2004年9月16日。?安~豊潤。65キロ。曇り。
昨日泊まった野鶏?は?安市に属する。
1975年あの大地震があった唐山から近い。かつては、行政的にも唐山市の管轄に入っていた。
昨夜の雷雨で、道は更に悪いことが予想される。停電で早く寝たので、寝覚めも早い。
李さんと、王隊長が迎えに来たときは、私達四人は既に宿賃の支払いも終わり、身支度を整え外で待っていた。この慣れないことをしたのが、今日の大事件の伏線になる。
102号国道周辺整備工事とでもいうのだろうか。私達が通る近道は殆どの場所が道路工事で、がたがたか、ぬかるみのどちらかである。
どこまで続くぬかるみぞ。この悪路を再び戻る羽目になろうとは、そのときは思ってもいない。ひたすら前進する。
距離の割りには時間が掛かり、目的地の豊潤に着いたときは四時を過ぎていた。宿捜しは、昨日で懲りているので、私達は多目に払っても構わないと王隊長に告げる。
同じ旅館だが、中国人7元、私達は30元と言うことですぐ見つかった。
五時から食事と言うことで、荷物を片付けているときだった。Kさんが何やらそわそわしている。
私は毎日、何かを探している。大事な物ほど仕舞い過ぎて分らなくする。
北戴河で、貴重品入れを探しあぐねて、悲鳴を上げたときだった。「山崎さん、まだ一箇所探していないところがありますよ」とFさんが教えてくれたのが、小物入れの引き出し。
小銭入れを忘れて、李さんのチェックで出てきたこともある。
いつもは、李さんが枕の下まで忘れ物が無いかチェックしてくれているのだが、今日はそのチェックを受けていない。
自転車の鍵をかけ忘れ、徐さんのチェックで、大事には至らなかったこともある。
スピードメータは、毎日外すよう注意を受けているのだが、実際は劉さんが毎日外してくれる。
途中急用が出来て帰ったHさんも、パスポートを無くしたと、大騒ぎをしたことがある。その日は土曜日で、領事館も休み。途方に暮れていたら、結局出てきた。
Kさんも似たような前科が何度かある。だから又かと誰も騒がない。
その点、FさんとTさんは一度も無かった。お二人は60才少し前である。人間は還暦を越えると成長曲線に突然変異が生じるのか、個人差か。
因みに、周さんが自転車の鍵が無いと騒いだのが一回。結局有った。
趙さんがカメラを宿に忘れて取りに戻ったのが、一回。
劉さんは、最後の日に老眼鏡を無くした。
しかし、Kさんの今度はどうも本物のようだ。
思いつめたように、「いつも首から掛けている、パスポート、財布、トラベラーズチェックを入れている袋がない」と言う。
どうも、昨日の宿泊地に忘れたようだと言う。幸い、電話番号の入ってナイロン袋があったので、電話する。半分諦め、それでも期待を込めて、待つこと久し。
なんと「有りました」と電話が掛かってきた。
さあ食事どころではない。王隊長、徐さん、張さん、それに私とKさんが、早速戻ることにする。
徐さんと、張さんはこういうときは非常に頼りになる。中国の職場には、防衛隊という自衛組織がある。軍隊でもない、警察でもない、公安でもない。日本で言えば警備保障がそれに近いだろうか。しかしそれよりは職場の中で実権も持っているし、庶務的実務能力にも長けている。二人ともその防衛隊員なのだ。
張さんが早速、白タクの小型バンを探してきた。130元というのを100元に交渉している。
我ながらよくこんな道を来たものだと感心しながら、暗いがたがたの夜道も戻る。
運転手が、工事中の道を近道しようとしたことで、再びピンチが訪れた。昨夜来の雨で、農道はぬかるみを通り越し、池になっているのだ。水陸両用車で、車を乗り入れるたびに緊張が走る。ここで、エンストしたら・・・、デフが空回りしたら・・・一巻の終わりである。しかし運転手君の最高の技術でピンチを乗り切る。
小さい集落を横切れば、国道というそのときである。道一杯に三輪車がライトを煌々と照らし、その横に一人の男が酔っ払った振りをして「通れるものなら、通ってみろ」というように管を巻いている。後で知ったのだが、山賊の真似をして通行税をせびっているのだ。
5元も払えば通れたのかもしれないが、さすがの徐さん、張さんも手の施しようがないというように、また遠回りを余儀なくされる。結局60キロの道を2時間かけてやっと辿りついた。
昨夜の旅館の従業員は満面の笑みで迎えてくれた。感動したKさんが、紅包に20元包んで手渡した。それを笑顔で、包みだけ受け取って謝意を示し、中身はKさんに返した。「還是中国好!」(やはり中国は素晴らしい!)Kさんが更に感激する。
帰りは少し遠回りでも、安全な道を通ったので、却って早かった。
豊潤に帰ったのが、10時。もう宿の近くの食堂は開いていない。すこし離れた駅まで行って食事をする。
タクシー代を払う段になって、多めに請求してくれと言うのに、130元で納得してくれた。一緒に食事をしようと誘ったのだが、遠慮して来ない。「ではこれで食事をしてくれ」と別に10元そっと握らせた。
感動はその後にあった。
私達が食事を終わり、タクシーを捜そうとしたら、彼が腹をすかせたまま待ってくれていたのである。そして宿まで、無料で送ってくれた。
「還是中国好!」
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