錦秋の北京

        遂に着いたぞ 天安門

   2004年9月19日。通州〜北京。20キロ。晴れ。

  いよいよ、最後の一日を迎えた。王隊長が、有終の美を飾るように、全隊員に安全を求める。北京は瀋陽と違い、交通事情が厳しいから注意するようにと付け加える。

 交差点に差し掛かる度に、後方から徐さんがさっと前に飛び出し、隊列の右左と、車を遮るように、身軽に動く。こうして、自分の身を危険に晒しながら、私達の安全を確保しているのだ。これは徐さんしか出来ない芸当だ。

 今日は、セレモニーに意味もあって、全員真紅のユニホームをきちんと纏い、赤い小旗も全員つけている。それに赤いヘルメットと、お揃いの赤い鞄。13名の赤纏の軍団は十分に人目をひき、一列縦隊で流れるように進む。

もう私も体力を温存する必要はない。日曜日で通勤の自転車も少ない中を、軽快に飛ばす。

朝陽門から建国門、長安大街、天安門とあっけなく着いた。

まだ10時にもなっていない。

天安門前で、記念撮影をする。物珍しそうに寄ってきた人の中に親切な人が居て、全員のカメラを預かり、シャッターを押して呉れる。

 富山県からだという日本人の留学生が、一緒になった。

 歌姫の張さんが、60年間夢にまで見た光景だと、興奮している。彼女だけ北京は始めてだった。

 北京は宿探しが難しい。王隊長、李さん、劉さんが宿探しに行くことになった。

 「私達も同じ宿にしたい。北京で10元は難しいだろうから、10元を越える分は、私達四人で負担してもいい」と申し出た。昔私の知識では、行商人が泊まる木賃宿でも30元はしたと思う。

 その間、時間と集合場所を決めて、自由行動をすることになった。

 歌姫が、毛沢東記念堂に行こうという。言っちゃ悪いが、一番面白くない所。それに今日は日曜で長い行列が出来ている。「間に合わないよ」と行くのを渋る私をどうしても連れて行こうとする。彼女の作戦は、私を抱きこんでおけば、時間に遅れても許されるということらしい。

 今彼女は、60年間思い続けてきた聖地を前にしているのだ。私も折れることにした。

 ここに入るには、鞄、ペットポトル、カメラは持って入れない。TさんとKさんは、行列を見てうんざりしたのか、荷物を見てましょうと言って呉れる。徐さんも前に何回か来ているので行かないと言う。結局、私と歌姫と、張さんと、趙さんの四人で行くことになった。

 献花が二元。なんでも値切る歌姫が、一銭も値切らずにこの花束を買った。入り口でパンフレットを売っている。これが入場料みたいなもので、小銭を切らしている私に代わって歌姫がこれも気前良く払ってくれた。

 

 毛沢東は蝋人形のように横たわっていた。その横を二列横隊で、進む。立ち止まることは許されないから、長い行列が意外に早く進む。

 

 次いで、北海公園に行く。入園料5元。私は、ここは三回位来ている。いつも皆さんに見張り役を頼んでいるので、今日は私が引き受けることにした。

 目立つ格好をしているから、人だかりがする。

 「何処から来た?」

 「瀋陽」

 「本当か?何日掛かった?」と、これまで幾度となく尋ねられて来た会話が、ここでも繰り返される。

 広い中国大陸で、旅人は貴重な情報を運んでくれる人である。

安徽省から来たという、庭園の作業員、四川省から来たという旅行客、地元の絵葉書売りのお婆ちゃん・・・黒山の人だかりが出来た。

 中の一人が、中日友好の私の胸のマークを見て言う。中国は友好的だが、日本政府が非友好的だと。

そのうち、彼私が日本人だと気がついた。嬉しかったのは、彼がなんときまり悪そうな表情をしたことだ。「日本人なら日本人と先に言えよ」という顔をしていた。ならば台詞が変わったかもしれない。

 警備のお巡りさんが、人だかりに加わる。

 「ワタシハ ペキンノ オマワリ デス」と一語一語区切って、奇麗な日本語を使う。

 電子辞書を持っている。そして日本語を教えて下さいと言う。

 「スリ 二 キヲツケテ クダサイ」は最も実用的な会話だったと思う。

 別れ際に、握手をしながら

 「アナタ ハ イイヒト デス」と最高の外交辞令を呉れた。

 オリンピックに向けて、中国政府が、行政サービスの向上というソフト面も努力しているのが、伺える。

 

 心配していた宿は、王府井のすぐ近くの柏樹胡同の中にある「全国婦聯招待所」を、20元で泊まれることが出来た。北京のど真ん中の閑静な場所で、この値段は信じられない程安い。清潔で問題の便所も申し分なし。

 本当は身分証明書が必要で、外国人は泊まれないのだが、王隊長が「この人達は遼寧老年健身自転車隊の隊員です。私が責任を持ちます」と言って特別に許可して貰った。隊員は満更嘘でもないが本当でもない。私達は名誉隊員である。

 こんな、見え見えの嘘を見逃してくれるところが、中国人の優しさかもしれない。

 

 Fさんが、「今日は私が幾ら高くてもご馳走します」と言って呉れる。

 私も控えていた白酒を、今日は心行くまでおある。

Kさんは「ビール大臣」の綽名に相応しく、ビールをぐいぐい傾ける。

 Tさんも本来いける方だ。気持良くはしゃいでいる。

 Fさんは全然飲まないから、スプライトでなにやら駄洒落を飛ばしている。

 

 皆さんは、夜の王府井に散歩するが、私は安全に感謝して眠る。

 髭もそり落とし、恋い焦がれた錦秋の北京の夜に目を閉じた。