2004年9月10日。錦州〜興城。78キロ。晴れ。
錦州は、いまや東北地方沿岸部発展地域を代表する大都会である。人口は300万人を越える。
葫蘆島はその一部。大型外航船が停泊できる港を持つ。先にも書いたが、ここに引き揚げ船、高砂丸と興安丸が接岸し、多くの日本人がここから帰国した。
当時は、一面の高粱畑しか印象にないのだが、いまや高層ビルが立ち並び、広く整備された道路の脇には高級住宅が立ち並ぶ。道も建物もみな真新しいのは、最近それもこの5年位の間に急速に発展したことを物語る。
出発時間が丁度通勤のラッシュと重なり、錦州市の活力を実感した。
郊外に出ると、葡萄畑が道の両脇にある。農民が道端で売っているのが一斤5角。一斤は500グラムだから、キロ1元。日本円で15円である。お腹を壊さないように心配しながら、それでも美味しいからつい食べ過ぎそうになる。
葫蘆島では、海水浴場に立ち寄った。瀋陽の人達にとって、海を見ること自体が憧れでもある。一生海を見ない人も、少なくないのではないだろうか。
浜辺に、コールタールで真っ黒に塗られた漁船が並べられている。
何故かその横に「密航取締り」の立て看板があるのは、世相だろうか。こんな船で、玄界灘を越えるのは信じられない。
興城は渤海湾に面する、国家重点風景名勝区である。面積42平方キロ。日本ならさしずめ国立公園というところか。温泉もある。泉井は12箇所あり、摂氏70度前後の熱湯が毎日1800トン湧き出ている。
10世紀から13世紀にかけて、遼、金の時代に栄えた。仏教遺跡も多く、中でも有名なのは白塔峪塔。八角十三層高さは43メートルある。
宿に荷物を置いた後、少し時間があったので、皆は興城の街に出る。
仏教に関心の深いTさんは白塔峪塔に行きたそうにしたのだが、中国人の皆さんは違う場所に行ったようだ。
私はひたすら体力の温存に務めて、暇さえあれば寝る。自転車旅行思い出の土地は、観光専門で日を改めて、汽車かバスでゆっくり回ることにしよう。
明の時代に寧遠衛城と呼ばれた城郭が、全国重点文物保護単位として保存されている。800メートル四方を青レンガと巨石で囲まれた城郭は、文革で多くを失った中国の中で、ここは今、最も昔の面影を残した場所である。昔はこんな所が、撫順城を始め到るところに見られた。
宿は興城空軍療養院が5元でとれた。ここは全ての面で、今回の最高の宿だった。大学のキャンパスを思わせる広い敷地の、門から200メートルも入った所に、木立に囲まれた三階建ての楼が、宿泊施設。ゆったりとした四人部屋は清潔で、ベッドに蚊帳もついている。コンセントが複数あって、持参したテーブルタップが不要だったのはここだけだった。中国の携帯電話は、電池の寿命が短い。だからしょっちゅう充電する必要があるのだが、四人一度となると、テーブルタップが必需品である。
自転車旅行は、荷物を如何に減らすかに腐心する。その中にあって、中国のどでかいテーブルタップは負担だが、やむを得ない。
10キロ弱の、私の荷物は、下着類が殆ど。
パンツ、肌着、靴下が5着ずつ。長袖衣類二組。Tシャツ二枚。雨具。薬類。辞書。文房具。地図。資料切抜き。カメラ+付属品。パンク修理工具。携帯空気入れ。紐ゴム。テーブルタップ+携帯電話の充電器。老眼鏡の予備。石鹸タオル。殺虫スプレー。防水スプレー。パスポート等貴重品。
必要最小限しか入れていないのだが、すぐ10キロ近くなる。
ゲンを担いで髭を剃らないことにしたから、剃刀も入れていない。歯磨きをしないから、洗面具もない。
余談になるが、私は、歯磨き自体が文明病だと思っている。歯は自慢の歯を今でも24本持っている。失った4本も、なまじ歯磨きをした時期の物だ。
食事の時、何の話題からだったかKさんが、「奥さんには、物が言える間に優しい言葉をかけて上げなくてはいけませんよ」と言う。
あまり立ち入って伺ってはいないが、Kさんは前の奥さんを病気で亡くしている。最後は6年半言葉も言えない状態だったそうだ。
自転車を三回パンクさせて、大笑いしている劉さん。
値切り上手で、「太貴太太」(注)と呼ばれている奚さん。
猿年で、お猿の真似をしてふざける周さん。
歌姫の綽名を持つ、張さん。
しんみりと聞いているが、家家都有難念的経。(家にはそれぞれ、読みにくい経がある。即ち、何処の家にも悩みはある)
「私達も、自転車旅行中は日頃の憂さをはらしているが、いつもは大変だ」と口々に言う。
50才から、勤めの休暇を利用して仏教大学に通ったというTさんも、道楽で宗教に関心をもった訳でもあるまい。
「人並みに、金の悩みを持ってみたい」というような顔をして、一見飄々としているFさんだって、何か悩みはあるはずだ。
私に、悩みはない。食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。しかしこの習慣は好きで出来た習慣ではない。与えられた運命を甘受して、一つの健康法と思っているだけである。
私の妻はある病で身体が不自由である。しかしなんとか自分でやっている。介護保険のお陰で、重い家事労働はヘルパーさんがしてくれる。
私が家にいてもすることは、落とした物を拾ってやる。ビンの蓋をあける。窓の開け閉め。カレンダーの日めくり・・・。
そんなつまらないことでも、私が居ないと不自由しないかと思う。
「心配ないから中国でも何処でもお行き。もう帰らなくていいよ」と送り出してくれた妻。
久しぶりに高級ホテルの静寂を味わう。これも久しぶりで、潮の香をかいだせいか、故郷を思う。
旅行中一度だけ、老妻の夢をみた。
(注) 太貴太太=値切り上手な奥さん。
太貴は「値段が高い」の意味。値切るとき使う。太太は奥さん。
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