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引き揚げルートを辿る旅「葫蘆島の感激」


ハンドルネーム 鴨緑江
年令 1936年
住所 岡山市
主な滞在地 丹東、長春
著者略歴近況 安東会会員(旧丹東で1936年出生)
日本長春会会員(敗戦時在住 1946年10月末引き揚げれた)
岡山市日中友好協会会員(訪中とボランティアの為)
岡山市と洛陽市とが 友好都市(今年25周年)
現在 洛陽市小浪底の黄河河畔の植樹に毎年行っている(10年計画)
.  「日本僑俘遣返之地  1050000」
 引き揚げ記念碑にて 著者
 6月8日より3日間遼寧省丹東に生まれた私は60年ぶりに1945年当時住んでいた長春を訪ね元の住居や通っていた小学校等を尋ねることが出来た。
 ただ2番目の住居
(北京大街の父が勤務していた銀行の社宅)と人民大街の元銀行の建物が其の儘残っていたのを発見し感動したが他は皆立派に再開発されていて昔の面影は残っていなかった。
 11日想い出多き長春を後に我々は早朝列車で引き揚げたルートを辿り錦州へ向かい6時間強を要して錦州南駅に到着した。此処からは専用バスで葫蘆島に向かい張学良築港記念碑を視察後引き揚げに使われた桟橋の残骸と日本人引き揚げ記念碑及び馬杖房の収容所跡を訪ねた。
 尚当時使用されたメイン桟橋は港内にある筈だが葫蘆島港が軍港であるため我々は港内に入れず詳細は分らなかった。しかし此処へ来て埠頭の残骸を眺めた時の一行の感慨は当事者しか判らないであろう。私は引き揚げ船に乗船した桟橋に立つ望みは実現出来なかったが此処へ来る事が出来ただけでも満足すべきであろうか。尚2年後に張学良築港記念碑の傍に友好記念公園が建設されると聞いた。
 葫蘆島市人民政府の要人2人にわざわざ案内して頂いたうえに昼食会まで催して頂いた好意に感謝する。なお興城市の古城を観光中我々は地元マスコミのインタビュウを受けた。翌日は錦州の収容所跡地の中学校や北大営を車内から視察した後錦州市の古塔を観光後市街を散策した。尚錦州南駅で私は短期語学留学中のメル友の三木照男氏が燕山大学同学の日本語の上手い姜彩蓉姑娘を連れて待っていてくれて2日間を共に過せてよかった。またこの夜昨年我的出生地丹東に連れて行ってくれた丹東出身で今も岡山大学大学院の博士課程に留学中の何暁麗の妹、弟と彼の恋人とがホテルで待っていてくれて熱烈歓迎を受け三木氏等と一緒に会食した。この後私は始めて彼らと中国のカラオケに行き錦州の夜を楽しみ翌13日の早朝バスで大連に向かい14日この実り多き想い出の旅を終え帰国の途に付いた。
 最後に今回の訪問で葫蘆島市人民政府の好意ある配慮と引き揚げ当時こそいろいろあったものの人道的な中国と多くの中国人民のお蔭で100万人を超す日本人が葫蘆島から帰国出来た事を確認し感謝の念を新たにして投稿を終へる。

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