中国人取調室見聞録 | |||||||||||||||
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時は21世紀初頭、中国は改革開放経済の真っ只中を、年成長率9%以上の超スピードで突っ走っている。中国国家統計局2000年12月31日の発表によると、国内総GDPが1兆$を越えたと言う。13億の人口で割って、一人当たり約800$。 2008年、北京オリンピックの開催も決まった。 WTOへの加盟はほぼ決定して加入は時間の問題。加盟が中国経済を更に発展させる期待が寄せられている。 しかし、明るい見通しだけではない。 中国はなんと言っても広い。沿岸地域と内陸の経済格差は避けがたく、経済の成長が皮肉にもその矛盾を拡大している。 又、この好況を示す数字と裏腹に、一方で国営企業のリストラを始め、失業は全国的に深刻である。 そして、この中国経済の好況を示す数字そのものを疑問視する人も少なくなく、中国首脳の再三の否定にも関わらず、人民元の切り下げが近いと囁かれている。 事実、中国の統計局自身が、地方自治体からの報告でなく、改めて企業から直接実態の数字を求めているのである。 わが国では、1889年中国が改革開放に向けて進んだほぼ時を同じくしてバブルがはじけ、右肩上がりの経済が停滞し、長い不況に入る。 しかし、日本の経済成長率は鈍ったとはいえ、1997年現在の数字で、一人当たりGDP24、574$。現在もほぼ変わらないから、GDPで比べる限り、日中には約30倍の経済格差がある。 以上が、この物語の背景にある日中の大まかな経済状況である。 水は高きから低きに流れるが、人は低きから高きに流れる。 内陸経済格差は、中国内陸部の貧しい農村から沿岸部へ大量の人口流動を生んだ。中国では勝手に住居を移すことは出来ないから、この人たちは「流氓」(浮浪者)と呼ばれ、「黒戸口」層(不正居住者)を形成し、社会不安の要因になっている。 これは又、沿岸部から海を隔てた日本への大量の密入国者を生む、圧力要因にもなっている。 中国国内の数字は分からないが、以下法務省のホームページで調べた、入国と犯罪に関係する数字を参考のために掲げる。 法務省 http://www.moj.go.jp/ (2001年9月調べ) 外国人の入国者総数 2000年 527万2095人 1991年 424万4529人 中国人の入国者総数 2000年 94万4019人
外国人登録総数 2000年 168万6444人 1991年 136万2361人 外国人登録中国人 2000年 33万5575人 1991年 22万2991人
中国人不法残留2000年1月1日現在 総数 3万0975人 就学ビザで入国不法残留 7980人 留学 同上 3279人 研修 同上 1080人
2000年度外国人犯罪総件数 2万2947件 内中国人犯罪件数 62% 2000年12月31日現在 被収容者総数 6万1242人 内外国人 4385人 7.2% 密入国はどうなっているのだろう。 2001年4月13日(金)及び23日(月) の二回、「集団密航事案に関する関係省庁実務者レベルの対策協議会」が、法務省入管局で開催されている。 議案の一部を抜粋する。 (本年4月10日現在で既に16件167人の船舶による集団密航が発生しており、前年総数20件98人を大きく上回っている。) 会議は、外務省を通じ中国政府に、密航防止対策の強化を要請することを確認している。 摘発はあくまでも氷山の一角である。実態総数は、推計するしかない。 少なく見ても、不法残留者の3万0975人よりは多いだろう。念のためいうと、この不法残留者は、ビザの期限がきれても出国記録の無いものの合計である。 中国側に密航を請け負う(蛇頭)があり、受け入れは日本のヤクザが関わっていると言われている。 手口は、専用に改造した船舶またはコンテナーを改造したものを使うのが主流。海上検問では容易に発覚しないという。また通信衛星を利用して、海上で互いの接触を可能にしているという。 最近は偽造パスポート、偽装結婚も多い。 (蛇頭)に払う手数料が、日本円で300万円。 300万円というのは、勿論日本人にとっても大金だが、単純に GDPを比較した場合この数字は中国人の年収の30倍である。 問題はそれだけ払ってもペイすると言うことである。言い替えたら、密航者は、密航費用にペイする仕事をしなくてはならないということである。 目標は2年間で借金の返済(この300万円は全て親類縁者知人からかき集めてきた高利の借金である)。中国人密航者の一つの特徴は、彼が一族に選ばれた金儲けの代表選手であるということだ。 三年目以後が蓄財。計画通りなら約四年で一生不自由しない金が稼げる。現に成功者は身の周りに居る。失敗者も居るがその成否は約80%。誰もが80%に賭ける。 しかし日本も求人状況は厳しい。言葉も不自由だから、従事できる仕事は限られる。建設業、清掃業、ガラス産業、鋳物工業等いわゆる3K(キツイ、汚い、危険)作業である。 時給1000円足らず。14時間労働。 勿論時間外手当なんか無い。同業の日本人に比べて賃金が低いのは分かっているが、自分も弱みがあるので文句を言わない。くびが怖いから実によく働く。 誰かがやらなくてはいけない、最も底辺の最もキツイ仕事を、最も安い条件で、黙って彼らが引受けてくれているのだ。 何人かの人々は、重労働と故郷からの重圧に耐え切れず、誘惑に負け一攫千金の道に走る。 中には、最初から蓬莱の国を、泥棒天国と見て来た人間も居る。 N署 被疑者 A 19才 女子 B 23才 女子 容疑 出入国管理及び難民認定法違反 資格外活動 事件概略。 被疑者両人は留学生の身分で来日し、風俗営業店で働いていて現行犯逮捕された。 XX年XX月第1日 すでにある程度の調べはすんでおり、今回は拘留延長再逮捕に伴う簡単な取り調べの通訳である。 生活指導担当の刑事さんが、「しぶといですよ。何を聞いても不知道としか言いません」と被疑者Aについて予め説明して呉れる。これは大変なのに当たったと覚悟を決めていたら、取調室に連れてこられたのは、色白小柄ぽっちゃり、南方系の可愛い子だった。 彼女好奇心一杯の無邪気な眼差しを私に向ける。 尋問は型どおり、黙秘権の告知から始まる。ついで容疑事実を読み上げて確認を求める。 実にはっきりとした口調で (不知道)ブチダォ「知りません」と予期した返事が返って来た。 この(不知道)と(没有)メイヨウ「有りません」は、取り調べに当たった刑事さんが最初に覚える中国語で、この業界ではもう日本語と言っていい。そういうわけで、そのまま日本語として使わせて頂く。 そのあと独り言で言っているのをよく聞くと「成田なんて知らないよ」と言っている。 「どうも成田という地名を知らない、と言っているようですよ」と刑事さんに言ったら、質問を変えた。 「日本には飛行機で来たのか」 「はいそうです」 「東京は近かったか」 「バスで、一時間位で着いた所が東京だと思います」 読み上げた容疑事実には、私も知らない成田の正式な所在地番地まで記載されている。どうも何を聞かれたかも分からなかったので(不知道)と答えたようだ。以下、着いた日等もすらすらと全てを認めて、肩透かしを食らったように簡単に終わった。
次いで被疑者B。 「もう全部話しました。私は何もしていません。どうか釈放して下さい」と私に懇願する。 更に「殺すと言われても、もう私にはこれ以上話すことはありません」と、涙ぐむが、私にはどうしょうもない。その意を通訳するだけである。 再逮捕は一つの儀式だが、一度形式的に釈放して、数歩歩いた所で再び新たな容疑事実を読み上げ逮捕する。束の間の自由。 手錠に腰縄姿というのが、こんなにも痛々しいものかとしみじみ思わされる。 「万引ダンサー」 O署 被疑者 R.S 24才 女子 身長約165センチ、色白、長髪、小学校教師、未婚。 容疑 窃盗(スーパー万引) 事件概要。 O市のスーパーマーケットで、時価9万円相当の婦人用下着、衣服約20 XX年XX月第1日 彼女、ダンサーという身分の、三ヶ月の短期滞在ビザで来日し、入管法上は正規の入国である。 逮捕されたとき持っていた財布の中にあった送金控えによると、故国に40万円送金している。3ヶ月の査証で来日し、わずか2ヶ月で40万円の送金をしているとなると、当然不正な方法での稼ぎ、例えば売春などの嫌疑は濃厚である。働いていた場所はいわゆるクラブ。雇用主も、その筋の人間である。 雇用主がすぐ弁護士をつけたのは、たかが万引した従業員の身を守るためとは思えない。 取り調べ一日は、黙秘権の告知、容疑事実の認否。 日本の警察は紳士的に取り調べることを保証するというと、安心したのか態度も明るい。 刑事さんが「下着の準備は要らないか」と尋ねるのにも「要らない」と答える。「早く帰らないと、ママさんが心配する」とも言う。 実は、一緒に来た仲間の一人が、最近やはり万引の現行犯で捕まった。その件は、被害額も小さく店の人の温情もあって即日釈放された。彼女はこのことを知らないと言うが、毎日一緒に暮らしている友達のことを知らないとは考え難い。自分も、全部買い取って弁償すれば問題ないだろう、と高をくくっているふしがある。 それにしてもいつも思うのだが、研修生の受け入れ主を始め、雇用主の外国人従業員に対する教育が足りないと思う。 「泥棒をしてはいけません」という道徳教育より、如何に捕まり易いかの仕組みと、日本警察の検挙率の高さを教えるべきである。防犯カメラは、注意を喚起して出来心を防ぐため、わざと見え易い所にも設置されてあるが、他にももっと巧妙にしかけられている。第一、中国人が入って来たというだけで、専門の警備員がそれとなく尾行しているのである。 出来心は勿論悪いが、出来心を起こさせない心配りは更に必要だと思う。こんなに他愛なく捕まる初心な泥棒を見ていると、憎むより誘蛾灯に引き込まれた虫の哀れを誘う。 初日は、ここまで来た経路など、簡単な尋問だけで終わる。 XX年XX月第2日 彼女「盗ったのは事実だが、盗る気は無かった」と犯意は頑なに認めない。所持金は10万円近く持っていた。これを買うに十分の金額である。 しかし、彼女に決定的に不利なのは、鞄にU市にある系列スーパーのビニール袋を入れていたことである。これに盗品を入れ、レジを済ませたように装うため、準備したと疑われても仕方がない。 「この袋は何故鞄に入れていたの?」 「前にU市のスーパーで水着を買い、そのとき貰ったものです。レシートも財布に入っています。鞄に入れていたのは、途中で食事をするためのパンを包んでいました。」 「盗んだ品物を入れるために、用意して来たのと違う?」 「私は最初から最後まで盗む気は有りません。買うつもりでした。出口ですぐ逃げなかったのも迷っていたからです。」 「日本の警察をなめるんじゃない!!」 ついに刑事さんが声を荒げた。 彼女、文字通り椅子から跳び上がった。 通訳の立場は中立である。私は、被疑者に対して二人掛かりで尋問をしているような圧迫感を与えないよう、出来るだけ感情を殺して物を言う。このときも、 「あなたは、日本の警察を軽視してはいけません」と本を読むように単調に通訳する。しかし語気は、通訳しなくても十分に伝わっている。 彼女「お腹が痛くなったから、便所に行かせて下さい。」と言う。 便所は婦人警官が連れて行く。婦人警官が来るのを待っている間、彼女辛抱出来なくなったのか、卒倒してしまった。 婦人警官一人ではどうしょうも無い。若い刑事さんは、立場の手前もあり手を出さない。仕方が無い。私が彼女の両手を引くようにして抱え起こす。 「男女7才にして席を同じくするべからず」と言った孟子も、「溺れた婦人を助けるときは、手を握ってよい」と言っている。孟子ですら許して呉れるのだ。私も、まさかセクハラと言われることはなかろう。 刑事さんが大きな声を出したのは,後にも先にもこの一回だけ。通常は,税務署の確定申告みたいな雰囲気で,穏やかにやっている。通訳は止むを得ないとして,心理的圧迫を加え強要したと言われないため,取調官と被疑者は,一対一である。 被疑者に唯一心理的圧迫を加える物があるとしたら,窓の鉄格子。間口一間奥行き二間の取調室は実に殺風景。スチールの机が一つ,椅子二乃至三,長机一つ。それだけしかない。 テレビドラマの刑事物で出る取調室は,カメラが入るスペースが要る。それに画面には出ていないが、この部屋にはフィールドディレクター他撮影関係者も入らなくてはいけないから広いが,私の知る取調室は、何処もみな同じで狭い。 取調べ官も例外なく一人である。 壁や机に時々落書きが見られるが,日本人の取調べも,取調べ中被疑者に無聊の時間があることが何となく想像できる。 生理的欲求を満たす要求は出来るが,黙っていたらお茶も出ない。 閑話休題。 という訳で、今日は取り調べにならない。 XX年XX月第3日 昨日に続いて犯意の有無を尋問する。 「私達は君に反省して欲しい。そして二度と同じ過ちを犯して欲しくない。そのためには本当のことを話さなくてはいけないよ。嘘をつく人は必ずまた同じ間違いをする。」 と刑事さんが諭すように言う。しかし彼女依然として頑なに犯意は認めない。 「では君は盗る気はないけど盗ったのだね。」と、ここではそれ以上の深追いをしない。 取り調べは、必ずしも、のべつくまなく尋問をしている訳ではない。ときには話題を変えて世間話もするし、調書を作成している間は無言のブランクも出来る。 そんなとき、私は刑事さんの許しを得て雑談をする。雑談の話題は直接事件に関係のないこと、例えば食べ物に関すること。 「食事はすみましたか?」これは中国での日常挨拶である。「民以食為天」。民は食を以って天と為す。この言葉は、人生で一番大切なことは食べることと直裁に言っている。 「日本の食べ物には慣れた?」 「今一番食べたい物は何?」 「君の故郷は何処?」 実は私は刑事さんに予め聞いて知っている。しかし始めて知ったような顔をして、用意した中国の地図を広げる。そして「この辺の名物は何々だよね」と水を向けると、後はエンドレステープである。こちらが何も聞かなくても、故郷の自慢話をいつまでも話して呉れる。そして更に話題は発展する。 問わず語りに、 「自分には5年交際した恋人がいたが、彼は昨年別の人と結婚した。」と言う。 遠くを見つめるような彼女の眼差しは、語るだけで充分気持ちが満たされたことを物語っている。 刑事さんが,証拠物件として預かっている高級ブランド物の財布を取り出し, 「これは,その彼氏からのプレゼント?」と尋ねる。彼女が恥ずかしそうに頷く。 これはどの被疑者も同じだが、彼らはむしろ取り調べを楽しみにしている。異国で、母国語で話が出来るということが、何よりの憂さ晴らしになるのだ。 彼女も、土日は取り調べが無いので寂しいと言う。更に留置所に一人だと、夜が怖い。何日帰れるかと私に尋ねる。こればっかりは、知っていても答えていけないことになっているが、知らないのだから答えようがない。 「何故O市に来たのか」 取り調べが再開される。 「この市の美しい川をポスターで見て、一度遊びに来たかったのです。」 彼女の故郷は美しい渓流で知られる、有名な景勝地である。いままでの雑談の続きのように、嬉しそうに、故郷の町の川も美しいと話す。更に自分は水泳が得意だとも言う。 切符をどのようにして買ったか等、今日は比較的答え易い尋問で終わる。 XX年XX月第4日 中国に送金した40万円の出所について尋問する。 給料は20万円。仕事はステージで踊るのが主で、ときに客のリクエストでカラオケを歌うこともある。客席に侍って酒を注ぐようなことは無いと言う。 給料以外には、食費として日に1000円貰うが、ママさんが良い人で、お米や野菜、魚等自家用の余りをよく呉れる。殆どそれで間に合わし食費は全部浮かす。出費はわずかの化粧品代位だから40万円貯まったと言う。 辻褄は合っている。出来すぎる位合っている。しかし田舎町の小さなクラブに踊り子が5人、ステージでの踊りだけで100万円も給料を払うだろうか。疑問は残るが、今回の逮捕容疑は窃盗だから、それ以上の追及はしない。 生活習慣も尋ねる。朝は10時、時には昼近くまで寝る。5時半に、ママさんが車で迎えに来る。店の片付けが終わると2時近い。とにかく寝るのが楽しみだとも言う。 「自分は中国で小学校の先生をしているから、子供が好きだ。だから休みの日は公園で子供達とよく遊びます。」と言う。 小学校の先生をしているというのは本当だろう。国語と体育を受け持っているそうで、非常にきれいな標準語を話すし、字もよく知っている。 この日、私は通訳として一番してはいけないことを、してしまった。 例によって雑談をしていたとき、 「明日は私の誕生日です。母に電話することになっているのですが、出来ません。心配しないようにとだけ、中国に電話して貰うよう友達に連絡して貰えないでしょうか」と頼まれる。刑事さんに言ったら、 「さあ、上司に相談はしてみますが無理でしょう」と言う。 彼女にその通り言ったら、ひどくがっかりした表情をする。そして念仏のように低くある数字を呟く。それが彼女の電話をして欲しい中国の電話番号というのはすぐ分かるが、私は知らん顔を決め込む。 取り調べが終わり、手錠に腰縄姿で取り調べ室を出るとき、再び哀願するような口調でこの念仏を唱える。 私はその晩、ついにU市の彼女の勤め先に電話をした。勿論身分は明かさず、用件だけを告げた。 XX年XX月第5日 本来は口をつむぐべきかもしれないが、私も隠し事をするのはなんとなく落ち着かない。 朝お茶を飲みながら刑事さんと二人になったときだった。 「昨夜、U市のクラブに発信人不明で、中国へ電話の依頼があったようです。」 独り言のように白状する。 「えーっ!そんなことを!」と刑事さんが絶句する。 そして「今後は絶対にそんなことをしないで下さい。」と、お目玉を食らった。 私はただひたすら頭を下げる。年老いた父親が若い息子にお説教を食らっているあの図である。 逮捕されたとき、被疑者は、国内に連絡者を一人だけ指定することを許されている。しかし国外となると,規則はどうなっているのだろう。まあ、鬼の目にも涙があっていいのではないだろうかと、勝手に思う。 バスの切符をどのように買ったのか尋問しているときだった。 「日本の、バスの切符の買い方は、どうして知っていたの?」 「バスにはよく乗ります。」 「それは何処へ行くため?」 彼女どうしても答えない。最後に「調書にしないで下さい」と言った後、やっと答えた。 「ある男の人に会うためでした。」 「とっくに知っているよ。この人だろう。」 と刑事さんが名前を紙に書いて見せるが、彼女首を横に振る。 今度は刑事さんが鬼の目に涙、「言いたくないのなら、もういいよ」と敢えて追求しない。 彼女、「私はこの人と結婚したい。しかし立場が違いすぎる。」と私に言う。 こういう話題には、私は例によって曖昧に頷くしかない。 続いて盗品の確認。次々に並べられる艶めかしい婦人用下着を前にして、 「僕はどうもこういうのが苦手で」と、若い刑事さんが眉を顰める。 今度は彼女が、刑事さんの苦境を救う番。 「全部間違いありません」と一括して認めようとするが、そうもいかない。 婦人用下着の専門語は私も知らないので、図解中国辞典と首っ引きで絵を見ながら通訳する。 XX年XX月第6日 当然ながら,中国人が日本に合法的に入国する方法はある。 3ヶ月以内の短期滞在なら,招聘保証書。それ以上なら在留資格認定証明書を添えて,現地の大使館又は領事館にビザの申請をすればよい。受理後11日以内に何らかの返事がある。 在留資格は,外交から始まって留学,就学,研修,短期滞在,興行,文化活動等等24項目あるが,問題なのは,そのどれもが,「本邦において行うことができる活動」として,所謂就労を許していない。 招聘保証人は,建前上だれでもなれるが,実際問題として,招聘理由と保証人との関係を,入国審査官にすんなりの写しを添え,その代表者になって貰う。 在留資格認定も,申請の段階で「経費負担者」という者が必要になる。実質的には保証人である。これも建前上は日本人以外でもなれるが,中国人が日本の入国審査官に経費負担能力を客観的に証明するのはかなり難しい。 中国人の来日目的は,端的に言って出稼ぎだから,ここに蛇頭が入り込む余地がある。 蛇頭の手口は海上コンテナーの密航だけではない。むしろ,偽装結婚,偽造パスポート,偽残留孤児,等が今の段階では主流とも言える。 可能ならば、形式的には全く合法の書式を揃えるのが最も上策である。 彼女の場合は,興行ビザで来ている。 このビザも真偽は怪しいが、今回は中国国内の身分証明書と照合している。全ての中国人が、日本の運転免許証より少し大きいカードを常時携帯していて、それには姓名、民族、生年月日、住所が写真と共に明記されている。この身分証明書も偽造はあるが、普通はそこまで彼らも用心していないので、これと照合して人定確認すれば、まず間違いない。 全ての中国人と言ったが、一人っ子政策に違反した者、勝手に住所を移した者には、これは無い。この人達は(黒戸口)と呼ばれ、学校にも行けないし、表街道は歩けない闇人口である。もし正規の身分が欲しければ、日本円で約50万円要る。 今回は、入国手続きまでに違法は無いが、入国の仲介をし、報酬を得た者がいる可能性は高い。 中間に誰が介在しているか,もしそのような者がいれば、彼こそが蛇頭である。尋問はこの方面にも及ぶ。意外に日本人が直接中国で面接している。仲介者は母親の知人。面接の場所,日時,内容等は答えるが,報酬を幾ら払ったかは,否定する。 これは想像だが,彼女は今回逮捕されなかったら,間違いなく不法残留したはずだ。短期の興行ビザから,不法残留は圧倒的に多いのだ。 「長い目で見れば,今回逮捕され強制送還されるのは,むしろ彼女のためにはよいかもしれませんよ」と,刑事さんが言う。 XX年XX月第7日 「最後に聞くけどね、どの時点で盗む気になった?」 もう彼女も観念している。今更犯意の否定はしない。 「品物を籠に入れた時でした。」 続いて、事後の行動確認。 「その後どうしたの?」 「盗品を入れた手押し車を押して、エレベータに乗りました。」 「エレベータには他の人は乗っていなかった?」 「斜め前に、母親と3歳位の親子連れが乗っていました。」 「一人だったのと違う?」 「いいえ、人が乗っていました。」 「警備員は一人だったと言っているよ。」 「私がここで嘘を言って何になりましょう。一人ではありません。」 押し問答の末、最後に彼女が「警備員の人がそういうのなら、一人だったのでしょう。」としぶしぶ折れた。 この件に関してだけ見ると、私は彼女の言い分が正しいと思う。 エレベータに乗る順番は暗黙のルールがあって、最初に乗った人が入り口の昇降ボタンの前に立つ。次の人はその反対側。これが一番自然な動きである。 証言による彼女が立っていた位置(昇降ボタンの向かい)そのものが,すでに先に乗客がいたことを暗示している。 警備員が彼女の存在を確認して、更に彼女の言うドアの陰の親子連れが居ないと確認出来るためには、エレベータを覗き込むという、尾行者としては不自然な位置を占めなくてはならない。 警備員は「少なくとも彼女一人は乗っていた」とは証言できるが、他に人が乗っていたという彼女の言い分を否定するのは難しいと思う。 それに彼女には、盗品を、買い物籠からビニール袋に詰め替えるという大切な作業があった。人の目は敏感に気になったはずである。一人になる機会を待ったはずだ。事実警備員も「すぐにはエレベータから出て来なかった」と証言しているのである。 警備員は、正義の代弁者という錦の御旗を持っている。被疑者、被告の立場は弱い。 地動説を唱えて宗教裁判にかけられたガリレオが、教会の主張する天動説を認めながらも、なお「それでも地球は回っている」と呟いた心境もかくばかりか。 これは私の憶測だが,彼女に敢えて主張を曲げさせたのは,刑事さんの温情だと思う。もし警備員の証言と異なる調書を作成し,その正否の判断を第三者にゆだねると,彼女が嘘吐きということになりかねないし,心証を悪くする恐れがある。 もっと重大な事件なら,警備員の偽証まで含めて整合性を争われるのだろうが,そんな問題ではない。 調書が出来る端から、通訳して読み聞かせ確認を求める。 「もう10枚になった」と、彼女不安の表情をする。 「調書が多くなるということは、君にとって有利なのだよ。それは君が正直に白状したこと、即ち反省しているという何よりの証明だから。」 と説明しても、なお不安の表情を隠さない。 最後は14枚になった。末尾に「寛大なご処置を…」と書かれている。 「私は結局どうなるのですか?」と彼女が、更に深刻な表情で私に尋ねるが、こればっかりは言えない。しかしこの最後の取調官の一言が、何より起訴猶予を暗示している。 因みに平成12年版犯罪白書によると、 窃盗 13万9778人 構成比 12.2% 交通関係業務過失を除く起訴率 59.4% となっている。 「私が君に会うのも、今日が最後になるでしょう。お元気で。」 私が言えるのは、精々ここまでだ。 その後O署からは、何の連絡も無かった。 H署 被疑者 W.F 27才 約175センチ 長髪 痩せ型 美男の部類 容疑 窃盗 事件概要 いわゆる広域窃盗団を構成し、共犯二人と車でM市近郊及びM市を中心に半径100キロの広範囲で約20件の空き巣を働いている。 XX年XX月第1日 担当の刑事さんが、最近の外国人の犯罪、中でも中国人の犯罪の激増が市民生活を脅かしていることを説明して呉れる。今回広域窃盗団が二組5名、関連してエステ等風俗店で働いていた中国人女性数名が一時に逮捕され,当署だけでは留置所に入りきれず,周辺の幾つかの留置所に間借りをしているそうだ。 「私達は、この際不良外人を一掃します。それが本当の意味での両国の親善につながると思うからです。」 2000年2月18日、出入国管理及び難民認定法に関する一部が改正になり、不法滞在に対する取締りも強化された。当然関係当局の態度も厳しい。 被疑者W.Fはこの事件の主犯格。本部の専門の通訳が担当して、殆ど取り調べは終わっている。今日は正規の通訳が多忙なので、私はピンチヒッター。それと、翌日現場検証に私が立会い通訳をするので、その下準備の意味もある。 W.F君グループサウンズで、エレキギターを持たせたらよく似合いそうな、スマートな好男子。童顔に似合わず、やったことは凄い。いずれ余罪が出ると思うが、本件の容疑事実だけでも20件はある。 何故、M市を根城に盗みを働いたか。 最近窃盗団が、警備が手薄と見られる地方都市に舞台を移している。 それに、この色男の情婦(警察はこの言葉を使っていないが)が、当市のエステで働いていた。だとすると当地の被害者こそいい迷惑だが、彼の情婦はまだ全国各地に居る。かれの活躍舞台も当然広いだろう。 今にして思うと、この情婦も偶然M市に居たのでなく、窃盗団の先乗り先遣隊の可能性も考えられる。 その後,M市のエステグループは、何人か逮捕された。しかし肝心の彼女には逃げられた。私の想像だが,彼女がW.Fに電話し,掛からなかったか,不自然な応答があったか,とにかく危険を察知してずらかったのだろう。W.Fから連絡する余裕は無かったはずだ。ただ彼らは逮捕される当日不吉な予感があったそうだから,事前に連絡したかもしれない。 更に別のグループの逮捕で判明したのだが、彼の姉が「故買屋」即ち盗品の処理をしている。パソコン一台当たり3万円で買取り転売する。株券、切手、収入印紙等有価証券の売却も担当している。家族ぐるみ、一族総出の彼らの活躍舞台は、日本全国に限らない。シンガポール等東南アジア一帯を荒らし回っている。 故郷には既に豪邸があるそうで、「どれ位の家?」という私の疑問に答えて、彼が自慢気に指差した窓から見える建物は、民家というより、会社のビルだった。 今日の尋問は、建造物侵入未遂容疑に関するものである。 ある所で、警報機が鳴り逃げた。そのとき彼が財布を落とし、一つの有力な物証になっている。 財布を見せると、自分の物だと素直に認める。 「警報機はどんな音がした?」 彼が、いい声で歌うように真似する。 一同大笑い。取り調べはここまでが大変なので、この段階までくると、談笑を交えて屈託がない。 彼とは、その後も臨時の通訳で何回か会ったが、その都度笑顔で挨拶する。この笑顔だけ見ていると、とても広域窃盗団の実行隊長には思えない。共犯者の取り調べの過程で、彼の凄腕が少しずつ私にも分かる。 XX年XX月第2日 現場検証は,単調な留置所生活者にとっては楽しいのだろうか。ピクニック気分で,W.Fが陽気にニーハオと挨拶する。 ミニバンの後部座席に,留置の担当官二人が,手錠に腰縄の彼を,挟むように座る。 高速道路を降りたあたりから,車は徐行する。土地感のない彼に現場までの案内をさせるのは無理だが,近くまで行くと彼の記憶と印象により車を動かす。犯行は夜中だから,ときにはっきりしないこともあるが,それでもほぼ正確に案内する。 車を停めた場所、侵入口、逃走口全て明快に、手錠に腰縄姿で指し示し写真に納まる。 以前テレビのある番組で,退職刑事さんが,泥棒に入られない防犯講義をしていた。 その第一は,よそより少し用心するということ。彼らは比較して少しでも入り易そうな方を選んで入る。 時間が掛かるのを一番嫌がる。開けるのに5分以上粘る泥棒はまずまれである。 人の目につくのを嫌がる。声を掛けられたら100%やめる。 それを思い出しながら見ていると,現場は全て適合する。よくこんな所を見つけたなという,一見侵入に不便そうな所も,彼らにとっては安全作業場だ。 昼食はほかほか弁当。規則を厳密に解釈すると,彼は留置所で準備した弁当以外は食べられないのだろうが,刑事さんもそんな冷たいことはしない。 「こんなに上手い食事は久しぶりだ」と一人前平らげた後,留置所の弁当も平らげた。 車を運転していた日本人の共犯は、まだ捕まっていない。 「近く必ず逮捕します」と刑事さんが力強く断言した。 XX年XX月第3日 「調書の訂正で、簡単なことですがお願いできますか」と担当の刑事さんから電話があった。担当の通訳が、都合が悪いらしい。 日本人の運転者が逮捕され、それに関連する調書である。 仕事は10分もしないで終わったのだが、久しぶりということで少しお喋りをする。 「君は流石にプロだ。凄い能力を持っているそうではないか」と、覆面パトの尾行を見抜いたことを言うと 「そのプロと言うのは止めて下さいよ」と照れくさそうに言う。 「どうも、あの日は変な予感がありました。それにおかしな車につけられている気がしたので、止めたのです。」 「変な音に気が付かなかったか」と刑事さんが尋ねる。 彼には通訳しないが、その日は空からもヘリで追跡した。 「尾行は、簡単なようで非常に熟練と経験が要る難しい技術です。」と刑事さんが反省を込めた口振りで言う。 彼らは何故か、月曜から金曜までしか仕事をしていない。泥棒にも週休二日制があるのか聞いたら、土日は飲酒運転の取り締まりで、夜のパトカーが多いそうだ。そんなものかなと思う。 共犯の関係で、公判も延びた。彼の留置所生活も大分長くなった。髪もかなり伸びている。 「散髪してやろう」 床屋に行けない彼に対して、これも刑事さんの仕事だ。 I署 被疑者 H.C 30才 163センチ 腰痛がある 容疑 窃盗 事件概要 W.Fとチームを組み、主に事務所を荒らす。約20件。 XX年XX月第1日 本来H署に身柄があるが、先に述べたように収容しきれなくてI署の留置所に入れられている。担当の若い刑事さんは、それでなくても忙しいのに、取り調べの往復だけで小一時間ロスする。 被疑者について、簡単な事前説明によると、 1 逮捕直後は嘘ばかり言っていたが、いまは素直になんでも言う。 2 勘だが、なにかを隠しているような気がしてならない。 3 学歴はないが、非常に頭が良い。 4 中国に奥さんと、幼稚園前の娘さんが居る。 5 F省から2年前、偽造パスポートで密入国。 6 東京近郊のガラス工場で仕事をしていて、これまでの調べでは初犯。 約一ヶ月前、M市のビジネスホテルで、先のW.Fそれに後で登場するS.Sと一緒に逮捕された。警察は、現行犯逮捕を狙って張り込みしていたのだが、高飛びの恐れが出たので、出入国及び難民認定法に関する違反で緊急逮捕した。パスポート不携帯である。 窃盗容疑での取り調べは今日が始めて。しかし別件で取り調べをしてかなり日が経っているので、取調官と被疑者の間には一種の連帯感が生まれている。 刑事さんからの電話も、 「ちょっと出してやろうかと思うのですが、XX日先生のご都合が如何ですか?」と掛かって来る。 私の知る限り、全ての被疑者が取調べを楽しみにしている。 単調な留置所から出られる。 煙草が自由に吸える。 母国語が話せる。 中でも単調ということは相当に辛いらしく、早く刑務所に行きたいと言う。そこで仕事があることが嬉しいのと、取調、起訴、裁判、判決、この間どうなるかの不安から早く逃れたいのだ。
逮捕容疑を読み上げ、認否を求めると、にこにこ笑いながら 「ゼンブマチガイナイ」と日本語で答える。 今日は第一日、「顔合わせみたいなものだから雑談をどうぞ」と言われ、例により毒にも薬にもならない話をする。私にとっては、話題よりも、雑談を通して被疑者の言葉の癖を掴むのが大事なのだ。そしてこちらの癖も分かって貰う必要がある。 彼は、発音も良いし、頭がいいから筋道をたてて話をする。いい付き合いになりそうだ。 XX年XX月第2日
今日も雑談をする。話題は食べ物等当り障りの無い身近な話から、家族のこと、これまで旅行した所の話と、大分中身が濃くなっている。 この雑談は、取調べでは非常に重要なウェイトを占めている。 第一、 被疑者が黙り込むのが、一番始末が悪い。雑談は、被疑者の心を開くところまでいかなくても、「口に油を差す」効果がある。 第二、 取調官は、臨床心理学の問診よろしく、さりげなく、雑談を通して被疑者を観察している。 第三、 今回のように、外国人の取り調べの場合は通訳の私との意思疎通にも役に立つし、取調官は、彼の物の考え方に直接ふれることが出来る。 H.Cは日本の新聞を読んで、意味が判読できる。留置所内の新聞で、中国人と見られる金庫の窃盗事件が報道されているのを見た。 「○千万円か、凄いな!」 彼はこれまでにも、十分悔悛の情を示しているが、それが犯した罪に対する悔悛か、逮捕されたドヂに対する後悔か。 羨ましそうな口ぶりは、後者にもとれる。 もし○千万円も収穫があったら、すぐそれだけで帰国しただろう。 因みに今回の彼の分け前は、全部で数十万円のはずだ。被害届けの被害総額は○○百万円あっても、実際に手元に入るのは、例えばパソコン一台3万円。それを3人で山分けしたら一万円である。 その数十万も、宿賃、飲み食い、パチンコに消えて、逮捕された時は、煙草代にもことかくありさまだった。まさに「悪銭身に付かず」 刑事さんが、英語でEasy come easy go. と紙に書く。H.Cが中国語で(易入易出)と書く。 「真面目に続けて働いているときは、月に最低でも20万円は送金出来た。当時は煙草代も惜しかったが、悪いことをした金はパチンコなどしてすぐ無くなった。」 この後悔は本物である。 尋問が始まる。 「最初の日は、何処へ行ったの?」 「地名は知りません。」 「どのようにして行った?」 「自動車でした。」 「運転は誰がしましたか?」 「日本人です。」 「行く場所は誰が決めたのですか?」 「W.Fです。」 「彼は日本語を話せないでしょう。」 「地図を見て、適当に指差しました。」 彼の供述は淀みない。 「今日は、この辺までにしましょう」と核心部分には入らないまま終わった。 XX年XX月第3日 H.Cは実に記憶力がいい。 一ヶ月以上も前のことを、昨日のことのように話す。 「地名は知らないが、高速を降りたコンビニの近くに、○○という標識があるはずだ。」 後で刑事さんが確認したら、その通りだった。 「おだてりゃ豚でも木に登る」ではないが、二人で 「君は実に頭がいい」と誉めそやす。お世辞ではない。本当にそう思う。 「車を停めたのは、○○という焼肉屋の近くです。」 「建物横の錆びた鉄の階段を上り、二階の窓から入りました。」 「事務所の机の配置は、凡そ図の通りです。」 と、供述は具体的且つ鮮明で全く世話がやけない。 しかし、ある一箇所だけ、彼の供述する犯行時間が一時間おかしい。 警報機が鳴ったので逃げた、建造物侵入未遂容疑のあの現場である。主犯のW.Fの証言ともずれているし、なによりはっきり残っている警報機の動作時間記録とも大きく食い違う。 「それは、警報機の方がおかしい。」 とH.Cは自身満々に答える。 携帯電話の通話記録に、丁度その時間奇妙な記録が残っている。 この小さな嘘の後ろに何があるか。 嘘を言っているのなら、必ず理由がある。真の答えはここにある筈だ。 何かが匂うのだろう。知らん顔をしているが、私には若い刑事さんが「何かを隠している」と、こだわっているのがよく分かる。 広域窃盗団の特徴は、司令塔と、実行犯が完全に切り離されていることである。 以下少し中国人犯罪の特徴の一端を紹介する。 日本人窃盗の80%が単独犯であるのに比べ、中国人窃盗の大半は(幇)と呼ばれる結合体を通して行われる。 結束はすこぶる固い。結束が固いということは、逆に互いに融和し難いことを意味し対立も激しく、新宿など中国人の多いところでは、中国人同士の抗争事件が絶えない。 大まかな手口は、俗にヒットアンドアウェイ方式と呼ばれ、実行部隊は司令部からの指示により行動し、終わればすぐ現地を離れる。 現地には飛行機等の交通機関で乗り込み、指示された日本人運転手と落ち合い協力、手当たり次第盗みを働く。 贓品は託送便で後方支援部隊に送り、現地には何も残さない。組織化されていて、まさに神出鬼没。 贓品の宝石が、日を経ずしてニューヨークのオークションで発見されることもあると言うから、組織の裾野の大きさが想像できる。 実行犯は司令塔と直接接触していない。だから現場で実行犯を逮捕しても、トカゲの尻尾切りで終わることが多い。 しかし、接点は必ずあるはずだ。 この司令塔潰しこそ、警察の真の狙いである。 司令塔と実行犯の仲介には、日本の事情に詳しく、また中国人にも信頼がある人間が必要になる。 先に掲げたように、留学生から不法残留者が際立って多い。彼らの一部がドロップアウトして、日本のヤクザと結託して悪事の手先になっているのは容易に憶測される。 H.Cの従兄弟に留学生がいる。授業にもまともに出ていない。その時間、H.Cは彼に電話しているのである。 こんな推理はどうであろう。 (日本人運転手が、警報を聞いて逃走した) (H.Cが従兄弟に電話して、運転手への連絡を依頼した) (日本人運転手が探しに戻った) 実は、大胆にも彼らは、その後も次の現場で盗みをしている。その間不可解な時間差が有る。 だとすると、この不可解な時間差も、彼らが運転手とはぐれた時間として説明がつく。 この時間差の矛盾をなくすには、ここでの犯行時間を一時間遅らせる必要がある。嘘の原因はこの辺と予想される。 逃走経路も、二人の証言は微妙に食い違っている。 W.Sの方は、財布を落としているので明白だが、H.Cは別々に逃げたと言うし、W.Fは一緒に逃げたと言う。運転手に逃げられ、二人が相当に混乱していたのが想像される。 身長も高く、身の軽いW.Fは直線距離で垣根を越えて逃げ、そのとき財布を落とした。上背が低く腰を痛めているH.Cは道路を逃げた。真相は多分こんなことだろう。 嘘か、単なる勘違いか、日本人運転手の逮捕を待って判明するに違いない。それも近い。 H.Cが、従兄弟を司令塔との接点と知っていて、とぼけている可能性が高い。 XX年XX月第4日
K市の現場検証を行う。 高速道路で約150キロメートル。隣県の県庁所在地である。 彼らの窃盗現場は全く計画性が無い。 「泥棒する場所はどうやって決める?」 「地図をみて適当に決めます。」 「それじゃ博打ではないか。」 「そうですよ。泥棒稼業は博打そのものですよ。」 彼らにとっては博打でも、盗られる側にとってはまさに災難。 それぞれのグループで手口に共通点があって、このグループは「株式会社」専門に狙っている。そしてバールで窓を抉じ開ける。 最近はピッキングが大流行だが、このグループにはその道の専門家がいない。 K市に入ると、第一現場の近くで、H.Cが「共産党、共産党」と呟きながら、きょろきょろする。 「共産党と言っているようですが、前後の意味が不明です。」と私も何故こんなところで共産党が出てくるのか分からないので、訝りながら通訳をしていたら、H.Cが共産党の事務所の看板を見つけて「有った!」と叫ぶ。 日本にも共産党があるのだと、非常に強く印象に残ったから覚えていたと言う。 彼が案内した第一現場もそこから近かった。このように、自供の内容に犯人しか知らない情報が含まれていると、その信憑性は高くなる。 第二現場に向かう途中パトカーを見たと言う。 実はそのパトカーが、彼らを不審車として覆面パトに手配し、かなり長時間尾行している。ところが細い道を何回も曲がっているうちに、見失ってしまった。 何故こんなに走り難い、曲がりくねった細い道を走ったのか疑問。尋ねると、道に迷ったと言う。 尾行を知って故意にまいたのではなく、道に迷い、結果として覆面パトカーをまいたらしい。 その会社が被害に遭ったのは、道路からも見える○○株式会社の看板を出していたからだ。株式会社を金の成る木と思っている彼らに、それを見つかったのが、この会社の不運だった。 パソコン二台と、現金7万円、株券その他が被害に遭った。 侵入経路になった窓ガラスは、その時は鍵もかかっていなかったが、今回現場検証で侵入路の確認のためガラスに手をかけたら、その後取り付けた警報機が鳴って、中から人がとび出て来た。 結局K市での彼らの犯行は二件。帰りに収穫を山分けした、パーキングエリアも立ち寄る。当夜彼が受け取った取り分は約7万円とのことだった。 XX年XX月第5日 証拠物件として、預かっているH.Cの所持品の中に、何か引き換え券みたいなものが有った。 「これは何?」 尋問に答えた後、 「これで一人の疑いが晴れた。」と意外なことを言う。 「何の意味だ?」 「少なくとも、ゲームセンターの女の子は違う。」 「???」 「刑事さんがコインの預かり券について尋ねたということは、あの店の女の子のことも知らないはずだ。」と言い更に 「誰が密告したのですか?と逆に問い掛ける。」 刑事さん笑って取り合わない。 そして私に「勝手にそう思わせておきましょう。」と言う。 目つきの悪い中国人が、昼間はうろうろし、夜になると何処となく出かけ、明け方になると帰ってくる。ちょっと聞き込みをしたら、密告なんか無くても分からない方が不思議だ。 話が窃盗に関することは、むしろ彼自身の口から積極的に自供するが、不法入国の件になると急に供述がおかしくなる。 「偽造のパスポートは何処にある?」 「亡くしました。」 しばらくして同じことを尋問すると、 「捨てました。」 「従兄弟のところにあるかもしれないから、手紙を書いて、送らせます。」 これは逆に証拠隠滅の恐れがあるから許されない。 私が聞き間違えたのかと心配になるくらい、供述がころころ変わる。 不法入国に関しては、別の人の通訳で既に何回も取調べをしている。 「前からこの調子です。従兄弟は密入国からみを含め、灰色を通り越して、限りなく黒です。」と刑事さんが私に言う。 しかし彼自身は留学生として正規の入国であり、これまでのところ逮捕できる容疑も無い。徳川時代の岡引のように、権力で引っ立てるわけにはいかないのである。 取調べは、刑事コロンボのドラマとは違う。被疑者には黙秘権もある。大向こう受けする推理を組み立てて、被疑者を追い詰めても、証拠が曖昧だと公判では、「疑わしきは罰せず」にしかならない。 強要した自白は、証拠にならないのだ。地道な捜査の積み上げと,根気よく尋問を続けるしかない。 尋問は外堀から始まる。 「なにを隠さなくてはいけないの?」 「密入国とは言え、多くの人は真面目に働いています。自分が悪いことをしたのは自業自得ですが、この人達に累が及ぶようなことは言えません。」 H.Cに言わせると、殆どの人は最初から悪いことをするつもりで日本に来たのとは違う。自分も一年以上真面目に働いていた。 彼が働いていたのは,ガラスの加工工場。この種の工場は,能率維持上24時間火を落とせないそうである。 早朝と深夜の一番辛い時間帯を彼らが受け持つ。 朝8時~夜の12時まで。 昼一時間,夕方30分の休憩がある。 昼の休憩は,食事もそこそこに買い物で終わる。 実働14時間30分。時給900円。夜勤の割増は無い。 ¥900×14.5=¥13,050 もう一つの勤務は,夕方3時半から翌朝の6時まで。夕食の休憩が30分あるだけ。仮眠も無し。流れ作業の中を連続で働く。 それでも,働けるのが嬉しかったと言う。 支出はアパート代、電気水道光熱費、食費、煙草飲み物など若干の嗜好品費全て含めて約10万円。着る物も切り詰めて少なくとも20万円、多い時は25万円送金した。 送金は全て地下銀行を使う。この地下銀行の仕組みは非常に良く出来ていて, 現金を準備したら,金額,送金先の電話番号,氏名,送り主の氏名,それだけを通知すればよい。 1 こちらの地下銀行の手先から先方の手先に電話をする。 2 先方の銀行の手先が,直接現金を持って送り先に届ける。 3 届いたと思われる頃,送り先に確認の電話をする。 4 その確認に基づいて,こちらの地下銀行の手先に金を渡す。 通常は20分もあれば,完了するという。 手数料1%。安い,早い,確実。こんな銀行なら私でも使いたい。H.Cは,これを違法行為とは全然思っていたかったと言うが、無理も無い。 少し脱線する。以前私が中国に送金するとき郵便速達で直接送金した。見事に抜かれていた。こちらも違法なので言っていく所が無い。熟練すると,封筒を触っただけで,現金が入っているのが分かるそうである。 しかしある日腰を痛め、仕事が出来なくなった。ガラス工場は重労働である。腰が悪くては何も出来ない。 国には、今回の密入国費用として借り集めた金がまだ50万円残っている。利子を含めいまそれが100万円になった。利子は月二分。一年で元金に繰り入れる複利だという。 せめて借金だけでも払いたいと,やむを得ず悪の道に入り込んだ事情を、淡々と語る。 XX年XX月第6日 「蛇頭」。密航をビジネスとしている人達の総称。 密航者を募る者、送り届ける者、現地で受け入れる者。それぞれに役割を分担していて、密航者は全て蛇頭の世話になる。 費用は概ね300万円。 船コンテナー、偽造パスポート、偽装結婚、偽残留孤児など手口も様々だが、最近の主流は偽造パスポート。 H.Cも偽造パスポートで来ている。 「蛇頭はどんな人達?」 「どんな人と言われても、私には分かりません。」 「金はどうやって払うの?」 「密入国に成功したら、日本から中国へ電話します。家の者が彼らに払います。しかしその相手はあくまでも中間の人間で、誰も誰が蛇頭か知っている人はいません。」 中国では、やくざのことを(黒社会)と言う。しかし日本の暴力団のように○○組と看板を掲げている訳ではない。 蛇頭も、特定の組織があるわけではない。 独断になるが、私は中国では政府機関の一部の職員も蛇頭に絡んでいると思う。 絡んでいると言うのが言い過ぎなら、要所要所の人間が、しかるべき金額で買収されていると思う。 「証拠も無いのにいい加減なことを言うな」と言われるかもしれない。 私自身一度不注意で、心ならずも密入国の手先をしてしまったことがある。その時、どうも行政機関の、かなりの地位の人に、一杯喰わされた気がしてならないのだ。いまも付き合ってはいるが、その後は美味い話を持ち込まれても乗れないでいる。 私の名刺ファイルには、中国人の名刺が200枚はある。名刺の無い人はもっと多い。これだけ大勢の中国の友人がおると、確率的に一人や二人蛇頭が居てもおかしくない。 中国人の犯罪の中には、日本人のかなりの地位と情報を持った人の協力がないと出来ないと思われるのがあるそうだ。 金を貰って協力している人が居るとは思いたくないが、私みたいに、不用意に利用された人は居るかもしれない。 その経験は、稿を改めて紹介したいと思う。 蛇頭もやくざも見た目では分からないが、刑事さんというのは、何処か共通点がある。 「寄らば切るぞ」とまでは言わないが、少なくともこの人に道を尋ねたくない雰囲気を持っている。 覆面パトカーも、乗っている人の雰囲気、車の動く気配に独特のものがあるそうで、その道の人間にはすぐ分かるらしい。 H.C「今度私達も、逮捕される前日尾行されているのにW.Fが気付き、それでなにもせずに帰りました。」 刑事さん「やっぱり!」 XX年XX月第7日 被疑者の人権は色々の角度から守られているが、当然制約がある。手紙の検閲もその一つ。外部と証拠隠滅を謀るような連絡は出来ない。 H.Cが家族に出す手紙、家族から来た返事、それの翻訳も私の仕事である。大筋は (一日も早く罪を償い、故郷に帰りたい) (私はあなたを許します。全て家族を思ってしたことですから) その愛情濃やかなやり取りを、具体的には書くべきでないと思う。 しかし、次の一言だけは、私自身が通信の秘密を犯した罪に問われる恐れがあっても、敢えて書かせて頂く。 (君と結婚して、もうすぐ8年になります。今私は、新婚のある日君が「我が家には10元しかありません」と、言ったのを思い出しています。そのとき私は密かに決心しました。いつか君にも楽をさせてやりたいと。しかし神様は私にあまり甘くありませんでした。私はなにをやっても上手くいきませんでした。所詮金には縁の無い男なのですね。) 彼女は言う。 (あなたが捕まってから、借金を払っていません。債鬼は毎日のように来ます。) H.Cが私に言う。「今は私が居ないからまだ待ってくれます。でも帰ったらそうはいきません。元利含めて更に増えているでしょう。彼女には苦労をかけます。」と嗚咽しそうな表情になる。 私は慰めの言葉も無い。いまは無言が友情である。犯罪者とはいえ、長く親身に話していると、情が移るのはどうしょうもない。 自らを奮い立たせるように彼が言う。 「早く捕まってよかったのかもしれない。いまなら私は立ち直れる。娘にも大きくなったらこのことを自分の口から話す。」 この話しには続きがある。次に来た手紙によると、自分の家が窃盗の被害に遭ったというのだ。 F省より更に経済水準の低い近隣の内陸部から、F省に不法滞在者として流入人口があり、それがこの地の社会不安を醸している。 日本に不法滞在して泥棒を働いた者の家に、国内の不法滞在者が泥棒に入る。真に皮肉且つ悲しい現実である。 奥さんが嫁入りのとき持参した首飾りや指輪など,貴金属が盗まれた。これは娘が嫁入りするとき持たせる(家伝)と言われる先祖伝来の家宝。時価1万元だが,金額では評価できない。 H.Cが紙に(屋漏偏遭連夜雨)「雨漏りのする家に雨が降る」。と書き、更に(報応)「因果応報」と自嘲気味に言う。 再起の道は茨の道でもある。 XX年XX月第8日 調書は全て検察に送った。 今後の予定についてH.Cに話すと、 「前回検事さんの調べは三件でした。私のしたことは20件ですから、まだまだ時間が掛かりますね。」と 今後の予定がまだまだ長くなることを心配する。 「一般に全ての案件が起訴されるわけではない。」と刑事さんが彼を安心させる。 今日は、尋問らしい尋問は無い。 なんのきっかけからか、刑事さんとH.Cがクイズを始めた。二人は年齢もあまり変わらない。長い付き合いの中で、もうすっかり打ち解けている。 手まね、筆談、日本語、英語、中国語と色々交えて、片言でかなり熱く話し合っている。 日本の鶴亀算みたいな二次方程式の問題から始まって、幾何の問題までやっている。内容はかなり難しい話題だと思うのだが、二人に通訳は要らない。 イソップ物語の北風と太陽だ。太陽はついに、旅人のマンとを脱がせた。信憑性の高い情報が、通訳抜きで直接入手できるだろう。 警察が真に欲しい情報は、彼らが何でもないと思っている些細なこと、彼らしか知らないことである。それは尋問という正面攻撃では得られない。 日本人共犯の逮捕も近いはずだ。何がヒントになったかは、捜査の秘密だからここには書けないが、彼の一言が決定的な決め手になった。 H.Cが、私に日本語でいいから推理小説があったら貸して欲しいという。やはり中国語の本の方が良いだろうと言ったら、でも無いだろうと言う。 実は私は、恥ずかしながら枕代わりに使っている中国語の本が、200冊余りある。その中から「三国演議」を貸してあげようかと言ったら、「ほんとか?」と大喜びする。 早速差し入れの手続きをとることにした。 その後、老舎全集、から始まって唐詩、紅楼夢など次々に差し入れする。 いま彼は窃盗という人に道に背く行為をし、その報いとして投獄という人生最大の試練に直面している。人は不幸と悲しみの中に湿った心を持ったとき、始めて開く心もある。憂きの中に幸が潜むことを願う。 XX年XX月第9日 最近は殆どの刑事さんが、携帯用のワープロ又はノートパソコンを使って調書を作る。 取調もこの段階に入ると、これまでの尋問の整理が主な作業になり、間があく。 そこで雑談になるのだが、今日も食べ物の話しから入る。 「私は中国でゴキブリを食べたことがある。」 「あれは料理の仕方では喰える。」と彼全然驚かない。続いて彼が紹介したのは、腐った肉に蛆虫をわかせ、それを煮たぎったお湯の上におき、蛆虫をお湯の中に落とす。ただ醤油につけて食べるのだが最高に美味いと言う。 日本でも蜂の子は珍重されるが、本質的には同じ物だ。美味いかもしれない。 煎蛹とよばれる、蚕の蛹を煎ったもの。蠍、蛇、犬、この辺までは私も食べたことがあるから、それ程驚かないが、次に彼が紹介した物だけは、私もまず箸が動かないだろう。 (活吃猴脳)「猿の生き食い」 猿轡を噛ませ,縛り付けた生きた猿をテーブルの真中に置き、頭蓋骨を開いて脳味噌をそのまま食べる。値段が5888人民元。8が続くのは8の発音が(発財)「金儲け」につながる縁起担ぎ。日本円にして約10万円。 犯罪組織が仲間を裏切った報復リンチに、頭に鉋をかけるというのを聞いたことがあるが、発想はここにあるのだろう。 流石のH.Cもこれには手が出なかったという。 何故こんなものを食べる席に着いたか。彼の親類が傷害事件を起こし、罪を軽くして貰うために関係者を招待する必要があったためという。親族一同で減刑運動をした。 当日の宴席費用が3万元「日本円約50万円」。献金が15万元。〆て約250万円。結局5年以上の刑のところが、2年以下の労働改造所送りですんだという。 因みに死刑囚の命の値段が30万元。約500万円。金の無いものが員数合わせで、繰り上げ処刑されるという。そして死刑を逃れた者が日本にも来ている。H.C自身も少なくとも一人は知っていると言う。 これも因みに、少し恥ずかしい女性問題の現行犯で、中国公安のお宿に泊まる羽目になった友人の払った宿泊費が5万円。相場は2万円と聞いたが、彼は金持ちだった。鷹揚に5万円払って、その後は中国公安公認のパスを得たという。友人の話しである。誓って私ではない。 話題を変えて、彼は料理が得意だと言う。事実中国の家庭によばれて行くと、台所に立ち甲斐甲斐しく料理を作って呉れるのはみな男性である。 「女房の作ったものは不味くて喰えない。」と言ったところで会話が途切れた。 「ごめんよ。ホームシックにさせたようだね。」 「私はいつもホームシックです。」 折しも今宵は仲秋の名月。 仲秋節は,中国でも日本のお盆のように一家が集まり,先祖を祀って一家団欒する。もう少し正確に言うと,中国で何千年来続いて来た仲秋節の行事を,日本ではお盆と呼んで先祖を祀る。 旧暦の8月15日、月餅は,この日の食べ物。普段はあまり見かけないが,この日は街中に溢れる。 異国の獄舎 月光幽かなり 天空の月 故郷を照らすらん 共に月餅を食べしはいつの日ぞ 娘よ許せ 晴れ着一枚買い与えざる父を 即興の拙作に,H.Cがこれも即興で,美しい七言絶句の訳を添え,感傷を重ねた。 牢中望月 夜獄遥望異国月 夜獄 遥かに異国の月を望む 玉輪共照故郷圓 玉輪 共に故郷を円かに照らす 年年月圓人不圓 年々月は円べど 人は円ばず 更為老少増心傷 更に為す老少 心傷を増す
尋問が再開される。 XX年XX月第10日 共犯の日本人運転手が捕まった。 関連尋問がある。 知り合った経緯。役割分担。分け前。実行行為。 まだ調書にはとらないが、色々の角度から問い掛ける。 最初に合った場所は、エステの近くのスナック。 何の目的か知らないが、犯行数日前にある中華料理屋の経営者の招待で、エステの女達も一緒に郊外浜辺の行楽地に行っている。 ワゴン車、自家用車、タクシー合計三台に便乗して行ったという。彼は最初の出合いにも同席している。 役割分担のときだった。「運転と見張りが彼の仕事だけど、日本人はいざというときは頼りにならない。」と言う。 或いは例の、建造物侵入未遂容疑の現場のことを指しているのかもしれないが、今日はこれ以上の尋問はしない。
「あなたは、私達の知っていることで言っていないことがある。」と、刑事さん口調は穏やかだが、H.Cを充分にどっきりさせることを言う。 司令塔に隠れる狸を燻り出せるか。警察と、見えない狸の水面下の戦いが始まった。 XX年XX月第11日
狸は燻り出された。高級外車を運転手付きで乗り回すクラスの人間まで、金が流れていることが立証できたのである。 結局、窃盗共犯罪で1年半の実刑と、100万円の罰金刑を受けた。但しこれには、風俗営業法違反の罪も加算されている。 H.Cの裁判は、一回だけ開廷されたが、まだ求刑までも行っていない。 普通は未決囚として、刑務所に行くのだが、刑務所も満員で身柄はまだ刑務所に移監されていない。しかし、H署の留置所が空いたので、I署からH署に移された。 その後も、本の差し入れは続いている。唐詩300首は、全部ノートに写しとったと、戻して呉れた。書き写しただけでなく、全部暗記したと言う。敬服。 「四世同堂」、「金瓶梅」、「紅楼夢」、「水滸伝」、「西遊記」「阿Q正伝」等、差し入れた本は全て、砂が水を吸うように貪欲に読む。 今日は一ヶ月ぶりに、起訴された三件以外の余罪の整理ということで、調書の作成に付き合うことになった。 もう、刑事さんを含め私達三人の間に緊張感は無い。雑談をしながらの調書作成である。 幾つか隠語を教えて貰った。私達は一口に密入国と言うが、彼らの間では、船で来るのと、飛行機で来るのは呼び方が違うのだそうだ。 船で来るのが密入国:偸渡 密かに渡る。渡るは船に乗る意味が有る。 飛行機で来るのは、“剃頭”:頭を剃る。本来は散髪という意味だが、ここでは“替頭”。頭を替える、首のすげ替え。即ち写真の張替え、引いては偽パスポートと言うことになる。 “剃頭”と“替頭”は中国語でどちらも「ti4tou2」。同じ発音。元々“替頭”という中国語は無いが、一種の駄洒落で有る。 その故か、多くの中国人は、飛行機で来るのは密入国という罪悪感が無い。「パスポートは金を出して購入した」と言う。 「金を出してパスポートを買う、そのこと自体が違法行為です」と言う日本の取調官の言う意味が、どうも分かっていない節がある。偽のパスポートを売る人が犯罪人で、偽のパスポートを掴まされた自分達は、被害者だと思っているのだ。 偽のパスポートは、更に利用される。日本から出国する者が、入国した者の帰国者になりすまして、また写真だけ張り替えて使う。 「だから、君のパスポートは無いのか?」と私が問い掛けると、「これは長期滞在者のパスポートの場合で、私の場合は違う」と言う。私は尋問する権利は無いから、後で刑事さんにこのことを言っていいかと言うと、彼否定も肯定もせず、言葉を継いだ。 「最近のパスポートは、首のすげ替えは出来ない。」しかし方法はある。一度使ったパスポートを、東南アジアのある国に送って、電子情報を判読してそれを書き換え、再利用するのと語った。そんなことを聞いたことはあるが、どうも事実らしい。 犯罪防止の技術と、それを破る技術はまさに矛と盾。どこまでも果てしない、いたちごっこである。 次に地下銀行のマネーロンダリング。地下銀行の仕組みは前に教えてもらった。そうして稼いだ金を如何して本国に送るか。地下銀行の地下銀行は、香港の為替取引きを利用するらしい。麻薬取引で稼いだ金のクリーン化を含め、原則的なことは何となく分かるが、具体的なことになると、この道の専門家でないと分からない。 ただ為替相場を利用するとなると、相当にリスクもあると思うのだが、彼ら自身が為替相場を動かすだけの資金力を持っているらしい。 麻薬といえば、運び屋として利用されない具体的な注意も教えてくれた。妊婦とか年よりに親切で手を貸して、荷物を持ってあげたら、それが税関をすり抜ける手の場合があるそうだ。 麻薬は本当に怖い。弁解無用で引っ立てられると聞いた。 中国でも、麻薬、誘拐、通貨偽造、殺人は最も重い犯罪となる。 誘拐人身売買は、中国のテレビでも見たことがあるが、彼が語った実話は身の毛がよだった。 彼の友人の男の子6才がある日行方不明になった。 一年後、偶然にZ市の駅で、父親が両足の無い不具の子供を見た。 その子が我が子だったのである。 子供は両足を切られて、乞食の元締めに売られたのだ。 或いは売られたあと、両足を切られたか。 廃人のようになった子供は、虚ろな目で父親も覚えていなかったという。 調書の「読みつけ」(読み聞かせての確認)は、なんとも言えない暗い気持ちで終わった。 H.Cの運命が決まる求刑、判決も間近い。 XX年XX月XX日 第二回の公判を傍聴する。共犯のW.F「(二枚目主犯)言う題で別記」も一緒に裁かれる。傍聴者は私を含め6人。 起訴状の読み上げに続いて、検事の求刑及び意見陳述。 証拠及び調書の読み上げが、項目だけで200件弱。 「犯行は極めて悪質。最近の中国人犯罪の、激増の一因は、量刑が軽すぎ事も考えられる。一つ間違えば凶悪犯罪にもつながりかねないこの種の犯罪は、厳しく罰せられるべきだと考えられる。」とW.Fに3年、H.Cに3年半の求刑が下される。H.Cの方が半年長いのは、不法就労期間が約1年と、W.Fに比べて長いのが加算されている。 弁護人陳述も、起訴事実そのものは認めて、事実関係では争わない。 腰を痛め、止むを得ず離職するに至った経緯を、情状酌量を引き出すように弁護人が被告人に質問をする。 これは私の考えだが、本来ならば労災事故だ。不法就労者の悲しさ、真面目に働いたが故に体を痛め、職を失い路頭に迷う。その間の経緯は、彼が、言葉が話せないばかりに、間に入った人間と雇用主との間の意思疎通が不十分だったこともあるらしい。 H.Cの弁護人が、「被告は、不法就労とは言え、真面目に働いていたものである。その間体を痛め当地に来たのも職探しが目的で、窃盗目的で来たものではない。主犯のW.Fに比べ、半年量刑が加算される理由は特に無いと考える。」と量刑上の意見を述べる。 最後の被告人陳述で、H.Cが「また、出来れば日本に来たい」と、性懲りも無くまた来るのかと曲解されそうな言葉を言う。その点を検事に突っ込まれたのだが、彼は「日本人は、皆私によくして呉れた」と心情を吐露する。彼の真意が誤解されないことを祈るのみである。 判決は一週間後に下る。 XX年XX月XX日 判決が下った。 主文 W.F 懲役2年6箇月 未決通算 110日 H.C 懲役2年8箇月 未決通算 110日 判決要旨。 犯行は計画的かつ悪質。 金儲けを目的に不法に来日し、金儲けが出来ないとなると、安易に犯行に走った行為は許しがたい。 被害総額450万円。被告には弁済の意思も能力も無い。 被害は一部回復していること、また回復の見込みがあることは、被告人にとって有利な条件だが、その点を勘案しても主文の量刑は妥当と考える。 被告人が、中国に帰り家族と暮らしたいという気持ちは、情状酌量にあたいするが、執行猶予にはならない。 被害額の一部回復とは、株券時価二百数十万円のことを指している。これは、実は彼らが処分に困って捨てたものが、拾われた。 被害額の算定は、被害者にとっても失った物は金額だけでは表せないし、盗った方にとっても、実収とは開きがある。 例えば、パソコンを例にとるなら、故買屋の引き取り価格が3万円。日本人運転手と3人で山分けしたら一人1万円である。 被害額は、ハードだけでも10万円は下らないだろう。中身のソフトとデータは、金額で換算出来ないものもある。 当地の今年の冬は、厳しい寒さが予想されている。 当然とは言え、彼らの得たものに対する償いの道は厳しい。 H署 被疑者 S.S 27才 180センチ 75キロ 容疑 不法滞在。新たに窃盗容疑で拘留請求。 事件概要 N県警で共犯の運転手が逮捕され手配中。当市のホテルで前述のW.FとH.Cを張り込み中、彼が現れ一緒に逮捕される。 XX年XX月第1日
担当の刑事さんが、S.Sの人物像と容疑の概略を説明して呉れる。
1 逮捕時点では、実行行為は無く、不法滞在容疑で逮捕。 2 N県警で逮捕された日本人運転手Wの供述から、彼の共犯容疑が浮かび、今回新たにその容疑で検事拘留請求した。 3 東京警察で逮捕されたグループの一員としての嫌疑もある。 4 日本人の内妻が居る。 5 東南アジアのS国にも女と子供が居る。と当人は言う。 6 やはり当人の言葉によると、中国で公安(日本の警察)に勤めていたと言う。 7 中国で40億円の詐欺を働き、手配されている等大きなことばかり言う。 8 逮捕当時は100キロあったが、ハンストをしていま75キロ。 9 これまでも、窃盗容疑は取り調べたが全然認めない。 午前中検察庁で検事拘留手続きがあり、被疑者と初対面する。 続いて裁判所で拘留の容認に立ち会う。 どちらにおいても被疑者は、容疑内容について(不知道)としか言わない。 午後H署の取調室に身柄を移し、本格的な取調べが始まる。 「N県で逮捕されたWが、お前と一緒にやったと言っているが間違いないか。」 「不知道!」 「お前な、自分のやったことも認めないのは卑怯でないか。」 軽くジャブを送るが回答は無言。 私の通訳も、例によって感情を込めず 「あなたは自分のやったことを認めず、それは正しくない男らしくない行為ではありませんか。」と、いたって友好的な問いかけで、迫力の無いことおびただしい。 これくらいでは蛙の面に水、彼が何ぬかすかという顔で無言なのも無理はない。 「中国語で,(やり逃げ)という言葉はあるのですか?」と刑事さんが私に問い掛ける。 この大敵を目の前にして、私達もさてどこから手をつけたものかと戸惑っている。 刑事さん口調を変えて 「お前にはいい奥さんが居て幸せだ。他の者をみろ、面会どころか差し入れもなくて、着る物にも不自由している。」 「関係ない!」 と、つっぱねるが、これはかなり彼の核心に触れたようだ。 実は奥さん妊娠していたのだが、今回彼が逮捕されてぎりぎりの時点でおろした。 そのときは、彼もかなりショックだったようで、涙ながらに全てを語りますと、使用した車の車種がベンツであること、自分の祖父が残留孤児であることなどまで語ったが、あくる日以降また黙秘を続けているという。 初日はここまで、具体的な尋問までは入れない。 XX年XX月第2日 「大分目つきの角が取れたけどまだまだです。」と,刑事さんが,S.Sの逮捕当時の写真を見せてくれる。 逮捕された時はみな凄い形相をしている。それが,W.FもH.Cもいつのまにか善人面になっているが,このS.Sだけは,鬼の形相は消えたとはいうもの,ときおり三白眼でこちらを睨みつける。 被疑者には黙秘権がある。人権はあらゆる角度から尊重されなくてはならない。拷問なんてもっての他。 最初は知らぬ存ぜぬ一点張りの被疑者を,最後は自供させる刑事さんは,みなプロの心理学者だ。あらゆる角度から被疑者を観察している。そればかりではない。 被害届の受理から始まって, 捜査計画 推理作家 聞き込み 営業マン 張り込み 新聞記者 逮捕 格闘家 取調 心理学者 調書作成 ルポライター その全てをこなさなくてはならない。中国人の逮捕の時は防弾チョッキに身を固めると言う。体を張った商売だ。 更に,選挙や祭りとなると臨時的な飛び込みもある。 茶髪に変装した若い婦人刑事さんが、悪戯っぽく笑いながら出て行く。いま流行のひったくりの捜査だろう。 刑事課は,世相を反映して,事件の百貨店である。 さてS.Sだが,こちらがプロなら,こいつもプロ。必死に抵抗する。逮捕直後,ハンストという非常手段に出た。 「100キロあった体重が75キロまで落ちた。」と言う。 「いいダイエットになったじゃないか。」 私が冷やかすと、 「冗談じゃない。日本警察の虐待で飯も喉に通らなかった。」と,例の三白眼で私を睨みつける。 それこそ冗談じゃない。紳士的な日本警察をなめきった態度をとって,飯も喉に通らないはないだろう。 当然の権利のように煙草を要求しては,ふんぞり返る。こちらの尋問には(不知道)の一点張り。 この箸にも棒にも掛からぬ悪を,プロの臨床心理医がどう処置するか。私には見当もつかない。 雑談には乗って来る。 XX年XX月第3日 S.Sが、頭が痛いと言う。 逮捕されたとき殴られた所が痛いと言う。 「弁護士に言え。」 「ベンゴシセンセイ、ショウコナイダメヨ」 弁護士に言ったが、証拠がないから駄目だと言われたというのだ。 続いて留置所の待遇が悪いと文句をこねる。彼はH署に収容しきれなくて、郊外のM署に預けられていた。そこは新築で留置所の設備も良い。 「ココ、クサイ、ゴハンオイシクナイ」 ホテルにでも泊まっているつもりだろうか。留置所にクレームをつける。 取調べを始めると、今日は頭が痛いと言う。 「病院に行くか?」 「うん」 刑事さん私に、手配しますから先生病院で通訳してやってくれますかと言う。 早速留置係の人二人と警察指定病院に行く。
医者が尋ねる。 「殴られたのですか?」 「いいえ」 CTで検査を受けたが、CTで見る限り異常は無い。 「神経性筋肉痛と思われます。あなたは胃が少し痛んでいます。痛み止めは、できれば飲まない方がいいのですが、我慢できませんか?」 「我慢できます。有難うございました。」 あの横柄なS.Sが意外に紳士的な態度をとるのに、取敢えず私もほっとした。 帰ってきたら、刑事さん彼に向かっていたわるように 「どうだまだ痛むか?今日は俺も忙しい。明日にしょう。」 S.Sの引き延ばしを謀った陽動作戦は,肩透かしを食らったようだ。 XX年XX月第4日 いつものように黙秘権を告知し、取調べに入る。 「じゃ訊くな!」 「訊くのが俺の仕事だ。」 彼が一瞬ピクッとする。 相変わらず態度がでかいが、虚勢を張っているのがみえみえだ。 刑事さん、もそっと言うのが、充分にドスが効いて下手な通訳は要らない。 私はかなり吃る。自分が吃るから分かるのだが、刑事さんも少し吃る。 小太りの初老の男、私。 痩せ型のあまり風采の上がらない中年刑事さん。(失礼)。 言語不明瞭な二人の年配者を前にして、体格の良い若者が大声で怒鳴っている。 知らない人が見たら、どちらが尋問を受けているのか分からないのではないだろうか。 「肘をつくな!」と、注意したらそのときだけは机から肘を離す。 膝を組み、机の角で打つ。これも注意したときだけは、背筋を伸ばし、脚を揃えて手を膝の上に置くが、そのときだけ。 許しも得ず、彼から雑談を始めた。刑事さんも黙認の風なので私も相手をする。こういうとき、直接法で一つ一つ主語を話者において通訳したら喋らなくなってしまう。 彼が、自分はF省の名門校A大学の中退だと言う。 「へー!凄いな!」と中国語で言った後、間接法で 「彼あの名門校A大学の中退だそうですよ」と通訳する。 続いて 「彼、歴史が得意だそうですよ。」 三国志の好きな刑事さんが、赤壁の戦いを話題に上げるが、残念このA大学の秀才、赤壁を知らない。彼の故郷から程遠くない赤壁を地図で示すが、駄目。 彼が中国で公安に勤めていたこと。詐欺で手配を受けていること。既に刑事さんから聞いて知っていることも、私は始めて聞いたような顔をして付き合う。 自分は日本人だとも言う。祖父が残留孤児だそうだ。だとすると四分の一は日本人ということになる。ただ厳密にいうと、終戦のとき12歳以下を残留孤児と言い、それ以外は残留邦人である。 不法入国手口で偽残留孤児は結構多い。だから彼が残留孤児の係累を騙る可能性は非常に高い。ただ彼の言う話に若干信憑性があるのは、彼の祖父はF省のT地方から入り婿で来たという点。そこは残留孤児が多いと言われているところ。もう一つ、入り婿になったという点が、残留孤児の置かれた環境からもっともらしい。 日本の警察が話題になる。 拷問が無い。人権を尊重する。まさに泥棒天国。口ではそうは言わないが、なめきっている。 「聞くところによると、中国の公安は非常に優秀だそうだから、君も中国の公安に引き渡すことにしよう。」と、刑事さんもブラックユーモアで応える。 彼苦笑。 前述のW.Fと東南アジアの諸国でも,悪事を働いている。 ある博打場のルーレットでW.Fが一晩に百万ドル使ったことがあるという。とにかく話しがでかい。 S国に8億の預金があるとも言う。 「どうせ悪いことをして稼いだ金だろう。」 私がちゃちを入れると 「何処に悪いことをしないで金持ちになった人間がおるか!」と私を怒鳴りつける。 「よし、今日はこれまで。君の考えはよく分かった。明日からまた取調べをしよう。」 S.Sを留置所に連れて行って戻った刑事さんに私が言う。 「被疑者に先入観を持ったらいけないのでしょうが、あんな悪が黙秘で言い逃れて、正直に白状したものが刑務所に行くのは釈然としませんね。」 「そうですね。」と、微かな笑みとともに穏やかな返事が返ってきた。
私はそのときまだ、この、この道20年のベテラン刑事を、頼りない人だと思っていた。 「こちらが怒鳴られ放しで、不愉快なのですが一発かましていいですか。」 「どうぞ、どうぞ」と、これも穏やかな返事を貰った。 XX年XX月第5日
腹に一物秘めたまま、今日の尋問が始まる。 型通り黙秘権の告知を、今日は殊更丁寧に言い、N県の容疑内容について、これもゆっくり読み上げ、確認を求める。 「不知道!!何度同じことを訊くのだ!」 これを待っていた。 「でかい声を出すな!!俺はとっくに聞こえている!」 私も彼に負けない大声の日本語で怒鳴り返した。 更にゆっくり、同じことを中国語で言う。 続いてさっと立ち上がり、刑事さんの方を見て右手を挙げる。 「本職が通訳の職責を遂行する上において、被疑者と若干意思疎通をしたいのですがお許し願います。」 「許します。」 随分芝居がかっているが、ここは一番演技力が要る。 そしてS.Sの方に向き直り、一語一語噛みしめるように、昨夜以来練った言葉を、日本語と中国語の両方で言う。 「私は常に誠実な通訳を心掛けている。しかし君みたいに粗野な言葉を使われると、上手く聞き取れない。私は間違った通訳をして、君が不利になることを恐れる。どうだろう。言いたいことは、もう少し穏やかに、正確に言って貰えないだろうか。」 彼、椅子に深く座りなおし両手を膝の上において軽く項垂れるが、一言も発しない。 小半時も経ったろうか。 「黙っていては、何も解決しないぞ。」 と、刑事さんが言うが、完全黙秘。 時々「なにか言うことは無いか。」という問いかけも、尋問が継続している意思表示をしているだけで、無理に何かを言わそうという気持ちは更々無い。 彼は我慢比べの相手を間違えたようだ。 私達は、ついに一日中一言も発しないまま終わった。 留置場に被疑者を連れて行って、帰ってきた刑事さんに私は謝る。 「すみません。すっかり取調べに水を差しました。」 「いや、あれでいいんですよ。」 この大物刑事さん、少しも慌てない。 XX年XX月第6日 いつもは、私の方から「ニーハオ」と機嫌をとるのだが、今日はわざとそっぽを向いていると、手錠姿のまま、彼の方から「ニーハオ」と挨拶して来た。
刑事さん、S.Sに向かって 「どうせ今日も何も喋る気は無いのだろう。もし何か喋る気になったら言え。」と、言った後、私には 「少し資料の整理をしますから、適当に雑談をして下さい。」と言って横の長机にファイルを広げる。 我慢比べ第二ラウンドの開始。 私も所在なげに中国の地図を広げ、 「今度君の家の近くに飛行場が出来るそうだがどの辺だ?」と、退屈な話題を興の乗らない態度で話し掛ける。 小一時間もしない間に、この我慢比べに若い彼の方が白旗を掲げた。 「俺はN県で20件以上の窃盗をやっている。捕まった運転手は何件と証言しているんだ。」 「そんなことを言っていいのか。私はみな刑事さんに言うぞ。」 「もし20件やっていたら、どれ位の刑期になるかと聞いて呉れ。」 刑事さんがゆっくり答える。 「それは、裁判官が決めることで私は分からない。」 「あなたの経験上からの考えでいい。」 「窃盗の刑法上の最高刑は10年だが、実際問題として5年以上の判例を私は知らない。初犯の求刑は多くて三年、判決はそれを越えることは無い。犯行件数と刑期に,直接の関係は無い。」 「弁償をしたら、執行猶予になるか。」 「弁護士に訊け。」 「Wは何件と供述している。」 刑事さんおもむろにファイルを広げる。充分に間を置いてきっぱりとした口調で答える。 「24件」 それ位はやっているというようにS.Sが頷く。 まだ決心がつかないのか「明日全部言う」と言う。 もし彼がこちらをじらしているつもりなら、作戦を間違えている。 刑事課長が言っていた。 「取調べに教科書はありません。事件はみな違うし、被疑者もみなそれぞれに違う。最後は取調べ担当官の哲学です。」と。 この刑事さんの哲学は「鳴くまで待とう」と見た。ただ単に鳴くのを待つのでなく、いつ鳴くかまで計算できているようだ。 言いたくなったら言えと、またファイルを広げた。そして尋問するともなく訊く。 「おまえN県以外でもやっているだろう。」 S.S何を言うかというように、 「俺は何処でもやっていない。」 このさりげない腹の探り合いが、彼を決定的に歌わせる(歌うは業界用語で自白)伏線になっている。 刑事さん「また明日だ」と言って立ち上がり、S.Sに手錠を促した。 XX年XX月第7日 刑事さんすっかり太公望をきめこんで、釣り糸を垂らしたまま動かない。 S.Sの方も雑談の話題を提供するつもりか、 「妻の差し入れだ」と言って、F省の新聞のダイジェスト版を持って来た。 中国の新聞は、何処を見ても腐敗の報道が載っている。少々のことでは私も驚かないが、偶然あけた一ページの記事を見て私も思わず「えーっ!」と絶句した。 留置所で売春宿を開いたというのだ。一晩100元。日本円で約1,500円。S.Sはなんだこんなことという風に、全然驚かない。面会に来た夫人も、金次第で宿泊出来るという。 S.Sが刑事さんに言う。 「私の妻に電話をしたでしょう?」 「していない。」 「私に素直に白状するように言わせようとしたでしょう。」 「そんなこと、頼まれてもしない。」 更に言う。 「韓国人の例の娘に電話してくれますか?」 「何て言うのだ。」 「金を送って貰いたいのです。」 「そんなことは言えない。」
彼女の父親はパチンコ屋を経営していて、大金持ちだそうだ。 「俺にはぞっこんだから、言えばすぐ幾らでも送ってくるはずだ。」 悪い奴程よくもてる。弁償金も彼女に払わす目論見らしい。 S国の彼女は10才年上だが、二人の間には子供があるという。彼の話しはどこまでがほんとか分からないが、これはどうも真実らしい。一番自分のことを思ってくれた女だった。彼女が許してくれるなら、よりを戻してもいいと言う。一方で、日本人の内妻を、中国に連れて行って結婚したいとも言う。 事実彼は悪だからこそ、優しい一面も持っているのだろう。奥さんからの手紙も、何故貴方みたいな優しい人が、こんなことをしたか信じられないと書いてある。 彼女の両親も、最初は彼と付き合うのは反対だったが、彼が毎週のように両親を訪れ、料理をしたり、家事を手伝ったりしているうちに、すっかり彼のファンになったという。 実際中国人は、こういう面はよくやる。 どうも彼の惚気に付き合うのは疲れるが、これも仕事のうちだ。 XX年XX月第8日 「どうだ、喋る気になったか?」 「アシタ オクサンテガミミテ ハナス」 明日、妻から手紙の返事があるから、それを見てから話す、という。 「うん、わかった。その気になったら言え。」 刑事さん、どうせおまえの言うことなんか始めから信用していない、という口振りで、ファイルを広げ、私に「今日も適当にお願いします」と言って横を向いた。 通訳は、芝居の「黒子」である。役者の前に出てはいけないのは当然だが、筋が分かっていないと動き難い。 刑事通訳は全てアドリブである。筋が無い。ときには先も読まなくていけないし、下手に読んで前に出てもいけない。 もう一つ。立場は公平とはいえ、それは人権上のことで、取調べの協力者であることは間違いない。 「外国人犯罪は、間に通訳が入るので難しい。」といわれるか、 「通訳が入るので却って楽だ。」と言われるか。「黒子」の生き甲斐はここにある。 私達は別に、下打ち合わせをしている訳ではないが、そこは亀の甲より年の功、阿吽の呼吸でアドリブを演じる。 時々捜査に関係しそうなことを、例の間接法で通訳する。 「この阿○というのは幼名なんですね。」 道理で警察のデータベースで阿Hを検索しても、25才前後の阿Hだけでも200以上あって、人物を絞り込めないのだ。 S.Sの通称が阿H。グループは阿Q、阿F、阿Kと全部阿○で有る。魯迅の小説「阿Q正伝」と同じ阿Qに私が興味を示したら、 「ケイジサン ケイジサン!」と彼が刑事さんを雑談に引き込もうとする。 「阿Qスゴイヨ!」 以下彼の語った阿Qの人物像。 1 40才前、スーツにネクタイ。メガネ。一見サラリーマン風の優男。日本語も上手く、日本人と見分けがつかない。 2 麻薬もやる。拳銃を常時携帯している。 3 日本のヤクザも彼には一目置いている。 4 故郷には、庭園付きの豪邸がある。 5 年に数回出入国しているが、入国は全部船。 それは、彼が引率蛇頭であることを意味している。蛇頭には勧誘、引率、受け入れ、とそれぞれに役割分担があって、彼は引率者として密入国船で来るのだ。 引率蛇頭には,金以外の役得がある。洋上生活は鴨子の女性がハーレムを作る。鴨子即ち密航者。 「人のことはいい、自分のことを喋れ。」と刑事さん気が無さそうに聞いているが、要所はちゃっかりメモしている。 人間は本当に面白い動物だ。「喋るな」といえば、むきになって喋り始める。若者、すっかりベテラン刑事の掌に入った。 次に仲間のピッキング師がいかに凄いか話始める。 1 身長150cmの小男。 2 用心深くて、すぐ近くに行くのでもタクシーを使う。 3 女好き。50才だが25才の愛人がいる。 4 愛人のマンションも地図を見て詳しく説明する。 警察はすでにある程度把握している。彼女の写真を見せると、そうだと頷く。 そして「えーっ!彼女30才。俺には25才だと言った。」と驚いた振りをする。 彼は自分の容疑について、嘘を言わなくてはならない。 真実を嘘で覆い、その嘘を隠すために本当のことも喋る。 出来上がった調書は平坦だが、取調のプロセスは虚実を織り成し起伏に富む。 少し長くなるが、インターネットの「台湾人の声」欄で発表されていた、在日台湾同郷会 会長 林建良氏の意見を紹介する。 以下原文のまま (日本で犯罪を犯した中国人にはほとんど罪の意識はなく、中国に戻った中国人犯罪者は英雄視されている。中国では、日本での犯罪行為は過去の中国に対する復讐と見なされ、称賛されているのだ。 中略。 もともと、法治社会を経験したことのない中国人には法を守る精神が希薄であり、ゲリラ戦のつもりで起こして犯罪を法律で裁かれても、彼らは運が悪かったと思うだけなのだ。この様な現状の中で、国籍を「中国」にされている台湾人は、日本社会で中国人と誤解され困惑している。) しかし少なくとも、この悪党の口振りは、「阿Q」を信奉している。彼に関する限り引用は誇張と言えない。 中国人犯罪は、このゲリラの拠点を叩かないと、実行部隊は消耗品でいくらでも居る。中国には13億の人口が居るのだ。 今日も雑談だけで、調書は巻かない。 XX年XX月第9日 これまで住んでいたアパート、N県に行った方法など、これまでも何回か尋ねたことを、断片的に尋問する。 どの程度喋る気になったか、この尋問で測定している。 どうもまだその気になってないらしい。 刑事三課の職員が入室して、何かFAXのようなものを渡し、耳打ちして出て行く。 これは演出だろうか、実際だろうか、私にも今もって分からない。 どちらにしろ、これはS.Sの気を引くに充分な行為だった。 「東京で、二つの中国人窃盗グループが逮捕された。」と、刑事さんがつまらなそうに言う。 一部が逃げている。 「ダレヨ?」 「東京はおまえに関係無いのだろう。」 「トウキョウ ナニヨ?」 彼が更に訊きたがる。 「共犯として阿Hの名前もあがっているが、どうせ別人だろう。」 警察はこの人達を逮捕したくないか、通訳して呉れと言った後、 「ワタシ トモダチタクサン ミナワルイ。ワタシハナス ダイジョウブ デキタ」 と、せき込んで言う。 逮捕協力を申し出ているのだが、こちらの手の内を探っているのを刑事さんに見抜かれている。更にこの一件が,彼に心理的打撃を与えたことを見抜かれたのは、彼の不手際だった。 私に「これでは再逮捕追起訴される」と、不安を隠さず言う。 彼は通訳が敵ではないが、味方でもないということを忘れたようだ。雑談口調から一転して、 「これでは俺は再逮捕追起訴されてしまう。」と、彼の心情をそのまま一人称で通訳する。 「おまえが東京で実際にやっているなら、そうなるだろう。」 刑事さんが適当にあしらう。 彼が考え込んだ。 彼は自分なりに刑期を予想している。それに未決通算、模範囚による減刑と指折り数えていた出所計画が根本から狂う。 「刑務所では絶対に喧嘩をしない。右の頬を打たれたら左の頬を出す。俺はクリスチャンだ。」と自分の将来計画を、私に何度も語っている。 キリスト教徒はどうかしらんが、刑務所生活で、同僚と摩擦を起こさない覚悟はできているようだ。しかし若い彼にとって時間が延びることは耐えられない。 「東京と一緒に取り調べて欲しい。」 「おまえが東京でやったことを自供するなら、一緒に取り調べてもよい。」 「私は東京ではなにもやっていない。」 「では関係ないではないか。」 「東京の事件で私に嫌疑が掛かっているなら、合同捜査して欲しい。」 「それは私に決めることは出来ないし、ましておまえが決めることではない。」 歌うのは時間の問題だ。今日も調書は巻かない。 「キョウ ○○日 ケンジサン XX日」と拘留期限が迫っていることを仄めかすが、「そうだな。」と、取り合わない。 XX年XX月第10日
S.Sが妻からの手紙を翻訳して欲しいという。 日本語で書かれているので、留置所担当官からの翻訳依頼はない。彼も日本語は多少分かるから、殆ど問題ないのだが、細かい部分で確かめたいところがあるのだ。 綺麗な字で、文章も非常にしっかりしている。 何通か一緒に読ませて貰ってのだが、みな共通しているのは、全て正直に白状し罪を償って下さい。私はいつまでも待っていますという内容だ。 彼もしんみりとする。 「今日は調書をとるぞ。言いたくないことは言わなくて宜しい。」 「いつもそう言うが、結局は言わせるではないか。」 「そろそろ諦めろ。」 「俺はとっくに諦めている。」 刑事さん改めて正規の尋問口調で 「これから、あなたのやったN県での窃盗容疑について読み上げます。間違いありませんか?」 これまでも何回か読んだ容疑内容を、私が中国語で読み上げる。 S.Sが一つ大きく深呼吸し、「間違いありません」と、はっきりした口調で答えた。 「先に逮捕されたWは、あなたと一緒に他にも23件盗みをしたと供述していますが、どう思いますか?」 「私は、他には盗みをしていません。私が盗みを働いたのは、ただいま読み上げられました一件だけです。」 彼が一件だけしか認めないのは予想された通りだ。 しかし本件に関しては、 N県までの往復。 着いてからの行動。 車の手配と運転。 道具の準備。 侵入方法及び経路。 盗んだ品物及び処理。 全て詳細かつ具体的に供述する。 調書の作成は、団体交渉の記録書作成によく似ている。 記録書で最後に残るのは、双方が確認できたことだけである。 席上でかなりフリーに話し合ったことも、記録書整理段階で、言った言わないの水掛け論はしない。そんな場合は、双方の食い違いをそのまま記録に残すだけである。 調書も必ず黙秘権の告知から始まり、最後は供述者が全て確認後、署名指紋捺印で終わる。 彼は彼なりに計算した。逮捕容疑の一件は物証もあり否定しきれない。もし全部否認したら、東京の件で再逮捕される。 なら一件だけ認めて、早く片をつけようと。 彼は上手く言い逃れたつもりだろうが、後々真実が明らかになったとき、否認したことが記録に残るのは、心証上有利にはならないことを知らない。 こちらは当面一件立証できれば充分である。 「ワタシ 不好命」 自分は運が悪かったと言う。 続けて言う。しかし日本で逮捕されたのはまだ運が良かったと。 刑事さんが言う。 「自分達はW.FとH.Cを逮捕しようと張り込んでいたら、思いがけずおまえが来た。飛んで火に入る夏の虫。運の好い奴だ。」 彼は腰を痛めたH.Cの補充として派遣されたらしい。 手紙に、奥さんが夜遅くまでコンビニでバイトをしていると書いていたのを思い出して、 「オクサン カワイソウ」と言う。 「一番可哀相なのは被害者と違うかな。」 「ワタシ ベンショウ スル」 金を払えばいいというものではない。ましてパソコンは、無くなったデータの取り返しがつかない。 この全然反省の無い若者に、私は言う。 「私は多分君のお祖父さん位の年かな。」 「祖父の方が少し上だ。」 「日本は法治国家だが、法律を運用するのは人間だ。人間はみな感情を持っている。」 この唐突な命題に、彼は、私が何を言いたいのか考え込む。 「裁判では、ハイとゴメンナサイしか言わない。有難う。」 こんなに素直に物分りがいいと、このどうしょうもない悪の横顔が可愛く見えるのは、私も人の子か。 中国語でいう(不打不成交)「喧嘩しないと仲良くなれない」。私達はあの怒鳴り合い以後、却って少しずつ打ち解けている。 数日後起訴が確定した。 東京の事件も、証拠が固まり次第、拘留延長取調追起訴になるだろう。 日本の警察は、彼に最も相応しい、彼が最も恐れる道を、彼自身に選ばせた。 その後東京の警察に再逮捕され、新たに強盗容疑が追加された。強盗となると、7年位服役の可能性がある。 H署 被疑者 C.J 37才 元留学生 日本語が話せる 容疑 不法滞在 事件概要 内偵中の投宿先で逮捕される。T県警からも参考人として手配されている。窃盗の嫌疑は濃厚だが、現時点では逮捕できる証拠が無い。10年前留学生で来て、滞在期限を過ぎている。 XX年XX月第1日 私は第1日だが、既にかなり取調は進んでいる。 担当の刑事さんが、「今日の被疑者は日本語が上手です。殆ど通訳は要りませんから、たまには楽して下さい。」と,言う。
職業欄にエステ経営と書いている。どちらかというと、小柄の気の弱そうなインテリという感じ。
刑事さんが、どうぞ挨拶代わりに何でも雑談して下さい。と言ってくれる。
「私の方言より、あなたの日本語の方が、訛りが無い。」 「あなたの中国語も非常に上手です。」 とまあ互いに互いの言葉を褒めあってエールを交換する。 「さあ始めようかと。」と刑事さんがまず被疑者の緊張を解きほぐすように、黙秘権の説明をした後、 「今日尋ねるのは、あなたの部屋から出てきたR.Mが預けていた品物についての確認です。これは参考人としての事情聴取です。あなた自身の逮捕容疑の不法滞在はどんなに悪くても執行猶予だから、あんまり緊張しないように。」と、告げる。 しかし、彼何故か浮かぬ顔をする。 私は、中国人が「執行猶予」(シッコウユーヨ)の促音と長音の発音が苦手なのは知っている。上手く言えないということは、上手く聞き取れないということだ。 「今の執行猶予は分かりましたか?」 「死刑?」と首を傾げる。 やはり分かっていなかったのだ。 執行猶予と紙に書き、(寛刑)と中国語でいうと、やっと彼の表情が緩んだ。 死刑から執行猶予になりほっとしたのか、口も軽くなる。
しかし何故R.Mと一緒に投宿していたのか。窃盗実行部隊の補充兵か?盗品がT県自宅の部屋から出てきたのは故買屋か?日本語が上手だから、現地司令塔との連絡か? 中国人犯罪の特徴は変わり身が早いというか、流行性が高いことである。 パチンコの裏ロム、CR機カード偽造、自動販売機のコイン偽造、等等天才的な思いつきをすぐ実現し皆が飛びつき、下火になるとさっと手を引く。 それは又、中国本土で、コピー屋が当たると、軒並みコピー屋が並び、メガネ屋が当たると大きな商店街が、一時的に全てメガネ屋になるのと似ている。 今回彼らは、中小都市ではアジトの確保が意外に難しいのを知った。中国人は一般には日本人と区別し難いのだが、地方都市では目立った。そこから次々に逮捕された。 この逮捕率を前にして、これまでのやり方からは、一斉に手を引くはずである。 しかし怖いのは、今度広域窃盗団で出来た、日本の暗黒社会との結合のノーハウである。これがまた次に犯罪の天才中国人にどんな手口を思いつかせるか。更に改良?した方式を、もうすでに考えているはずだ。 不法滞在11年、豊富な日本人社会に対する知識、高い日本語能力、裏社会での生業、一見大人しそうな風貌。 その道では、彼は得がたい人材である。 この短い間に、悪ばっかり見ていると私の目つきも少しおかしくなったかもしれない。この善人に、悪の陰が濃く見える。 彼を参謀本部要員、または本部付役員と見るのは思い過しだろうか。彼が、窃盗の実行行為に参加していないだけに却って不気味である。 次の司令塔を、未然に潰せるだろうか。 私の心配は杞憂だろうか。 今日の取調は簡単だった。証拠品として彼の部屋から出て来た品物を、全て容疑どおり、R.Mの盗品と認めて終わり。
後日R.Mの供述などから窃盗容疑に切り替わり、再逮捕される。 H署 被疑者 R.M 34才 漁民 165センチ 無口 容疑 窃盗 W.Fとは別グループの広域窃盗団 事件概要 日本人運転手と他一人の中国人と、H県で窃盗。H県警からの手配中。当市内民家に侵入、物色中窃盗未遂現行犯で逮捕。共犯者一名は逃亡中。日本人運転手はその後逮捕される。 他に一人当市での窃盗の実行行為には関わっていないが、T県警から手配の男も一緒に逮捕される。 XX年XX月第1日 担当の刑事さんから、被疑者の概略説明を受ける。 「とにかく喋らない男です。」続けて 「もう今日は、容疑否認のまま巻きます。」と言う。 (巻く)は調書を作成するという業界用語。 私は、臨時に途中から取り調べの通訳で、経緯は分からないまま、被疑者と初対面した。 喋らない男なら、通訳も楽だなと思いながら、型通り黙秘権の告知をしたら、 「私は、何でも喋ります。これまでも知っていることはみな喋りました。どうぞ刑事さんにそう伝えて下さい。」と予期しないことを涙顔で言う。 「共犯を近く逮捕すると言ったから、気が変わったのかな」と刑事さんも半信半疑で、容疑事実の認否を求めると、 「不知道」と首を横に振る。 「私は車に乗ったらすぐ目を閉じます。誰とも話しもしません。だから何処へ行ったのかは全然分かりません。」 「車に乗って、何処かへ行ったのだね。」 「はい。」 「車を降りてどうした?」 無言。 「この家に見覚えはないかね。」 犯行現場の写真を見せて尋問する。 「私は目が悪いので、よく分かりません。それに夜でしたからなお分かりません。」 更に私に向かって、訴えるように「大分良くなったけど、当時は充血していた」と手まねを交えて言う。 彼の出身地は中国の南方F省である。省とはいえ面積は日本の三分の一ある。この広い地域に、川筋一つ隔てたら言葉が通じないと言われるほど、数多くの方言が複雑に交錯している。 テレビの普及で、若い人は殆ど標準語が話せるが、日常は方言で話している。 中国のテレビでは、中国語の字幕がついていることが珍しくない。 彼の言葉も非常に聞き取り難い。聞き返すと、悲しそうな表情で黙ってしまう。筆談をしょうと紙に文字を書くと、更に悲しそうな表情で首を横に振る。 刑事さんの許しを得て、少し雑談をさせて貰うことにした。まずは、片言でも意思疎通出来ることが急務である。 彼の職業は漁師。 取れる魚や、漁法を話して貰う。私のにわか聞き取り練習である。河豚は獲れるが食べないとのこと。食べて死んだ人は見たことがあると言う。 「自分は貧しくて、小学校も満足に出ていない」と言う。多くの被疑者が、どちらかというと法螺を吹く中で、彼は率直だ。字が殆ど読めないのだ。 聞いたことだけ喋って呉れるが、元々無口の彼は、会話自体が苦痛のようだ。会話がとかく途切れる。 拘留期限は迫っているので、とにかく(巻く)ことにした。 手口。侵入及び逃走経路。実行行為など、最低調書を作成に必要なことは供述した。 最終確認も、「もう読まなくていい」と面倒くさそうに言うがそうもいかない。読み上げて確認を求める。 自分の名前は書けるので、署名と指紋捺印をして一件落着。 XX年XX月第2日
数日後、日本人運転手の共犯が逮捕された。 数枚の写真を見せ、その中から共犯容疑のMを選ばせる。 「この写真の男が運転手Mに間違いないかね?」 「はい、間違い有りません。」 「日本人運転手とはどのようにして知り合ったのか?」 「もう一人の中国人Zが連絡したようで、私は知りません。」 「盗む場所は、彼が決めたのか?」 「はい、そのようです。」 「Mがしたのは、運転と見張りだけか?」 「Mがまず呼び鈴を押して家人の不在を確認した後、私達が盗みをしました。その間彼が見張りをしていました。」 「最初からこんなに素直に供述して呉れていたらね。可哀相に少し遅すぎた。」と刑事さんが溜息をつく。 R.Mは、検事さんの前でも完全黙秘を貫いたらしい。 勿論黙秘権は被疑者の権利であり、黙秘をしたからといって不利益な待遇を受けることは絶対にない。しかし、心証面で有利に作用することも無い。 彼の場合、言いたくないから黙秘をしたのか、言いたいけれど、上手く言えないから黙っていたのか。そこが疑問である。 元々無口の彼が、異国で通訳を介して意思疎通をするのは、相当に難しかったと思う。 ただ悲しそうに項垂れているのを見ると、反省の心薄く黙したのか、全てを運命と諦めて黙したのか…。自分でも説明出来ないのではないだろうか。 起訴は間違いないようだ。 裁判では、少しでも心を開いて呉れることを願う。 XX年XX月第3日
本件は既に起訴され、今日は尋問でなく調書の補完である。 一つのビルに二つの会社があり、その両方の会社から被害届が出ている。 被疑者は一つの会社だと思っているので、供述した事件と被害届けの出ている事件と件数が一致しない。別にこれでも構わないのだが、形式的に一致していないと、未解決事件として再逮捕追起訴ということも起こり得る。
以上の事情を説明し、次のように話す。 「今日の供述調書によって、いまの公判で君が不利になる影響を与えることはない。言いたくなければ言わなくてもいいのは、これまでと同じである。これから尋問することに答えて欲しい。」 「私は、本当に同じ会社と思っていたので、隠すつもりは全くありません。どうぞ何でもお尋ねください。」
という訳で、今日は実質的な尋問は殆ど無い。調書を作成する間、雑談をする。 彼が日本語を話せることを私は始めて知った。 「いつ日本に来たの。」 「平成で何年かは知らないけど、1997年です。」 「中国でも日本語の勉強をしたの。」 「全然。」 そのあと、彼が日本でのある経験を話してくれた。 「私達みたいに、密入国者は特に仕事を探すのが困難です。日本語が話せると有利なので、実際に仕事をしながら一生懸命日本語の勉強をします。ある日食堂で働いているとき、(ショウガナイ)と言ったら皆に笑われました。」 私も、なんのことやら分からなかったので、中国語で言ってもらったら(没有生姜)「生姜が無い」ということだった。 豆腐に添える生姜が無いと言ったつもりだが、「しょうがない」と皆に笑われたと言うのである。 「しょうがない奴」の洒落。 「これは言葉の遊びさ、中国語にも沢山あるだろう。皆は、君をからかっただけで、決してばかにしたのではないよ。」 「それは私もよく分かっています。しかし私は恥ずかしくて、その後は日本語を話す勇気が無くなりました。」 私も中国では毎日同様なことを経験したが、内容は、彼の場合と同日に論ずることは出来ない。 私の場合は、同じからかいでも、この歳で中国語を勉強する日本人に好感を示してくれての上でのものである。ひとしきりからかった後、競うように色々教えて呉れた。 ある日、終わりの意味で(完了)という言葉を使ったら、周囲が笑いの渦になる。なぜこんなに大笑いするのか、さっぱり分からずきょとんとしていたら、 この(完了)という言葉は前に動詞をつけて、例えば(看完了)「見終わった」、(吃完了)「食べ終わった」と言わないと、ただ(完了)と言うと「死んでしまった」という意味になるのだそうだ。 「こんなのどの教科書に書いていたかな?」憮然とする。 彼の場合は、自分に密入国者としての引け目があるから、周囲の目を好意的に解釈することは難しいし、こんなに親切に教えて呉れる人もいない。
「君のことを私は少し誤解していたようだ。頑固で気難しくて何も喋らないと聞いていたけど、意外に話し好きだね。」 「私は最初から、何でも話しましたよ。」と肩をすくめ、茶目っぽく笑いながら言う。 「嘘言え!」と刑事さんが異議を唱える。 「実は、最初今後の予定の説明を受けたとき、(将来)云々という言葉を聞きました。中国語で将来と言えば少なくとも10年先のことです。私は、10年は刑に服さなくてはいけないのだと思い、すっかり気が重くなりました。 その後一人の中国人が入所しました。留置所で私語は禁じられているのですが、密かにお喋りをします。彼から色々教えて貰って、私が勘違いをしているのを知り、その後はすっかり気が軽くなりました。」 その中国人は、S.Sのことだろう。彼はプロの泥棒で、箸にも棒にも掛からない悪だが、たった一つ良いことをした。 R.Mの落ち込んだ心を勇気つけた。 彼の名誉のために、一言付け加えるならば、文盲と思ったのも私の誤解で、綺麗な字を書く。 求刑は3年。 2週間後に判決がある。
XX年XX月第4日
今日は取調の通訳ではない。 移監と言って留置場から刑務所に身柄が移される、その通訳である。 私が彼と付き合ったのは数回だが、彼は一番最初に逮捕され、この留置所の滞在記録保持者となった。6ヶ月過したそうである。担当官の話しによると、同室の日本人を教師に日本語の勉強に励み、かなり上達したという。ペン習字の練習も毎日欠かさないとのこと。 留置所の担当官とも、毎日の交流があるから実質的な会話は全て問題ない。ただ法的な手続き上正式な通訳が必要とされるので、私が同席したに過ぎない。 最終所持金の確認、4,733円。これからの一年程の刑務所生活をこれで過さなくてはならない。俗に地獄の沙汰も金次第、身の回りのことにも不自由だろうが、これも贖罪だ。 M市郊外の刑務所には、勿論私も始めて入る。 撮影禁止。検問所の遮断機。移動式の鉄柵門。閂みたいな丈夫な鍵が付いた建物。廊下の一つ一つに付いた電子ロック。更に部屋の鍵、と幾重にも外部から遮断されている。 この部屋は、入所者と出所者の関所みたいな所らしい。今日出所する男性が居た。私に直立不動の姿勢の後会釈する。彼は何年いたのだろう。全てに直線的な挙動が、厳しい生活の中で作られた習性であるのは、一目瞭然だ。 朝の体操の時間だろうか。「一!,二!。一!,二!」と教練のような掛け声が聞こえる。 人定尋問を通訳し終わると,看守が 「これから,簡単な尋問を行います。日本語が分かりますね。」と,分からないとは言わさない口調で尋ねる。 通訳すると R.M「スコシ」と不安気に答えるが,看守の人は「規則等は中国語で書いたものがありますから,どうぞご心配なくお引取り下さい。」と,これ以上一般人の長居を好まない態度を示す。 ここは娑婆とは違う。聞くところによると,監房から出るとき,踏み出す足の右左まで規則があるそうで,全てが厳しい規則漬けの中の生活だそうだ。 地方の中都市を疾風の如く襲った中国人広域窃盗団。その中の一人がまず収監された。後引き続き収監されるだろう。 彼らが招かれざる客の最後になるか,先客万来の前触れか。 日本の秋が,静かに深まろうとしている。 H署 IM署 他 不法滞在 W.W 30才 男子 国籍東南アジアM国 不法入国 R.M 32才 中国 上の者の妻、妊娠2ヶ月 不法就労助長 Y.G 40才 男子 中華料理経営者 同上 W.Y 38才 女子 上の者の妻 概要 W.WとR.Yは、出入国及び難民認定法違反容疑で逮捕された。 奥さんのR.Yが6年前不法入国。偽パスポートでの密入国。 W.Wは7年前M国から3ヶ月の観光ビザで入国したが、その後不法滞在。パスポートを紛失。そのため滞在の延長手続もしていない。 Y.GとW.Y、この二人は正規の滞在資格を持っている。W.Yの母が残留孤児。Y.Gは、残留孤児二世の婚姻者として、彼も長期滞在資格を正式に持っている。二人とも国籍は中国のままで、日本に帰化はしていない。 夫婦は上記両名を不法滞在と知りながら雇用し、不法就労をさせた疑い。 少しややこしいが、R.Yの三番目の姉が、W.Yの弟の妻ということで、二組の夫婦は遠い姻戚関係がある。 XX年XX月第1日 この日は、3名の勾留手続きに関する通訳である。一名の管轄署が「他」となっているのは、R.Yが妊娠しているため、一旦逮捕したがすぐ釈放。任意取り調べとなっている。管轄はH署で調べる。 M国のW.Wが中国語で取調べを受けるのは、彼が華僑であり、実際に話すのは中国語だからである。 1 まず、検察庁で警察から提出されている勾留請求書に基づき弁解調書を作る。 2 検察庁が、当人の弁解を聞いた上で勾留が必要と認めたら、勾留状を作成し、裁判所の容認を求める。 3 裁判所がそれを容認したら、当日を含めて10日以内の勾留が認められる。更に勾留が必要と認められたら、再勾留となるが、再勾留は一度だけである。 4 検察官が勾留執行。 5 留置担当官が、身柄を引受け勾留。 以上が逮捕から、勾留までの刑事手続の概略である。 検察庁でも裁判所でも、必ず行われるのは、人定尋問、黙秘権の告知、被疑内容の確認、弁護士選任権の告知。 被疑者が外国人の場合は、領事館通報を必要とするか、どうかの確認も行われる。必要なら裁判所から通報する。 M国のW.Wだけ通報の要請をした。
W.W、W.Y、Y.Gの順で、弁解調書が取られる。入室を待つ間、 「私にとっては久しぶりの外国人なので、少し緊張します。」と鬼?検事さんが、らしからぬ純情なことを言う。 被疑者との出合いの一瞬が、通訳の私にとっても一番緊張するときである。 しかし、最も緊張していてるのは、なんと言っても被疑者だろう。手錠に腰縄姿で、勝手の分からぬ、言葉も通じない異国の法官の前に立つのだから。 私は、このような場合、自分より緊張している相手に接する場合、目を見ないようにする。被疑者の入室に合わせて立ち上がり、視線をそらしたまま、さりげなく椅子を勧める。まず何をすべきか誘うことで、とりあえず最初の緊張は解けたようだ。 続いて、検事さんを紹介し、自分が通訳であることを告げる。 W.Yのときだった。記録の書記官が、既に逮捕にあたった刑事さんから彼女について何か聞いていたのか、 「事件と関係の無いことを、喋りだしたら止めて下さい。」と言う。 彼女、容疑内容も、一項目一項目、丁寧に確認しながら認める。一通り終わったら、 「自分達は、不法滞在者であるのを知らないで雇った。こちらが被害者だ。」と主張する。 更に、不当逮捕という言葉は使わないが 「もっと悪いことをしている人は幾らでも居るのに、この処置は厳しすぎる。」と抗議する。 続いて、以前彼女が働いていた東京の話を始めたとき、 「後日、取調べのとき詳しく聞きましょう。」と、予め書記官に言われていたとおり彼女に告げて、それ以上の発言を制止した。 中国の女性が早口にまくし立て始めたら、流石の日本の検事さんも辟易するだけで、どうしようも無い。 男性二人は、簡単に終わった。 裁判官の前で、まず宣誓する。 「私は、自己の良心に従い、誠実な通訳をすることを誓います。」 この言葉を、日本語と中国語の両方で言う。 法定通訳と、刑事通訳の根本的に違う所は、前者が形式を重んじるのに対し、刑事通訳は何が出るか、定まった形が無い。 法定通訳の場合は、被告人が外国人の場合、公平を期する為、起訴状は予め翻訳した物を先に渡している。更に必要なら、同時通訳のテープを先に作成しておくことも許される。 筋書きがあるから、それが可能なのだ。 そして、余計なことを言うのは一切許されない。 刑事通訳は、むしろ雑談がかなりの部分を占める。 W.Yがここでも、捜査令状無しで捜査を受けたと抗議する。 裁判官が、令状の請求は受けて裁判所も容認している旨を告げた後、弁護士の選任権があることも告げる。さらに 「この権利は貴方が行使しないと駄目ですよ。もし分からなかったら、こちらで手配してもいいですよ」と言う。 問題は其の費用だが、逮捕されたとき一回だけは無料のことも教える。 早速弁護士の要請があったのだが、同席している留置の担当官が、「私のほうでやりましょう」と、引き取ってくれた。 その間のやりとりを全て通訳し、彼女が私に抗議するように言う令状の問題も、「全部弁護士に相談しなさい。弁護士は貴方の立場で考えて呉れますから。」と安心させる。 弁護士が、被疑者の代弁者だという当たり前のことを強調するのは、中国のテレビで見る公開裁判の弁護士は、私には検事の補佐官に思えるときがあるからである。 「私は貴方が、こんな罪悪人であるのを始めて知った」と弁護士がテレビの前で言ったのを聞いたことがある。 三人の全ての手続が終わったのは、午後3時を過ぎていた。 W.WとW.YがH署に、Y.Gの身柄だけ、IM署に移される。
W.WとR.Y夫婦の取調べの通訳を担当することになる。 H署 被疑者 R.Y 30才 妊娠二ヶ月 容疑 入管法違反 任意取り調べ 先に3名一緒に勾留手続をした、W.Wの妻。中国F省出身。 1995年、写真を張り替えた偽造パスポートで入国。その後横浜の中華街などで、主に食堂のウエイトレスとして、働く。 1998年、M国国籍のW.Wと知り合い内縁関係となる。 今年の春M市に来て、夫は中華料理屋の調理師、自分も同じ食堂で働いていたのだが、雇用主の中国人夫婦と、一緒に逮捕される。容疑は、先の「勾留状請求」と重複するが、もう一度書くと 夫のW.Wが不法滞在、彼女が不法入国、即ち入国管理法及び難民認定法違反。雇用主夫婦は両名が不法滞在者であることを知りながら雇用した罪、即ち不法就労助長罪。現行犯逮捕である。 XX年XX月第1日 まず、いつどのようにして日本に来たかを尋問する。 1995年5月に成田から、飛行機で入国したと言う。その年の3月地下鉄サリン事件があった。彼女途中韓国のソウルと思われる空港待合室のテレビでこの報道の解説を見ている。 中国広東空港から、東南アジアの国と思われる国、更にソウルと思われる空港を経由して成田に入国したと言う。しかしその後、警察は成田空港当日の全ての入国者名簿を調べたのだが、彼女の言う名前は無かった。一般に他人のサインは読みにくい。彼女も、パスポート上のサインはなんと書いているのか分からないまま、単に模様として真似して書いたので、文字としては覚えていないのだ。 中国での、出国は全くフリーパス。空港の関係部門が完全に蛇頭に買収されているのだ。 日本に着いてからの入国手続を、実演して貰う。 恋人のように、引率の男と腕を組み行列に加わる。(私が男役) 順番がきたら、彼女にパスポートを手渡して、彼が先に英語で手続をする。 続いて彼女が担当官の前へ行く。当然言葉が通じない。 彼が戻って来て、なにやら英語で言い、通過する。 終わったらすぐパスポートは男に取り上げられる。 その後、各国から来た友達のパスポートを見て知ったのだが、自分のパスポートは、東南アジアのS国のパスポートに似ていたそうだ。とにかくパスポートは、入国手続の一寸の間渡されただけで、実際には貰っていないのだ。 蛇頭は、このパスポートを、日本から帰国する者用に再び使用するのだろう。 私は何となく、引率蛇頭をパック旅行のガイドのように思っていたのだが、殆どマンツーマンに近いらしい。金を受け取るまで、逃げられないように監視が要る。それに300万円も巻き上げるのだから、一人一人でも充分に採算は合う。 警察としては、パスポートも無いし、なんの根拠も無いと彼女が何者であるかの人定も出来ない。 そのためにも、入国後の彼女の行動、住居、接触した人間のことが今後の尋問の大部分を占めることになる。 彼女の体のこともあり、一日の尋問時間はあまり長くは出来ない。 初日はこれで終わる。 XX年XX月第2日 今日は主に、密入国の動機を尋問する。 直接の動機は、親の決めた結婚を断ったことだと言う。 農村はまだまだ、親の決めた男と見合いをし結婚するのが当然のことになっている。しかし彼女が親に紹介された男がどうしても好きになれなかった。断ったのだが、家に居辛くなった。 そこで、子供の時からよく遊びに行った、近所の派出所の署長さんに、よそへ行きたいと相談したら、日本へ行けるように世話をして呉れた。 日本でも田舎に行くと、郵便局の局長さん、派出所の署長さん、校長先生は名士である。この派出所は10数名の規模だが、彼の人望は絶大らしい。 20万元(300万円)の内、14万元(約200万円)を、署長が立て替えるよう都合して呉れたという。私はどうも彼こそが、勧誘蛇頭だと思うのだが、彼女は「彼は私を、子供の時から可愛がってくれた良い人だ」と言う。仮に彼が蛇頭でないとしても、蛇頭が彼の人望を利用するのは充分に考えられる。 署長は、その後親切にも彼女が出国する空港のある都市まで帯同して呉れたそうだ。ますます臭いが、まあそれは中国のことだ、おいておこう。 ここで約一ヶ月ぶらぶらしながら、出国の日を待つ。そのとき、やがて必要になるからと、人のサインを何回も練習さされた。それは二人の名前だった。 自分はいつも本当のパスポートを要求したから、それが偽のパスポートに使うためだとは夢にも思わなかったと言う。 何をするにも、袖の下が要る国である。パスポート得る為に金を使ったことには、彼女罪悪感は無い。偽のパスポートを掴まされたことに怒りをぶちまける。 XX年XX月第3日 午前中、夫のW.Wと面会。この二人に接見制限はない。ただ面会のとき使える言葉は、立会いの留置官が分かるように日本語に限られる。二人ともかなり日本語を話せるのだが、微妙な点はやはり中国で語りたいので私に通訳をして呉れというが、それは難しい。 私の立場は被疑者と一定の距離を保つことを求められている。警察が業務上必要として、通訳要請があれば別だが、第三者の私は、面会に立ち合うことも出来ない。 午後、子供を保育園に預けて尋問がある。彼女は小学校しか出ていないそうで、字を書くのは少し苦手だが、日本語は非常に上手い。 刑事さんの日本に来てからの尋問にも、全部日本語で受け答えする。 「最初に行った所はどこ?」 「蒲田の駅覚えているよ。銀行のある出口出て5分位歩いて、アパート行ったよ。」 「誰のアパート?」 「名前確かRさん。若い夫婦。私二日居た。東京の親類お金持ってきた。私そこ出た。」 「東京の親類は誰?」 「三番目、お姉さんの旦那さん。もう中国帰ったよ。」 その後住居も職も転々とする。 そして横浜のある中華料理屋で一緒に仕事をしていた、W.Wと知り合う。 最初の子供を流産。 三番目の子供を先天性の心臓疾患で生後間もなく失う。 その時、M国から旦那さんの母親に来て貰うのだが、母親も心臓疾患で急死する。 失意のW.Wと正式に結婚して一緒にM国に行こうと、中国大使館にパスポートと、未婚証明書を請求するが、なかなか貰えない。 自分達で小さな中華料理屋を営むが、経営不振で店をたたむ。 悲しい身の上話が問わず語りに続く。 どれ位時間が経ったのだろう。 彼女が私の膝をちょんちょんとつつく。 はっと我に返る。申し訳ない、すっかり居眠りをしていた。 取調べで、被疑者が居眠りすることは時々あるそうだ。しかし通訳が居眠りとは前代未聞。私を不真面目と責めないで欲しい。それだけ彼女の日本語が上手で、物語が悲しかったのである。涙腺を刺激されると、ついつい眠たくなる。 刑事さんも、時折相槌を打つだけで、尋問と言うよりは、人生相談室である。 彼女が溜息と共に呟く。 (禍不単行)「禍は一人でやってこない。泣き面に蜂の意」 保育園の時間の都合もあり、今日はこれで終わる。 XX年XX月第4日 彼女は任意取り調べなので、取調室は使わない。講堂の一角を衝立で仕切って、取調室代わりにする。取調室というところは、私自身以前被害届をしたとき、空き部屋が無くて通されたことがあるが、悪いことをしてなくても、気が滅入る部屋である。 ここは、取調室に比べるとまだましだが、それでも彼女の立場からはあまり快適な応接間ではないようだ。 壁にずらっと掲げられた歴代署長の写真を見て、何かと尋ねる。 そして「怖い」という。抗日ドラマの中に出てくる「鬼子」(旧日本の兵士)に似ていると言うのだ。制服、勲章、ちょび髭、サーベル。そう言われれば、そうも見える。 彼女が何か早口で言う。「日本の警察」という一言だけ聞き取れるが、あとが分からない。 「なんて言ったの?もう一度言って」と尋ねたら、 「刑事さんに言うから言わない」と答える。 刑事さんに「彼女、何か警察の悪口を言いたいらしいから通訳しませんよ」と言ったら、 「どうぞ、どうぞ」と言う。 彼女、 「日本の警察もよっぽど暇なのだね、私達みたいなのを捕まえて。もっと悪を捕まえてよ。」と言った後、私に「そうでしょう」と同意を求める。 刑事さん、通訳しなくても言わんとする意を察したのか、 「警察は悪口を言われる位で丁度いいのですよ」と言う。 私も彼女の問いには直接答えず、中国語の諺を言って答えの代わりにした。 (打是情、罵是愛)。「叩くのは情け、罵るのは愛」 彼女がどうしても納得出来ないのは、次の二点。 1 横浜に入るときW.Wと二人で入管に行って、M国に出国したい旨伝えた。そのとき自分から不法滞在者であることも告げている。それなのに逮捕されなかった。 2 M市に来てすぐ、外人登録をした。その時不法滞在であることを記載した。 それが何故半年近くもたって、今更不法滞在容疑で取調べを受けることになったのかである。 日本は、本当に素晴らしい国で、不法滞在者といえども、不法滞在という資格で外人登録出来るのだ。 司法と行政は互いに独立している。 子供が出来たら、人権上の見地から不法滞在者といえども、母体保護の母子手帳が貰える。原則は一年以上の滞在資格がないと、外国人は健康保険に加入できないのだが、例外措置として、母子手帳を持つものは、不法滞在者も健康保険に加入出来る。 彼女は、健康保険に加入できたので、一年以上の滞在資格が出来たと勘違いした。 「汝姦淫するなかれ、疚しき心もて婦女子を見たるは、すでに姦淫したるなり」 聖書のレベルで、婦女暴行罪を適用されたら、私なんか少なくとも日に一回は、婦女暴行未遂罪で逮捕される。 中国人を逮捕しようと思ったら、旅券法違反を厳格に適用したら、即ちパスポート不携帯を適用したら100%現行犯逮捕できる。旅券法に定められたとおり、常時パスポートを携行している人間はまず居ない。私達が中国で暮らすときも、パスポートは大切な物だから、コピーを持って、本物はできるだけ持ち歩かないように注意を受ける。 ツアー旅行では、ガイドが一括して持っている。 それに、正規の留学生、研修生以外は、まず殆どの中国人が不法滞在ではなかろうか。 在留資格で許される就労は、医療、興行、高度に専門業務等制限を受けたわずかである。不法就労もまず間違いなく適用できる。 昔の治安維持法時代の特高なら、「怪しい」それだけで、逮捕理由になった。 最近の新聞にも載っていたが、中国からの密入国者が多数W県で逮捕されている。最近日本の不況の影響で、密航手数料が値崩れし(300万円位だったのが今240万円位)、それが近年再び密航ブームを呼ぶ引き金になっている。 本見聞録のプロローグでも書いているが、警察、入管、海上保安庁など関係部門が協力して、密航関係組織犯罪の撲滅に力を入れている。 これはあくまでも私の想像だが、一緒に逮捕された、経営者Y.Gがその筋の人間としてターゲットになっているらしい。彼だけ身柄がIM市に移されたのが、なんとなく私の想像を裏付けている。IM市は、研修生を含め当県では一番中国人の多いところである。 一見血も涙も無い逮捕のようだが、どうも真相は、Y.Gが不法就労助長罪として別件逮捕。この夫婦は、それを裏付けるための重要参考人としての逮捕のようだ。勿論警察はこの言葉を使わないし、彼女自身も不法滞在の事実は素直に認める。又、それが悪いことだという認識もある。 XX年XX月第5日 彼女の居民証(中国政府発行の中国人全てが持っている身分証明書)が必要になって、中国の彼女の実家に電話をする。 この電話は当人の身元確認も兼ねている。先方は父親が出た。彼女と代わる。親子が話すF省の言葉は完全に外国語、私には全然分からない。 刑事さんが「国際特急だよ」と念を押す。 急ぐのは分かる。しかしこの国際特急の値段の重みを刑事さんがどれ位理解しているか。 EMS(国際特急便)の値段は日本から、900円。中国から120元(約1800円)。この貧しい農民父親の月収は精々200元有るか無いか。しかしEMSでないと確実に着く保証も無い。居民証を外国に持ち出すことは許されていないから、普通便だと、中国政府に没収される恐れもある。 久しぶりで父親の声を聞いた彼女が、涙ぐみながら言う。 「今度お父さんは、自分の棺桶を買った。永くないかもしれない。」 死期が近づいた老人が、自分で自分の棺桶を用意するのが、この地方の風習である。 彼は、非常に聞き取り難い言葉だったが、私にも娘のことを宜しく頼むと何回も言っていた。 彼女の願いはただ一つ。一家が一緒に暮らせることである。W.Wと正式に結婚して、M国で暮らすのが最も理想とする夢である。 これまでもその努力はしている。まず中国の大使館に、出国の一時ビザと、未婚証明書の発行の申請。これがないとM国のW.Wと結婚できない。この件に関して、横浜の区役所の職員が、立場を越えて親身に世話をして呉れ、日本政府として必要な書類を作成後、中国の大使館宛に詳しい添え書きを送った写しを彼女が見せて呉れた。 しかしこれは逆効果だった。他国の役人に自国の恥じになるようなことを言ったと、大使館の職員に却って冷たくあしらわれたのだ。未婚証明書の申請に必要な手続を、言うとおりしたのだが、本国から取り寄せた公証書は、何回も書き直しを求められ、未だ解決していないと言う。一文字直すだけの郵便の往復だけでも最低一ヶ月掛かる。 M国に在外華僑の世話をするボランティア団体があって、そこの人達も親身に世話をして呉れる。 彼らが言うには、「一度中国に帰国して、その上でM国に来なさい。そうすれば簡単です」と。 これが100%駄目なことは、彼女「貴方ならわかるよね」と私に言った後、「私達もう終わりなのよね」と綺麗な日本語で言って深い溜息を吐き、言葉を続ける。 「W.Wさんは良い人だよ。でもまだ若い。一人で帰ったら別の女の人と結婚するよ。」 別々に帰国したら、まず「終わり」だろう。 簡単にビザが下りるなら、300万円も払って日本に密入国していない。それに子供を連れて帰れば、未婚の母は不道徳を越えて、それ自体犯罪である。お腹の子供は完全に強制処分される。 「私はどうなってもいいの。子供だけでも助けて欲しいの」と涙ぐむ。 一旦別々に帰国して、また合うという方法は実際問題として無い。 刑事さんが、 「今回のことは君にとって不幸なことだったかもしれないけど、これを今後幸せになるきっかけにしなさい。」と言った後、今後の身の振り方について具体的なアドバイスをする。 入管に出向した経験もあるこの刑事さんは、入管の手続に関する知識も深い。 「出国の一時ビザと、未婚証明書はどんなにねばっても手に入れなさい。大使館は出さないとは言えないはずです。ご主人のW.Wさんは多分強制送還になるでしょう。貴女は悪くても、出産が終わるまで、日本に居れる可能性があります。どこにどのような申請をするかは、後で私が一覧表を拵えてあげましょう。しかし私が貴女にしてあげられることはここまでです。いま言ってことは、全部自分でやらなくてはいけません。仮にご主人が強制送還になるとしても、時間は充分に有ります。頑張りなさい。」 この刑事さんの立場を越えた親切に、彼女も充分に感動する。 雑談の合間に、必要な調書は順調に出来上がる。 XX年XX月第6日 地図と写真で、彼女がこれまで供述した、住んでいた場所と、働いていた職場の確認をする。 写真は東京と横浜の警察の協力で取り寄せたもの。写真を見せながら刑事さんが言う。 「元の職場の人達は皆君のことを覚えていたよ。君が虐められて止めたと言ったあの中華料理屋の社長も良い人じゃないの。君のことを心配して、いつでもおいでと言っていたよ。」 彼女が周りの人に可愛がられていたのは、別の見方をすれば、彼女自身真面目に暮らしていたことを意味する。 家では、二才の子供が待っている。今日は簡単に終わる。 調書の最後に、彼女がお願いした形で、せめて出産が終わるまで日本に居れるよう書いてある。 末尾の寛大な処置の要請は、不起訴を暗示している。 刑事さんも、不起訴という言葉は使わないが、はっきり 「今日で全部終わりです。体に気をつけて丈夫な赤ちゃんを産みなさい。」と励ます。 「おとうちゃんも帰れるよね。子供が背中を踏んであげると楽しみにしているの。」 「心配ないから」と、これも釈放という言葉は使わないが、その意味のことを言う。 そして私にも 「長い間ご苦労さまでした」と事件の落着を別の言葉で述べる。 若い夫婦の受けた試練が、将来の甘い思い出になることを祈ろう。 H署 不法滞在 28才 男子 M国出身の華僑 調理師 XX年XX月第1日 勾留手続の中で述べた、3人の中の一人である。一部重複するかもしれないが、これまでの経緯を含め彼のことを簡単に紹介する。 10年前観光ビザでM国から入国し、そのまま更新手続をせずに不法滞在。東京、横浜等で調理師として働く。その間、前述のR.Yと知り合い内縁関係になる。 今年の春M市に来て、ある中華料理屋で調理師として働く。 今回雇用主のY.GとW.Yが不法就労助長罪容疑で逮捕され、彼も一緒に逮捕される。妻のR.Yは一旦逮捕されたが、妊娠している為すぐ釈放。同じH署で任意取り調べを受けている。 彼は日本滞在が10年を越えるので非常に日本語が上手い。私が通訳をするのは、調書の確認とか、押収品の確認とか、刑事訴訟法の手続上どうしても欠かせないことだけで、別室で取調をしているR.Yと掛け持ちの合間を縫ってやる。 彼、調理師としての腕は一流のようで、地元の民放テレビでも紹介された。店の売上も、彼が来るまでは一ヶ月100万円しか無かったのが、200万円を越えるようになったと言う。 ここへ来るきっかけは、やや複雑だがW.Yの弟と、彼の妻の三番目の姉が夫婦という遠い縁戚関係を頼って来た。 そして、W.Yの祖母が残留邦人。 W.Yの母は65才。いまM市で同居している。 事件と直接の関係は無いが、以下インターネット http://nihongo.human.metro-u.ac.jp/long/longzemi/zanryukoji.htm で調べた残留孤児に関する数字を転載させて頂く。 昭和46年 第1次肉親調査開始~平成10年1月31日 現在まで 孤児総数:2681名(うち身元判明者1256名) 既に永住帰国者数:2151名(身元判明者995名、未判明者1156名) 既に一時帰国者数:791名(身元判明者635名 、未判明者156名) 現在中国に残っている孤児数530名 W.Yの祖母が83才で横浜に健在。彼女の係累が約80名残留孤児の係累者として永住資格を持っている。 少しややこしいから、もう一度整理すると、W.Yの母親は残留孤児帰国者(永住帰国者2151名中の一人)。横浜の祖母は直系親族一親等の母親。その係累いとこ、はとこが80名近く、在日している。 全国の残留孤児係累の総数は推計するしかないが、10万人位は居るだろう。その多くは、残留孤児本人を含め、恵まれない環境にある。在日中国人犯罪事件の背後に、この関係者がかなり居るのも事実である。 中国及び中国人を理解するとき、重要なことの一つは、 「中国人には家庭という概念はあるが、社会という概念は無い」 ということである。これは中国人が如何に家庭と係累を大切にするかという強調だが、私が言った言葉ではない。中国人が「中国人」(林語堂著)という書の中で書いている言葉である。 今日の通訳は、人定確認と、容疑内容の確認だけ。 R.Yの取調の方へ、私だけ席を移す。 XX年XX月第2日 M国へ国際電話をする。目的は彼が本当に自称するW.Wかの確認である。彼のいう家に電話し、父親を呼び出す。息子がいま日本の警察に不法滞在容疑で逮捕されていることを告げ、貴方の息子に間違いないか確認する。逮捕されていることは、M国大使館から通報を受けているので驚かない。 更に生年月日、出国の年月、その後帰国していないことの確認をする。息子と代わってくれと言うがそれは出来ない。そのかわり、「日本の警察は、貴方の息子の人権を尊重するから心配しないように」と告げる。 そこまでは良かったのだが、その後父親がたまりかねたように早口で言う言葉がさっぱり分からない。 W.Wによると、父親の言葉は客家方言だそうだ。息子のことを心配していることは分かるから、もう一度心配しないようにと北京語で言って電話を切った。 XX年XX月第3日 顎の下に無精髭を蓄えた大男の彼は、無愛想を絵に描いたようにいつもむすっとしている。妻のR.Yに言わせると、昨年母親を亡くしてから、人がすっかり変わったと言う。この2年足らずの間に、流産、長男の死、長男の看病に来た母親の死と、続け様に彼を襲った肉親の不幸が彼を暗い男にした。 今日は証拠物件の返還と、最後の調書作成である。 証拠物件返還のとき、 「X千円入った通帳」と額面X千円入りの通帳を刑事さんが返すと、 「これもう中は使っちゃってないよ」と彼が言う。 「あれっ?刑事さんが使ったのかな」と私が言うと、彼始めて人懐っこい笑顔で声を出して笑った。元々は明るい青年なのだ。 刑事さんが 「君がいつも言っていることを整理した」と調書の最後に付け加えた言葉を、私が敢えて日本語でそのまま読む。 「今回のことは、私は深く反省しています。いかなるご処置にも服す覚悟は出来ていますが、せめて妻が出産を終わるまで、日本に居ることが出来ますよう寛大なご処置をお願いもうしあげます。」 彼が「私、家族一緒にいたい、それだけ」と嗚咽する。 二畝地、一頭牛 喰えるだけの土地 一頭の牛 老婆、孩子、熱炕頭 かかあ せがれ あったかい塒 究極の、そしてささやかな庶民の願いが叶えられるよう、私も彼と共に祈ろう。 IM署 被疑者 Y.G 48才 容疑 不法就労助長 中華料理店経営者 W.WとR.Yの雇用主
XX年XX月第1日
前述の勾留手続の、3名の中の一人である。 本来は私が担当していないのでその後一度も会っていない。今日は最後の調書作成段階で、一部訂正個所が出来たので急遽臨時に担当することになった。 彼の調書上のサインがパスポートに書かれた正式の名前と違うのだが、何故そうなったかの理由。 今中国で使っている漢字は所謂簡体字。日本語のワープロでは上手く出ないので具体的な文字で説明出来ないが、要するに簡単化された漢字である。簡単化されているが、中国ではこれが正式な文字。だからパスポート上は簡体字で書かれている。しかし日本語ではその字は無いので彼は繁体字と呼ばれる、日本語にも使われる漢字を書いた。 そういう調書だから、あまり事件の本質には関係のない軽い気分で尋問は進む。 彼が「自分はF省師範大学の国文科を学んだ」と言って、文字に関する講釈が始まる。 F省師範大学と言えば全国でも有名大学である。 「羨ましいね、僕は中学までしか行けなかった。」と言うと、 「自分もそうだ。」と言う。「???」いま確か有名大学卒と言ったはずだが……。 「君は老三届か!」 「そうだよ、よく知っているね」 丁度彼の年齢は文化大革命で大学が閉ざされていたのだ。そのときは「下放」と言って農村で働いていた。だから特例として、兵役を終えたあと大学で学ぶことを許された。大学が閉ざされていた1966年から1968年、三年間に高校卒業した世代を「老三届」と呼ぶ。 私達の世代は、戦後復興が始まった時期で、中学を出たばかりの私達は「金の卵」と呼ばれ、中学を出たらすぐ就職した。私も17才で当時の電気通信省に入ってモールス通信のキーを叩いた。 社会に出た後、企業内訓練で色々と勉強させて貰った。 彼は又「紅衛兵」でもあった。毛沢東語録を振りかざして、全国を(串聯)した。紅衛兵は全国を、無料で旅行出来た。そして全国の労働者に、毛沢東支持をアピールした。これを串聯と言った。直訳したら、次々に訪問することだが、意訳したら職場オルグとも言えようか。 私はその後20年、一途に赤旗を振った。年は違うが、よく似た境遇が共感を誘う。 これは尋問ではない。 「また中華料理屋を続けるのか」と尋ねたら、 「私達夫婦の夢だ、又やる。妻はそのため4年間一度も美容院にも行かず資金を作った。」と答える。 「W.WとR.Yの夫婦には、私達も責任がある。あの二人はどうなるのか」と刑事さんに尋ねる。 「私達も罪人を作るのが目的ではない。悪いようにはしない。それだけしか言えない。」 「その返事だけで充分です」と彼が謝意を述べる。 私の想像だから飛躍するが、彼は密入国の組織犯罪の容疑で別件逮捕されたと思っていた。幸いにもそれは思い過ごしだったらしい。しかし今回捜索を受けたことは、考えようによったら、組織犯罪から誘惑の免疫注射とも言える。警察に睨まれた彼らには、その筋の人間も警戒するだろう。 「人間万事塞翁が馬」なにが幸せになるか分からないよ。と私がいったら、刑事さんも 「私もそう思う。この言葉は私が一番好きな言葉です」と言う。 嵐は去ったようだ。彼のささやかな夢が実ることを祈ろう。 H署 被疑者 34才 L.R 容疑 商標法違反 欧州S国、I国、の有名ブランド時計の偽造品を作り、街頭露天で販売している所を、他の一名と共に現行犯逮捕された。 K市高級住宅街にあった地下工場も一斉摘発。 この件は、地元の新聞でも大きく報道されたので、一部抜粋させて頂く。 「K市内で、国内最大級とされる地下製造工場を突きとめ家宅捜索、偽造完成時計1万三千個と15万個分の部品約80万点(販売価格計81億円相当)のほか製造機械を押収した。」
XX年XX月第1日 各県にまたがる事件なので合同調査になっていて、通訳も本部通訳なのだが、この日だけ私が臨時に担当することになった。 81億円の富豪は、袖口が手垢に汚れたジャンパーを纏い、手錠姿で登場した。 例によって雑談から始まる。彼がこの新聞報道を読んでいることを刑事さんに確認した後、 「新聞によると、君は凄い大金持ちなんだね。」 「どうして、そんなことが言えるのですか。」 とんでもないというように、彼が全身で否定する。 あれは流通価格からはじいた一つの試算で、押収額幾らが妥当かは難しい問題かもしれない。話はでかい方が面白い。 これも新聞報道によると、 「スーパーコピーと呼ばれる、この種偽造時計は、一個5千円程度で露天商に中間販売。客は偽造品と知りながら、5万円程度で購入していた。」 詐欺は親告罪なので、買った人に被害意識が無ければ詐欺罪は成立しない。だから容疑は商標権侵害罪である。 「母親以外は全て偽物がある」と言われる中国で、商標権侵害なんて、そもそも犯罪意識そのものが無いのではなかろうか。 WTOの加盟と共に、最近中国でもソフト海賊版等知的所有権に関する取り締まりは強化されている。しかし、知的所有権とか商標とか、無形財産の保護に対する認識は、我々日本人も欠如しているのではないだろうか。偽物と知って金を払うことに、私もそれ程の罪悪感は無い。 私達農業文化圏の民族は、狩猟採集文化圏の民族よりテリトリー意識が薄いのだろうか。 通訳する調書を手渡される。百科事典とまでは言わないが、A4でたっぷり200ページはある分厚い調書を前にして、 「これ全部読むのですか?」と私。 「はい」と申し訳無さそうに刑事さんが答える。 「やりましょう!」 気合をいれてページをめくると、殆どは押収した証拠品の確認と、それにつけられた、真偽鑑定依頼の回答書である。 約1万3千個の時計が、タイプ別、男性女性使用別、バンド留め金等の違いによる形態別に分類され、全て通し番号が打たれている。その夫々に鑑定結果が詳細に記載されている。 似たような言葉と、単調な数字が果てしなく続く。 「お茶を下さい!」ついに、私が悲鳴に近い声で刑事さんにお願いする。 「どうも、気が付きませんで。」と缶入りの烏龍茶を三個持って来て下さった。 「ビールでも飲みながら適当にやるか。」と私がL.Rに言うと、彼も大笑いしながら、 「どうせ刑事さんは中国語が解らないのだから、飛ばしましょう。」と怪しからぬことを提案する。流石は81億円詐欺の猛者だ。日本の警察も騙すつもりらしい。 勝手な私語は、通訳のタブーなので、これも通訳すると、刑事さんも乗りが良い。 「いいですよ、幾つお持ちしましょうか?」 私も適当に「以下同文」とか言って省略するが、刑事さんがまん前に座ったままなので、ページまでは飛ばせない。 延々三時間単調な発音練習をした。 81億円相当の通訳は、烏龍茶三杯でも足らない、重労働だった。 L.Rが、「日本人は警察に限らずみなさん大変真面目です。」と言う。 日本に始めて来た、中国人留学生の印象の一つは、 「日本人は、信号をよく守る」である。 「車が全然通っていなくても、信号が赤なら一歩も動かない。」 しかしこの言葉に含まれる響きには、必ずしも敬服の様子は無い。馬鹿にしているとまでは言わないが、かなり異様に見えるらしい。 四年前、中国の新聞「青年報」で、日本人に対する世論調査をしていた。それによると、中国人から見た日本人の長所は、真面目、礼儀正しい等が上位にランクされたいた。反面短所は、冷淡と残酷が上位にランクされていた。 「いま君が言った、日本人は真面目というのは褒め言葉、それとも貶したの?」 「決して貶した意味ではありません。私の実感です。」 彼の言葉に嘘は無さそうだ。 刑事さんが言う。 「偽物とは言え、本当に良く出来ていますよ。専門の鑑定員でないと、まず見分けがつかない。」 鑑定書に共通しているのは、保証書が無いこと。しかし客のクレームには、保証書無しできちんと対応していたそうである。 詐欺師は詐欺師なりに真面目なのだ。詐欺で送検できないのが残念だが、起訴は間違い無さそうである。 さて判決がどうなるか。 心ならずも、密入国に手を貸してしまった失敗と、危うく手を貸すところだった私の経験を,後書きに替えてご紹介したい。 蛇頭という言葉の響きと、新聞報道で見るコンテナー密航者の悲惨さから、私は彼らが刺青をして青竜刀を背負った集団をイメージしていた。 「イメージしていた」と言うと、今は正しく知っているみたいだが、実は今もなにも知らない。 しかし蛇頭が「不正な手段で出入国を斡旋し、手数料をとるのを生業としている人達の総称」と定義するなら、あの人も蛇頭と言えるのかなという人達が身近にいる。 彼らが蛇頭の定義に一つ当てはまらないのは、それを生業としていないことである。行政の責任者であったり、その外郭団体の長であったり、教育者だったり、みなしかるべき地位と生業を持っている人達である。 役割分担から、仮に蛇頭を勧誘蛇頭、引率蛇頭、受入蛇頭と分類して呼ぶならば、彼らは勧誘蛇頭に属する。 勧誘蛇頭の主な任務は勧誘と、勧誘した人間を無事出国出来るまでの手続きである。 その手続きに関係する全ての行政機関が、蛇頭に汚染されている。 いま中国で一番大きな問題の一つは腐敗だ。 新聞をランダムに開いて、そのページに腐敗の報道が載っているかいないかの賭けをするなら、私は必ず載っている方で賭ける。 少なくとも、勧誘蛇頭は背広を着た普通の人間だ。 引率蛇頭は国際マフィア、受入蛇頭は現地のヤクザが関係していると言われる。また国際マフィアはその全般に関係しているとも言われる。 密航者の実数は分からないが、仮に1万人とすれば、 300万円×10000=300億円 相当に大きなマーケットである。 かなり小さく見積もったから、実態は数倍だろう。 腐敗は中国だけでない。受入側即ち日本にも、相当な地位と情報を持った人の協力があったと睨まれている事例があると言う。 以前「ゴッドファーザー」というマフィアの親分の伝記で読んだことがある。 まず、狙った獲物にさりげなく小さな親切で貸しを作る。 ある日これもさりげなく、その人にとっては簡単なこと、小さな頼みごとをする。 多くの人は、協力しているという罪の意識が無く協力する。 ちょっとした親切を受け、それに対するお返し、あるいはちょっとした具合の悪いことをかばってくれたお返しと思って。それが彼らにより仕組まれたことと知らずに。 新聞で、こんな地位の人が何故こんな馬鹿なことを、という報道を見るたびにこれを思い出す。 黒い社会の人間から何らかの「親切」を受け、その借りを返さない者が、つまり小さな協力を拒んだ者が、報復と他の協力者への見せしめに、陥れられた可能性が高い。 失敗例 当時私は食品見本市への出展者を探していた。中国まで直接行き、ある省のこの方面の責任者に会いお願いしたところ、早速管内に連絡し関係者を召集して呉れた。 その中に彼はいた。H市商工関係責任者の名刺を持っていた。 彼が協力を申し出てくれたのである。彼の名は仮にYとしょう。地方の小都市の展覧会に出展してくれるところは無く、私は焦っていた。 彼の申し出を喜んで受けた。だから彼が別の省だが友人が居る。追加出来るかと言ったとき、更に喜んで引受けた。 結論から言おう。 彼が紹介した3人(男一人、女二人)内2人(男一人女一人)に逃げられた。 彼らが持って来たのはボストンバックに一つの商品、という身軽ないでたち。とても展覧会の出品とは言えない。この軽装を見て、私は逃亡を警戒すべきだったかもしれない。 私が準備した会場は3コマあった。幸い別の会社から日本人の友人が3人、少し格好がつく商品を持って来てくれた。私は彼らの出展費用も負担していたのである。それと当市で貿易会社をしている友人(残留孤児)が、賛助出品して呉れて助かる。 逃げた2人は、中国の列車で金を盗まれ所持金が乏しいと言う。 片道切符で特攻出撃をして来たのを、まだ私は気がつかない。親切にも5万円を貸す。 幕張で国際見本市があり、それの見学も日程に入っていたので、私は東京まで案内した。そしてガイドを世話して(ガイド費用は私が前払い)帰った。あくる日私の携帯に残りの一人から電話があり、2人が行方不明と言う。 宿賃は前払いしている。 別れるとき「明日親類が来るから」と言って、貸した5万円は返して呉れた。私が中国に帰ってからでもいい、私はどうせ近く中国へ行くから。と言うのにも無理やり返す。 その時は不可解だったが、今思うに、逃げた後私に詐欺として捜査願いを出されるのを恐れたのだ。宿賃を払っているのも同じ考えだ。 もう一つ今思えば、行きの新幹線で関ヶ原の雪を見て故郷を思い出し涙ぐんだのも奇怪だった。彼女には一才の生まれたばかりの子供がいる。 「母親は、たった数日離れても、子供のことを忘れられないのだ。」と、その時は思ったが、実は最初から逃げるつもりだったのだ。 更に今思えば、彼らの会社に電話をしたとき通話停止になっていた。そのとき私は気がつくべきだが、私にも食品見本市を成功させたい弱みがある。 「雪で電話線が故障していた。」と、いうのをそのまま受け入れた。 入国管理局,警察,外務省に届ける。 入管は今現在不法滞在になっていないので、なにも出来ないと言う。 警察は、(家出人捜索願い)として受け付けて呉れるが「あまり期待しないで下さい。」と正直に言われる。 外務省は,「不法滞在が確定した段階でまた連絡して下さい。」とのことだった。 結局滞在期間の3ヶ月過ぎても,現れなかった。 現地の総領事館にも電話して詫びを言う。 「少し心配していました。」と,担当官が言う。しかし彼は,時間の切迫した私のお願いに,最大の協力をしてくれた人だ。感謝こそする恨みは言えない。
この話しには後日談がある。YがH市で一席設けて呉れたとき,S女史が同席していた。彼女もH市文化○○という凄い肩書きの名刺を持っている。 私が中国に貿易のパートナーを探しているのを知っているから、色々自然食品とか石材とか商品見本を送って呉れる。 しかし私はあの事故以後、多くの人に迷惑をかけ、すっかり信用を落としてなにをやっても上手くいかない。貿易どころではない。 先々月中国へ行ったときだった。研修生のことで相談があるから、是非H市へ来て呉れとS女史が宿舎まで車を回してくる。 行った先は、H市の労働局。 局長が市の幹部を集めて宴席を設けてくれる。Yは来ていない。S女史が言う。 「あれはYが仕組んだことだ。彼の懐には相当入った。」と。 しかしS女史の名刺のFAX番号は何故かYと同じ。私には皆同じ穴の狢としか思えない。 列席のお歴々を前にして、 「私はあなた達を蛇頭でないかと疑っていまいした。どうも失礼しました。」とブラックユーモアを飛ばす。 その晩は彼らの用意してくれたホテルで一泊。 あくる日、労働局の現場職業安定所を見学する。 「私が、研修生でお手伝いできるとしても精々数人、この状況の改善には焼け石に水です。」 「その方向だけでいいのです。彼らに希望が湧きます。」 私が研修制度の理念と実態について述べ、 「中間に搾取が入るのは困ります。」と、釘をさす。 「当然です。しかし必要経費は手数料として貰います。」 ここの法律は労働局長、彼自身である。手数料は彼が決める。
以前S女史に、「もし貴女が本当に日本と貿易をしたいのなら、日本に自分で貿易会社を作ることを勧める。費用は約500万円要る。そのお手伝いはしてもいい。」と言ったことがある。今回はその話しもする。労働局が研修生派遣の基地としてその費用をだしてもいいと言う。 いまや研修生制度は、発展途上国へ技術研修という理念から離れて、完全に口入業になっている。 このような形で、研修生派遣を営利事業とするのは、幾つかの法律に触れるはずだ。貿易会社を作り、そこの社員が派遣研修生の支援業務を労働局から受託して、アルバイトとして行うことは出来るかもしれない。 しかし受入蛇頭の隠れ蓑にならないか。不用意に蛇頭の手先を務め、また犯罪の天才と毎日接していると、次はどの手で騙すつもりだと眉に唾をつけたくなる。 しかし健全に運営されたら、これぞ日中友好である。 H市が私に「H市境外職業介紹中心高級顧問」という如何わしい、名刺を作って呉れた。この名刺を使って蛇頭の世界で幅が利かすか、日中友好に生かすか。もう一度だけ騙されてみよう。 以下騙され未遂の話し 例1 ある日日中友好協会役員の方から、 「中国の大学の先生を日本に招きたいというのだが、話しを聞いてあげて下さい。」と、ある人を紹介する電話があった。 ○○化学会社社長の名刺を頂く。 「私の会社で建設業関係の薬品を開発しました。XX大学の教授と共同開発したものです。近く県でも使って貰うようになっています。 中国の大学で発表したところ、好評で何人か日本に見学に来たいというのですが、日中友好協会で招聘して貰えますか。なお費用は、私達が喫茶店でこの話しをしていたとき、横で聞いていた中国の人が非常にいい話ですから、自分が費用は負担しようと言っています。」 「私は招聘の実務は何件か経験があります。必要な書類はこれです。」と、見本と領事館から貰った招聘保証書書き方の手引きを渡す。 「私は事務処理のお手伝いはしますが、受入保証人はあなたがなって下さい。」 日中友好協会が保証人になる件はお断りした。 その後こちらから連絡しても、何の返事も無い。 例2 3年前、中国で暮らしていたときの話し。 ある日、断り難い人から、 「あなたを知っている女の人が以前日本語を勉強し、また勉強したいというのですが、教えてあげてくれますか?」と、頼みを受ける。 「一度どうぞ宿舎に呼んで下さい」と引受けた。 彼女苺を一籠下げて、一人でやって来た。 数日前、公園で写真を撮ってあげた男の子の母親だと言う。なんでも離婚して、親子二人だと言う。30才前後の美人。 それはいい。彼女日本語は全然話せない。 その数日後、今度は別の人を彼が連れて来た。日本に仕事に行きたいのだが、世話してくれないかと言う。 私は断った。この助平爺、幸いまだ小さな親切を受け入れていなかった。 危ない!敵は私を色仕掛けに弱いと見たようだ。狙いは正確! ゴッドファーザーの虎口を,間一髪逃れる。 嗚呼!遥かなり,日中友好の道。 |
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後日談 2014年、囲碁の催しでF省に行く機会があった。 ここは、この物語の主役が育った土地である。方言が厳しい土地だけに私ひとりでは無理かなと思っていたら、宿で事情を言って頼んだタクシーの運転手が非常に協力的だった。 彼等の故郷は、F市郊外の大阪の下町のような雰囲気の場所だった。 私だけではとても無理な、曖昧な手がかりの中を運転手さんが、その家まで探し当ててくれた。獄中詩人H.Cの生家である。 彼は市内に引っ越ししていたが近所の人達が、日本からの客人を心からの笑顔で迎えてくれた。そしてH.Cの新しい住所と電話番号を教えてくれた。 彼はやはり日本の成功者を振舞っていたのだろう。少なくとも日本のことを悪くは語っていないようだった。 しかし電話に出た彼は、私のことを知らないと言った。運転手が、土地の言葉で事情を細々と説明してくれたが、駄目だった。 無理もない。心ならずも暮らした異国での刑務所生活が楽しかったはずが無い。私は彼から見たら警察側の人間だ。H.Cも偽名だった。 運転手は、「彼は何か余罪の追及を恐れているようだ」というが、何より今の平和な生活を乱されたくないのだ。 当然だ。私も心無いことをしたものだ。 21世紀は、15年の間に労働市場も経済背景も大分変っている。 いまや中国は世界第二の経済大国だ。 それでも、日本が中国に底辺の労働を頼っている事情は変わっていない。 研修生という美名の下に合法的な低賃金労働者が厳然と存在している。 それもいつまでか。 (完) |
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