夏を運ぶ風
ザアッ!
気持ち良い南西の風が、里の中を駆け抜けて行く。
春の終わりを告げる、少し強めのその風に乗って。
聞こえてくるのはいくつもの歌声。
シュラフ・テス
シュライディネイラ・テス
メイ・ラトワイジュカーナ・オルワ・リアス
天風魔法の使い手達が歌うそれはあまりにも古くて、
昔語りを多く知る語り部のおばばでも、その意味がわからないと言う。
「この歌が聞こえるようになると、夏が近いって思うわね」
豆の莢(さや)を剥きながら、のんびりとばあちゃんが呟いた。
「何でこの歌、天風魔法の使い手にしか伝わらないの?」
その横でやっぱり豆の莢を剥くのを手伝いながら僕が尋ねると、
ばあちゃんは水色の目をにっこりと細めて笑う。
「マリト、そういう事はじいさまに聞いた方が早いわよ」
「…そうだろうけどさ」
ばあちゃんの言葉は正しい。
じいちゃんはこの“マジックシード”の長だ。
こと魔法に関する事は、きっと里の誰よりもよく知っている。
でも…だからこそ、聞きづらい。
「でもさ、ばあちゃん。前にそういう事を聞いたら…じいちゃん、
『自分で調べるという事も大事だぞ?』とか言って教えてくれなかったんだけど」
しかもそう言った後、先祖代々伝わる蔵書が収められている図書室に
放り込まれるという、実にありがたくないおまけ付きで。
「…あれはね、呪文なのだそうよ」
余程僕が情けない顔をしていたのだろうか。
ばあちゃんは仕方ないわね、という顔でぽつりと教えてくれた。
「呪文……?」
確かにあの歌は、『呪文』以外の何物でもない気はしていたけれど。
でも実際にそうだとわかると、何だか不思議な気がした。
何しろ、一体どういう意味なのか、全然わからないのだから。
「わたし達も、魔法を使う時には言葉でそれを具現化するわね?
あの歌も元々は同じものよ。
だから風の祝福を受けた天風魔法の使い手だけに伝わっているの。
ただ…あんまり古くて、その意味を皆が忘れてしまったのね」
そんな事を言いながら、ばあちゃんは手を動かす。
すっかり手がお留守になっていた僕も慌てて残りの豆に手を伸ばすと、
それを確認してからばあちゃんは続けた。
「風は外の世界からやって来る唯一の物だけれど、
それが運んで来るものが何時も良いものだとは限らない。
だから天風魔法の使い手達は、あの古い呪文を唱えて風を浄化するの。
何故、南西の風だけをそうするのかは分からないけれど、それなりに意味はあるのよ」
流石に長く生きているとよく知っている。
それともやっぱり、長の奥さんだからかな?
シュラフ・テス
(吹け、風よ)
シュライディネイラ・テス
(吹き上がれ、風よ)
メイ・ラトワイジュカーナ・オルワ・リアス
(大地の上を駆け巡れ)
イ・メイ・ティレーマ・ラーナ・ワイド
(そして、我が言葉を伝えよ)
トア・ウィーダ・チェイル・ガルス・スティル・プロタリキル
(それは最強の護符となるだろう)
トア・ウィーダ・プロータ・キア・リアス
(それはこの地を守るだろう)
フィ・エルタティル
(永久に)
また風が吹いて、外から歌が聞こえてくる。
夏を連れてくる風が吹く度に歌われる歌に、そんな意味があったなんて。
明日、ガーヴェ達にも教えてあげよう。
そんな事を思いながら、僕はまた次の豆に手を伸ばした。