、観光地になっている。その中の一軒で、食事をご馳走になりながらインタビューを受けた。少し興奮していたので、何を喋ったか覚えていないが、長旅のゴールで何よりの記念になった。

 

 まず無事に着いた幸運に感謝する。丈夫な体を授けて下さった両親とご先祖に感謝する。途中、親切にして下さった全ての方に感謝する。

 道を尋ねた人だけでも500人は下らない。宿を世話して下さった方、食事をご馳走して下さった方、歩道橋で自転車を後押しして下さった方、自転車を修理して下さった方、パソコンを修理して下さった方、携帯電話の修理をして下さった方、車から声援の言葉を掛けて下さった方、カンパをして下さった方・・・。思い出は全て感謝につながる。

 まだ、すれ違うドライバーなど、私の見えない所で気遣いをして下さった方も居るはずだ。亡き妻も、何処かで見守ってくれていたと思う。

岬から稚内の宿まで、帰りのウイニングランは、快晴無風。「ありがとう」を繰り返しながら、感謝一杯で走った。

 

 もう一人大事な人がいた。最後まで頑張ってくれた自転車だ。彼女には、松山を出るとき、「必ず一緒に無事に帰ろう」と約束した。彼女はやまと運輸で輸送して、その約束を果たした。

 

 翌21日、私は飛行機に乗った。

 稚内発14時。羽田で乗り継いで、松山着18時30分。

 ジェット機ならたった数時間の距離を、私は思い切り時間を贅沢に使わせて貰った。

 眼下に果てしなく広がる日本列島。あの道もこの道も、私は自転車で走ったのだ。雲の向こうに見えないそのまた向こうから、日本の南の端から北の端まで、3300キロを64日かけて自転車で走ったのだ。

その間一度も体調を壊さなかったこと、事故が無かったこと。幸運もあるが、私自身誇らしく思うのは、この一事である。

この旅行が、今後の人生に糧となることを願う。

 

(完)

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