般若寺平和の塔

 
 


全国を巡礼し国連に届けられた原爆の火

 
 
1988(昭和63)年、日本全国を巡った平和行進の先頭を照らしたのが、原爆の火であった。
原爆の火とは、被爆直後の広島の町でくすぶっていた火をカイロに移して持ちかえった山本達雄さんが、家でその火を守り続け、20数年後に地域の村役場前(福岡県星野村)に平和の塔が建てられた折り、そこに灯されたものである。

日本全国を巡った原爆の火は、同年5月には海を越えて、ニューヨークで開かれた第3回国連軍縮総会にも届けられた。その後、東京の上野東照宮など各地で平和の取り組みが進む中分火され、1990(平成2)年には非核法で知られるニュージーランドのウェリントン市にも送られた。

 
 


原爆の火から平和の火へ

 
 
国内で分火された原爆の火がモニュメントの中に灯る場所として、般若寺は3番目に当たる。1989年1月、この火を移すためのモニュメントを造ろうと呼びかけられ、約3000人から募金が集まり、8月に約250万円ほどかけてこの平和の塔が完成した。製作者は十方舎の冨田憲二・山本明良両氏である。

境内の東、鐘楼の近くに建てられ、高さ2メートル余り。下方の壇はイタリア産の大理石を使い、地球の大地を表している。この大理石の上に、円形のプラスっチックに囲まれて、原爆の火が燃えている。その円形のプラスっチックを覆うようにブロンズ製の人間たちが火を守るように手をむすんでいる。

この塔が完成するまでは、原爆の火として保存し、核兵器がなくなった時には消す予定であったが、平和の塔に灯されてからは、原爆の恐ろしさと平和の大切さを後世に伝えるため、平和の火として残すことになった。

 
 

(中窪寿弥)

 
 

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