なぜチャネラーVenus Akko
となったのか |
子供のころからの成長の過程で、何度か??
と思うことはありました。
おばあちゃんが亡くなって命日に、私に愛という感覚を残しています
平成7年(1995)の初夢が大震災。この頃から夢で先にあることが出てくるようになりました。同時に1.17の阪神淡路大震災後、霊体験に苦しめられるようになります
どなたかこの状態を改善頂けないか求めていたところ、ご紹介を頂いた霊能者ご夫妻との出会いにより、その状態を拒否することなく受け入れるようになりました。
その後各地の神社仏閣へ足を運ぶ事や参拝の機会が自然と増えます。同時に夢によるお告げと、自動書記によりセルフハイヤーからのメッセージを読み解いていくのですが、ある日福島県の南郷村にあるお寺へ行くよう夢から指示があり従って行ってみました(夢では象徴的な示ししかなかったので地図に当てはめ、探していくことになったのです)
そこで、なんと愛を伝えるようにとのメッセージをまたまた頂くことになります。
抵抗なく、受け入れてしばらくは過ごしておりましたが、結婚・子供の出産というターニングポイントで、このお役目不可能とお断りをして、あれからしばらく何もなく・・・時折首をもたげる程度で過ぎていたのですが、3.11の東日本大震災以来、その感覚は何倍にも鋭くなり訪れることになりました。
愛を伝えるということがお役目だとするならば、私を求めてくださる方との出会いの中でお伝えするべきメッセージには必ず愛があるはず。
迷い悩む方が無駄に命を落としたり傷つけたり、傷ついたりすることがないよう質問に対して明確にメッセージをお伝えしていきます
決してやさしい内容ではありませんが、受けていただいた方たちからコンサル後、皆一様に、かなりスッキリしました。と感想を頂くことからオリジナルスタイルとして「かなりスッキリするコンサル」と名付けています
そして、特に女性に対して愛に溢れることでそこから更に、キラキラに美しく輝いて欲しい☆という願いを込めチャネラー名はVenus Akkoとしています |
バッチフラワーレメディとの出会い
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今から10年近く前のある日、突然声を奪われて
1週間程全く声が音とならない経験に愕然としたことがありました。
あの時以来、もし話すことが出来なくなったら・・という不安は私の中にいつも存在しています
それから3年くらい経った時でしょうか。
今度は意味不明な咳が約3ヶ月も続き、空気や環境が変わると止まらなくなり、様々な病院を転々としました。
医師らはそのたびに、喘息です。原因不明です。
と言って大量の薬を出します。
でも、なぜか私は「違う」と確信しているようなところがありました。辛そうな咳をしている私を見かねた事務所の先輩から「東京女子医大青山自然療法センター」の川嶋医師をご紹介頂きました。
訪ねて診療を受け喘息ではないとの診断。
そして、川嶋医師は私に対して、魔法の水を処方してくださったのです。
それこそがバッチフラワーレメディ
あんなに苦しんでいた咳が3日後に止まりました
んんんんんっ???
どうしてもその魔法の水の正体が知りたくなり独学で1年勉強。
限界を感じているところにプラクティショナーになるための講座があることを知り、レベル1・レベル2・レベル3・・そして試験やレポート提出など段階を踏んで、バッチ財団登録プラクティショナーとなりました
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愛玩動物飼養管理士1級
動物好きのAkko
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私の犬好きは筋金入りです。
小さいときにボロボロになるまで読み込んでいたお気に入りの本は、犬辞典。
とにかく無類の犬好き。
仙台でフリーのアナウンサー時代、DateFMで「覚ちゃんの動物サロン」という番組を担当し、日本に初めてパンダを運んできた時に関わった「覚ちゃん」こと小野寺覚先生と出会い、興味と趣味が高じて愛玩動物飼養管理士1級の免許も取得
又、当時仙台には盲導犬の姿を見かける機会はほとんどなく、もっと盲導犬の事を知ってもらいたいという思いで、東日本放送「八波一起のテレビイーハトーヴ」という番組で、3回に渡り盲導犬の取材を重ねスタッフと共に特集として放送。そこでご縁を頂いた方々とのつながりにより、仙台の盲導犬訓練所設立に至る橋渡しをすることが出来ました。 |