LOTUS 79 (1978)
(1993年製作)
1978年シーズン、ロータスは、エースのマリオ・アンドレッティに加え、セカンドドライバーに、名手ロニー・ピーターソンを迎え、最強のドライバー布陣で挑みます。前年型のウィングカーType78で、第1戦、第3戦を勝ち、好調な滑り出しを見せ、満を持して、第6戦ベルギーで新型Type79をデビューさせます。Type78より進化、本格的なグランドイフェクトカーとなったType79は登場するや、たちまちシリーズを席巻する強さを示します。デビュー戦でのポールトゥウィンに始まり、以後出走した11戦でポールポジション10回、うちフロントロウ独占5回、優勝6回、うち1-2フィニッシュ4回(ベルギーGP、ロニーは78で出走)文句無しでコンストラクターズチャンピオンを獲得します。しかし、第14戦イタリアGP(またしてもイタリアGP)、オフィシャルのミスで生じたスタート後の混乱の中、ロニー・ピターソンは、スペアカーType78のクラッシュで両足に重傷を負ってしまいます。そして術後の敗血症により、だれからも愛された‘サイドウェイ’ロニーは帰らぬ人となってしまうとともに、マリオ・アンドレッティにチャンピオンが決定します。皮肉なことにロニーの死後、Type79はポールを獲りつづけますが、この事故以後、翌79年もType79がトップでチェッカーを受けることはありませんでした。さらに、ロータス自体が長い深刻なスランプに陥ってしまうのでした。
78年型のType79は、数あるF1マシンの中でも、最も人気の高いものの一つでしょう。Type79はウィングカーの2作目にして、以後、フラットボトムまで5年間のF1マシンのデザインコンセプトを決定付けました。流れるようなスタイリング、シックなJPSカラー、そして、華々しい戦績。Type79は、まさしく、F1の美しさを具象化したマシンの一つと言えるでしょう。当時“Black beauty"と敬意をこめて呼ばれたこともうなずけます。
私自身、Lotus79は過去に2度スクラッチした覚えがあります。当時は資料も少なく、雑誌の小さなカットに一喜一憂したものでした。今から考えると不便な状況でしたが、模型の創作の楽しみは、案外そう言ったところにあるのかもしれませんね。そんな苦労して作った2作目は幸運にもモデルグラフィックの第一回グランプリを頂くことができました。しかし、その後、資料もかなり出回り、特にタメオのWCシリーズにラインアップされるに及んで、リターンマッチを決意、あわれ、受賞作は、ペーパーがかけられ、ポリパテの芯となったのでした。今度こそという意気込みで、フルディテールを計画。
まずは、とにかく、満足できるプロポーションを目指して(元々の芯は当然FW07です)、貼り、盛り、削りの繰り返しです。外形ができたところで、コックピット開口部に粘土をつめ、レジンで複製します(車体上面のみ)。ボディカウルとサイドポンツーンを切り離し、 上っ面だけのサイドポンツーンはFW07のサイドポンツーン裏面、モノコック、コクピット、燃料タンク部品に組み合わせ、形にしていきます。エンジン、エグゾースト、サスペンションもLotus78やらFW07やらから流用します。さて、切り取ったボディカウルの方は、プラバンでバキュームフォームにします。(掃除機を利用したヒートプレスですね。)これで、薄いカウルの出来上がり。実写通りに分割、開口して、モノコック、ポンツーンにフィットさせます。バキュームフォームは、80年代までのF1(がばっとカウルが外せるクルマ)には非常にリーズナブルな手法と言えます。
塗装は、ソフト99のセドリック用を使用。単なる漆黒でないところが気に入ってます。JPSのマーキングは72Dの方法と同じ。コンピューターを使ったデカール作りでも、黒地に対するマークはこの方法がベストでしょう。でも、細いラインはベージュを吹いたデカールの細切りです。クリアコーティングは、薄いカウルで研ぎ出しは無理です。モデラーズの缶スプレーの吹きっぱなしで仕上げました。各部品やパイピングをちまちまと作り込みましたが、いい感じなのは、プロホビーのメッシュホースとコネクタです。かなり割高ですが、モデラーズのより数段実感的です。
このように、紆余曲折を経て、完成したBlack beauty。その姿は、いまでも、モデラーの心を魅了しつづけます。
次は1/12でスクラッチせねば!