「……またか」
開いた目蓋の向こうに、眠った時とほとんど変わらない夜の闇を見て、イオは一つため息をつく。
また、夜中に目を覚ましてしまった。
原因は、わかっている。
悪夢── そう呼ぶには恐怖感がなかったが、決まって目を覚ますと居心地の悪い思いを感じるそれを、この所毎晩のように見るからだ。
── あの、世界中でこの東の都が一番活気付いた祭りから、もう半年近くが経とうとしていた。
「…どうして、こんな夢を見なくちゃいけないんだよ」
思わず、そんな言葉が口から漏れる。
夢の大まかな部分は大抵目を覚ますと忘れてしまうが、それでも忘れられない場面はある。
それは──。
「あの女のせいなのか……?」
あの祭りの最中。
歌姫に湧く人々の中で、まるで闇そのもののように現れた女。まるで──
死神のように、彼女を否定する女。
夢の中で、その女はいつかの言葉を繰り返す。呪いのように。
『あれは魔物なんだよ。情を移してはいけない──』
そして、自分は……。
その場面を思い出して、イオはそれを追い払うかのように激しく首を振った。少し長めの、今は結っていない髪が顔に纏わりつく。
鬱陶しげにそれを掻き上げて、イオは呟いた。
「これは夢だ。…現実には、絶対にならない」
夢の中で。
視線の先で、幼さばかりが目立っていた少女が予想通り美しく成長して、まるで女神のように立っていた。
まだ半年しか経っていないのに、何故だかその姿に懐かしさを感じて、思わず歩み寄る──
が、すぐにその足は止まった。
金の髪に空を映した瞳。
だが、そこに違和感を感じた。そして流れ込む、呪詛の声。
『いつか、お前もあの魔物を憎む日が来るよ──』
それは、目の前に立つ彼女の口から紡がれる。
いつの間にか、彼女の姿が黒衣の女の姿へと変わっていた。
女は冷たい微笑を口元に浮かべ、イオを追い詰めるように言葉を重ねる。
『無駄だよ。かの王と同じ過ちを繰り返すのかい? 天の魔物を手に入れようとすれば不幸になる。どんなに姿が美しかろうと、どんなにその声が魅惑的だろうと…天と地は決して交われない。大地は風を殺す事は出来ても、捕らえる事は出来ない。まして…あれは魔物。かつて我々を滅亡へと追いやったもの』
うるさい!
反射的に叫び、手にしていた何かを女に向かって振り下ろす。
鮮血が、飛び散った。そこで初めてイオは自分が見た事もない剣を手にしていた事に気付く。
幻のはずなのに、肉を断ち切った感触はやけに生々しくて。うろたえて剣を手放し、後ずさる。
そんなイオを見て、女は満足そうに微笑むのだ。
『そう…それでいいんだ』
蒼白な顔が、ゆっくりとまた彼女の顔へと変わっていく。
泣き出しそうな、悲しげな顔がイオに向けられる。
「どうして……?」
ため息のように彼女の口からそんな疑問の言葉が落ちた瞬間。
世界は暗転し、イオは現実へと引き戻される。
これがいつも見る夢の内容。夢の前後は時によって違うが、それでもその場面だけは変わらないのだ。
自分が、彼女── フルールを傷つける、その場面だけは。
「…これは、夢だ……」
祈るように繰り返す。
「夢なんだ……」
夜明けはまだ遠く、彼等の再会の時もまだ遠い。これから先の未来もまた、闇の中にある。
全てが光の元にさらされるのは、幾つもの夜と朝を迎えたその先。
イオは闇の中で、ただ祈る事しか出来なかった……。
〜終〜