魔の三日目

疲れ知らず 好調のTさん

2004年9月8日。盤錦〜凌海。68キロ。晴れ。

自転車旅行は一般に三日目が、疲れが出て一番きつい。これを乗り切ると、大体惰性で行く。私は経験上、これを「魔の三日目」と呼んでいる。

気温も、昨日よりは高めで、昼から暑くなりそう。

Fさんの気圧計が、1041ヘクトパスカルと、異常な高さを示している。大陸性高気圧は、山に例えたらヒマラヤ山脈くらいの高さだろうか。Fさんのこれまでの経験にない高さだそうだ。

今日から、王隊長の計らいで、隊列を変更した。私が隊長のすぐ後ろの二番手につける。ここは、グループで一番体力の無いものが位置する。一般には女性が占める場所だが、衆目の見るところ,私が一番体力が無いと判断された。続いて、Kさん、Tさん、Fさんの日本人お爺ちゃんグループ。その後ろに女性グループ。中国人男性は殿である。

KさんとTさんは、自転車の長距離旅行は始めて。意外と言っては失礼だが、結構体力がある。尻の皮が剥けるのは覚悟して貰っていたのだが、尻パットを入れてそれも無さそう。10才の年齢差は争えない。

 

風は意地悪く向かい風。

王隊長が、修道僧のように黙々とペタルを踏む。そのすぐ後ろを私がやはり無言で、何が楽しくてこんなことをしているのだという態度で、ペタルを踏む。

劉さんが、見かねたように横に並び話しかけて来た。私が疲れていると思って、励ましてくれているのだ。

俗に物も言えないほど疲れると言う。喋るのは結構体力を使う。それが証拠に、喋りながら走ると、自然に前から遅れる。それに二列に並ぶのは、ときに危険である。

私が仏頂面で、黙っていると、何か不機嫌なことでもあるのかと、なおも心配してくれる。

「私は、疲れているのと違うよ。疲れるのが怖いから体力を維持しているだけだから心配しなくていいよ」と言ったら、やっと理解したのか、後ろへ下がった。

 

102号国道は、殆どの場所が四車線。それに車道と同じ幅の路側帯があって、そこを自転車が走る。

車が一寸途切れたときだった。

女性四人が一斉に、前へ飛び出した。何事ならんと思ったら、何とレースを始めたのだ。サドルから腰を浮かし、深い前傾姿勢をとり長髪をヘルメットから靡かせて颯爽と走る様は、とても孫がいるお婆ちゃんには見えない。狙撃銃を持たせたら、そのまま解放軍女性遊撃隊である。

結局誰が勝ったのかは知らないが、はるか前方で、嬌声をあげ私達を待っていた。

こちらは、魔の三日目をふうふういっているのに、お嬢さん方は余裕を見せて下さる。

 

宿捜しもこの日は手こずった。凌海市政府弁公室の招待所が満員で泊まれない。申し訳ないから、無料で旅館をお世話しましょうと、市政府が面倒を見てくれたのは有り難かった。ところが、窓の無い部屋。それはまだいい。便所が一つしかないのに弱った。Fさんは、痔が悪い。巨体で膝の負担も気になる。だから便所は人一倍気になるのだ。日記のメモを見せて貰ったら、最低の旅館と書いてある。

私も輻輳が気になるから、夜中の三時に起きて、用を足した。

 

夜の食事の席にも暗雲は立ち込めた。

李さんが、昼の酒を注意したのが、徐さん、張さんの二人の気に入らなくて、宿の手配はリーダの責任だとごねる。それはなだめて終わった。

今度は趙さんが、李さんが外からわざわざ買って来た4リットル8元のスプライトが高いとケチをつける。

「なら自分で買って来い」と李さん。

売り言葉に買い言葉。趙さん買いに出たが、戻っても面白くない。

口角泡を飛ばしてなにやら怒鳴りあっている。

挙句李さんが、「ここから帰れ」とやった。

趙さんも立ち上がり、「帰る」とケツをまくる。

仕方がない。私が間延びのした中国語で

「腹減った。食ってからまたやって呉れ」と言ったら、笑いと共に治まった。

 

悪いことは連鎖反応を起こす。

私の中国語は、中国人が褒めてくれるレベル。本当に上手なら褒めてくれない。つまり下手ということ。しかし我流でなんとかこなしている。

それが、中国人九人日本人四人の間にあって、いつも一人で通訳しながら日本語と中国語を喋っている。これは相当に疲れる。

Tさんの求めに応じ、料理の説明を聞く。

劉さんが説明をしてくれるのだが、どうもよく分からない。

 

私は、チビデブ、細目の団子鼻。一見温厚だが、実は人格非円満、気も長い方ではない。

 疲労も重なり、過電流に耐えかねてついにフューズが切れた。

 「自分で聞いてくれ!」と怒鳴り声を上げる。突然の大声に瞬間場が白けた。

 「山崎さん・・・」

 Kさんが、なだめに入いろうとするが、私がまだぽっぽしているので、後の言葉をつぐむ。

 Tさんも黙り込む。申し訳ない、地金が出てしまった。

 魔の三日目は、暗雲立ち込め大荒れである。前途は多難。